61、悲劇の姫君
永禄四年(1561年) 七月 京 御所 春日御殿 伊勢虎福丸
評定が終わった。義輝は諸大名の帰国を許可した。朝倉、若狭武田、能登畠山は家老を自分の代理として残すという。皆、領国の経営が不安らしい。能登畠山は加賀の一向一揆を警戒している。朝倉も一向一揆を警戒している。残っているのは上杉、六角、畠山、それと松永だ。
春日局が憂鬱そうな表情をしている。その隣に見知らぬ女性が座っている。宮内卿局、先代将軍義晴の側室だった人だ。今では将軍家女房衆のまとめ役となっている。年は七十くらいだろうか。俺は春日局に招かれてここに来た。俺は義輝に丹波で隠遁したいと申し出た。しかし、断られた。側にいて欲しいらしい。まあこの分だと義輝暗殺の可能性は薄くなった。うまくいけば、義輝による天下統一も夢ではない。
「しかし、六角右衛門督殿の振る舞い、上杉弾正少弼殿、畠山尾張守殿も眉をひそめておりましたぞ」
呆れたように言うのは幕臣の飯河肥後守だ。この場にいる竹内加兵衛秀勝、神余隼人祐親綱も頷いている。竹内は松永の臣で神余は上杉の臣だ。
「右衛門督殿を唆している者がいるのでしょう。誰かは分かりませぬが」
細川与一郎藤孝が冷静に言う。六角の様子はおかしくなっている。今度は播磨討伐を進言したのだ。それだけではない。尼子、山名、毛利も上洛するべきだ主張している。諸大名は総スカンだ。今、重要なのは美濃の問題だ。美濃の斎藤義龍と織田信長は争っている。戦は膠着状態だ。義輝も政虎も和議を仲介しようと必死だ。そこに右衛門督がしゃしゃり出てきたのだから問題が複雑化する。右衛門督は主導権を握りたいのだろうが空回りしている。周囲の反感を買うだけだ。
「決まっているでしょう。右衛門督には進士美作守がついているのですよ」
竹内加兵衛が言うと、皆が加兵衛の方を見た。
「加兵衛殿、美作守の動きを掴んでいるのですか」
「虎福丸様、我ら松永の忍びの力を舐めてもらっては困りまするぞ。六角には美作守の手の者が入っておりまする。上杉、畠山を崩すのは難しい。しかし、六角ならば与しやすし、ということにござりましょう」
竹内加兵衛が自信満々に言う。六角か。右衛門督に父・義賢、祖父定頼ほどの器量はない。六角を唆し、上杉と対決させるか。美作守の考えそうなことだ。
「六角家中では右衛門督ではもう駄目だと。他家から養子を取るべきとの意見も出ておりまする」
加兵衛が言うと、皆がどよめく。右衛門督の隠居か。有り得ることだ。北近江の浅井が力をつけてきている。今の右衛門督では心もとなしといったところか。
「上杉弾正殿の政ではまとまりませぬか」
宮内卿局が言う。皆が沈黙する。
「右衛門督殿が頼り甲斐があれば良いのですが、難しいでしょうな」
俺は宮内卿局に向かって言う。右衛門督、右衛門督か。皆が不安がっている。何とかしないといけないな。
永禄四年(1561年) 七月 京 本能寺 六角義治
宿所である本能寺に帰ると、蒲生下野守たちと茶を飲むことにした。茶を用意したのは幼馴染の小夜だ。家老の平井の娘で浅井新九郎に嫁いで送り返された。それ以来、傷心の日々を送っている。
「小夜、公方様にな。毛利、尼子、山名を上洛させるべきと申し上げた。皆、口を開けておったわ。クックック、面白き景色であった」
小夜は表情を変えない。面白くなかったか? いや、そうではあるまい。
「それとそなたが気にしていた虎福丸にも会ったぞ。童子であるが大したものだ。そなたの婿となる身。そなたも一度会ってみるが良い」
「……私は新九郎様に嫁いだ身。虎福丸様とて、相手にはされますまい」
暗い声音じゃ。可哀そうでならぬ。まだ十五歳。三歳の虎福丸殿に嫁げば、充分に子を産める。虎福丸殿を味方にしてしまえば、浅井新九郎も動かぬであろう。
「何を申す。俺の側室になるよりもずっと幸せに生涯を送れるぞ。俺など家臣にいつ裏切られるとも限らぬ」
「幸せ、幸せでございますか」
小夜が死んだ目でこちらを見る。元々は明るい娘だったのだがな。新九郎の奴に送り返されてから元気がない。
「とにかく虎福丸殿との婚儀を進めるぞ。良いな?」
「……」
「嫌か」
小夜が首を振る。
「嫌と言うわけではございませぬ。虎福丸様より私の方が年上でございます。虎福丸様もあまり年上なのは嫌ではないかと」
「気にすることはあるまい」
「そうでしょうか……」
気乗りせぬか。やむを得まい。強引に進めても小夜が嫌がるだけだろう。俺は下野守の方を見る。下野守は穏やかな笑みを浮かべていた。
「下野守、伊勢虎福丸の屋敷に間者を潜り込ませられるか?」
「やってみまする。しかし、その役目は三雲殿のはず」
「三雲か。あ奴は信用ならぬ。そなたに頼みたい」
「はっはっは。三雲殿も御屋形様に嫌われたものでございますな」
下野守が笑い声を上げる。不思議と嫌な感じはしない。どうにか虎福丸に小夜を嫁がせねば。そして伊勢を六角の物とせねばならぬ。




