115、王道を行く男
永禄四年(1561年) 十二月中旬 堺 伊勢虎福丸
「公方様は天下泰平を目指しておられるのですか」
伊集院源太忠金が言う。日本は乱れに乱れている。畿内ですら六角・畠山が三好方を抑えきれないでいる。
「はい。ただ平安の御世であれば、武家も大人しかったでしょうが。今の世は」
「鎌倉殿も早くに亡くなったでごわす。武家は幕府に従い申さず。大内兵部卿が存命であればと惜しまれます。陶どんが謀反するなど誰も考えていなかったでごわす」
忠平が腕組みをしながら言う。大内兵部卿義隆、俺が生まれる前に死んだ西国の大大名だ。家臣の陶晴賢に謀反されて死んだ。兵部卿というのは征夷大将軍に並び称される武家の大将だ。大内義隆が生きていれば、上洛も有り得た。
愚か者とされる大内義隆だが、最新の歴史研究では学問好きで武にも長けた名将であったことが分かっている。
「陶晴賢殿は大内兵部卿の寵臣でしたから。陶殿に野心が芽生えたとしても不思議ではございませぬ」
野心。下剋上の時代において少なくない武将が抱くもの。もっと領土を、あの一族を滅ぼして利権を俺のモノに。あいつの女房は品があって美しい、奪って俺のモノにしたい……。陶晴賢にもそれが芽生えた。珍しいことじゃない。ただ大内義隆が死んだことで足利は、三好を抑えることができなくなった。みんな、大内義隆が抑え込んでいた。その箍が外れたのだ。
「野心。野心ですか」
伊集院源太も何か言いたそうだ。伊集院源太もこの先、力を付けて行けば、島津が斬り捨てるだろう。この男もあまりに優秀過ぎる。
「はっはっは。島津は一族も家臣も皆家族でごわっそ。家臣の謀反も家臣を手討ちにすることもないでごわす。そもそも、祖父、日新どんが島津本家に父上を養子に入れた。島津はそれ以来、一族で争うことはなかでごわす」
いや、アンタの息子が源太を殺して、源太の妻と息子、家臣団も丸ごと粛清するけどな。まあ、天下の島津義弘にも予測できないこともある。
源太が唇を噛んでいた。陶晴賢の気持ちがわかるのだろう。殿、それは違いますぞ。殿に代わって、俺が政をやれば……、元々島津と伊集院も同じ国人衆ぞ。何の違いがあろうか。そんなところか。
伊勢家は特殊で足利の幕府が開かれてから、いや鎌倉殿(源頼朝のこと)の時代から仕えている家臣団がいる。国人衆と言うよりも身内のオッサンオバチャンたちの一つの家族。婚姻を繰り返しているのでみんな親戚みたいなもんだ。
「堺には六角の忍びや畠山の忍びがたくさんいる。島津又四郎殿と会ったことはすぐに知れましょう」
話題を変える。忠平は笑顔。源太のほうは無表情だ。
「細川右京大夫どんは島津を不快に思われるでごわっそ?」
細川晴元、幼少期から畿内の戦の指揮を取ってきた男だ。三好長慶の父親を死においやったり、謀略も平気でやる。どんな男かは分からない。いや、会ったことがあるな。前に六角右衛門督の側にいた。
「不快には思うでしょうが、顔には出さないでしょう。自分がまだ管領であると思っているでしょうし、虎福丸何するものぞ、と思っているかもしれません。ただご安心を。細川には伊勢の娘が嫁ぐ手はずになっておりまする。細川右京大夫様には私から話をします」
「虎福丸どんが右京大夫どんを宥めてくれるなら安心でごわすな」
忠平がニッコリと笑う。いい笑顔だ。この男、現代人に人気があるのが分かる。裏がなく、明るい。実直で謀略を好まない。王道を行く。
細川とは友好関係を結ぶ。細川晴元は腐っても細川家当主だ。味方につけるに越したことはない。
永禄四年(1561年) 十二月中旬 堺 伊勢虎福丸
「あら、虎福丸。久しぶりねぇ」
廊下を歩いていると伊勢忍びのくノ一である由良がニコニコ笑顔で話しかけてきた。由良は夫も忍びだ。子供も何人もいる。年は二十歳か、それくらいだ。
由良が俺を抱きかかえた。
「若様、鬼の一族の様子がおかしゅうございます」
由良が俺の耳元で囁いた。
「裏切りか」
「そうかもしれませぬ。伊勢忍びの警護を増やします。今日は私の布団で寝られませ。しがみついて離れぬことです。島津又四郎と会ったことで鬼の一族の様子もおかしくなっています」
瑞穂の顔が浮かんだ。年頃だ。嫁ぎ先を考えてやらないとな。まさか瑞穂が俺を裏切るか? ただ由良は父上もお爺様も信用している。忠告を聞いておいた方がいいだろう。




