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拙者、お客様は神様だと申したはず! ~令和のバイトリーダー、うっかり江戸で天下泰平(主に接客面で)を目指す~  作者: ストパー野郎
第二部:KAIZEN旋風、江戸を席巻し、日の本を揺るがす!?~目安方筆頭、次なるステージへ~
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第六話:黒い噂と白い腹!?~目安方、藩を揺るがす不正を暴く!の巻~

 戸日本橋裏のアンテナショップ「相馬屋」で開催された「みちのく物産展&うまさ爆発KAIZEN大フェスティバル」は、相馬・白河両藩に未曾有の大成功をもたらした。


 両藩主お忍び来店騒動という、肝を冷やすおまけまでついたこの一大イベントは、江戸八百八町に「陸奥の小藩、侮りがたし!」という印象を強烈に刻みつけ、特に栗田謙信の名は「KAIZENの申し子」「おもてなしの奇才」として、良くも悪くも(主に良く)江戸中に轟き渡ったのである。


 その熱狂も一段落し、謙信たちが意気揚々と国元へ凱旋してから数週間。相馬中村藩は、まるで長い冬眠から目覚めた熊のように、あるいは春を迎えた草木のように、活気に満ち溢れていた。


 江戸での成功は、藩士たちの間に大きな自信と誇りを与え、領民たちの顔にも、以前には見られなかった明るさと希望の色が浮かんでいた。


「いやあ、栗田!江戸での大手柄、まことに天晴れであったぞ!我が藩の産物が、あの江戸で飛ぶように売れたとは、夢のようじゃ!」

 藩主・相馬昌胤は、謙信からの詳細な(そしていつものように、かなり脚色された)江戸での成功報告を聞き、上機嫌で何度も謙信の肩を叩いた。


「これも全て、殿の寛大なるご英断と、藩士領民皆様のご支援の賜物!そして何よりも、江戸で共に汗を流した仲間たちの、熱きKAIZEN魂のおかげでございます!」

 謙信は、満面の笑みで応える。その視線の先には、少し照れくさそうに、しかし誇らしげに胸を張る田中新兵衛、結城小平太、そして「まっ、あたしの手にかかれば、あんなもんよ!」と嘯くお駒ちゃん(彼女はすっかり相馬藩に入り浸り、目安方の非公式メンバー兼ファッションリーダーとなっていた)の姿があった。


 岩田権左衛門は、そんな光景を、いつものように胃を押さえながらも、どこか温かい目で見守っていた。「(…まあ、結果だけ見れば、確かに大成功だったのかもしれん。俺の胃袋は、また一つ、大きな試練を乗り越えたわけだが…)」


 ふと、その和やかな輪の外で、一人腕を組み、何やら難しい顔で一同を眺めていた城代家老・酒井忠助が、ぽつりと、しかしその場にいる全員に聞こえるくらいの声で呟いた。


「…それにしても、栗田殿。江戸の『相馬屋』での活躍、誠に見事なものであったと聞き及んでおります。じゃが…今、こうして江戸詰めの主力メンバー(謙信、権左衛門、新兵衛、小平太、そしてお駒ちゃんまでも)が全員、この相馬の地に揃い踏みで凱旋しておるということは…その…江戸の『相馬屋』は、一体、今頃誰が店番をして、あの喧しい江戸っ子たちを相手にしておるのでござろうか…?まさかとは思うが、店を閉めてきたわけではあるまいな…?」


 酒井の、あまりにも素朴で、そして的を射すぎている疑問に、それまで江戸での成功話に浮かれていた謙信たちは、一瞬、きょとんとした顔を見合わせた。


 そして次の瞬間、謙信の顔からはサッと血の気が引き、権左衛門は「しまった…!」とでも言いたげに額を手で覆い、新兵衛と小平太は顔面蒼白でお互いの顔を見つめ合い、お駒ちゃんだけが「あっはっは!こりゃ一本取られたねえ!さすがは酒井の旦那だ!」と、一人だけケラケラと笑っていた。


 藩主・昌胤は、そのあまりにも間抜けな光景に、腹を抱えて笑い転げ、「栗田よ、お主、また何か面白いことをしでかしたようじゃのう!江戸の店は、一体どうなっておるのじゃ!」と、涙を流しながら尋ねるのであった。


