112、六万の兵を率いる童子
永禄四年(1561年) 十二月中旬 山城国 御所 伊勢虎福丸
「新しき管領は八郎どのですか……」
細川八郎晴之。十二歳。細川晴元の次男だ。史実では何した人物だっけ? 記憶にないな……。
「それに政所の奉行に杉原兵庫頭殿……」
俺は義輝に貰った書状に書かれてあることを声に出す。
こいつも誰だっけ? というレベルだな。細川藤孝が良かったな。
「はっはっは。それだけではない。政所の奉行衆には幕臣を百人ばかり足しておる。政所の屋敷も増やす。フフフ。京は賑やかになろう」
義輝がうんうんと頷いている。同席しているのは六角右衛門督義治、その父で隠居の六角承禎入道、お馴染みの畠山尾張守高政と安見美作守宗房、大和の筒井家から来た筒井玉林坊順政、播磨の大名・赤松出羽守義祐といった面々に加え、大舘陸奥守晴光といった幕府の重鎮が参加している。
「三好は戻らぬ。予の天下よ」
義輝は有頂天になっている。無理もない。京も播磨も近江も足利の勢力圏に入った。前管領の細川晴元に力はない。義輝は力を得ようとしている。
「虎福丸、そなたには奉行になって欲しい。それと旗本衆を作る。力を貸すのだ」
「はっ」
いわば義輝直轄の軍だ。足利に旗本はいない。あるのは権威と血統のみ。だがそれ故に十三代まで続いたのだ。
「百姓を兵にする。そうだな。京中を練り歩いてみようか。ふわっはっはっはっは」
新しい体制が始まる。同席した者たちが口々に義輝を褒める。俺が兵を任され、奉行にまで取り立てられた。おいおい、俺は三歳の幼児だぞ。正気かね?
永禄四年(1561年) 十二月中旬 尾張国 小牧山城 信長の部屋 柴田勝家
「ふわっはっはっは。凄いの」
殿が立ち上がり、部屋の中を歩き回っている。一体どうしたのだ?
「殿、どうされました?」
御側室であるお辰様が聞く。殿の三男である三七様の母親だ。美しい御方よ。殿が夢中になるのも分かるわ。
「甥御殿が、虎福丸殿が足利の兵を率いることになったそうだ。しかも募兵には六万の兵が集まったという」
「ろ、六万……」
俺は思わず声を上げた。六万、馬鹿な。虎福丸殿は三歳か、二歳の赤子も同然! そ、それが六万の兵を従えるだと?
「足利千寿公は四歳で鎌倉攻めのために二十万七千騎が集まったと聞く。はっはっは。さすがじゃの。甥御殿は。千寿公には劣るが、大義は甥御殿にあると皆、知っているのだろう」
「ウフフ。虎福丸殿はどこまでも登っていかれる竜ですわね」
お辰様が花のような笑いを漏らす。思わず、見惚れてしまったわ。
「そうだ、虎ではなく竜よ。フフフ。権六。猿を呼べい」
さ、猿殿、木下藤吉郎殿か。あの無類の話上手にて銭をよく持っている御仁よ。ゆくゆくは猿殿には家老となり、殿を支えてもらわねばならぬ。それくらいの傑物よ。話していて楽しい。猿殿がいれば、織田も大きくなるだろう。
「猿、早く来い。フフフ。甥御殿のことを話したくてたまらぬわ」
殿がお辰様の膝枕に頭を預ける。お辰様がクスクス笑いながら、殿の頭を撫でた。殿はまるで童子よ。猿殿はどこにおるのか。早く殿に会わせたわい。




