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56、反三好包囲網

永禄四年(1561年) 七月 相模(さがみ)(のくに) 小田原城 評定の間 北条氏政


 小田原城下に兵が集まっている。上杉が越後春日山城を出陣した。その数、一万五千。春日山には長尾政景ら三千の留守居(るすい)がいるだけだという。父上が渋い顔をしながら、皆を見ている。


「上杉を討つ好機でありましょう。兵を上野(こうずけ)に動かし、一挙に春日山城を攻め落とすのです」


 大声で力説するのは北条(ほうじょう)()衛門(えもん)大夫(だゆう)殿(どの)、北条家でも武をもって鳴るお人よ。上野には長野という大敵がいる。長野(ながの)信濃(しなの)(のかみ)がいる限り、越後に攻め入ることはできまい。私は父上の方を見た。父上は口元を固く結ばれている。


「父上、長野信濃守討ち滅ぼし、その余勢(よせい)()って、春日山を攻め取るのです。上杉が上洛すれば、上杉は諸国の大名に北条を討て、と下知するでしょう。その前に上杉を叩かねば」


 大石家の養子に行った弟の(げん)(ぞう)(うじ)(てる)(つば)を飛ばしながら、()える。何人か頷く者があった。まずいな。評定が戦に傾いている。


 私は密書を思い出していた。伊勢虎福丸殿からの書状だ。忍びの者らが私に届けてくれた。上杉攻めをしないでくれ、とのことだった。北条が上杉を攻めなければ虎福丸殿は上杉家に北条討伐をやめるように言ってくれるという。虎福丸殿は同族よ。上杉の小田原攻めも反対していたことは伊勢(いせ)(さだ)(かず)から聞いて知っている。しかもこたびの上洛は虎福丸殿が名代(みょうだい)。ううむ。虎福丸殿は余程、上杉弾正少弼と親しいのであろう。もし上杉が上洛したとしても北条討伐をしようとする弾正少弼を虎福丸殿が止める、か。虎福丸殿にそれほどの力があるのか? ううむ。悩ましいな。


「それがしも左衛門大夫殿と兄上と同じく春日山を攻めるべきと存じます。北越(ほくえつ)には蘆名が攻め込みましょう。弾正少弼め、慌てて戻ってこようにも三好に(にら)まれて帰ってこれませぬぞ。近江辺りに弾正少弼めが陣を張れば、一気に春日山を攻めるのです」


 弟の新太郎氏邦(しんたろううじくに)が言うと、源三氏照、左衛門大夫殿も頷いた。いかんな。このままでは上杉を攻めることになってしまう。


「待つのだ。新太郎。春日山の前に長野信濃守を討たねばならぬ。それには上野(こうずけ)には(いわ)(びつ)(じょう)がある。岩櫃は難攻不落の山城。籠れば、一年は籠城できよう」


 新太郎氏邦がキョトンとしている。飲み込めぬか? そうだろうな。岩櫃は武田方の城。武田は我が家の同盟相手であり、妻の実家でもある。なぜ岩櫃が敵になるか。分からぬのであろうな。私も虎福丸殿に教えてもらうまで知らなかった。