 謙信は、冷や汗をダラダラと流しながら、「そ、それは…その…あの、江戸の大家のお辰っつぁんに、ほんの数日だけ、ほんの少しばかりの謝礼で、無理やり店番を…いや、決して無理やりではございません!双方合意の上での、円満なる臨時店長業務委託契約でございます!た、たぶん、大丈夫でございます…!お辰っつぁんは、口は悪いですが、商売の腕は確かでございますれば…!」と、しどろもどろに、そして必死に言い訳をするのであった。


 その頃、遠く江戸日本橋裏の「相馬屋」では、大家のお辰っつぁんが、一人で店番をしながら、「ちっ、あの目安方の若造め、こんな面倒なことを押し付けやがって…だがまあ、あいつが帰ってくるまで、この店、あたしが江戸一番の繁盛店にしてやろうじゃないか!」と、腕まくりをして、やってくる客を、いつものように毒舌で、しかしどこか楽しげに捌いている姿があったとか、なかったとか…。


 酒井忠助は、そんな謙信の、あまりにも計画性のない、そして無責任極まりない(しかし、何故か憎めない)返答に、深々と、そして心の底から、もはや諦観としか言いようのない、長いため息をつくしかなかった。「(…この目安方筆頭と、そして我が藩の未来は、本当に大丈夫なのであろうか…?)」


 凱旋の興奮も冷めやらぬうちに、謙信は次なるKAIZENへと、その尽きることのない情熱を燃やし始めていた。渋沢勘定奉行との間で、江戸での売上金を元手とした「藩校改革・第一次予算」の折衝を(血の滲むような努力の末に)何とか妥結させ、いよいよ藩校「明倫館」と領内寺子屋の教育改革プロジェクトが、具体的な準備段階へと進み始めていたのだ。


「権左衛門殿!新兵衛君!小平太君!お駒ちゃん!ついに、我が藩の百年、いや、千年の計、『人財育成こそ国家繁栄の礎!エデュケーショナル・ルネッサンス大作戦』の、輝かしい火蓋が切って落とされる時が来たのでございますぞ!」

 目安方執務室には、謙信がまたしても徹夜で作成した「相馬藩・未来人財育成グランドデザイン(超詳細カリキュラム案と、夢と希望に満ちた年間行事予定表付き)」と題された巨大な巻物が広げられ、謙信の、いつものように暑苦しい熱弁が響き渡っていた。


 権左衛門は「(また始まったか…今度はどんな無茶を言い出すのだ…)」と遠い目をし、新兵衛と小平太は「(組長の言うことなら、きっと何か素晴らしいことが…!)」と目を輝かせ、お駒ちゃんは「へえ、面白そうじゃないか!あたしも一枚噛ませてもらうよ!」と身を乗り出す。まさに、目安方らしい、カオスながらもどこか前向きな日常が、そこにはあった。


 しかし、そんな華々しい活躍と、藩内の高揚感の裏側で、黒く、そして粘着質な影が、静かに、しかし確実に、栗田謙信の足元へと忍び寄りつつあった。


 謙信の、あまりにも急進的で、そして常識外れの改革の数々と、その得体の知れない知識の源泉、そして何よりも、その彗星のごとき登場と、藩主や領民からの絶大な支持に対する、やっかみ、疑念、そして純粋な恐怖。


 それらが、筆頭家老・大和田常政ら、筋金入りの保守派だけでなく、これまで中立を保っていた者たちや、あるいは、謙信の改革によって、自らの立場や既得権益が脅かされるのではないかと感じ始めた者たちの間にも、静かに、しかし確実に、黒い澱のように溜まっていったのだ。彼らは、水面下で繋がり、謙信失脚の機会を虎視眈々と狙い始めていた。


 その最初の、そして最も分かりやすい兆候は、いつものように目安方執務室の入り口に設置された「目安箱」に、奇妙な、そしてどこか悪意に満ちた投書が、ポツリ、ポツリと混じるようになってきたことであった。


「目安方筆頭・栗田謙信様は、誠に素晴らしいお方と聞き及んでおります。つきましては、そのご出身やお家柄、そして、あの摩訶不思議なご知識をどこで身につけられたのか、我ら領民にも、ぜひとも詳しくお教えいただきたく存じます。まさかとは存じますが、どこぞの異国から来た妖術使い、などということはございませんでしょうな?(城下の一領民より、匿名にて)」


 最初は、ただの悪戯か、あるいは一部の者の僻みだろうと、謙信も権左衛門も、さして気にも留めていなかった。しかし、そのような不穏な投書は、日を追うごとに増え続け、その内容も、次第に具体的かつ悪質になっていった。


