62、播磨遠征(はりまえんせい)
永禄四年(1561年) 七月 京 伊勢屋敷 伊勢虎福丸
堤三郎兵衛、野依二郎左衛門、それに横川又四郎、俺は重臣たちを引き連れて、部屋の中で密談していた。屋敷の周りは厳重に警護させている。伊勢兵二百を洛北に駐屯させていた。丹波に行けば千から二千の伊勢兵がいる。今は浪人を雇い入れている。三好に仕えていたが、解雇された者たちが大半だ。軍事力の強化。それを家臣たちには命じてある。三好という大樹のなくなった今、上杉、六角、畠山では頼りない。そのため、右衛門督がこれに山名、尼子、毛利を加えると言い出したのだ。この三家は中国地方で勢力を持っている。三家を味方とすれば、四国の三好への圧力になる。義輝の威がますます強くなるというものだ。三好のいた頃と三好のいなくなった今では諸大名の動向も変わってくる。まず火の手は播磨から上がるだろう。播磨には小寺政職という武将がいる。この男が義輝に反抗していた。小寺は赤松氏の家臣だったが、主君を追放。赤松家の嫡子を擁立し、実権を握っている。義輝が気に食わないのがこの小寺だ。義輝は追放された赤松晴政の復帰を構想している。そして播磨からの小寺達の一掃を目論んでいる。代わって播磨を治めるのが右衛門督となる。秋に入る前に出兵。総指揮は義輝が取るという。
「播磨を攻めるのは良い。ただ六角は野良田の戦いで負けておる。そのような者を大将とするとは」
「もし負ければ、六角はもっと弱兵と呼ばれましょうぞ」
横川又四郎が言う。鼻の下の口髭が目立つ強面だ。実際は優しいのだが、周りには誤解されている。
「小寺の兵は強いか?」
「強うございます。あの赤松が攻め込めぬ程でございますから」
堤三郎兵衛が言う。小寺は手ごわい。大軍で押し寄せても勝つことは難しい。小寺が降伏することは考えられんか……。戦には伊勢も参戦させられるだろう。
「播磨、但馬にも忍びを入れる」
俺が言うと三人が驚いた表情になった。
「また人を増やした。三好の忍びも雇い入れたのだ」
「その者たちは信に足る者なのでしょうか」
野依二郎左衛門が心配そうに聞いてくる。
「若い者が多い。信用できると思う。ただ、間者であるかもしれぬ。試しに播磨・但馬での働きを見る。伊勢忍びを目付けにつける」
尻尾を出せば都合がいい。泳がせて偽の情報を掴ませる。カウンターインテリジェンスってヤツだ。そこで勲功を立てた者を重用していく。そうして三好忍びであっても伊勢忍びの中でも幹部の地位を与えてやる。新参でも頑張れば、出世できるのだということを示してやる。
「それでも間者だということを隠し通す者もおります」
二郎左衛門が不安そうだ。
「あまりに得体の知れぬ者は雇っていない。それに伊勢忍びでも大事な仕事は任せぬ。二郎左衛門、心配し過ぎだぞ」
「……はっ」
二郎左衛門が頭を下げた。あとの二人は黙っている。
「俺は丹波の船井で瑞穂と共に田を耕したかったのだがな。義輝様が俺を離してくれぬ」
「義輝公は殊の外、若をお気に入りですからな」
堤三郎兵衛が笑い声を上げた。俺は渋面を作る。義輝に天下を制する力はあるのか……。義輝の私兵が少ない。例えば、六角が裏切って、義輝を殺すことも考えられる。その時、俺が義輝の側にいたら、巻き込まれる。できるだけ、義輝から離れて、この屋敷にいたい。だが、口実が思いつかない。どうするか……。
「義輝公とは離れたい」
俺が言うと、皆が驚いた。
「何故でございますか。若が公方様のお側にいれば天下は定まりましょう」
横川又四郎が口を開く。やれやれ、家臣たちは分かってくれん。三好がいなくなったことで皆、気が緩んでいるのかもしれぬな。
「上杉殿は信に足る御方よ。しかしな、六角は美作守と内通しておる」
「右衛門督殿が、でございまするか」
「うむ。奴の狙いが分らぬ。俺が煙たいことは確かだが」