「岩櫃は武田方であろう。兄上はおかしなことを言われる」


「岩櫃を治めているのは真田家よ。真田(さなだ)一徳(いっとく)(さい)は長野信濃守の盟友。二人は通じておる。真田は武田から離反してでも長野を助けるであろう」


「何と!」


 新太郎氏邦が目を見開いている。重臣たちもどよめいていた。私は皆を見回す。


「忍び衆からは長野と真田が忍びを通して、頻繁(ひんぱん)にやり取りをしていることが分かっている。山深い地に我ら北条を追い込む算段を進めているのであろうて」


「ば、馬鹿な! 武田は何をしておるのだ! 真田を止めさせるべきだろう!」


 北条左衛門大夫殿が立ち上がる。


「武田は水面下で真田・長野を助けているやもしれぬ」


「武田が北条を裏切ると申されるか」


「戦国の世よ。武田は上杉と組むと決めておる。では、北条は用済みということでしょう」


 左衛門大夫が顔を真っ赤にすると、座る。重臣たちが父上を見た。


「なるほど。上野で北条を討つと。武田が美濃に兵を出したのは我らの目を(あざむ)くためか」


「忍び衆から寄せられる上野の話を聞きますと、そのように考えられまする」


 父上が深く頷いた。武田が裏切っているとは思わぬ。ただ虎福丸殿からもよくよく武田、真田、長野に気を付けるように書かれていた。用心するに越したことはあるまい。


「近江、京の辺りに忍びを放つ。それと上野よ。真田の動きを探らせよ。あと北条は上野に攻め込むと噂を流す。だが、我らは小田原からは動かぬ」


 父上の決定に反対する者はいない。武田の裏切り、下手をしたら北条は武田に喰われかねない。様子見した方がいい。皆の心が様子見に傾いていく。……これで北条は動かぬ。あとは虎福丸殿からの文を待つか。いや、こちらから送ってみようか。待ちきれぬ。しかし、三歳の童にこの新九郎動かされるとは。私は一体どうしてしまったのだ? まあ良い。なぜか安堵(あんど)してしまう自分がいる。虎福丸殿か。いつか会いたいものよ。










永禄四年(1561年) 七月 近江国 朽木城 近く 淡海乃海(あふみのうみ) 伊勢虎福丸


 ふう。落ち着くわ。朽木(くつき)の船はゆらりゆらりと湖上を進む。

 朽木城には政虎たちが詰めている。朽木竹若丸たちは上杉軍を迎え入れた。城には入りきらないから野営している者もいる。先行軍は近江坂本城に入っている。六角右衛門督(ろっかくうえもんのかみ)はまだ観音寺城だ。まごついているな。行軍は迅速だった。越前の朝倉軍と合流すると一気に南下した。三好は京に兵を集結させている。丹波の赤井、波多野らも南下の動きを見せている。


 畠山(はたけやま)尾張(おわり)(のかみ)高政(たかまさ)も河内に兵を集めている。三好は包囲された。もう阿波に逃げるしか手がないだろう。京は守りにくいしな。おかしな動きは大和でも起こっている。大和は松永義久が治めているが、上杉に降伏するとの風聞が流れている。それだけじゃない。義久の父・松永弾正少弼久秀も裏切るというのだ。これには俺も驚いた。大和に籠ってゲリラ戦をやるのかと思っていたが。でも、大和にいても滅ぼされるのは時間の問題だ。早めに降伏したほうが松永のためだろう。


 切迫した情勢だが、俺は船遊びを楽しんでいる。隣には関白殿下と上杉憲政がいる。それと伊達輝宗とお春だ。どんな組み合わせだよ。お春がニコニコしている。輝宗は春日山で上洛戦に加わりたいと申し出てきた。史実の政宗のパパだ。イケメンで繊細(せんさい)そうなところが女心をくすぐるのだろう。道中キャーキャー言われていた。アイドルみたいだな。


「虎福丸よ。三好は阿波に逃げるかの」


 ぽつりと殿下が言った。


「はっ、三好修理大夫、京での決戦は避けると思いまする」


「では戦なく京に戻れそうでおじゃる。そのほうが民のためになろう」


 殿下が嬉しそうだ。それに比べて、憲政が渋い顔をしている。


「京は良いが、公方様の政で皆が従うとは思えぬ。それに」


「右衛門督でございますね?」


 お春が口を開いた。憲政が頷く。


「弾正少弼殿と六角右衛門督殿では器量が違い過ぎる。あれでは先が思いやられる」


 右衛門督が上杉に反発している。俺を奉じているのが気に食わないのだそうだ。やれやれ、目の敵にされたもんだな。上杉家では俺を奉じるのはやめて、細川(ほそかわ)(けい)兆家(ちょうけ)の者を担ぐ方向で話が進んでいる。そのほうがいいだろう。そろそろ目立つのも嫌になってきたからな。細川に重荷を背負ってもらったほうがいい。


 それと気になるのは母上だ。母上は伊勢屋敷にいる。三好は伊勢を攻めないように厳命しているそうだ。三好は伊勢虎福丸の母を襲えば、三好の末代までの恥と言っている。良かった。三好も手荒な真似はするまい。これでもうすぐ母上に会うことができる。


「右衛門督には麿が言っておこう。虎福丸と仲良く致せとな」


 殿下が言うと、皆が笑う。殿下に言われたら頑固者の右衛門督も聞かざるを得ないだろう。船が岸に近づいてきた。日も暮れている。今日は竹若丸がもてなしてくれるはずだ。どんな料理が出てくるか、楽しみだな。


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