表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

42/248

42、虎福丸詣(もう)で

永禄四年(1561年) 六月 等持院(とうじいん) 湯川直光


 本郷(ほんごう)二郎左衛門尉殿(じろうざえもんのじょうどの)が息を吐いた。二郎左衛門尉殿は播磨赤松の家臣である。


「中で話し込んでおりますな」


「花山院右府様とその養女・上臈局(じょうろうのつぼね)(さま)か」


 小倉(おぐら)播磨(はりま)(のかみ)殿(どの)が呟く。播磨守は丹後一色の家臣だ。


「朝廷としても足利家、三好家との関係を悪くすることは好ましからずと考えているのでしょう」


 三雲三郎左衛門殿が腕を組みながら言う。三雲殿は近江六角の重臣だ。そして、この中では唯一虎福丸殿と面識がある。


 伊勢虎福丸、わずか三歳なれど、公方様の懐刀と諸国に聞こえておる。かく言う私も河内から虎福丸殿に会おうと思ってやってきた。


「やはり関白殿下は公方様と示し合わせておられるか」


 播磨守殿が困ったように我らを見ながら言う。そういう噂も出ている。上杉が上洛するのではないか。上杉に東北の最上、伊達、大宝寺、蘆名が味方するとも、言われている。東北の諸侯は公方様に従う色を見せているというのだ。私も道中でその話を聞いた。それ故に諸大名は公方様、そしてその側近くにいる虎福丸殿の意向を探ろうとしている。そのために寺の入り口を我ら四人で見張っておるのだ。しかし、一向に出てこない。もうすぐ日も暮れる。私も宿に帰るしかないか。私は辺りを見回す。


 人も少なくなっていた。皆、待ちくたびれて宿に帰ってしまったのだろう。皆、虎福丸殿に会いたがっている。虎福丸殿は天下の行く末を左右しようとしている。新御所の造営だけではない。おそらくは上洛を勧めに行くのであろう。そう誰もが思っていた。


 門がゆっくりと開いた。侍たちに囲まれて花山院右府様が出てくる。その隣を上臈局様がゆっくりと歩いている。朝廷の使者は二人だけ。その姿は嫌でも目立つ。


 二人が輿に乗り込む。公方様と幕臣たちが頭を下げた。虎福丸も公方様の隣にいる。輿が動く。


 公方様たちが寺の中に引き返していった。虎福丸は残っている。男たちと若い女が虎福丸を囲んでいた。虎福丸の母だろう。斎藤道三の娘と聞いている。色白の綺麗な娘だ。


 播磨守殿が歩き出した。いかんな。我らも遅れを取るわけにはいかん。











永禄四年(1561年) 六月 京 等持院(とうじいん) 細川藤孝


「与一郎。虎福丸を待っておる者は多かったな」


「御意。諸国の大名の使者でございましょう」


 公方様の後を皆でぞろぞろと続く。皆、表情が緩んでいる。花山院右府様の前だ。高位のお公家様の前で幕臣といえど、身が固くなる。


「六角家の三雲三郎左衛門殿、一色家の小倉播磨守殿、それと」


 兄上が言葉に詰まった。


「弾正左衛門殿、残りは赤松家の本郷(ほんごう)二郎左衛門尉祐之殿(じろうざえもんのじょうすけゆきどの)、河内畠山家の湯川(ゆかわ)民部(みんぶ)少輔(しょうゆう)直光(なおみつ)殿(どの)のお二方ですな」


 兄上を助けるように一色(いっしき)式部(しきぶ)少輔(しょうゆう)藤長(ふじなが)殿(どの)が残りの二人の名を言った。


「式部少輔殿、よくご存知で」


「いずれも当主の側近くに仕える者です。自然と頭に入っております」


 式部少輔殿が素っ気なく答える。頭は良いが反感を買う御方だ。まあ、私は式部少輔殿が嫌いではないが。


 先ほどの部屋の前に立つ。摂津糸千代丸殿が(ふすま)を開く。皆がぞろぞろと部屋に入っていく。


「フフフ。余に聞けぬことを虎福丸に聞こうというのか。もはや上杉の上洛の噂は周知のことと考えた方が良さそうだな」


 公方様は上機嫌だ。公方様の思い描く上杉の上洛。それに諸国の大名が慌てている。ということは公方様のお力が増している、ということだ。そして、上杉が上洛戦に乗り出せば、三好は窮地に陥る。上杉弾正少弼殿に政は無理だろう。政は公方様が行うことになる。逆らう大名は討伐する。この国は公方様の下で統一されるかもしれない。世に平穏が訪れるかもしれない。