「栗田様が、夜な夜な城の天守閣に登り、南蛮渡りの怪しげな道具で星を眺め、何かブツブツと異国の言葉を唱えておられるのを目撃した者がおります。あれは、一体何のご祈祷なのでしょうか?まさか、藩を呪うためのものでは…?(心配性の母より)」


「目安方の栗田様は、実は、幕府から遣わされた隠密で、我が相馬藩の内情を探り、いずれはお家取り潰しを画策しておられる、と、江戸の知り合いの商人から聞きました。殿は、本当にあの男を信用してよろしいのでございましょうか?(藩の将来を憂う一武士より)」


「栗田様は、本当は人間ではなく、古狐か狸が化けたもので、その証拠に、時々、尻尾が見えることがあるとか、ないとか…(子供たちの間で囁かれる噂)」


「目安方筆頭殿の、あの奇抜な改革の数々は、確かに目新しく、領民受けも良いやもしれぬ。じゃが、そのために使われる藩の銭は、一体どこから出ておるのじゃ?まさか、我らから搾り取った年貢を、私的に流用しておるのではないだろうな?」


「目安方の若い衆が、近頃やけに羽振りが良いと聞く。栗田殿から、何か特別な手当でも出ておるのか?それとも、目安方の権限を悪用し、商人たちから不正な金品を受け取っておるのか?」


 これらの投書は、明らかに、謙信個人だけでなく、目安方全体の信用を失墜させ、そして藩内に不信と疑念の種を蒔こうとする、明確な意図が感じられた。


「…栗田。どうやら、お前のことを快く思わぬ輩が、本格的に動き始めたようだな。これらの投書、ただの噂話と片付けるには、あまりにも組織的で、そして悪意に満ちておる」

 権左衛門は、山積みになった不穏な投書の束を前に、眉間に深い皺を刻み、苦々しげに言った。彼の胃は、またしてもキリキリと痛み始めている。


「ふむ…確かに、これは少々、風向きが変わってきたかもしれませんな。しかし、権左衛門殿、これもまた『お客様(今回は、私を快く思わない方々ですが)』からの、貴重な『フィードバック』!真摯に受け止め、そして我々のKAIZENに活かさねばなりませぬぞ!」

 謙信は、いつものように強気に、そして無理やりポジティブにそう言ってみせるものの、その表情には、さすがに一抹の、そして無視できない不安の色が浮かんでいた。


 その頃、城内の一室では、筆頭家老・大和田常政が、腹心の家臣であり、勘定方の小役人でもある根来十兵衛という、見るからに陰険で計算高そうな小男から、密かに報告を受けていた。


「…というわけでございまして、大和田様。例の栗田謙信めの、日頃の奇矯なる言動、そして不可解な知識の数々、逐一記録し、まとめておきました。これが、その『栗田謙信・要注意言行録』でございます」

 根来は、ニヤニヤと卑屈な笑みを浮かべながら、分厚い帳面を大和田に差し出した。そこには、謙信が日常的に口にする横文字や、時折漏らす前世の記憶の断片、そして彼の常識外れの行動の数々が、克明に、しかし悪意を持って歪められた形で記録されていた。


 大和田は、その帳面を、満足げに、そして冷酷な笑みを浮かべて受け取った。


「うむ、十兵衛、ご苦労。この証拠があれば、あの小僧が、ただのうつけ者ではなく、藩を、いや、幕府の秩序をも脅かす危険思想の持ち主であることを、殿にも、そしていずれは幕府にも、はっきりと証明できよう。ふふふ…栗田謙信、お前の化けの皮を剥がし、その首に縄をかける日も、そう遠くはあるまいぞ…」

 大和田の瞳の奥には、謙信への激しい憎悪と、自らの権力を守らんとする冷たい炎が燃え盛っていた。


 謙信への風当たりは日増しに強くなり、目安方の活動は各部署からの非協力的な態度で遅々として進まなくなった。謙信の提案も、評定で大和田派によってことごとく潰される。城内では謙信を中傷する噂が広まり、領民たちの中にも不安を抱く者が出始めた。


