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60、虎福丸を懼(おそ)れる者

永禄四年(1561年) 七月 摂津国 芥川山城 大広間  伊勢虎福丸


「三好豊前守、和泉から阿波に移る気はないか」


 政虎が俺に問いかけてきた。三好豊前守は兄・長慶を岸和田城に招き入れた。長慶は摂津を捨て、摂津の国人衆は上杉軍に降伏した。上杉軍らは紀伊の畠山軍と合流。六万の軍勢に(ふく)れ上がっている。


「いえ、近く阿波に移るとのことでございます」


 場がどよめいた。畿内を制してきた三好があっさりと阿波に兵を退くという。


「三好は負けを悟ったのじゃ! 我らの勝ちぞ!」


 六角右衛門督が大声を出した。


「そうじゃッ、これからは上杉殿が畿内を治めるッ、上杉殿こそ天下人にござるっ」


 畠山(はたけやま)修理(しゅり)大夫(だゆう)(よし)(つな)も叫ぶように言う。大夫、諸将も興奮してきたようだ。


「はっはっは。修理大夫殿。天下人とは大げさな。私は公方様をお支えするだけにございまする」


 政虎が低い声で笑い声を上げた。陽気なように見える。しかし、政虎の心中は穏やかではないだろう。政虎は疑心を抱いていると思う。そして疑心が向けられるのは六角や能登畠山ではない。政虎が目をやる。そこには壮年の男が座っていた。固く口元を結んでいる。畠山(はたけやま)尾張(おわり)(のかみ)高政(たかまさ)、紀伊畠山の当主で動員兵力は四万とも称される大名だ。興奮する若い武将たちを尻目に険しい表情を崩さなさい。愚鈍、との噂もあるが、俺はそうは思わない。政虎と張り合うことができるのはこの男だけだろう。


「尾張守殿、顔色が悪いようだが、いかがなされた?」


「三好修理大夫があっさり負けるのが()に落ちませぬ。これは罠ではないでしょうか」


 尾張守が政虎を見る。尾張守は噂と違って頭の回転は速そうだ。罠、とまではいかないだろうが、謀将である三好長慶が引き下がるとは思えない。また仕掛けてくる、そう考えるのが自然だ。


「罠、か。三好修理大夫のことよ。このままでは終わらぬか」


 座が静まる。畠山尾張守は三好を長年見てきた男だ。その男が言うのだから説得力がある。三好はまた攻めてくる。そうすれば、上杉軍はいかに迎え打つか……。


「とにかく和泉が手に入るのだ。公方様もお喜びになられよう」


 政虎が言う。座は静かなままだ。尾張守は険しい表情のままだ。












永禄四年(1561年) 七月 京 御所 進士(しんじ)藤舎(ふじいえ)


 外が(にぎ)やかだ。上杉軍が京に帰還した。六角義治、畠山義綱、畠山高政らも軍勢を率いている。三好は阿波に兵を退いた。そして摂津滝山城の松永久秀、大和の松永彦六義久も降伏した。松永親子は三好を見限ったのだ。公方様もお喜びであろう。上杉政虎、そして伊勢虎福丸は大任(たいにん)を果たした。虎福丸、好きにはなれぬ。私利で動く者でないのは分かる。だが、気に入らぬ。虫が好かぬというか。俺は部屋の前にいた侍女に声をかける。侍女が愛想の良い顔で(ふすま)を開いた。中に入る。中には侍女が何人かいた。それと妹よ。妹は湯飲みを口元に運んでいた。我が妹ながら、その美しさにははっとなる。義輝様が夢中になるというのも分かるというものよ。妹は小侍従局(こじじゅうのつぼね)と呼ばれ、義輝様の側室となっている。


「志津、大変なことになったわ」


 俺は溜め息混じりに言う。志津が女中たちを下がらせた。二人きりになる。妹は笑みを作った。痛々しいと思う。虎福丸のことを嫌っていたのは妹も同じだ。


「虎福丸殿の権勢、並ぶ者なしといったところでございますね。伊勢の力が幕府を動かしている。いえ、義輝様は虎福丸殿の才に頼り切っている」


「うむ。もはや我らも黙っているのもやむなしよ。いっそのこと虎福丸の好きなようにさせることが幕府の為になるのではないかと思えてきたわ」


 俺は溜め息をつく。志津を見た。志津が笑みを浮かべている。


「虎福丸殿の好きにさせる……兄上も父上も死にたいのですか。あの子は私たちの命を狙ってくるでしょう」


 志津は笑みを浮かべたままだ。虎福丸が俺と父上を殺す。まさか……。


「三歳の童にそのようなことできぬとお思いでしょう。あの子が十歳、二十歳になれば、私たちを(うと)ましく思うはず。進士を切り捨て、摂津や細川、一色といった家と組みましょう」


 志津が立ち上がると俺の前に立った。志津の甘い匂いが漂ってくる。


「そんなことが」


「負ければ、御家(おいえ)断絶(だんぜつ)にございます。戦国の世の習い。義輝様とて、力の強い者を選びましょう」


 志津が、妹が俺を見下ろす。蔑まれているのか? 志津の目に光はない。ただ口角だけが上がっている。


「だが、もう三好は頼れぬ。上杉も取り合わぬであろう。もう打つ手が」


「六角右衛門督」


 志津が言う。右衛門督? あの男は上杉弾正少弼を快く思っておらぬ。それを利用するのか……。


「あの者を私たちの仲間に引き込んでしまえば良いのです。御台所を利用しましょう。あの女ならば、御所をうまく引っかき回してくれるはずです」


 志津が座る。そしてニコリと笑う。


「虎福丸の好きなようにさせてはなりませぬ。しっかりなされませ」


 そうだ。俺は進士(しんじ)美作(みまさか)(のかみ)の一子、十兵(じゅうべ)衛藤舎(えふじいえ)ぞっ。志津には虎福丸を、伊勢を潰すように前々から言われておったからな。もうすぐ評定も終わろう。そうなれば、また父上に話を持ちかけようぞ。


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― 新着の感想 ―
[一言] だいぶトンデモな展開になってきたな
[一言] 一ヶ月ぶりの更新、待ってました。 三好を退けた上杉だが、確かに織田の懸念通りこのまま引き下がるとは思えない・・・。 それに虎福丸を煙たく思う不穏な空気・・・、キナ臭さはまだ払拭できそうも…
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