63、播磨制圧
永禄四年(1561年) 七月 京 御所 伊勢虎福丸
「虎福丸殿、播磨の小寺加賀守、降伏したとのことだ」
三淵弾正左衛門がやってきて言った。早いな。まだ一日も経ってないぞ。昼に出陣して今は夜だ。まあ六万の大軍だ。山城の国人衆や播磨の国人衆を加えると、もっとだ。しかし、赤松も六角の支配下に入るか。義輝は赤松一族に愛想を尽かしているな。赤松は義輝そっちのけで一族間で抗争。譜代でありながら赤松は足を引っ張った。それよりは六角右衛門督のほうが頼りになるということか。
「小寺加賀守も早く決断したものでございますね」
俺が言うと、三淵弾正左衛門も頷く。
「六万の大軍に領内に攻め込まれてみよ。己の腹を切るだけでは済まぬ。一族すべて処刑されるであろう。加賀守はそれを恐れたのであろう。その前に降伏を申し出たのだ」
「これでは浅井が動くこともありますまい」
「左様だな。ただ上杉殿が帰国すれば」
「揉めましょうな」
弾正左衛門様と二人、顔を見合わせる。上杉政虎とていつまでも領国に帰らないということは有り得ない。大軍を維持しておくのに金がかかる。年内か。来年だとしても結構な出費だ。
上杉も畠山も領国に帰るとなれば、残るのは六角右衛門督のみ。だが、この右衛門督。若く思慮も浅いときている。義輝との仲もいつまで保つか。
「右衛門督殿は御台所様に近づいておる」
「何と、左様なことが……」
初耳だ。御台所と言えば、関白殿下の妹君だったか。御台所には右衛門督に嫁ぐことになっている妹がいるから右衛門督の義理の姉が御台所になる。
「何か良からぬことを吹き込んでおるそうだ。大事なければ良いのだが」
俺は御台所の顔を思い浮かべた。籠の中の小鳥だ。吹き込まれれば、安易に信じてしまうだろう。
「はあ。心配だな。右衛門督殿では三好を抑えることなどできまい。浅井にすら、負けたのだからな」
弾正左衛門が息をつく。俺も同じ気持ちだ。義輝も馬鹿じゃない。右衛門督の器量は見切っているだろう。ということは、義輝の狙いが分ってくる。
「義輝様の狙いは但馬・因幡でございましょう」
「そこまで兵を出すおつもりか」
弾正左衛門が目を瞠る。但馬・因幡は山名の領地だ。山名祐豊、足利の家人で名門守護の家柄だ。しかし、近年は力を持った国人衆に頭が上がらず、領内の統治もままならないという。義輝の上洛にも応じようとしない。
「おそらくは」
義輝は播磨など眼中になかった。あったのは山名と出雲の尼子、備前の浦上だ。中国地方の大名たちに足利の力を誇示する。義輝を三好に擁立された傀儡と見ていた尼子たちは驚くだろう。まずは赤松を併呑し、言うことを聞かない山名を威圧する、か。おそらく進士美作守辺りの策だろう。駄目だな。山名も尼子も浦上も足利に反感を持つだけだ。力で従わせようとしている。脅し以外の何物でもない。愚策だと思う。止めない右衛門督も右衛門督だ。
「あまり良い策とは言えぬ」
「御意」
「与一郎に急ぎ使者を送ろう。公方様を御諫めするように、と」
弾正左衛門が顔色を変えて、家臣を呼ぶ。俺も播磨に伊勢兵三百を送っている。大将は横川又四郎だ。文を送らねばな。あまり深追いをするな、と。そして兵を損なうな、と。藪を突いたら蛇が出かねん。
永禄四年(1561年) 七月 京 春日御殿 伊勢虎福丸
「そのようなことが」
小侍従局様と春日局様が揃って、驚いている。声を失ったという感じだ。播磨御着城に着陣した義輝たちは赤松義祐の降伏を認めた。そして、但馬の山名祐豊に御着城に顔を出すように命じた。脅しではないが、拒否すれば、上杉、六角の軍勢六万が但馬に攻め込む構えを見せている。恭順の意を示せ、と言わんばかりだ。
焦った山名は堺の商人、今井宗久に仲介を頼んだ。宗久は足利の御用商人でもある。義輝も強くは出られない。事態は膠着状態を迎えた。三淵弾正左衛門はいてもたってもいられず、播磨にすっ飛んでいった。京は大騒ぎだ。義輝が播磨に行ってから五日が過ぎようとしている。御所の周りに幕臣の精鋭部隊が配置された。三好が四国から襲ってくるかもしれないからな。京の守りは特に厳重になっている。
「京の守りが手薄じゃ。いつ攻められてもおかしくはない」
摂津中務少輔が言うと、和田弾正忠も大きく頷いた。弾正忠は御所の主力部隊を率いている。
「怖いものですね。播磨に引きずり込まれたかのようです」
春日局がぽつりと言う。そうだな。罠だったのかもしれん。いや、ただ進士美作守が馬鹿をやっただけとも言える。京には二千の兵がいる。俺と和田弾正忠の部隊だ。それと幕臣たちを集める。六百から七百。うーん、三好に攻められたらひとたまりもない。大和、摂津、河内、和泉の足利勢に京を守るように使者を送った。兵力を京に結集する。実質的に俺が京の防備を担当することになる。義輝は上杉軍二千を京に送ってくれるらしい。それでもなあ。京が危ういことに変わりはない。
「近江に逃げて、そこで守りを固めるというのはいかがでござろう」
弾正忠が真剣な面持ちで問うてくる。朽木谷に逃げるか。女房衆も連れて、か。でもなあ、三好の前に逃げたとあっては、なあ。外聞が悪いわ。それに京を放棄すれば、野盗に食い荒らされるだろう。
「まだ三好が攻めてくると決まったわけではござらぬ」
俺は弾正忠をやんわりとなだめる。まだ状況は楽観的だ。義輝と右衛門督が戦を避けてくれれば……。いや、それも望み薄か。あの二人が今井宗久と交渉できるとも思えん。最悪のシナリオは山名が尼子と同盟し、播磨に攻め込むことだ。尼子は石見銀山を巡って、毛利と争っている。山名を援護する余裕はないように見えるが、尼子は八ヵ国を領有する。ないとは言い切れない。
いっそのこと、俺が播磨に行って、今井宗久と交渉するか……? 俺は春日局たちを見る。皆、不安そうだ。勝ち戦と思ったら、いきなりピンチだもんな。義輝もトラブルメーカーぶりに拍車がかかっている。
「公方様には文を送りまする。山名家をあまり追い詰めないようにと」
「虎福丸殿が言うならば公方様も耳を傾けよう」
摂津中務少輔が言う。皆も安心したように表情を和らげた。義輝は冷静になるだろう。今井宗久は堺を出発したはずだ。今から使者を送って間に合うか分からん。だが、宗久も商人だ。そこまで足は速くないだろう。俺は早速、伊勢忍びを呼ぶことにした。




