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6、北条討伐

永禄三年(1560年) 七月 京  室町第 伊勢虎福丸


 目の前の女がぱたぱたと扇で扇いでいる。目がこちらを見ている。そして、クスリと笑った。


「石鹸をありがとうございます。侍女たちもとても喜んでいますよ」


「春日局様のお役に立てて、嬉しゅうございます」


 ぺこりと頭を下げたら、女の目尻が下がった。怖そうな女だ。でも美人だな。


 春日局。義輝の乳母であり、この室町第の侍女たちを仕切っている。公家の日野(ひの)晴光(はるみつ)の妻だったが、夫が若くして死んでいた。その後、出家せず、義輝の側にいる。義輝の側近の一人だ。


「まあ可愛らしい。侍女たちが騒ぐのも分かるというもの」


 春日局がうんうんと頷く。義輝周辺で取り入りやすそうなのがこの女だった。義輝は女たちに頭が上がらない。特に自分の母親と春日局には、だ。細川与一郎がこっそり教えてくれた。さすがに要領のいい男だ。


「それで長尾弾正少弼殿はどうなりますか。与一郎殿は虎福丸殿に聞いた方が良いと言われたのですが」


 なぜ俺? と思ったが、俺は政所執事の孫で関東を治める北条左京大夫氏康とは親戚に当たる。伊勢の一族も北条の家臣にもいるしな。細川宮内少輔のせいで俺は幕府の情報通か。春日局まで俺の考えを知りたいとは。長尾弾正少弼は去年、義輝に会いにやってきた。その時に上洛を命じられたのだ。


 忠義に燃える長尾景虎は承諾し、越中(えっちゅう)富山(とやま)(じょう)を落とし、越中を支配下に治めた。そして、取って返して上野国に攻め込んだ。北条を討つためだ。北条は幕府の任命した関東管領の上杉(うえすぎ)憲政(のりまさ)を追い出した。


 上杉憲政は長尾景虎を頼る。怒った長尾は足利将軍の命令もあって、北条討伐に乗り出したのだ。その矢先に今川義元が桶狭間で死んだ。


 今川・北条・武田は三国同盟を結んでいる。しかし、今川が力を失ったことで長尾の付け入る隙が生まれた。狙いは上杉氏を追い出した北条だ。北条は幕府の臣下だったのに、足利に喧嘩を売ったと言える。義輝は北条を許していない。そこで長尾を使って、北条を滅亡させることに決めたのだ。そして次のターゲットは三好だ。戦上手の長尾景虎なら、三好を叩きのめしてくれる、そんな構想を義輝は持っているのだろう。


「うまくいかぬと思います。それは長尾弾正少弼殿の性格にあります」


「性格? 戦ではなく、弾正少弼殿の性格で戦の趨勢(すうせい)が決まると?」


 春日局が狐に()ままれた顔をしている。俺は頷いて見せた。


「はっきり申し上げましょう。長尾弾正少弼景虎は戦に強いのですが、増上慢の人柄。これが反感を買いまする。関東の武士は誇り高い。辞を低くするということを知らぬ御仁でござる故。ここで(つまづ)きまする」


 気位の高い景虎は史実でも関東の武将に乱暴を働いている。自分が足利将軍のかわりに北条を討伐するという高揚感。そして景虎の人としての未熟さが招いた事件だ。俺は転生者だから、関東に忍びを送らずとも分かる。


「……」


「義輝様はいかにお考えかは分かりませぬ。それでも長尾が頼りとすることは危のうございます。それよりもまずご自分の足元を固められた方が良い」


「……私もそう思います。三好家に支えられている非力な自分を見たくない……三代将軍義満公のように諸大名誰しもを従えたい。そのように強く思っておられます。でもそれは」


「無理でございましょう」


 春日局が真剣な顔で頷いた。


「今の義輝様を御諫(おいさ)めすることは幕臣たちは誰もやりたがりませぬ。三好が怖いのです。だから遠国(えんごく)の長尾を持ち出して、自分たちを慰める。女子には滑稽なことですわ。オホホホ」


 春日局が静かに笑い声を上げた。(あきら)めが混じっている。俺は義輝に疎んじられている。この小部屋に軟禁されているようだ。幕臣たちは俺の起用に反対している。父上も出仕しても何も話させてくれないらしい。


「御助言ありがとうございます。やはり与一郎殿の言う通り。可愛らしい。死んだ息子を思い出します」


 春日局が俺をうっとりとした目で見つめてきた。美人の気休めになったなら良かったわ。あとそんな目で俺を見つめないでくれ。俺は食い物じゃないから。














永禄三年(1560年) 七月 京  室町第 細川藤孝


 私は春日局様と入れ替わるように部屋の中に入った。虎福丸殿がちょこんと座っている。


「どうでしたか」


「どうもこうもあるまい。与一郎殿、幕臣たちは何を考えている? 春日局様が案じることがなぜ分からぬ。()せぬ」


「幕臣たちは焦っているのです。このまま、三好の天下が続けば、足利が弱くなるのではないかと。そうですね。頼朝公における北条のような存在に三好はなりかねないと」


「私利私欲のために足利を利用しているのか?」


「そこまでは彼らも思っておりませぬよ。それでも、五年、十年先が見られぬ。目先の長尾の快進撃に目が奪われているのです」


「ふむ。馬鹿だと言いたいが、分かる気もする。三好修理大夫も尋常の男ではなかった。覇気に満ちている。あのような傑物はおらぬ。足利が抑え込まれるのもわかろうというもの」


 虎福丸殿が言う。二歳の言うことではないな。六十の隠居と話している感じだ。やはり、この童。神童か。兄上とはよくよく話し合った。虎福丸を義輝様の軍師とする。さすれば、三好を抑え込める。三好に勝つには虎福丸の智謀が必要だ。


「虎福丸殿」


 虎福丸が無表情でこちらを見た。喜びや悲しみといった感情が感じられない。母とも別れた。ここで一人で暮らしている。不思議な童だ。お前は一体何者なのだ?


「虎福丸殿のお命を狙う者あり。それがしの屋敷にて(かくま)い申す。急ぎご出立(しゅったつ)を」


 虎福丸がニンマリと笑みを浮かべた。予想通りだったのか? どこまでも予測のつかぬ童よ。まあ良い。義輝様に命じられた通り、この幼子は守らねばならぬ。


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