66、揺れる武田
永禄四年(1561年) 八月 京 御所 細川藤孝
「武田は内部でそこまで割れておるのか」
「はっ。無人斎様から聞いたところによりますれば、信玄様派、義信様派に分かれ、水面下で争っているようでございます。武田典厩様が両派の間に入り、取り持っている由」
義輝様の問いに虎福丸殿が答える。幕臣たちがざわつく。武田内部の対立そこまで深刻なのか。これが上杉弾正少弼殿の耳に入れば、大変なことになる。
「無人斎が言うのであれば、真であろうの。むう、困ったことよ。親子仲良くとはいかぬか」
「信玄様のお側の奉行衆が義信様の悪口を吹き込んでいるようでございます。信玄様は四男である四郎様を可愛がり、義信様を遠ざけている由」
「愚かな……義信としては面白くなかろう。せっかく西国を鎮撫せんとする時に足を引っ張るか」
義輝が苛立ちまぎれに言葉を吐き出した。武田が揉めているとは知らなかった。やはり虎福丸殿はすごい。我ら幕臣の中では抜きん出ておられる。
「虎福丸。余はな。そなたに西国の鎮撫を任せたかったのだ。尼子、毛利、大友、龍造寺、相良、諸大名もそなたになら説き伏せられるはず」
「過分なお言葉でございます。西国の鎮撫など、三歳のこの身では役に立ちますまい」
「そのようなことはないぞ。武田も本願寺も、そして三好豊前守もそなたが説き伏せたのだ。西国の鎮撫ができぬはずがない」
虎福丸殿は無表情だ。あまり嬉しくないのだろう。義輝様もおかしくなっている。虎福丸殿を西国に派遣する? 西国の諸大名も足利に容易に従わぬ。足利の力は応仁の大乱以来衰えた。西国の大名たちも足利ではなく、三好を見ている。虎福丸殿が行っても、見世物になるだけだ。それでは虎福丸殿が勿体ない。
「しかし、武田が内部で争っているとなれば、西国どころではない。親子の間を調停せねばならぬ」
「親子の間を調停? そのようなことできましょうか」
荒川治部少輔晴宣殿が驚きの声を上げた。そうだ。親子の間を調停するなど難しい。そのようなことできようか。
「余自らが義信に説こう。義信を上洛させるのじゃ」
「上洛……義信殿が応じましょうか」
兄上が疑問を口にする。義信殿のことはよく分からぬ。真面目な男だと聞いているが、内に野心を秘めていれば我らを欺くこともするだろう。
「余が命じるのだ。来るだろう」
義輝様が自信ありげに言う。私は虎福丸殿を見た。虎福丸殿は何も言わない。
「甲斐には聖護院の伯父上に頼もう。急ぎ、聖護院へ使いを」
聖護院、義輝様の伯父上である道増様が御門跡を務められている。道増様は近衛家から聖護院に入られ、諸大名への使いをされることが多い。うまくいくといいが、いや、うまくいってもらわねば困る。
永禄四年(1561年) 八月 京 御所 伊勢虎福丸
義輝は事態を楽観視しているようだ。俺が義信だったら上洛するかな? 意外と顔を出すかもしれん。祖父である信虎や小笠原喜三郎も京にいる。弟に嫡子の座を奪われることに危機感があるのなら、上洛してパフォーマンスするというのも手だ。義信が賢い男であれば、来るだろう。はあ、武田のことは手に負えんな。信玄に義信、四郎との間で対立が起こっている。信玄の剛腕ぶりに不満を持つ連中が義信を担いでいるのだろう。まあ、どこの家でも親子喧嘩はよくあることだ。
それよりも六角の動きが気になる。右衛門督だが、領国の近江にも帰らず、播磨に留まっている。何か嫌な予感がするな。忍びたちは播磨に張り付かせた。右衛門督のことは逐一報告するように言ってある。
しかし、西国鎮撫ねえ。そんなの無理に決まっているだろうが。上杉弾正少弼の奴は公家衆とのコネ作りにご執心だ。相変わらず、政は伊勢に任されている。政所の連中も大変だ。話の分かる三好修理大夫は阿波に逃げてしまったので、政所が幕府と相談しながら決めている。
そろそろ丹波の田舎に引っ込むかな。丹波には伊勢の所領がある。代官に任せてあるが、俺も様子を見に行かないとな。酒の製造、硝石の製造もやらせている。腕のいい職人も移住してきたようだ。もっと人を呼び込もう。町造りは楽しいからな。それと高い塀を築いて、関所も設けて……。
「虎福丸殿、聞いておられるか」
細川与一郎が問いかけてきた。幕臣たちの視線が俺に集中する。いかんな。あまりにも退屈なので他事を考えていた。
「武田のこともそうだが、西国の鎮撫など、とても幕府にはできぬ」
三淵弾正左衛門がうんざりしたように言った。義輝はかつての武の足利家に戻したいのだろう。でもなあ、政虎も右衛門督も自分の家のことしか興味がないみたいだぞ。全国統一なんてことこの国の大名たちは考えていないだろう。信長以外はな。
「兄上、やはり美作守殿が」
「公方様に良からぬことを吹き込んでいるのであろうな。全く困ったものよ」
西国鎮撫、という発想事態が胡散臭いからな。美作守たちとしては目の上の瘤である俺を西国に行かせて、やりたり放題やるつもりだろう。まあいい、俺は丹波に行く。兵の練度も確認したいし。町や村がどうなっているか知りたい。義輝も俺が京を離れている間に頭を冷やしてくれるといいんだが。
幸い、幕臣の中にも三淵弾正左衛門らまともな連中がいる。摂津中務少輔も味方だ。俺は幕臣たちが甲斐武田の話に熱中するなか、湯飲みに手を伸ばす。明日は丹波の伊勢領に向かう。あまり顔を出していないからな。一年近く内政に専念させている。兵は一千ほどに増え、人口は六万人ほどになっている。賑わっているようだ。夏祭りに参加しよう。義輝たちは俺がいなくなって、慌てるだろう。帰ってくるように言ってくるだろうが、少しじらしてやる。義輝にも一人立ちしてもらわないとな。




