193、文覚池(もんがくいけ)の戦い
永禄五年 (1562年) 六月中旬 丹波国 刑部城付近 伊勢虎福丸本陣 伊勢虎福丸
三日が経った。刑部城攻めはうまくいっていない。権之助の軍も同様だ。敵の抵抗は激しいようだ。
「若、お耳に入れたき儀が」
宗助だった。村井作兵衛たちを人払いする。二人だけになった。
「内藤安芸守、大戸城からこちらに向かっておりまする」
「何! 痺れを切らしたか」
「恐らくは」
こちら、ということは刑部城だろう。どういう心境の変化なのかは分からないが、これは好機だ。
「安芸守は荒木山城守氏義と揉めたようでございまする。大戸城を捨てることに山城守が反対し、大声で罵ったと荒木家中に忍び込ませた者が教えてくれました」
「ふむふむ。仲間割れか。ま、安芸守も元々(もともと)備前守の家臣だからな。波多野の国人衆とは合わぬだろう」
「荒木山城守は兵をまとめ、帰ったようでございます。安芸守は残った兵を集めて、若を討つと息巻いておりまする」
「だとすると二万もないな。良し。皆を呼び戻せ。軍議を開く。安芸守の軍を蹴散らす」
「ははっ」
宗助が陣幕の外に出る。俺は息をつく。我慢して良かった。これで安芸守を蹴散らせば、八木城に脅威はなくなる。
永禄五年 (1562年) 六月中旬 丹波国 文覚池 伊勢虎福丸本陣 伊勢虎福丸
「来るな……」
地響きのような音がする。騎馬隊だろう。戦上手と名高い内藤安芸守は乾坤一擲の大勝負に出てきた。一万五千の軍で三万の伊勢軍に戦いを挑んできた。
「堤軍、丹後の軍は迎え撃てーッ」
俺は脇差しを振り上げて仔馬の上で叫ぶ。敵の大軍の威を感じる。堤三郎兵衛、蜷川丹後守の軍が馬防柵を用意した。驚け。ちゃんと伊勢軍には馬防柵もあるのだ。
内藤軍が急いで馬から降りる。その隙に弓矢が降り注ぐ。悲鳴が響いている。前線は地獄だろう。
「左右に軍を繰り出してくるか。フフフ。いくら強い内藤軍といってもこのような狭いところでは通れまい」
文覚池と呼ばれる池の左右で戦が起きている。道は広くない。どうしても小競り合いになる。
文覚池は鎌倉時代の僧が作った池だ。ここが戦の場になる。もちろん作兵衛たちと軍議で示し合わせた場所だ。ここに内藤軍を誘い込む。そして打ち破るのだ。
「頃合いだな。福井因幡守、関五郎の軍を向かわせろ。堤・蜷川両軍は後ろに引っ込める。敵を疲れさせるのだ」
弓矢は間断なく放つ。弓矢の雨だ。勿体ないと思うかもしれないが、後で回収すれば使えるものもあるだろう。敵軍の志気を挫く。とても伊勢軍に勝てぬと思わせるのだ。
永禄五年 (1562年) 六月中旬 丹波国 文覚池 伊勢虎福丸本陣 伊勢虎福丸
「内藤軍の本陣が逃げ出しましたぞ」
「追え、逃がすな」
掃部助が頷いた。もう昼を過ぎた。五時間は経っている。山を迂回させて村井作兵衛の千を背後に回らせた。内藤本陣はパニックになったようだ。他は国人衆の寄せ集めだ。一度崩れると皆崩れる。
内藤軍の敗走が始まった。脆いものだ。やはり譜代でないとな。荒木山城守が抜けたのも安芸守が負けた原因の一つだろう。娘を人質に取られて焦ったのだろうがそれにしても脆い。
「勝った」
「はっ、お味方大勝利にて」
掃部助が馬を寄せてきた。これで脅威は去った。ほっとするわ。内藤安芸守に勝てた。粘り勝ちよ。勝ち鬨が聞こえる。思わず笑んでいた。




