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拙者、お客様は神様だと申したはず! ~令和のバイトリーダー、うっかり江戸で天下泰平(主に接客面で)を目指す~  作者: ストパー野郎
第二部:KAIZEN旋風、江戸を席巻し、日の本を揺るがす!?~目安方筆頭、次なるステージへ~
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第三話:江戸「相馬屋」テコ入れ大作戦!~赤字脱却!目指せ江戸一番店!~

 相馬中村藩において、藩校「明倫館」および領内寺子屋の「教育KAIZEN」という、前代未聞にして壮大なるプロジェクトが、栗田謙信の、相変わらずの暑苦しいまでの情熱と、常識外れの行動力、そして周囲の(主に岩田権左衛門と酒井忠助の)胃痛と心労を燃料にして、ようやく、本当にようやく、その産声とも言えるか細い第一歩を踏み出した、まさにその頃。


 遠く離れた江戸日本橋の、裏通りにひっそりと(そして閑古鳥が自由に飛び回れるほどに広々と)店を構える、相馬藩アンテナショップ「相馬屋」は、深刻な、そして致命的な経営不振のどん底で、もがき苦しんでいた。


 目安方執務室に、江戸の「相馬屋」から飛脚で届けられたのは、田中新兵衛の、拙いながらも悲痛な叫びが滲み出た報告書であった。その内容は、赤字続きの経営状況、山と積まれた返品の山、そしてスタッフの覇気のなさ…まさに惨状と言うにふさわしいものであった。栗田謙信は、その報告書を叩きつけ、珍しく顔から笑顔を消し、眉間に深い皺を寄せた。心底からの怒りと、それ以上の焦燥感がその表情には滲んでいた。


「権左衛門殿!これは一体どういうことでございますか!この、山と積まれた返品の山!そして、この、あまりにもお寒い、いや、もはや氷河期のごとき売上報告書は!江戸の『相馬屋』は、我が藩KAIZENの、輝かしい江戸における最前線基地であり、情報発信拠点であり、そして何よりも、外貨獲得のためのドル箱スターとなるはずではございませんでしたか!」


 謙信の声には、怒りというよりは、大切な我が子が重い病に罹ったと知らされた父親のような、悲しみと、そして何とかして助けたいという切実な想いが強く表れていた。


「ううむ…栗田。その報告書は、江戸の若い者たちが、血反吐を吐く思いで書き上げたものじゃろう。江戸での商いは、そう甘くはないと、あれほど申したはずじゃがな…」

 城代家老・酒井忠助は、その報告書に痛ましげに目を落としながら、重々しく呟いた。


 報告書によれば、江戸の「相馬屋」は、開店当初こそ物珍しさで僅かな客足があったものの、その後は鳴かず飛ばず。謙信が自信満々で送り込んだ相馬藩の特産品――例の「かぴばら組木パズル(難易度・鬼畜編)」や、「アルパカぬいぐるみ(目が血走っているバージョン)」、「目安方スペシャルブレンド・飲む点滴風健康飲料『KAIZENエナジーチャージ』(味は保証しない)」など――は、江戸の目利きたちからは、ことごとく「何だこれは?」「気味が悪い」「罰ゲームか?」と一笑に付されるか、見向きもされない有様。店の在庫は売れ残りの山で溢れ、毎日の売上は店員の日当を賄うのがやっとという、まさに開店休業状態が続いているというのだ。


 そして、その報告書の最後には、あの鬼の渋沢勘定奉行からの、血も凍るような追伸が、朱筆で書き加えられていた。

「――目安方筆頭・栗田。江戸『相馬屋』における、これ以上の赤字経営は、断じて許容できるものではない。よって、今月末までに、黒字化への具体的な道筋、及び、明確かつ達成可能な売上目標を示せぬ場合は、即刻、同店を閉鎖し、関係者全員を厳罰に処すものと心得るべし。これは、藩主・相馬昌胤様のご裁可を得た、最終通告である。肝に銘じよ。 渋沢監物 花押」


