28、至らぬ者
永禄四年(1561年) 三月 近江観音寺城 伊勢虎福丸
俺は目の前の男を見た。六角右衛門督義治。十七歳。嫌な目つきをしたガキだ。隠居の六角承禎入道、それに筆頭家老の後藤但馬守賢豊をはじめ、六角の重臣たちが並ぶ。
従属させていた浅井氏に敗れたとはいえ、六角家は近江の雄だ。伊勢の一部と伊賀の一部も領している。俺を待たせたのは右衛門督と重臣たちが揉めたからだそうだ。三雲三郎左衛門が待たせた非礼を詫びたが、俺は納得していない。非は右衛門督にある。
「虎福丸殿、遠路大儀でござったな」
素っ気ない感じで右衛門督が言う。無愛想なガキだ。嫌々声をかけたのが丸わかりだ。
「いえ、上杉弾正少弼様、武田信玄入道様、織田上総介様。大名の方々にお会いできて、多くのことを学ばせていただきました。公方様のために働けて旅の苦労など感じられませぬ」
俺が言うと、重臣たちがざわつく。
「で、あるか。それはようござった」
右衛門督は素っ気ない。右衛門督は斎藤治部大輔の娘に惚れているらしい。縁談も重臣たちに猛反対された。それで義輝に近い娘との縁談が持ち上がっているそうだ。自分の意思を潰す重臣たちと将軍義輝。自分の意思を持つのは良いが、一人だけ突っ走って家に迷惑をかける。右衛門督は周りの見えない馬鹿だ。
「公方様は右衛門督様に御上洛をお望みでございます」
「公家の娘を押し付ける気か。公家の娘など気が弱くてつまらぬわ」
右衛門督が吐き捨てるように言った。
「殿、そのような言い方は御使者に失礼でありますぞ」
壮年の筋肉質の男が言う。おそらく、後藤但馬守だろう。
「但馬守殿の言われる通り。公方様に従うが筋と心得まする」
「但馬守、下野守」
何か言いたそうに右衛門督が重臣たちの名を呼ぶ。不満がありありだ。
「公方様あっての六角家でありましょう」
但馬守が念押しのように言った。右衛門督が唇を噛む。義輝というより家中の反対が強いのかもしれん。
「虎福丸殿。六角は公方様に忠義を尽くしまするぞ」
後藤但馬守が俺に向けて言った。右衛門督は何も言わない。大名よりも六角は重臣たちの力が強い。だが、史実ではこの後……。
「それがし、蒲生下野守にござる。六角家と公方様の縁戚の近衛家から御正室を迎えられまする。近衛家と当家で婚儀の話が進んでおりまする」
「近衛家と六角家の」
蒲生下野守が頷く。そんな話は初めて聞いたな。いつの間に進んでいたんだ? 近衛の姫と言えば、足利と赤井に嫁いでいる。他に誰かいたかな? 義輝もやる気だ。縁組みで六角を取り込むか。でもなあ、その縁組みは三好を刺激しそうだな。三好も十河讃岐守が死んだといっても、強大だ。
「六角は公方様の御為に働きまする。公方様によろしくお伝え下され。右衛門督が近く上洛をすると思います」
隠居の六角承禎入道が口を開く。右衛門督は黙って、唇を噛んでいた。当主としてはまだまだだ。隠居が面倒を見ないといけないだろうな。
永禄四年(1561年) 三月 近江観音寺城 伊勢虎福丸
右衛門督との面会を終えた後、俺は三雲三郎左衛門に声をかけられた。三郎左衛門に部屋に案内される。そこには誰もいなかった。本が棚に並んでいる。
「虎福丸殿、我が殿も意地を張ってしまいます。何卒、公方様には」
三郎左衛門が頭を下げてきた。
「三雲様、頭を上げてください。公方様には右衛門督様のことはよくお伝えします」
「おおっ、かたじけない」
三郎左衛門が俺を見る。若殿の不始末を詫びる重臣か。まあ生意気なガキだったが、十七歳ならあんなもんかもしれん。俺も三郎左衛門の顔を潰したくない。右衛門督の生意気な態度、義輝には黙っておいてやるよ。
「虎福丸殿、御免」
低い声が部屋に響いた。見ると後藤但馬守賢豊が部屋の襖を開けたところだった。但馬守の後ろに重臣が二人いた。
「目賀田次郎左衛門尉忠朝にござる」
「平井加賀守定武にござる」