 ただ、うまくいくか。伊達や蘆名が公方様の意向に従うとは限らぬ。公方様が茶を所望された。糸千代丸殿が席を立つ。


「三好を追い払える。もう三好を気にしなくても済むのだ」


 公方様の言葉に何人かが頷いた。慢心か。まだ上杉が上洛が決まったわけではない。何より、虎福丸殿はまだ三歳。苦労をかけたくはない。何といっても、まだ童なのだ……。














永禄四年(1561年) 六月 京 伊勢貞孝の屋敷 伊勢虎福丸


 四人の前に侍女が茶の入った湯飲みを置いていく。童顔で気の弱い娘だ。(さち)という。なぜか母上は気に入っている。俺は四人の表情を見る。四人とも憂鬱そうな表情だ。情勢がどう転ぶかは分からない、という不安が良く出ている。


「さすが天下の伊勢家のお屋敷にござる」


 湯川民部少輔が感嘆の声を上げた。畠山(はたけやま)修理(しゅり)(のすけ)高政(たかまさ)寄騎(よりき)している国人衆の一人だ。湯川衆のリーダーでもある。四人の中じゃ、一番の大物だろう。


「お褒めいただき、光栄にございまする」


 俺は頭を下げる。民部少輔たちが目を見開いて、驚いている。まあ、いつもの奴だ。もう慣れたわ。見た目は子供。中身はオッサンだからな。そこんとこ、よろしく。


「信じられぬ。このようなことが」


「播磨守殿、この程度で驚かれてはなりませぬ。虎福丸殿は東北の南部家より薩摩の島津まで全国の大名を見ておられますぞ」


 笑みを浮かべた三雲三郎左衛門が言う。まあ、こいつは前に近江観音寺城で会ったからな。俺の能力はもう知っている。


「茶も真に美味。心洗われまする」


 民部少輔がマイペースに茶の感想を口にした。動揺してもすぐに平静を取り戻す。さすがに畠山家の柱石を担うだけはあるわ。切り替えが早い。


「虎福丸様、我ら畠山は公方様に従うつもりでおります。ただ上杉弾正少弼殿上洛の噂が乱れ飛んでおりまする。そのことによって家中もまとまりを欠いておりまする。虎福丸様は上杉殿上洛は有り得ると思われまするか」


 単刀直入だな。ただ無駄のない、いい質問だ。俺は民部少輔を見た。


「上洛は有り得ぬと思っておりまする」


 民部少輔は動じない。予想していたか。播磨守と二郎左衛門はまた驚いている。三雲三郎左衛門は唇を尖らせていた。


「私を見てください。三歳の童にございまする。上洛の話など三歳の童に任せるはずもございませぬ」


 馬鹿正直に実は上洛の話を上杉にするように命じられている、なんて言えんしな。ここはごまかすしかない。


「されど、虎福丸殿は武田と上杉の仲介もされたはず。上杉を説き伏せることも容易にはござらんか」


「上杉弾正少弼様は戦に強うございます。それでも、北条、沼田、蘆名に大宝寺。さらに家中には謀反の動きを抱えておりまする。いつ家の内部が割れるとも限りませぬ」


「何と! 上杉は内部で争っているのですか」


 湯川民部少輔が声を上げる。俺は頷いて見せた。


「上杉家には長尾越前守政景という家臣がおります。家中の者たちは越前守を信用できぬと謀反を企んでいると言われておりまする。京から見れば、上杉家は強大に感じるかもしれませぬが、内部はいつ割れてもおかしくありませぬ」


「そのようなこと赤松では聞いたことがありませぬ」


 二郎左衛門が言うと、播磨守も頷く。


「上杉家中の不和は一色でも聞いたことはありませぬぞ」


「まあ上杉も国人衆に支えられている家です。国人衆たちに愛想を尽かされたら、家も割れましょう」


 三雲三郎左衛門が無表情で言う。冷静だな。さすが忍びを束ねる三雲の当主だ。


「それ故に上杉弾正少弼殿は兵を動かすことがあってもまた上野(こうずけ)(あた)りを攻めるのではないでしょうか。それならば、家中の不和も和らぎましょう」


「虎福丸様の見立てでは上杉殿の上洛は家中が乱れる故せぬと?」


「はい」


 民部少輔の問いに俺は頷いて見せた。民部少輔は険しい表情になった。これで畠山は出兵するかもしれんな。上杉の兵が上洛しなければ、三好に喰われるのは畠山だ。その前に兵を動かす。畠山は和泉を欲しがっている。和泉を治めていた十河讃岐守はもう死んだ。国人衆は動揺している。後を継いだ息子も幼少だ。狙うなら和泉だろう。


 まあ、好きにすればいい。畠山の大軍でも三好は凌ぎきるだろう。ただ、六角が連動して京に攻め込んだ場合、史実通りに三好は京から撤退する可能性が高い。上杉の上洛は不要になる。俺も難しい任務から解放されるというものだ。それよりも朽木竹若丸だ。奴を味方に引き込む。若狭街道に朽木領はある。交易にうってつけの土地だ。敦賀の湊との通過点として、通行の許可をもらおう。越後行きで気を付けなけなければいけないのは朽木だ。上杉のことは二の次でいいな。伊勢を豊かにするためには若狭街道は押さえておく要所だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