164、三河の新体制
永禄五年(1562年) 一月下旬 山城国 京 三好長慶の屋敷 内藤宗勝
「今川・北条が負けた……嘘じゃ。偽りを申すな」
筑前守殿が湯飲みを落とした。湯が畳に広がる。口を開き、信じられないという顔をする。やはり、若いな。比べてはいかんが大殿とは違う。
「偽りなど申してはおりませぬ。忍びによりますれば、吉田城もすぐに落ちたとのこと」
日向守殿が言う。筑前殿が口元を真一文字に結んだ。
「牛久保城が簡単に落ちている。早すぎる。何もかも」
「野依二郎左衛門と申しましたかな。戦上手にて牛久保も持ちませんでした」
日向守殿の言葉に筑前殿が項垂れた。
「これでは三河は伊勢家の治める土地となろう。もう手が出せぬ」
「仕方ありませぬ。伊勢虎福丸も尋常の者に非ず。あれは大器です。もはや我らの力でどうこうできるものでもない」
日向守殿の言葉には諦めが漂っていた。強すぎる。武田・今川・北条が束になっても勝てなかったのだ。もう虎福丸を止める者など誰もいない。
「三河を手に入れた虎福丸は幕府第一の幕臣となろう。細川、三淵も誰も勝てぬ」
筑前殿がじっと私を見た。
「備前守、もう駄目だ。我慢ならん。虎福丸の力を削るには三好が、我らが動く他ない」
「いかがなさいますか」
「虎福丸に新しい仕事を与える。三好は味方だと思わせる。しばらくは、な」
筑前殿はニヤリと笑う。虎福丸殿には借りがある。みすみす見捨てたりはせん。あまり筑前殿が暴走するのなら私にも考えがあるぞ。
永禄五年(1562年) 一月下旬 三河国 岡崎城 伊勢虎福丸
「吉田城には二郎左衛門の兵一万を置く。牛久保城には本多平八郎を城番に命じる」
「御意」
玄蕃が返事をした。他に千代丸、刑部がいる。
久しぶりに伊勢家家臣だけだ。身内だけだとほっとする。
「後はどうするかな。岡崎城には刑部を置く。内政は任す。俺の命じたとおりにせよ」
「ははっ」
刑部が頭を下げた。今後は刑部を中心に内政を建て直す。産業を保護し、育成する。三河は儲かる地になるだろう。
「吉田城で捕えた女たちは如何なさいまするか」
千代丸が聞いてきた。吉田城には今川に与した武士の妻や娘が大勢いた。その数、五百を越えている。
「伊勢家に来たい者だけは伊勢家に残せ。あとは今川領に返せ」
「はっ」
殺せば今川は恐怖し、怒るだろう。それは得策ではない。まずは内政だ。そして良い評判を作ることだ。
「それと三好がやかましくてな。俺を呼ぶのだ。やれやれだぞ。全く四歳児の扱いが荒い。もっと大事にして欲しいものだ」
俺が言うと家臣たちが声を出して笑った。
「また京に出向く。御所と三好の所だ。六角も畠山も心中穏やかではないらしい。毛利も公方を匿って怒っている。いつ畿内が乱れるかもしれん」
畿内の情勢は不安定だ。三好がやり過ぎた。このままだと毛利家も治まらないだろう。大友も使いを毛利に送ったと聞く。三好包囲網が築かれる可能性もある。大友と毛利の和睦が成れば、あるいは。三河では徴兵の上、練兵を行う。いざという時は京に兵を送る。三好の平和も長続きしないだろう。
まあいい。いざとなれば近江の朽木に身を寄せよう。あそこが一番安全と言えば安全だ。