俺は竹内加兵衛を思い出していた。細いが、筋肉質の男だ。年は三十そこそこ。松永久秀の片腕と言われ、公家にも顔が広い。あの男が嘘をつくとも思えん。もう少し、松永を、竹内を探ってみるか。六角を抑えれば、京の治安も乱れることはあるまい。
永禄四年(1561年) 七月 京 伊勢屋敷 伊勢虎福丸
「しかし、お春殿。この屋敷にいつまでいらっしゃるおつもりかな?」
俺はお春に声をかけた。お春は花を活けている。どっから持ってきたんだか。お春は俺の貸した部屋で悠々自適に過ごしていた。お春の活けている花を喜多がニコニコしながら見ている。喜多は伊達家の侍女だ。史実では伊達政宗の養育係だった聡明な女性だ。京では戦になるという噂で持ちきりだった。赤松攻めに上杉と六角が動くということだ。俺はこれから御所に出仕する。播磨に攻め込む作戦会議だ。右衛門督とも顔を合わせる。憂鬱だ。
「フフフ。私の好きなだけよ」
お春が妖艶な笑みを浮かべた。ふう。どこまで人を振り回せば気が済むのか。庭では水野宗兵衛が竹刀を振る音が聞こえてくる。京女たちがキャーキャー言っている。もはやアイドルだ。宗兵衛は有名な道場に通っているらしい。結構な腕前だと聞いた。この伊勢屋敷も個性の強い連中の巣窟になってきたな。
輿に乗る。時折、町の様子を見る。町は賑やかだ。活気に満ちている。京の民は強いな。この程度では逃げ出すことはないか。
御所に着いた。義輝の待っている部屋に向かう。
「虎福丸、よう来た。こっちじゃ」
奥に義輝が座る。いつもの評定の間だ。俺は畠山尾張守の隣に座らされた。大夫、上座だな。幕臣たちの視線を感じる。殺気もあるな。怖い怖い。
「播磨の赤松を叩く。そして播磨を六角に治めさせる」
「はっ」
右衛門督が返事をする。政虎たちは表情を変えない。
「九月には兵を差し向ける。と言いたいところだが、評定で話がまとまり次第、兵を出す。小寺加賀守を討つッ」
義輝の言葉が広間に響いた。義輝は本気だ。小寺を攻め、播磨を支配下に置こうとしている。今なら上杉、畠山、六角といった武将たちが配下にいる。兵力のある今が好機ということだろう。
「こたびは余も出陣する。播磨を平定したのち、領国は赤松ではなく、右衛門督に任せる」
義輝が言い切る。義輝が出陣か。これは驚いた。将軍自らの出陣は珍しい。足利も元を返せば武家だ。本当は驚くことではないかもしれない。
「公方様の出陣は取りやめてはいかがでしょうか。もし小寺が公方様のお命を狙うことあらば、危ういですぞ」
畠山尾張守が言うと、義輝は尾張守を見た。
「臣が余を守ってくれよう。それに余が倒れたとて、弟たちがいる。還俗させ、将軍職を継がせるのだ」
「しかし」
「尾張守、心配が過ぎるぞ」
義輝は笑みを浮かべた。そして、俺を見る。
「虎福丸。何か言いたそうな顔をしておるな」
見抜かれたか。気になる点はいくつかある。
「はっ、このまま播磨を六角家の物とすれば、赤松家は怒りませぬか」
「承服できんという者は出てこよう。ただ、余は右衛門督の忠義に報いたい。それには播磨を与えるしかないと思う。赤松は余に叛いた。今更、許す気はない。播磨は取り上げる」
「しかし、北近江の浅井が動かぬとも限りませぬ。右衛門督様の御出陣はやめたほうが」
「浅井が動いて我が領地を狙うか。それも良いではありませぬか。野良田の戦いでは浅井に負けた。浅井から攻めてくるならば、迎え打つまででござる」
右衛門督が言うと、座が静まる。浅井は足利の家人になってはいない。どう動くは未知数だ。史実でも信長を土壇場で裏切った家だからな。
「右衛門督に叛くことは余に叛くことと同じだ。浅井がその気なら幕府も浅井を討たなければならぬ」
義輝が皆を見る。
「幸い、三好攻めで兵を失っておらぬ。出陣じゃっ、播磨を足利の物と致すっ」
諸将が返事をする。俺は御所に詰めて、留守居役を仰せつかった。伊勢屋敷と御所に兵を入れる。留守居役は他に三淵弾正左衛門殿が務める。義輝の重臣だ。義輝は三千の兵を率いる。義輝ら六万の大軍はその日のうちに京を出陣した。




