29、非難
永禄四年(1561年) 四月 御所 摂津糸千代丸
「なぜじゃっ、なぜ上杉弾正少弼が負けるのじゃっ」
公方様が荒れておられる。父上たちは黙っていた。
「負けは負け。認める他ございますまい」
三淵弾左衛門様が顔を上げた。上杉の北条攻めが失敗に終わった。北条新九郎氏政は降伏せず、小田原城に立て籠ったまま、上杉軍十万の兵糧がなくなった。佐竹、宇都宮といった北関東の諸将は勝手に引き上げ、上杉政虎も越後に帰ることになった。三淵様が上杉撤退を知り、公方様に言上申し上げた。
公方様は怒りのあまり立っている。顔は赤い。あまり興奮されないと良いが。
「十万の軍勢を率いたというのに何という体たらくか」
進士美作守様が言われた。何人かが驚いたように美作守様を見る。上杉の北条征伐は成し遂げられると豪語していたのは美作守様のはず。それが上杉が関東から手を引いた途端これか。舌の根も乾かぬ内に見苦しい。
「十万の大軍でも小田原城は頑丈でござります故」
三淵弾左衛門様が言うと、公方様が座についた。ようやく落ち着かれたようだ。
「あれほどの大軍で城を落とせぬものか」
上野主殿量忠様が皮肉めいたことを言う。三淵弾左衛門様はきっと主殿様を睨みつけるに見た。
「上杉弾正少弼殿を責めるのもたいがいになさいませ」
「上杉弾正少弼殿を責めているのではない。童のことよ」
主殿様の唇が意地悪く吊り上がった。
「伊勢兵庫頭殿はおられぬか。まあ恥ずかしく出仕できまいな。伊勢は木彫り細工を作っていると聞くし。領内の見回りでもしているのか」
主殿様の言葉に座がシンとなる。虎福丸殿のことか。主殿様は虎福丸殿を責めたいのだ。
しかし、おかしいな。主殿様はなぜ虎福丸殿を目の敵にする? お二人は特段仲が悪かったという話は聞かぬが。
「主殿殿の申される通り、伊勢殿がわざわざ甲斐にまで行って、武田信玄殿を説き伏せたのにこれじゃ。何のために行ったのか」
大草三河守様が同調する。頷く幕臣も何人かいる。虎福丸殿は嫌われている。父上は虎福丸殿を傑物と認めていた。私もそう思う。虎福丸殿は足利にとって、なくてはならぬ御方だ。
「真に。虎福丸は北条討伐の失敗に責を負うべきじゃ」
今度は飯河肥後守様が言う。大草様も飯河様も進士美作守様の子分だと父上が言っていた。虎福丸殿は近江の六角家を訪れている。逗留は長引いている。いつ帰って来るのか。早く帰ってきて欲しい。幕臣の方々の暴走は目に余る。
「摂津中務少輔様。虎福丸の所業、いかが思われますか」
上野主殿様が父上に聞く。父上が難しい顔をしておられる。
「主殿、そなたは虎福丸殿に上杉撤退の責を負わせようというのか。それが公方様の望んだことであると?」
父上の言葉に主殿様は目を見開いていた。父上はどちらかと言えば、進士美作守様に近い。それでも、父上は進士美作守様たちに憤っている。幕政を牛耳り、公方様を、足利家を私せんとする幕臣たちに父上は呆れ果てていた。
「公方様、果たして虎福丸に処分は必要でございましょうか」
父上が公方様に向き直り、問いかける。公方様は首を振った。
「必要ではあるまい。虎福丸は余の股肱の臣。次からも重用する。虎福丸をこれ以上責めるようならその者の出仕を差し止める」
公方様の断固とした口調に上野主殿様たちは何も言えずに黙る。公方様は武田と上杉の和睦を仲介した虎福丸殿を高く買っている。見捨てるわけがない。
「北条討伐成らぬのは残念であった。しかし、弾左衛門と虎福丸のおかげで天下は定まりつつある。上杉弾正少弼の忠義、天晴れなり。虎福丸が近江から戻り次第、幕府として諸大名に上洛を促そう」