「ひいぃぃぃ!し、渋沢様の、最終通告…!も、もはやこれまでか…我が『相馬屋』ドリーム、江戸の露と消えるのか…!そ、そんなことになったら、拙者、江戸のお客様に、そして何よりも、天国のコンビニの神様に、申し訳が立ちませぬぞ!」


 謙信は、その最後通牒とも言うべき言葉に、さすがに顔面蒼白となり、その場にへたり込みそうになるのを、かろうじて踏みとどまった。


「栗田、落ち着け。まだ、月末までは時間がある。それに、お前には、あの江戸の店を立て直すための、何か秘策があるのではないのか?いつも、そうであろうが。土壇場になって、どこからともなく、奇想天外な、しかし何故か上手くいくようなアイデアを、それこそ泉のように湧き出させるのが、お前の得意技ではなかったか」


 酒井忠助は、いつになく厳しい表情ながらも、その言葉の奥には、ほんの少しだけ、謙信への期待を込めているようにも見えた。


「そ、そうでございます!酒井様!この栗田、こんなことでへこたれるような、ヤワなコンビニ店員(元だが)ではございませんぞ!ピンチはチャンス!逆境こそが、KAIZENの母!お客様の笑顔のためならば、たとえ火の中、水の中、江戸のど真ん中!必ずや、必ずや、この『相馬屋』を、江戸一番の、いや、日の本一の、愛と感動と利益に満ち溢れた、夢のアンテナショップへと、蘇らせてご覧にいれますとも!」

 謙信は、まるで不死鳥のように、いや、むしろゴキブリのような生命力で、瞬時に立ち直ると、再びその目に、いつもの、暑苦しいまでの闘志の炎をメラメラと燃え上がらせた。


「…おい、栗田。まさかとは思うが、貴様、また江戸へ行くなどと言い出すのではあるまいな…?藩校の改革はどうするのだ?寺子屋の視察も、まだ始まったばかりではないか。お前が江戸へ行っている間、一体誰が、その尻拭いをすると…」


 権左衛門が、恐る恐る、そして心底からの不安を込めて尋ねると、謙信は、ニカッと、これ以上ないほどの満面の笑顔で、力強く頷いた。


「もちろんでございます、権左衛門殿!この『相馬屋』の一大事に、店長であるこの拙者が行かずして、一体誰が行くというのでございますか!藩校と寺子屋の件は、酒井様と…そして、ここにおわす、我が右腕にして最高の相棒、岩田権左衛門殿に、しばしお任せいたします!大丈夫!拙者が、江戸の最新KAIZENノウハウを、お土産にたんまりと持ち帰ってまいります故!」


(…やはり、そうか…そうなるであろうとは思っておったが…!しかも、なぜ俺まで江戸へ…いや、待て、俺は留守番か?いや、しかし、こいつ一人で江戸へ行かせて、まともなことになるはずがない…!ああ、胃が…胃がまた、きりきりと…!)


 権左衛門は、謙信の言葉に、一瞬安堵しかけた自分を呪った。この男が、自分を置いて江戸へ行くなどという殊勝な考えを持つはずがないのだ。


 酒井忠助は、そんな二人のやり取りを、やれやれといった表情で見ていたが、やがて一つ咳払いをすると、こう言った。


「栗田。お主の江戸行き、殿も許可されるであろう。ただし、条件がある。岩田権左衛門を、お主の『お目付け役』として同行させる。よいな?江戸での、お主の奇行の数々、そして何よりも、藩の財政をさらに悪化させるような愚行は、断じて許さん。権左衛門には、その監督と、万が一の場合の『強制送還』の権限を与える。それを肝に銘じて、江戸での務めに励むがよい」


 その言葉は、謙信へのある程度の信頼と、しかしそれ以上の、権左衛門への絶大な(そして同情に満ちた)期待が込められているように聞こえた。


「ははっ!酒井様、ご配慮、痛み入ります!権左衛門殿という、百戦錬磨のKAIZENパートナーがいれば、まさに鬼に金棒、カピバラに組木パズルでございますな!必ずや、江戸の『相馬屋』を、日の本一のアンテナショップにしてみせますぞ!」

 謙信は、全く悪びれる様子もなく、むしろ嬉々としてそう答えた。


(…お目付け役…強制送還の権限…だと…?酒井様、それは、もはや、俺に死ねと仰せか…?この男の奇行を、江戸という魔境で、俺一人の力で止めろと…?無理だ…絶対に無理だ…!)


