67、領地視察
永禄四年(1561年) 八月 丹波国 船井郡桐野河内摩氣神社 村部泰正
嫁と娘が儂の前に座る。倅は虎福丸様を出迎えるために出かけていた。
「虎福丸様がおいでになる。そしてしばらくここに泊まりたいと仰せじゃ」
「まあ、宿には泊りませぬの」
娘の辰が声を上げた。嫁も驚いたらしく、目を瞠っている。
「うむ。巫女たちと話がしたいと仰せられてな」
「……変わった御方」
嫁の久が細い声で言う。真に変わっておる。この町も随分と様変わりした。この神社も巫女の数が増えた。今では五人もの巫女がいる。そして、豊作を祝う祭りもある。虎福丸様は祭りを楽しみにされておる。町の若い衆も張り切っておる。
ただ、心配なこともある。
「変わってはおるが、民のことをよく考えておられる。神童よな。ところで辰よ。幸が怪しい者に声をかけられたそうじゃな」
「はい。波多野の者か赤井の者か分かりませぬ。でも強引に手を掴まれたと」
丹波は国人衆が治める地だ。桐野河内が豊かになれば、赤井、波多野、川勝、籾井、小畠といった領地から桐野河内に移り住む者がいる。丹後、能登、若狭、美作、但馬、貧しい土地から移住する者も絶えない。それ程、虎福丸様の名は各国に広まっている。それ故に丹波国内では妬まれてもいる。特に小畠たちは不穏な動きを見せていた。そんな中、孫娘の幸が連れ去られそうになった。大事はなかったが、他国の忍びかもしれぬ。虎福丸様が来たら、話してみるか。神社には腕に覚えのある者も雇っている。幸がこれ以上、狙われるのは避けたいが、の。久と辰を見る。やれやれ、暗い顔をしておる。幸は神社の奥深くにいてもらうしかないわ。虎福丸様に恨みを持つ者が幸を襲わんとも限らんからの。
永禄四年(1561年) 八月 丹波国 船井郡桐野河内
伊勢虎福丸
喧騒が聞こえてきた。賑やかだな。町の内政は家臣に任せてある。俺は三十人ばかりの供回りと共に輿で摩氣神社に向かっている。元々は貧しい神社だったんだが、集中的に投資をした。俺が宿泊する部屋も作らせている。巫女の数も増やした。この神社を桐野河内の観光名所にする。丹波の他の領地や京から人を呼ぶ。職人も呼び寄せている。桐野河内はこの一年半で見違えた。
だが、いいことばかりじゃないさ。並河や小畠といった国人衆が黙っちゃいない。丹波は国人衆たちが群雄割拠していて収拾がつかない。一応、丹波の梟雄である赤井直正は義輝に忠誠を誓っている。直正の妻は近衛家の娘で義輝の実家も近衛だ。赤井と足利、近衛は親戚になるのだ。並河には伊勢忍びの拠点がある。瑞穂がいたが、今は俺に随従している。紅も付けて、すっかり女らしくなった。うーん、どこぞの良家の令嬢っぽい。いや、実際、今川では令嬢だったか……。
「虎福丸様」
気づくと瑞穂が輿の側を歩いていた。瑞穂が俺の耳元に口を寄せ、囁く。
「怪しい者が多うございます」
「忍びか?」
問うと、瑞穂は頷いた。まあ、想定内だ。どうせ小畠だろうな。小畠の領地はすぐ左だ。関所はあるが、基本的に誰でも通すようにしている。忍びにはわざとこの町を見せる。真似したくても奴らにはできない。俺が義輝の側にいたせいで宣伝になって、全国から桐野河内に人が来る。百姓、神官、坊主、職人、傭兵。よりどりみどりだ。ふう、甲斐や越後に行った甲斐があったな。いい宣伝になった。おかげで桐野河内に人が集まって来る。
「摩氣神社の若様です」
また瑞穂が耳元で囁く。ドキッとさせられるな。瑞穂、悪気はないんだろうが、その囁くような声はやめてくれ。
「これは若君。ようこそおいでくださいました」
線の細そうな男が頭を下げた。宮司の息子だ。頼りない感じが出ている。
「出迎え、御苦労である。さて、神社に案内してもらおうか」
「はっ」
名前を思い出したわ。村部友五郎だったな。しばらく世話になる。よろしくな。
神社に着くと、武士たちが待っていた。
「若、お久しゅうございまする」
河村権之助が声を上げた。顔には爽やかスマイル。文武両道の名将だ。桐野河内の代官をしてもらっている。他の侍も伊勢の武士たちだ。この町には一千の伊勢兵がいる。農民兵じゃないぜ。常備軍だ。権之助に鍛えさせた。権之助は他国にもその名は知られている。丹波の国人たちも恐れて攻めてこないだろう。
「権之助、久しいな。一年ぶりか」
「一年と、七か月でございましょうか。虎福丸様が来られるなど、珍しき事。ささ、こちらへ」
権之助が俺を部屋に案内しようとする。神社の中から仙人のような老人が出てきた。宮司である村部蔵人だ。この爺さんとは文のやり取りをしていた。神社を発展させる。この地区の顔役である爺さんは取り込んでおくには得しかない。爺さんが頭を下げる。
「む。権之助。その前に蔵人に挨拶したい。しばらく世話になるのでな」
「はっ」
権之助が畏まった。俺は輿から降りると、爺さんの所にスタスタと歩いていく。
「蔵人よ。この町をもっと賑やかにしたい。奥で話そうぞ」
蔵人が頭を下げた。後ろに女が二人いる。誰だろうか。蔵人は子だくさんだ。子供も十人を越えている。まあ、この時代子供が多いのは珍しいことじゃないがな。




