139、虎福丸、佐久間信盛に策を授ける
永禄五年(1562年) 一月上旬 山城国 京 伊勢貞孝の屋敷 伊勢虎福丸
「若、三河に本当に行かれるのですか」
堤三郎右衛門が心配そうに聞いてきた。伊勢家の家老だ。お爺様以来の古株でもある。
「何だ、心配なのか。三郎右衛門」
「それは……三河は危ないところですぞ。京とは比べようもない」
そうだな。武田、今川、それから今川の同盟相手である北条、いずれも松平を目障りと考えている。織田と松平は裏で手を組んでいる。そのことを今川は嗅ぎつけたのだ。
信長は美濃攻めどころではない。浅井に使者を飛ばして同盟を結ぼうとしている。
事態は信長の不利に傾きつつある。越後の上杉は会津の蘆名や出羽の最上と対立を深めている。それと北条も上杉領を狙う。
どうも裏で武田義信が動いているようだ。義信に入れ知恵しているのは軍師の山本勘助だろう。
「武田も今川も俺を討たんはずだ。それよりも公方のお気に入りである俺を味方につけたいと考える」
「しかし、これは罠でございましょう」
「それは分かる。ただな、松平は元々家臣だ。家臣を見捨てる主君がどこにいる?」
「若……」
「案ずるな。三郎右衛門。策はあるのだ。俺は岡崎城に入って蔵人殿を助ける」
「そこまで言われるのであれば、止めはしませぬ」
「心配致すな。必ず生きて帰って来るぞ。留守は任せた」
「御意」
三郎右衛門が頭を下げた。納得はしていないようだが、三河行きは許してもらえた。さて、出かけるとするか。
永禄五年(1562年) 一月上旬 尾張国 清州城 大広間 佐久間信盛
「武田め、三河を取るつもりか」
目の前の地図を見ながら思わず声が出た。忍びから武田の動きが妙だと知らせがあった。
「虎福丸殿の密書にはそう書いてありますな」
寺西石見守がうんうんと頷いている。虎福丸……あの童子は俺に密書を寄越した。会ったこともない童だ。いや、一度清州で見かけたな。殿の甥だ。
三河のことは儂が、この佐久間右衛門尉が殿より一任されている。
まさか童子はそのことを知っていたのか? まさか、な。
いくら天下の伊勢虎福丸とはいえ、織田家中のことまでは分かるまい。
地図に目を落とす。虎福丸の言うことが当たっていれば、武田は三河を攻めた後、尾張に攻め込む。
困ったことだ。これでは進退窮まる。何とか武田と同盟を結べぬものか……。
「殿……」
鈴木四郎左衛門が不安そうに声を上げた。ええい、二人とも、元気を出せ。
「武田を怖がらせる。兵を出すぞ」
二人が目を丸くした。
「虎福丸の言うことを真に受けるのですか」
寺西石見守が不満を口にする。
「受ける。童子は公方様の懐刀だぞ。武田が三河に入ってくるのを許すわけにはいかん」
石見守が唇を噛んで黙った。悔しいが、仕方あるまい。武田と今川の勝手を許せば、松平は滅ぶ。ここは虎福丸の知恵を借りる。
まずは刈谷、緒川に軍を進める。小牧山の殿にも使いを送ろう。援軍を送ってもらわねば。