 権左衛門は、天を仰ぎ、遠い目をして、静かに、そして深く、その役目を終えようとしている自らの胃に、そして間もなく過酷な運命にさらされるであろう自らの精神に、黙祷を捧げたのであった。


 かくして、栗田謙信は、酒井忠助からの「くれぐれも、江戸で、これ以上、藩の名誉を汚すような、そして幕府から目をつけられるような、馬鹿げた騒動だけは起こしてくれるなよ。よいな、栗田。これは、厳命であるぞ」という、血の滲むような、そして切実な釘刺しを(半分くらい聞き流しながら)受け、そして、もはや生ける屍寸前の権左衛門を「さあ、権左衛門殿!我らがKAIZENドリームチームの、江戸出張でございますぞ!美味しい江戸の蕎麦でも食べに行きましょう!」と、無理やり引きずるようにして、再び、江戸の地を目指すことになった。謙信の心の中には、危機的状況にある「相馬屋」を何とかしなければという使命感と、そして、何よりも、江戸のお客様たちに、最高の笑顔とサービスを届けたいという、元コンビニバイトリーダーとしての、熱く、そして決して消えることのない情熱の炎が、メラメラと燃え盛っていたのである。権左衛門の心の中には、ただただ、深い絶望と、そして強烈な胃痛だけが渦巻いていた。



 数日後、栗田謙信と、そのお目付け役(という名の、ほぼ生贄に近い)岩田権左衛門は、江戸日本橋裏通りに、相変わらずひっそりと(というより、もはや寂寥感と場末感すら漂うほどに)佇む、「相馬屋」の前に立っていた。


 店の軒先には、開店当初に謙信が手作りした、しかし今や江戸の煤と埃と、そしておそらくは鳥のフンで汚れ、色褪せ、そして一部が破れかけている「真心込めて営業中!(ただしお客様はあまり来ないし、来ても何も買わずに帰ることが多い今日この頃)」と、いつの間にか権左衛門が追記したと思われる、自虐的な文言が書かれた幟のぼりが、力なく、そして物悲しげに垂れ下がっている。


 店の中を覗くと、客の姿は一人として見当たらず、店員の田中新兵衛が、帳場で、何やら難しい顔をしてうんうん唸りながら手紙(おそらくは、故郷の想い人、お春ちゃんへの、返事に窮した恋文)を書いており、結城小平太は、店の隅で、相変わらず真剣な、しかしどこか虚ろな表情で木刀の素振りを延々と繰り返し、そして江戸っ子町娘のお駒ちゃんは、小上がりで、行儀悪く大きなあくびをしながら、団扇うちわでハエを追い払っているという、まさに絵に描いたような、いや、絵に描くのも憚られるほどの、見事なまでの閑古鳥オーケストラが絶賛公演中の状態であった。


(こ、これは…想像を、私の貧困な想像力を、遥かに、遥かに超えて…深刻な、そして末期的な状況ですぞ…お客様がいないどころか、もはやスタッフのモチベーションと、店の空気そのものが、地の底の、さらにその底の、マントル層まで落ち込んでいるではないか…!)


