30、伊勢に仇(あだ)なす者たち
永禄四年(1561年) 四月 御所 伊勢虎福丸
義輝は幕臣たちを下がらせて俺を部屋に呼んだ。俺は諸国の情勢を義輝に報告した。部屋に呼ばれたのは俺だけじゃない。一部の幕臣は再び呼ばれた。水野藤十郎忠重、それに摂津中務少輔・糸千代丸の親子。細川宮内少輔隆是、三淵弾正左衛門藤英、細川与一郎藤孝の兄弟、松井山城守正之、杉原兵庫助晴盛ら幕臣もいる。当然、上野主殿量忠はいない。進士美作守の息のかかった者たちはいない。義輝は進士美作守よりも俺を重視している。
「織田上総介信長が強く上洛を望んでいるか」
「はっ、上洛の意思は上杉弾正少弼様よりも強うございました」
俺が言うと、義輝も嬉しそうに笑みを浮かべた。上杉に織田といった有力大名が自分の言うことを聞いている。そのことが嬉しいのだろう。無邪気なもんだ。まだまだ世の中は荒れている。上杉も関東から手を引いた。上杉の上洛は遅れる。というのが皆の見方だ。小田原城を落とせるはずもない。無計画、無鉄砲な上杉政虎の撤退には幕臣たちも憤っている者もいる。足利は上杉よりも織田に期待する方がいいかもしれん。
「織田上総介は美濃を攻めるつもりなのか?」
義輝が聞いてくる。やはり上杉よりも織田に興味を示している。信長は実行力が高いからな。今川義元も討ち取ったし。
「おそらくは。今のところは斎藤の方が強うございます。しかし、織田様は津島、熱田を領し、尾張を統一し、豊かな国となっています」
「織田が斎藤を制することもあると?」
「はい。有り得ると思います」
場がシンとした。織田の台頭は幕臣たちにとって予想外だったんだろう。史実を知っている俺からすれば、当然のことだ。
「しかし、織田殿の上洛を待つというのも気の長い話です。三好もそれまでの力をつけましょう。大内義隆殿亡き後、上杉弾正少弼殿しか軍勢を率いて上洛はできますまい」
細川宮内少輔が言う。やはり上杉か。上杉が武田と和睦したので上杉が越中に攻め込みやすくなった。早ければ、夏か秋には攻め込むかもしれん。次は能登の畠山家だ。畠山はお家騒動で内紛の最中のはずだ。たやすくというわけではないが、制圧は難しくない。
「うむ。早く上洛して欲しいものよ。待ち遠しい」
上杉が上洛すれば義輝の理想の政ができる。三好のように自分を束縛させるのではなく、将軍として自由に。ただ三好も座して見ているわけではない。いろいろ仕掛けてくるだろう。それを義輝がかわし切れるか。
「進士美作守殿、上野主殿殿はいかがなさいますか」
摂津中務少輔が義輝に聞く。連中はあきらめが悪い。また悪だくみをはじめるだろう。義輝は首を振る。
「何もせぬ。ただ、余と虎福丸の邪魔をするなら容赦せぬ。前にも言ったが、出仕を差し止める」
「公方様、彼らは三好とつながっていると思います」
俺が話すと皆が一斉に俺を見る。
「余もそう思う。だが、進士美作守は余によく忠義を尽くしてくれている。三好と通じているのも足利のためを思ってことであろう。足利に仇なすのであれば、考えるが今は放っておく」
「公方様は甘いと思います」
「フフフ。言ってくれるな、虎福丸よ。臣は無理やり従っては意味がない。かの義満公も恐怖によって公家たちを従わせた。余はそのようなことはせぬ。ただ、三好の力は弱める。三好は力を持ち過ぎた」
義輝が俺を見る。力強い目。迷いが感じられん。少しは成長したのか?
「余は尊氏公のようになりたい。徳による国の統治。それが余の目指すものだ」
理想は俺も共感できる。しかし、今は力がない。義輝の思想は危険だ。三好が黙っていないだろう。義輝はやや三好を軽く見ている。それが命取りにならなければいいが。
永禄四年(1561年) 四月 京 三好長逸の屋敷 上野量忠
「これはこれは皆様方、お揃いで何用ですかな?」
我らの前に三好日向守長逸殿が現れた。三好修理大夫長慶殿の懐刀。そして三好一族の長老である。鳥養兵部丞貞長殿もいる。修理大夫殿の家臣で祐筆だ。
日向守殿、兵部丞殿はともに我らの話をいつも聞いてくれている。我らは伊勢が憎い。虎福丸もその父・兵庫頭貞良も。政所執事の伊勢伊勢守貞孝も。伊勢一族が邪魔で仕方ない。南北朝期以降、伊勢氏は足利から政所執事職を任され、政所執事職を担ってきた。
「申し訳ござらぬ。虎福丸に責を負わせることはできませんでした」
進士美作守殿が頭を下げる。大草三河守殿、中澤掃部助殿、飯河肥後守殿も頭を下げた。我らは幕臣だ。しかし、日向守殿からお知恵をお貸しいただいたことも事実。幕臣と言えど、助言いただいた日向守殿に礼を尽くさねばならぬ。
「それは残念でございました。公方様は伊勢の重用を続けるつもりのようですね?」
「はい。公方様の御意志が固く」
美作守殿が無念そうに言う。そう、公方様だ。公方様さえ味方につけられれば我らの幕府内での立場も良くなるというのに。
「困ったことですな。虎福丸殿のおかげで上杉と武田が和睦し、上杉が上洛しやすくなりました。三好としても困ります」
「……はい」
日向守殿の言葉に美作守殿が頷かれる。
「しかし、美作守殿は虎福丸殿の台頭が気に入らぬ。上杉弾正少弼殿が上洛すれば、虎福丸殿への重用は続きましょう」
「はい。それが我らが一番恐れていることでございます」
「よろしい。それがしも伊勢は気に入りませぬ。しかし、殿も松永弾正少弼もそれがしの言うことに耳を傾けませぬ」
日向守殿の声音が暗くなる。修理大夫殿も松永弾正も虎福丸びいきだ。それ故に日向守殿は我らと組みたいと言ってきた。虎福丸と松永の専横、足利と三好に仇なす二人だ。
取り除かねばならぬ。虎福丸ら伊勢を倒す。もう伊勢のやり方は古い。尊氏公の頃より伊勢の権勢は凄まじいものがあった。それでも伊勢のやり方は古い。新しき世は進士美作守殿と我々が作る。虎福丸では無理だ。そのためには嫌いな三好とも一時的に手を結ぶのも致し方なし、だ。
「まあご安心なされ。幕臣の方々。伊勢を潰す策はいくらでもあります」
日向守殿が言う。伊勢を潰す策? さすがは日向守殿よ。頼りになる御仁だ。上杉の上洛まで時が迫っている。伊勢を片付けるのに悠長にしておれん。
日向守殿が口を開く。私は聞き耳を立てる。虎福丸を大樹から引きはがす。それが足利のためだ。