二人が名乗った。六角には六宿老と呼ばれる家老たちがいる。後藤、三雲、目賀田、平井は六宿老の内の四人だ。
「皆様方、お揃いで何用ですかな?」
俺はオッサンたちを見回す。三郎左衛門がチラリと後藤但馬守を見た。
「公方様の真意を伺いたい」
但馬守が口を開く。オッサンたちが俺を見る。あまり嬉しくはないな。熱視線だ。
「上杉弾正少弼殿と武田信玄殿を和睦させ、織田上総介殿を取り込み、公方様は何をなされたいのか?」
単刀直入だな。というより本来は右衛門督が聞くことだがな。若様が頼りないから家老たちが動いたわけか。
「無論、目的は上杉弾正少弼様、織田上総介様の上洛にございます」
俺が言うと但馬守が険しい表情になった。
「三好が黙っていますまい。十河讃岐守殿亡き後、修理大夫殿は思い悩んでいるようですがやはり切れ者。上杉家の軍門に下るとも思えませぬ」
「でしょうな。しかし、上杉様にも関東管領としての意地がございます。三好対上杉。京を巡って戦が起きるでしょう」
「むう」
但馬守が唸り声を上げた。上杉の上洛に六角も無縁でいられない。
「近衛家の姫と若殿の縁談が進めば、六角は上杉につかざるを得ませんぞ」
目賀田次郎左衛門が言うと、平井加賀守も頷く。
「いずれにせよ、戦は避けられぬということですな」
平井加賀守が言うと、家老たちが沈黙する。
「我が家は浅井に負けた痛手から立ち直れておらん。浅井は朽木にも手を伸ばしておるし、下手したら斎藤も味方に引き込むやもしれぬ」
但馬守が独り言のように言った。浅井か。六角にとっては浅井と三好に挟撃を受けることが何よりも怖いのだ。朽木は琵琶湖の西にある朽木城を治める小さな国人領主だ。それでも若狭街道を抑えている。越前にまで出る道だ。敦賀の湊に通じるため、六角にとっても三好にとっても旨味のある土地だった。義輝が亡命していたのも朽木谷だ。
「実の父を討った斎藤治部大輔ならやりかねませぬな」
三雲三郎左衛門も但馬守に同調するように言う。
「しかし若が」
嘆息しながら、平井加賀守が言う。家老たちにとってはよっぽどの問題児なんだろうな。ガキだから仕方ない。
「斎藤治部大輔の娘が気に入ったか。フン。どうせ斎藤治部大輔めにたぶらかされたのであろうて」
目賀田次郎左衛門が吐き捨てるように言う。
「左様。公方様にお仕えするのが筋というもの。それを若が。まあ家老たる我らの言うべきことではないが」
但馬守が苦々しげに言った。俺に対しても態度が悪かったからな。家老たちも手を焼いているんだろう。
「但馬守様、六角右衛門督様もお若い。すぐには分かりますまい。今は目先の利に捕らわれているのでしょう」
「恥ずかしながら、そうだと思います」
但馬守が恐縮する。
「我らとて、若のお耳に御忠言申し上げているのですが」
「聞き耳を持たぬという感じです」
平井加賀守が苦笑しながら言う。
「御宿老の方々の言うことも耳に入らぬとは」
俺は呆れてしまう。こりゃあ、右衛門督が後藤但馬守を手討ちにする観音寺騒動がこの世界でも起きそうだ。
「若は斎藤治部大輔殿を慕っておりますから。稲葉山に行きたいと仰せになられております」
但馬守が言う。稲葉山は斎藤治部大輔義龍の本拠地だ。右衛門督が稲葉山に顔を出せば、斎藤は勢いずく。織田が美濃を攻め取るのも難しいかもしれぬ。
「私は他家の人間ですから何も申せません。しかし斎藤はやめておいた方がいいでしょう」
俺が言うと家老たちの注目が集まる。
「公方様は治部大輔様を御相伴衆に任じられました。ただ治部大輔様は道三公を討たれた。そのことで織田様の怒りを買った。斎藤と組むということは織田を敵に回すということにござる」
「分かっておりまする。若も納得してくれていると思います」
後藤但馬守が言う。大丈夫かな? あの感じじゃ暴発しそうだが。足利の使者である俺に挨拶がなかったのは斎藤と今川か。義輝に伝えなくてはな。上杉弾正少弼にみんな期待している。だが、史実じゃこの後……。