 謙信は、店の前に仁王立ちになり、腕を組み、まるで難攻不落の、いや、もはや攻略不可能とさえ思える城でも目の前にしたかのような、厳しい、そして絶望的な表情で店内を睨みつけた。権左衛門は、その隣で、ただただ、深いため息を繰り返し、そして時折、懐から小さな薬の包みを取り出しては、それを水なしで、バリバリと噛み砕いている。


「た、ただいま戻りました!皆の者!店長の栗田謙信が、そしてその頼れるお目付け役、岩田権左衛門殿が、百万人力(当社比、ただし権左衛門殿の戦力は胃痛のためマイナス五十万)の援軍と共に、ただいま、この江戸の地に、颯爽と、そして感動的に帰還いたしましたぞ!」


 謙信が、わざと大きな、そして無理やりテンションを上げた、どこか空元気な、しかし芝居がかった声でそう叫びながら店に飛び込むと、新兵衛、小平太、そしてお駒ちゃんの三人は、一瞬、鳩が豆鉄砲を食らったか、あるいは、目の前に突然、カピバラがサンバを踊りながら現れたかのような、そんな呆然とした顔で謙信と権左衛門を見つめ、そして次の瞬間、まるで地獄で仏に会ったかのような、あるいは、長年待ち望んだ救世主がついに、本当に、心の底から待ち望んでいたかどうかはさておき、とにかく現れたかのような、喜びと、安堵と、そしてほんの少しの「また面倒なことになるのか…」という諦観の表情を浮かべた。


「く、組長!そ、そして権左衛門先輩!お、お帰りなさいませ!」(新兵衛、慌てて書きかけの恋文を隠しながら)


「栗田組長!権左衛門殿!ご無事で何よりでございます!押忍!…あの、店の売上は…その…押忍!」(小平太、素振りをピタリと止め、直角に頭を下げながら)


「あっ、目安方の旦那!それに権さんも!やっと、やっと帰ってきたのかい!もう、この店、今月中にも夜逃げするんじゃないかって、江戸の町で噂になってたんだよ!大家のお辰っつぁんだって、家賃の催促に来るたびに、権さんの悪口ばっかり…いや、何でもないよ!」(お駒ちゃん、悪びれる様子もなく、しかし目はしっかりと権左衛門の顔色を窺いながら)


 三者三様の、しかし偽らざる歓迎(と、ほんの少しの警戒)の言葉に、謙信は、思わず目頭が熱くなるのを感じた。権左衛門は、お駒ちゃんの最後の言葉に、眉間の皺を一層深くし、そして胃のあたりをさらに強く押さえた。


(そうだ…この、愛すべき、しかしどこか頼りない仲間たちがいる限り、相馬屋は、決して、決して終わらない!必ず、必ずや、この手で再建してみせるのだ!)


 しかし、感動の再会も束の間、店の、あまりにも悲惨な現状を改めて目の当たりにした謙信の顔からは、再び笑顔が消え、その表情は、まるで令和の時代に閉店間際のコンビニで、大量の廃棄弁当を前に絶望するバイトリーダーのそれのように、暗く、そして険しいものへと変わった。


 店の棚には、相変わらず、あの、どう見ても売れるとは思えない、いや、むしろ客が恐怖を感じて逃げ出しそうな「かぴばら組木パズル(しかも何故か、最近、夜中にカタカタと不気味な音を立てるという噂の、呪いのニューバージョンまで入荷している)」や、「アルパカぬいぐるみ(目がさらに血走り、もはや江戸の七不思議の一つとして数えられそうな、ホラーグッズの領域にまで進化)」、「目安方スペシャルブレンド・飲む点滴風健康飲料『KAIZENエナジーチャージ・ストロングゼロカロリー風味』(ただし賞味期限が、よく見ると数日前に静かに切れ、そして何やら得体の知れない浮遊物が漂っているものが多数)」といった、もはや兵器と呼んでも差し支えないような、危険な商品ばかりが、大量の埃をかぶり、そして江戸の湿気でしんなりとなりながら、実に虚しく、そして物悲しげに並べられている。


