113、虎福丸と十万の兵の気楽なぶらり旅
永禄四年(1561年) 十二月中旬 摂津国 滝山城 松永義久
父上を大和に逃がして良かったわ。十万の大軍に城が囲まれた。あっという間のことだった。義輝の軍を伊勢虎福丸が率いている。
「フン、俺の悪運も尽きたか」
独り言を言ってみる。家臣たちが何も言わない。押し黙ったままだ。みんな、どうしたのだ? 暗いぞ。
「若、虎福丸殿、目通りを求めています」
家臣がやってきて言った。
目通り? 十万の兵を率いているのに? 思わず笑いが漏れた。家臣たちも笑う。おかしい。腹が捩れるわ。
「通せ」
声が震える。斬るか? 童子といえど、ここで殺しておいた方が三好家の為か。
「松永彦六様、目通りを許していただき、ありがとうございまする。幕臣、伊勢虎福丸にございまする。奉行をしておりまする」
童が頭を下げた。伊勢の家臣たちが背後に控える。殺気はない。何だ、何が目的だ?
「公方様の兵十万を率いて滝山に来られるとは如何なるお考えあってのことでしょうか」
童が笑う。深い笑みだ。な、何だ。俺を殺すのか?
「他意はござらん。そうですな。ふと滝山の饅頭がうまいと聞きましてな。食べに来たのでござる。いやー、驚かせてしまいましたかな?」
饅頭を食べに? 嘘を付け、そ、そんなことでお前みたいな化け物が兵を動かすかっ。
「彦六殿、顔色が良くないのですが……」
「……降る」
「は?」
童が耳に手を翳す。聞こえているだろう! に、二度も言わせると言うのか! こ、この悪童子、鬼か……。
「人質を出して降る。妹を人質に送る。これで宜しいか。虎福丸殿」
「あ、いや、本当に旅で……春齢様が饅頭を食べたいって言うのでその……」
虎福丸がもごもごと何か言っている。もうどうでもいい。降るしかない。家を滅ぼさぬためには降るしかないのだ。
永禄四年(1561年) 十二月中旬 堺 伊勢虎福丸
「滝山城でそんなことが……」
目の前の背の高い男が驚いている。滝山に行った後、堺に来た。十万の大軍だが、指揮は三上与次郎に任せている。俺は春齢様に言われた饅頭を買いに行った。そして買って送った。主だった女官のリストも制作してある。女官たちにも饅頭を送った。女は甘い物が好きだからな。喜ぶだろう。
滝山に行ったら、松永久秀と内藤宗勝の兄弟はいなかった。大和信貴山城にいるはずの松永彦六義久がいたから挨拶に行ったら怯えていた。
向こうから降伏を申し出てきたので受けた。うーん、ただの観光旅行だったんだが、誤解させたようだ。
目の前の男がうんうんと頷いている。こいつは伊集院源太。薩摩の島津家の家老の家の出身だ。
最近、手紙のやり取りをして仲良くなった。俺に興味がるらしい。島津の殿に伊勢家に貢物を送りたいと言って堺まで船でやってきた。史実での島津家筆頭家老・伊集院忠棟だな。島津義弘の息子に粛清された可哀そうな奴だ。
「ああ、参ったぞ。こっちに敵意はないんだ。初めて会うし、京で手に入れた茶器を送ろうと思ったんだが」
「はっはっは。虎福丸どん、彦六どんは肝冷やしたことでごわっそ。十万の兵がやってきたのでごわす。並みの者であったならば、怯えて妻子を斬り殺して自害するでごわっそ」
「そうだな。ま、さすがに松永彦六だな。聞きしに勝る傑物だったよ」
「将として使いまするか?」
伊集院源太が標準語になる。
「奴は狼だ。俺の手には負えん」
源太が笑みを浮かべる。不思議だな。こいつとは馬が合う。仲良くできそうだ。何でも話したくなるな。