 田中新兵衛と結城小平太は、そんな状況に心を痛めていた。

「組長…!このままでは我々の努力が水の泡です!」「左様。噂を流す輩を、この小平太が一刀のもとに…!」


 江戸から戻っていた?お駒ちゃんも憤慨する。

「全くだよ、店長!こんな陰湿な嫌がらせ、江戸っ子のあたしだって我慢ならないね!いっちょ、あたしが張本人を突き止めてぎゃふんと言わせてやろうか!」

 謙信は仲間たちの熱い想いに胸を熱くしつつも、今回の敵の複雑さと根深さを感じ取っていた。


「皆さん、ご心配、そしてその熱いお気持ち、誠にかたじけない!しかし大丈夫!どんな逆風も、我らが『KAIZEN』の精神と『お客様は神様です!』の黄金律があれば必ず乗り越えられます!さあ、次なる『お客様びっくりKAIZEN企画』の準備に取り掛かりますぞ!」

 謙信は無理やり明るく振る舞うが、その笑顔の裏の不安と覚悟を、権左衛門だけは痛いほど感じ取っていた。


(栗田の奴は強がっているが、内心相当追い詰められているはずだ…このままでは本当に大和田様たちの思う壺だ…俺が、俺自身の手で、この噂の出所と黒幕を突き止めてやる…!)


 権左衛門は誰にも告げず、密かに調査を開始した。まず城代家老の酒井忠助に現状を訴え、陰ながらの協力を取り付ける。


「権左衛門殿、わしも憂慮しておった。大和田殿の最近の動きは目に余る。真相を明らかにするため、できる限りの協力をしよう」酒井の言葉は心強かった。


 権左衛門は酒井の支援を得て、目安箱の悪質な投書の筆跡鑑定を藩の祐筆に依頼したり、内容の不自然な点を丹念に洗い出したりし始めた。


 懇意にしている城下の岡っ引きや、疫病騒ぎの際に謙信に助けられた恩義を感じる領民たちにも協力を依頼し、噂の出所や広めている人物に関する情報を水面下で集め始めた。


 それはまるで、暗闇の中で小さな灯りを頼りに進むような、地道で根気のいる作業だった。


 調査は難航した。噂は巧妙に形を変えて広まり、確たる証拠はなかなか掴めない。しかし権左衛門は諦めなかった。


 栗田謙信という、時に腹立たしく、時に呆れ果てるが、しかし心のどこかで見捨てられない、あの規格外の大馬鹿者を守りたいという、複雑な友情(あるいは腐れ縁か、はたまた父性愛のようなものか)に突き動かされ、城下を歩き回り、人々の話に耳を傾け、小さな手がかりを一つ一つ拾い集めていった。


 時には、夜更けまで酒場で情報を集め、二日酔いの頭痛と戦いながら調査を続ける日もあった。


 そんな権左衛門たちの粘り強い捜査線上に、ついに勘定方の根来十兵衛が浮上した。


 彼が大和田常政の屋敷に昼夜を問わず頻繁に出入りし、目安方の予算執行状況や謙信の行動について、不自然なほど詳細に把握していることが判明したのだ。


 ここで活躍したのが、お駒ちゃんだった。彼女は持ち前の明るさと江戸っ子ならではの機転で、根来の屋敷に下女として出入りしていた旧知の娘と偶然再会し、世間話のついでに巧みに情報を引き出した。


「十兵衛様はねえ、最近やけに羽振りが良くて、夜な夜な奥の部屋で帳簿のようなものを書き写しては、大和田様のお屋敷へ届けに行ってるみたいだよ。時々、大和田様から大きな包みをもらって、それはそれは嬉しそうに帰ってくるんだ」その情報は決定的だった。


 権左衛門は、この情報を元に、渋沢勘定奉行に根来の不審な行動をそれとなく伝えた。渋沢は「…ふん、根来がそのようなことを…承知した。この渋沢、我が配下の不始末は、見過ごすわけにはいかぬ」と、表情こそ変えなかったが、その瞳の奥に厳しい光を宿らせ、内々に調査を開始した。


 そして、田中新兵衛が、目安方の正規の帳簿と勘定方の記録との間に、僅かだが決定的な矛盾点を発見した。「権左衛門殿、これは…!目安方が使ったことになっていないはずの物品購入費が、なぜか勘定方の帳簿では支出済みとして処理されています!しかも、その支出先とされる商人の名は、聞いたこともありません!」