 壁には、謙信が江戸を離れる前に、意気揚々と書き残していった「今月の売上目標・驚天動地の、目指せ一万両!江戸の市場を喰らい尽くせ!(達成できなければ全員、断腸の思いでカピバラの刑!という、全く意味不明な、しかしスタッフにとっては恐怖でしかない但し書き付き、もちろん本人は大真面目な冗談のつもりだったが、スタッフは本気で怯えていた)」という、あまりにも無謀で、そして非現実的な目標額が書かれた貼り紙が、煤けて、そして一部が剥がれ落ち、見るも無残な姿で、寂しげに風に揺れている。そして、帳場には、赤字の金額ばかりが、まるで血文字のように、延々と、そして絶望的に書き連ねられた、見るもおぞましい帳簿の山、山、山。


「…これは…これは、ひどい…ひどすぎますぞ、皆の者…!一体、拙者が、そしてこの頼れる権左衛門殿が、江戸を離れていた、この数ヶ月間、何を、一体何をしていたのでございますか!これでは、まるで、やる気も、希望も、そしてお客様の姿も全くない、寂れ果てた幽霊屋敷、いや、もはや『かぴばらとアルパカの怨念が渦巻く、呪われた館』ではないですか!これでは、福の神様どころか、貧乏神様ですら、あまりの居心地の悪さに、三日と持たずに逃げ出してしまうというものですぞ!」

 謙信の、怒りとも、悲しみとも、そしてそれ以上の、深い、深い絶望ともつかぬ、魂からの叫びが、閑散とした、そして何やらカビ臭い店内に、実に虚しく、そして物悲しく響き渡った。


 新兵衛は、顔を真っ赤にして俯き、まるで切腹でも命じられたかのような悲壮な表情を浮かべ、小平太は、気まずそうに、そして申し訳なさそうに視線を逸らし、お駒ちゃんだけが、どこ吹く風といった顔で、「いやあ、旦那、そうは言うけどさ、このカピバラ、意外と夜中に見ると可愛いんだよ?目が慣れるとね」などと、全く空気を読まない、能天気なことを呟いている。


「も、申し訳ございません、組長…我々なりに、栗田組長から教わった『お客様第一主義』と『KAIZEN精神』を胸に、色々と、本当に色々と、努力は、努力だけはしてみたのですが…その…江戸のお客様の心というものは、あまりにも複雑怪奇で、そして奥深く、我々のような未熟者には、到底、到底太刀打ちできるものでは…」

 新兵衛が、か細い、そして今にも消え入りそうな声で弁解しようとするのを、謙信は、力なく、しかし優しく手で制した。


「いや、新兵衛君。そして、小平太君、お駒殿。謝る必要はございません。この、あまりにも悲惨な結果は、全て、この店の店長であるこの拙者の、圧倒的な指導力不足、そして何よりも、江戸のマーケットというものに対する、致命的なまでのリサーチ不足、そして楽観的すぎた見通しの甘さが招いた、当然の結果なのでございます。責任は、全て、この栗田謙信にございます」


 謙信は、そう言うと、深々と、そして心の底からの反省の念を込めて、三人の前で頭を下げた。そして、再び顔を上げた時には、その目には、いつもの、あの、どんな困難にも屈しない不屈の闘志と、そして底抜けに明るい、しかし今はどこか影のある、複雑な光が戻っていた。


「しかし!いつまでも下を向いて、過去の失敗を嘆いていても、売上は一文たりとも上がりませんぞ!幸い、まだ月末までは、ほんの僅かではございますが、時間が残されております!そして、何よりも、この、失敗から学ぶことにかけては天才的(と自称している)、最強にして最高の店長・栗田謙信が、そしてその暴走を止めるための最終兵器(と酒井様に任命された)、岩田権左衛門殿が、この江戸の地に戻ってきたからには、もう何も、何も心配はいりません!さあ、皆の者!今こそ、我らが、この、どん底まで落ち込んだアンテナショップ『相馬屋』の、真の、そして底知れぬ『KAIZEN力』を、この大江戸の、いや、日の本中の全ての人々に見せつけてやろうではございませんか!目標は、もちろん、この絶望的な赤字からの奇跡的な脱却!そして、江戸一番の、いや、日の本一の、愛と感動と、そしてちょっぴりの利益に満ち溢れた、夢のアンテナショップの座を、この手で、必ずや掴み取るのでございます!」