公方様の声に皆、鎮まる。珍しいことだ。公方様はいつも何かに悩んでおられた。それが今は毅然として悩みがないように見える。これも虎福丸殿のおかげかもしれぬ。足利も変わりつつある。このまま良い方向に向かってくれれば良いのだが。
永禄四年(1561年) 四月 御所 伊勢虎福丸
「伊勢虎福丸、武田への使者を終えて、戻りましてございまする」
俺は頭を下げた。目の前には義輝がいる。俺の隣には三河から連れてきた水野藤十郎忠重がいる。義輝は笑みを浮かべていた。摂津中務少輔からの文で事情はだいたい分かっている。また進士美作守たちが騒いだようだ。理由は上杉の北条討伐失敗の責任が俺にあるということだった。無理やりなこじつけだな。美作守たちはどうしても俺が邪魔なようだ。義輝も中務少輔も馬鹿じゃない。俺をかばってくれた。
「うむ。遠路大儀であった。伊勢の屋敷に戻ってゆっくりと休むが良い」
義輝が優しい言葉をかけてくれる。これで上杉弾正少弼の上洛の可能性がぐっと高くなった。幕臣たちも俺を見る目を変えるだろう。
「ありがとうございまする。お言葉に甘えて休むことに致しまする」
少々疲れたのも事実だ。それでも収穫は大きい。尾張・三河の商人とつながれた。武田、上杉、松平、織田、六角諸大名とも知り合えた。
「織田上総介信長、松平蔵人佐元康とも会ったそうだな。二人にも上洛してもらわねばならぬ」
「はい。お二方とも公方様への忠義を尽くそうと思っておられました」
「それは良い。しかし、今川上総介と斎藤治部大輔は余の使者と会わぬとはな」
「……」
義輝が不満そうだ。武家の棟梁たる征夷大将軍の使者に会わない。今川と斎藤は将軍家に喧嘩を売っていると思われても仕方ない。
「公方様を蔑ろにするとは」
進士美作守が呆れたように言った。幕臣たちがざわつく。まあ今川にしてみれば、足利がうっとうしいだろうな。駿河の今川館も京風の文化を取り入れている。足利の時代は終わった。次は今川の時代とでも思っていそうだ。
斎藤は幕府の御相伴衆に任じられている。しかし、斎藤義龍は俺の伯父に当たるものの、祖父の斎藤道三を殺している。俺を嫌っているのかもしれん。義龍は思い込みが激しい。自分が道三の子ではなく、美濃守護だった土岐家の子だと思っている。土岐頼芸の側室がのちに道三の側室となる。義龍は土岐の側室時代に身ごもった子だと噂されている。もし義龍が土岐の血筋だった場合、俺とは血がつながっていない。義龍が俺を疎ましく思うのも仕方がない。
「まあ良い。今は放っておく。今は主上のお休みになられる御殿を作らねばならぬからな」
ああ、帝の別荘を作る計画ね。足利の力が回復したとアピールしたいんだろう。悪手だと思う。建設費も六角と畠山に求めるというし。朝廷も喜ぶか微妙なところだ。畠山はともかく、六角は浅井・斎藤と険悪になっている。それだけではない。越前の朝倉もいる。朝倉が南下して来れば、六角も苦戦を強いられる。六角に経済的余裕はないはずだ。
「虎福丸、六角の様子はどうであった?」
「当主と重臣が対立しておりまする。なかなか火種は消せぬかと」
義輝が渋面を作る。義輝にとって、期待が高いのが六角親子だ。勇猛にして、戦上手。豊かな国で領地経営に秀でている。三好と戦うにはうってつけの家だ。
「右衛門督は上洛を承知したのだろう? 右衛門督が上洛した時に余が右衛門督を説き伏せよう。当主が重臣と争っていては六角も他国に付け入られるだけだ。右衛門督にはしっかりしてもらわねばならぬ」
あの馬鹿が義輝の言うことを聞くかな? さすがにそこまで馬鹿ではないのかもしれん。いずれにせよ、波乱が起きなければいいが……。