 全てのピースが繋がり始めた。権左衛門は、来るべき評定の日に向け、仲間たちと共に証拠固めを急いだ。


 そして、運命の評定の日がやってきた。


 筆頭家老・大和田常政は、自信満々の表情で、目安方筆頭・栗田謙信に対する弾劾状を藩主・相馬昌胤の前に突きつけた。巧妙に偽造された「証拠書類」が添付されていた。


「殿!ここに動かぬ証拠が!目安方筆頭・栗田謙信は、その役職を悪用し、目安方の活動予算、実に五百両もの大金を私的に流用!さらにその一部を江戸の商人を通じて他藩に横流しし、見返りとして我が藩の重要機密情報を売り渡しておりました!これは国家反逆罪にも等しい大罪でございますぞ!」

 大和田は声を震わせ、涙ながらに(もちろん計算された演技で)訴え、腹心の根来十兵衛が偽造した「証拠の帳簿」と「謙信が他藩と交わしたとされる密書の写し(偽物)」を評定の間に広げてみせた。


 評定の間は水を打ったように静まり返り、家老たちは顔面蒼白。謙信は絶体絶命。

「身に覚えがございません!全ては濡れ衣です!」と潔白を主張するが、巧妙に偽造された証拠書類の前に言葉を失う。藩主・昌胤も厳しい表情で腕を組み、深く考え込んでいる。


(ここまでか…!俺のKAIZENも…!こんな卑劣な罠に…!)

 謙信が絶望の淵に立たされた、まさにその瞬間。


「待ったぁーっ!」

 凛とした声と共に評定の間に颯爽と現れたのは、岩田権左衛門、田中新兵衛、結城小平太、そしてお駒ちゃんら目安方のメンバーたち!そして彼らの後ろには、意外にも鬼の渋沢勘定奉行が、厳しいが正義の炎を宿した眼差しで静かに立っていた!


「大和田筆頭家老殿!そして、そこに控える根来十兵衛殿!あなた方の汚く卑劣な芝居は、もう全てお見通しでございますぞ!」謙信は仲間たちの登場に一瞬驚きつつも、すぐに意図を察し、力強く不敵な笑みを浮かべて言い放った。


 そこから、怒涛の逆転劇が始まった。


 まずお駒ちゃんが、根来の屋敷の下女から聞き出した、彼の身分不相応な贅沢三昧と大和田との密会の証言を、江戸っ子らしい啖呵と共にぶちまけた。


「根来の野郎はねえ、毎晩のように芸者遊び!どこからそんな銭が出てくるんだい!それに、大和田の旦那の屋敷に、こそこそと夜中に届け物!中身はなんだか知らねえが、きっと良からぬもんに違いねえよ!」


 次に新兵衛が、目安方の正規帳簿と根来が改竄した勘定方の偽帳簿の矛盾点、使途不明金の存在を、算盤片手に理路整然と暴き出した。


「この帳簿のこの数字!明らかに不自然でございます!目安方の支出と、根来殿の記録した支出には、これだけの差異が!この消えた金は、一体どこへ行ったのでございましょうか!」


 さらに結城小平太が、数日前の深夜、根来の屋敷から大和田の屋敷へ秘密裏に運ばれようとしていた怪しげな千両箱(中身は根来が横領した公金と大和田への賄賂)を、権左衛門の指示のもと、見事に押収した事実を、証拠の品と共に突きつけた。


「この千両箱、根来殿の屋敷より運び出されるところを、この小平太、しかと押さえました!中身は、お調べいただければすぐに分かるはず!」


 そしてとどめを刺したのは、渋沢勘定奉行であった。

「…大和田殿。そして、根来十兵衛。…お主たちの見苦しい茶番は、もうそこまでじゃ」渋沢は静かに、しかし冷たく重い怒りを込めて言うと、自ら行った内部調査の結果(根来の長年にわたる公金横領の動かぬ証拠と、その金の流れを記した詳細な帳簿)を藩主・昌胤の前に厳粛に差し出した。


「…遺憾ながら、我が配下・根来十兵衛が長年藩の公金を横領し、一部を大和田筆頭家老殿に献上していた疑いが濃厚である。そして今回、その罪を隠蔽し、かつ目安方筆頭・栗田謙信殿を失脚させるため、帳簿改竄と証拠捏造という悪質な罪を重ねたものと断ぜざるを得ぬ!」