 謙信の、その、あまりにも暑苦しく、そして相変わらず、何の具体的な根拠もない、ただただ自信に満ち溢れた、しかし何故か、聞いている者の心の奥底を、ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ、熱くさせるような宣言に、新兵衛、小平太、そしてお駒ちゃんは、最初は、また始まったか、と呆気に取られていたが、やがて、その、まるで何かに取り憑かれたかのような、しかし同時に、一点の曇りもない、純粋な、そして強烈な熱気に巻き込まれるように、それぞれの目に、ほんの少しだけ、本当に、本当にほんの少しだけではあるが、諦めきれない希望の光が、再び灯り始めたのであった。


 権左衛門だけが、その隣で、さらに深くなった眉間の皺と、そしてもはや石のように固まってしまった胃を押さえながら、「…栗田…頼むから…もう、本当に、本当に、これ以上、俺の寿命を縮めるようなことだけは、してくれるなよ…」と、心の底から、そして血を吐くような思いで、そう呟いていたが、その声は、謙信の、あまりにも大きな、そして楽天的な声にかき消され、誰の耳にも届くことはなかったという。


 こうして、江戸日本橋の片隅で、閑古鳥すら寄り付かなくなり、もはや閉店秒読み、いや、閉店カウントダウン状態にあった、瀕死のアンテナショップ「相馬屋」の、起死回生を賭けた、涙と笑いと、そしておそらくは、これまでの比ではないほどの、さらなる珍騒動と、権左衛門の胃への最終攻撃に満ち溢れた、「店舗KAIZEN・超絶怒涛の、崖っぷちからの大逆転・テコ入れ大作戦」の、壮絶なる火蓋が、今まさに、切って落とされたのであった。その先には、一体どんな、輝かしい未来が、あるいは、さらなる絶望が待ち受けているのか、それは、まだ誰も、そしておそらくは栗田謙信自身すらも、全く知らない。しかし、栗田謙信という、常識外れの、そして底抜けに明るい男がいる限り、何かが起こる、そしてきっと、とんでもなく面白いことが起こるであろうことだけは、間違いなさそうであった。



 翌朝、まだ江戸の町が深い眠りから覚めやらぬ、薄暗い夜明け前から、栗田謙信による「相馬屋・店舗KAIZEN、愛と感動と、ちょっぴりのスパルタ指導による、奇跡のV字回復プロジェクト」が、まさに電光石火の勢いで開始された。まずは、店の「顔」であり、お客様が最初に目にする、最も重要なポイントである店構えから、徹底的なKAIZENのメスが入った。


「新兵衛君!小平太君!そしてお駒殿!この、薄汚れて、色褪せて、そして何よりも、お客様を心から歓迎しようという、おもてなしの気持ちが、それこそミジンコの涙ほども感じられない、まるで打ち捨てられた古寺の便所のごとき、この死んだ魚の目のような店構えは、一体全体、何事でございますか!これでは、福の神様どころか、貧乏神様ですら、あまりの不潔さとやる気のなさに、三歩手前で踵を返し、二度と寄り付きたくもなくなるというものではございませんか!まずは、この店の、最も大切な『第一印象』を、劇的に、そしてお客様が思わず感動の涙を流すほどに、美しく、そして魅力的にKAIZENするのでございますぞ!」


 栗田謙信は、そう高らかに叫ぶと、どこからともなく、山のような真新しい雑巾と、大きな桶に並々と汲まれた井戸水(そして何故か、ほんの少しだけ、米のとぎ汁と、そして微量のミカンの皮の絞り汁が混ざっているように見える、謙信特製の「江戸時代版・オレンジパワー配合・天然エコ洗浄液」)を持ち出し、自ら先頭に立って、店の柱や壁、そして床板の一枚一枚に至るまで、それこそ、前世で鍛え上げたコンビニの床磨きスキルを遺憾なく発揮し、まるで我が子を慈しむかのように、あるいは、長年連れ添った愛しい恋人の肌を撫でるかのように、丁寧に、そして愛情を込めて磨き始めた。新兵衛、小平太、お駒ちゃんの三人も、最初は、その謙信の、あまりの気迫と、そして何よりも、本当に心の底から楽しそうに、そして生き生きと掃除をする、常軌を逸した姿に、ただただ呆気に取られ、言葉もなく立ち尽くしていた。


