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47、疑心

永禄四年(1561年) 六月 美濃 稲葉山城 長井道利


 部屋に入ると皆が(わし)を見た。近江の方様が口元を固く結ばれた。喜太郎様が眉間に皺を寄せている。安藤(あんどう)伊賀(いが)(のかみ)殿(どの)が儂に向けて頷いた。


「虎福丸殿が浅井に赴かれたようじゃ」


「浅井にまで足を伸ばすとは」


 儂の言葉に奥方様がきっとこちらを睨みつける。


「我が兄・下野(しもつけの)(かみ)(ひさ)(まさ)を幽閉した新九郎と虎福丸が会っているのです。喜太郎殿を廃し、虎福丸を当主とする相談に相違ありませぬ」


 奥方様が顔を朱に染められている。斎藤では虎福丸殿に対する期待が高まっている。虎福丸殿は聡明にして、思慮(しりょ)(ぶか)い。それに対して喜太郎様は物足りぬと家中にはそこかしこで声が上がっている。喜太郎様も奥方様も疑心暗鬼に陥っている。しかし、この家中の乱れは仕掛け人がいるのだろう。儂は隅の方に座る男に目を向けた。


隼人(はやと)(のしょう)(さま)、虎福丸殿の小谷城訪問いかが思われますか」


 竹中半兵衛。神算鬼謀で知られる安藤伊賀守殿の婿よ。その才には儂も驚かされることが多い。しかもこ奴は野心家らしく喜太郎様に取り入っている。今は御屋形様も京に行かれている。御屋形様がいなければ、喜太郎様を止める者も少ない……。


「いかがも何も将軍家と疎遠の浅井家を虎福丸殿が取り込もうとしたのであろう。そうとしか思えぬ」


「隼人正。それは見方が浅いぞ」


 喜太郎様が声を上げた。奥方様もうんうんと頷いている。いかんな。この二人は半兵衛に何を吹き込まれたのか。


「虎福丸殿は美濃にやってくるかもしれません。いえ、それはないとしても、小谷から美濃の国人衆に伊勢に味方せよ、と呼びかけても不思議ではありません」


 奥方様が下唇を噛んで力説される。安藤伊賀守が咳払いをした。


「故に家中を固めねばなりませぬ」


「御屋形様に無断でか。それは謀反に等しいぞ」


 伊賀守が首を振る。


「御屋形様もきっとご納得されることと思います。尾張の織田は美濃攻めをしようとしている。家中が乱れれば、稲葉山城に敵が押し寄せましょうぞ」


「しかし」


「何事もなければ、それに越したことはござらん。浅井は下野守殿を押し込め申した。それだけではない。今度は虎福丸殿を招くという。そもそも虎福丸殿のせいで上杉家と武田家の和睦が相成り、武田が美濃を狙っているのです。事は一刻の猶予(ゆうよ)もなりませぬ」


 伊賀守め、斎藤家を乗っ取るつもりか。儂は奥方様を見る。


「奥方様、ここは隼人正にお任せ下さい。家中で虎福丸を担ぐ者たちを説き伏せてご覧に入れまする」


 儂の力を持ってすれば、このようなことは容易い。カンッと音がした。何の音だ? 見ると半兵衛が扇で畳を叩いた音だった。


「それでは遅うござる」


 奥方様も喜太郎様も頷く。むう。儂の言うことが耳に入らぬか。何と言うことよ……。












永禄四年(1561年) 六月 近江 小谷城 伊勢虎福丸


 昨日の魚料理はおいしかったな。()海乃海(ふみのうみ)。琵琶湖で獲れた魚だ。浅井家に来て良かった。空気も上手いし、景色も目を楽しませてくれる。特産品も多い。


「美濃で動きがありました」


 井口のオッサンがまたデカい声を上げている。うんざりだな。気分が台無しだ。というより、朝に聞きたい声じゃない。


 俺と春齢様は井口のオッサンを見た。井口のオッサンの後ろには浅井新九郎と宮部(みやべ)(ぜん)祥坊(しょうぼう)がいる。


「斎藤軍三千が六角の坂田郡に兵を動かし、そのまま北上を続けておりまする」


 井口のオッサンが俺たちの前に座った。斎藤、義龍の伯父上が当主だったので関東の北条と同じで身内だな。伯父上は京に滞在しているはずだ。俺や義輝に会いたいらしい。まあはっきり言って迷惑なんだが、御祖父(ごじい)(さま)の屋敷で粘っている。御苦労なことだ。義龍の後継者が長男の喜太郎だ。のちに斎藤龍興になる男は頼りないと国人衆からの評判は(かんば)しくない。


 俺も斎藤家の内情を聞いてはいた。喜太郎を担ぐ安藤伊賀守たちは俺・伊勢虎福丸が疎ましいらしい。伯父・義龍は甥である俺に期待していそうだ。それを聞いた喜太郎は怒り、俺に敵対心を燃やしているという話を聞いていた。


 だが、ここまでこじれていたとはな。兵を出すということは喜太郎が独断でやったのだろう。無茶をやったものだ。一種のクーデターだな。


「虎福丸様、小谷城から動かれますか?」


 井口のオッサンが俺たちを見る。このまま小谷城にいれば、新九郎たちと籠城することになるからな。しかも斎藤の狙いは俺の身柄の確保だろうし。


「伯父上、脅しに過ぎませぬ。兵を出して、浅井の様子を窺うつもりなのでしょう」


 新九郎が井口のオッサンをたしなめた。三千も兵を出して脅しねえ。六角も黙ってはいないだろう。当主も馬鹿の右衛門督で近衛の姫を嫁にもらえると舞い上がっている。近江で戦が起きることも否定できない。困ったな。越後に行くにもこんなところで戦に巻き込まれたら、義輝に愛想を尽かされる……。


「虎福丸殿、浅井は虎福丸殿をお守りします。どうせ斎藤には浅井は攻められませぬ」


 新九郎が笑みを浮かべて言う。自信あり気だな。野良田の戦いで六角義賢を破った新九郎は戦上手との評判を得ている。今度も戦で片を付ける気か。


「しかし、殿」


「伯父上、心配めされるな。どうせ叔母上が喜太郎殿を焚きつけたのであろう。父上と一緒よ。叔母上も愚かとしかいいようがない」


「由梨殿が、か」


 井口のオッサンが目を丸くしている。喜太郎の母は新九郎の叔母だ。なるほどね。有り得る話だ。新九郎の父は隠居させられている。そのことに喜太郎の母は不満なのだろう。そんな時に斎藤家の後継者に目されている俺が美濃の近くの小谷城にやってきた。喜太郎たちにしてみれば、いてもたってもいられなくなったということか。愚かな連中だ。斎藤の敵は浅井や六角だけじゃない。甲斐・信濃を領する武田。尾張一国を治める織田という強敵がいる。あの二家が今回の斎藤家の出兵をどう見るか。駄目だな。喜太郎には戦国の世を渡っていく程の器量がない。斎藤家の先が危ぶまれる。もう少し、小谷に滞在して情勢を見極めよう。信濃と尾張に忍びを送る。あと、義輝に文を書かないとな。あいつ、寂しがり屋だから定期的に送ってやらないと手紙攻勢をかけてくる。うっとうしいから俺から情勢を簡潔に伝えよう。


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[気になる点] 近江の方、なぜ六角領への出兵に積極的に賛成する?
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