 渋沢勘定奉行の、静かな、しかし雷鳴にも似た告発は、評定の間に戦慄と、そしてある種の終末感をもたらした。


 根来十兵衛は「ひ、ひぃぃぃ!お、お助けを…!全ては大和田様の…!」と見苦しく叫びながらも、その場で役人に捕縛され、引きずられていく。


 その断末魔のような悲鳴が遠ざかると、評定の間には、息も詰まるような重い沈黙だけが残された。


 全ての視線が、顔面蒼白で、もはや抜け殻のように力なく座り込む筆頭家老・大和田常政と、そして玉座に鎮座する藩主・相馬昌胤へと注がれる。誰もが一言も発せず、ただ、藩主の次の一言を、固唾を飲んで待っていた。


 昌胤は、腕を組み、目を閉じ、しばらくの間、深く、長く息を吸い、そしてゆっくりと吐き出した。その顔には、いつものような鷹揚な笑みも、悪戯っぽい好奇の色もない。代わりに、そこには、一国一城の主としての、そして数多の家臣と領民の命運を預かる者としての、深い苦悩と、そして揺るがぬ決意が滲んでいた。


 やがて、昌胤はゆっくりと目を開き、その視線を大和田常政へと向けた。その声は、これまでにないほど低く、そして重々しかった。


「…大和田常政。そなたは、我が相馬家に代々仕え、藩の柱石として、長年にわたり重責を担ってきた。その功績は、決して小さなものではない。…しかし」


 昌胤はそこで一度言葉を切り、その声には、抑えきれない怒りと、そしてそれ以上の、深い失望の色が混じった。


「しかし、今、渋沢の申し立て、そして目安方の者共が提示した数々の証左を鑑みるに、そなたが藩の財を私し、己の利のために藩政を歪め、あまつさえ、この栗田謙信という、我が藩にとって得難い逸材を、卑劣な罠に嵌めようとしたその罪、断じて許されるものではない。本来であれば、その身分、家禄、全てを剥奪し、厳罰に処すべきところであろう」


 評定の間に、緊張が走る。大和田は、もはや顔を上げる力もなく、ただ肩を震わせている。


「じゃが…」昌胤は、再び言葉を続けた。「じゃが、そなたの父祖代々の相馬家への忠勤、そして何よりも、この度の騒動で、これ以上藩内に無用な混乱と動揺を広げるのは、わしの本意ではない。…よって、大和田常政。そなたには、追って沙汰あるまで、屋敷にて蟄居ちっきょを命じる。筆頭家老の職は、本日付けで解任。家禄も大幅に減ずる。ただし…大和田の家名だけは、そなたの嫡男に継がせることを、特別に許す。…これが、わしからの、最後の温情じゃ。…異存は、あるまいな?」


 その裁定は、厳しく、しかしどこか、藩の行く末を案じる藩主としての苦渋に満ちたものであった。大和田常政は、もはや何の言葉も発することなく、力なく、ただ深々と頭を垂れるだけであった。その背中は、かつての筆頭家老としての威厳など微塵も感じさせず、ただただ小さく、そして哀れに見えた。


 栗田謙信は、その光景を、複雑な思いで見つめていた。自らを陥れようとした憎い相手ではある。しかし、そのあまりにもあっけない終幕に、勝利の喜びよりも、むしろ武家社会の厳しさ、そして人の心の弱さのようなものを感じずにはいられなかった。「(…これが、権力闘争の末路か…KAIZENの道は、時に非情な結果も生むのだな…)」と、心の中で静かに呟いた。


 岩田権左衛門は、隣で、ようやく安堵の息を深く、長く吐き出した。その顔には、疲労の色が濃く浮かんでいたが、目にはほんの少しだけ、正義が為されたことへの満足感が宿っていた。「(…やれやれ、これでようやく、少しはまともなKAIZENができるようになるのかもしれん。まあ、俺の胃痛が治るわけではないだろうがな…)」


 渋沢勘定奉行は、厳しい表情を崩さぬまま、しかしその瞳の奥には、藩の綱紀が正されたことへの、かすかな安堵の色が浮かんでいた。「(…これで、少しは藩の財政規律も引き締まるであろう。しかし、栗田の小僧の、あの底なしの予算要求は、これからが本番かもしれんな…)」


 評定の間を包んでいた重苦しい空気は、藩主の裁定と共に、ゆっくりと、しかし確実に解き放たれようとしていた。


 藩内の大きな膿の一つが取り除かれ、栗田謙信の改革は、新たな、そしてより大きな困難が待ち受けているであろう次のステージへと、静かに、しかし力強く踏み出そうとしていた。


 相馬中村藩の未来は、そして栗田謙信の運命は、まだまだ波乱に満ちていることを予感させつつ、物語は次へと続くのであった。



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