 しかし、やがて、その、まるで何かの宗教的儀式でも見ているかのような、異様なまでの熱気に押され、そして何よりも、謙信の「さあ、皆の者!掃除とは、すなわち心の洗濯!お客様への愛の表現!KAIZENの第一歩なのでございますぞ!共に、この『相馬屋』を、江戸で一番美しい、そしてお客様が一番笑顔になれる場所にいたしましょうぞ!」という、暑苦しい、しかし何故か逆らえない、力強い言葉に促され、いつしか無我夢中で、店の隅から隅まで、それこそ天井の煤から床板の木目の一つ一つに至るまで、ピカピカに、ツルツルに磨き上げていたのであった。


 次に、謙信の鋭いKAIZENのメスは、店の生命線とも言える、商品の陳列に向けられた。


「小平太君!その、我が相馬藩が誇るべき伝統工芸品、相馬焼の美しい湯呑みを、まるで打ち捨てられた墓場の墓石のように、ただただ無造作に、そして何の工夫もなく、無表情に並べるのは、あまりにも、あまりにも『お客様への愛情』と『商品へのリスペクト』が、決定的に欠けておりますぞ!商品は、ただそこに無造作に置いておけば、勝手に売れるというものでは、決してございません!その商品が持つ、唯一無二の『物語』と、そしてお客様の心を鷲掴みにする『隠された魅力』を、最大限に、そして効果的に引き出し、お客様の、心の奥底に眠る『購買意欲』という名のスイッチを、優しく、しかし的確に、そして何よりも感動的に刺激するような、戦略的かつ芸術的な、そして何よりも『愛』に満ち溢れた『ディスプレイ』こそが、売上爆増の、そしてお客様満足度MAXの、唯一絶対の秘訣なのでございます!例えば、この、素朴ながらも力強い、味わい深い湯呑みであれば、その横に、実際にこの湯呑みで、それはそれは美味そうに、熱い緑茶をすすっている(ように見える)、あの、我が藩の誇るべきマスコットキャラクター(と謙信が勝手に決めた)、愛くるしいカピバラの人形(もちろん謙信手作り、素材は泥と藁)を、そっと、そしてさりげなく添え、そしてその横には、『かぴばらさんも毎日愛用!ほっと一息、心と体に染み渡る、癒やしの極上ティータイムを、大切なあなたにお届けします…(お値段は、驚きの据え置き価格!)』などという、心温まる、そして思わず財布の紐が緩んでしまうような、魅惑のキャッチコピーを書いたPOP(もちろん謙信手描き、しかも何故か筆文字が所々震えている)を、そっと立てれば、きっと、どんなに無愛想なお客様の心も、ふっと和み、そして思わず手に取って、レジへと直行してみたくなるはずではございませんか!」


