59、畿内を制する者
永禄四年(1561年) 七月 和泉国 岸和田城 評定の間 伊勢虎福丸
「上杉は烏合の衆でございまする。岸和田城に兵を残し、京を取り戻すべきと思いまする」
家臣の一人が声を上げる。三好豊前守の家臣たちは好戦的だ。俺の言うことを聞きそうにない。
「畠山の動きが読めぬ。動くことはできぬ」
「殿っ、それでは修理大夫様を見捨てることになりまするぞ!」
家臣が声を荒げる。興奮しているな。俺は男をジッと見る。この男、家臣団ではリーダー格なんだろう。座っているところも豊前守に近い。
「右京進様、土佐の一条が動いたとしたらどうなされます?」
「なぜ俺の名を知っている? いかにもそれがし篠原右京進長房じゃ。土佐の一条が動くはずもあるまい。当家と一条家は誼を通じておる」
篠原右京進が俺の方を見て、反論をしてくる。なぜって篠原長房って言えば、豊前守に次ぐナンバー2だからな。四国の情勢に通じていれば、自然と覚える名前だぜ。
「一条家にはすでに上杉家の手が伸びておりまする。一条左近衛少将様は不忠の臣・三好を討つべきである、と。されば少将殿四国の覇者となり、民は少将殿の武を褒めたたえるであろうと」
「はっはっは。笑止なり。少将様がそのような戯れ言に耳を貸すと思うか。一条家は京に本家がある。御本家と三好家は昵懇の間柄。一条家が三好と敵対することは有り得ぬ」
「いや、有り得るぞ。右京進」
ぼそっと豊前守が言った。皆の視線が豊前守に集まる。
「一条左近衛少将、若く思慮が浅いと聞いておる。あ奴なら、阿波に攻め込むとも限らぬ」
「殿、土居宗珊殿がおりまする。土居殿を通じて少将殿を説得してみては?」
土居宗珊、一条家の筆頭家老で兼定の相談役だ。ただ最近は疎んじられていると聞く。
「宗珊とて公方様を慕っておる。三好の使者が土佐に行ったところで邪険にされるやもしれぬ」
豊前守が眉間に皺を寄せた。コンコンと扇を持つ部分でで畳を叩いている。静寂が訪れた。家臣たちが息を呑んで、豊前守を見る。
「阿波に兵を退く。芥川山に使いを送る。兄上にも兵を退くように申し上げる」
「殿!」
「右京進も皆も耐えよ。今、上杉にぶつかっても勝ち目はない。阿波に退き、奴らが揉めるのを待つのだ。上杉は北条、蘆名と敵に囲まれておる。今は退くのが最善よ」
右京進が黙る。決着はついた。やはり一条は脅威なのだろう。これで三好勢は四国に籠る。上杉が畿内を治めることになるだろう。義輝の政が始まる。また進士美作守たちが伊勢を潰そうとするだろう。俺は引っ込んで丹波で瑞穂たちと隠遁生活でも送るか。そのほうが安全だ。
永禄四年(1561年) 七月 和泉国 岸和田城 城下町 宿 伊勢虎福丸
「若、あっさりと三好は退きまするな」
「そうだな。二郎左衛門。俺もやや驚いた。もっと粘ると思ったが、一条少将殿のおかげよ。少将殿が野心家でなければ、豊前守殿も取り合うまい」
俺は家臣の野依二郎左衛門と焙じ茶を飲んでいた。一仕事終えたからな。ふう。体に染み渡るわ。
「しかし、若。一条家は本当に三好を攻める気があるのでしょうか? 三好と一条の間には長宗我部家がおりまする。一条と長宗我部が和睦することは考えられませぬ」
「いや、有り得るぞ。一条と長宗我部で阿波を半分で分け合うとか折り合いをつければな。三好は落ち目だ。長宗我部も野心が疼くだろう」
一条と長宗我部は敵対している。ただ三好を叩くと義輝が喜ぶからな。手を組む可能性は高い。そうなると三好は窮地に陥る。
「俺は三好修理大夫には恩がある。伊勢には手出ししないと言ってくれたからな。あまり追い詰めたくない。そこでだ。俺は土居宗珊にも文を送った。少将殿が三好征伐を考えている。これを止めるべき、長宗我部は信に置けぬ者、とな」
「何と! 一条少将と土居宗珊殿、双方に違う内容の文を送られたのですか」
「うむ。豊前守の尻に火が付けば良い。諸侯はこの後、揉めるだろう。あの細川政元公でも諸侯をまとめられず、足利家の御家騒動と相成った」
「政元公は家臣の香西元長に討たれたのでございましたな」
「そうだ。石風呂に入っていたところを討たれた」
石風呂、今のサウナだ。細川京兆家当主の細川政元は畿内に勢力を築いたものの、家臣の香西元長に討たれた。一説には勝手なことをする香西元長を政元が成敗しようとしたところ、逆に気が付いた香西元長が政元を殺したとされる。権力者になると風呂に入る時も危ないということだ。これも五十年以上前の出来事だ。政元の孫である細川晴元が今回復帰した。波乱は避けられないだろう。特に今回の台風の目は六角右衛門督だ。上杉政虎に対抗心を持っているからな。俺としては戦乱を避けて、丹波に逃げたいところだな。その前に京の伊勢屋敷に潜む間者を捕える。母上の身の回りを綺麗にしておかないとな。
俺は焙じ茶を口に含む。足音がする。早歩きだ。お春とお倫だろう。倫ってのは上臈局の名前だ。最近は町娘の衣装にも抵抗しない。慣れてきたのかな。口に含んだ茶を舌で味わってから飲んだ。
「フフフ。お父様にいい手土産ができたわ」
男たちが菓子の入った箱を置く。お春の部下たちだ。しかしお春は菓子が好きだな。俺も好きだが。
「豊前守との会談終わったようね。どうだった、豊前守は?」
「女子の好きそうな男前でございました。聡明なお方でございまするが、怖くもありまする」
「謀将と言われているわね。暗殺に誅殺。油断ならない御方よ」
お春が真顔になって言う。その悪名は兄・長慶以上だからな。ただ、家臣たちには慕われていた。面倒見の良い男なのだろう。
「それと一条左近衛少将様と文のやり取りをすることになりました」
「左近衛少将殿、宮中でもたまに聞くわよ。最も悪い噂ばかりだけどね」
お春が呆れたように息を吐く。お倫も浮かない顔をしている。問題児なんだろう。と思うが、お春も相当お転婆だと思うがな。問題児同士夫婦となれば良いんじゃないか? あ、いやこれは口に出したら怒られるな。