「お駒殿!その、店の奥で、まるで打ち捨てられたガラクタの山のように、無残に積み上げられている、あの『カピバラ組木パズル(超絶難解・開発者ですらクリア不能バージョン)』の山は、あまりにも、あまりにもお客様に対して失礼千万、そして商品に対して無礼極まりないではございませんか!これでは、まるで『カピバラたちの集団墓地』、あるいは『組木パズルたちの最終処分場』!お客様に『挑戦したい!』『この謎を解き明かしたい!』という、燃えるような知的好奇心を抱かせるどころか、むしろ『近寄りたくない…』『見ているだけで頭痛がする…』という、恐怖心と絶望感を与えかねませんぞ!もっと、こう…子供たちが目をキラキラと輝かせ、そして大人たちも童心に返り、思わず駆け寄ってきて、夢中で挑戦したくなるような、そんな、夢と冒険心と、そしてちょっぴりの知恵と勇気に満ち溢れた、魅惑の『カピバラ・ミステリー・アドベンチャー・ワンダーランド』を、この店の、最も目立つ一角に、高らかに、そして堂々と創り上げるのでございます!例えば、パズルの難易度別に、初級・中級・上級・そして神々の領域(開発者も未踏)と、分かりやすく、そして挑戦意欲を掻き立てるように分類し、それぞれに『カピバラ勇者への道・第一の試練!目指せ、かぴマスターへの第一歩!』『知恵と勇気のカピバラ・クリスタル・ラビリンス!君は、この迷宮から脱出できるか!?』『神々の挑戦・最終形態かぴばら・ゴッド・オブ・パズル!クリアできれば、君もまた神になる!』などという、どこかの中二病患者が喜びそうな、しかし何故か、心の奥底の冒険心をくすぐるような、挑戦意欲を無限に掻き立てる、熱いネーミングを施し、そして、見事、各級をクリアできたお客様には、ささやかながらも、しかし心からの敬意と賞賛を込めた、目安方筆頭・栗田謙信直筆サイン入り(しかも金文字!)『カピバラマスター認定証(初級・中級・上級・そして神の称号!)』を、盛大なファンファーレと共に進呈するというのは、いかがでございましょうか!きっと、江戸中のパズル好きが、我も我もと押し寄せ、店の前には長蛇の列、売上は爆上がり、そして我が相馬藩の名は、日の本中に轟き渡ること、間違いなしでございますぞ!」


 栗田謙信の、その、あまりにも独特で、そして常人には到底、いや、未来人にもおそらく理解不能であろう、奇想天外の「KAIZEN指導」は、商品の陳列方法やPOPの書き方から、店内の照明の明るさ、BGM(という名の、謙信が、どこかで聞いたような、しかし確実に音程が外れていて、そして何故か歌詞が全て「お客様は神様です」に置き換わっている、謎の鼻歌)の選曲、そしてスタッフ一人ひとりの身だしなみや言葉遣い、果ては笑顔の角度や、お辞儀の深さに至るまで、ありとあらゆる、それこそ重箱の隅の、さらにその奥の、誰も気づかないような細部にまで、執拗に、そして熱狂的に及んだ。それは、もはや指導や研修というよりは、一種の宗教的儀式、あるいは、何かの特殊な訓練とでも言うべき、壮絶なものであった。


 そして、その日の午後、最も多くの時間と、そして謙信の情熱が注ぎ込まれたのが、「お客様の、心の琴線に、優しく、そして深く響き渡る、愛と感動のおもてなし接客ロールプレイング特別研修・地獄の特訓編」であった。


「さあ、新兵衛君!まずは、あなたはお客様役です!何かお困りのご様子で、不安げに、そして心細げに店内をキョロキョロと見回している、初めてご来店された、シャイで、そして人見知りなお客様です!そして、小平太君!あなたは、その、心に深い傷を負った(かもしれない)お客様に、最高の、そして太陽のような笑顔と、心からの、そしてマリアナ海溝よりも深い思いやりをもって、優しく、そして的確に、お声がけをする、プロフェッショナルな店員役!さあ、どうぞ!アクション!」


 結城小平太は、いつものように真剣な、しかしその真剣さが、逆に相手にものすごいプレッシャーを与える、どこかぎこちない、そして殺気すら感じさせる表情で、田中新兵衛(お客様役、既にこの時点で半泣き状態)に、ゆっくりと、そして無言で近づき、

「…お客様。…何か…お困りかな…?(低い声で、まるで夜道で出会った辻斬りが、獲物を見定めているかのような、鋭い眼光)」


「ひっ!い、いえ、べ、別に…何も…何も困っておりませんです、はい…(完全に怯えきって、後ずさりしながら)」


「…そうか。…ならば、この…相馬藩に古来より伝わる、秘伝中の秘伝…『必殺・カピバラ真剣白刃取り』(と、何故か懐から、いつの間にかカピバラの組木パズルを取り出し、それをあたかも真剣のように構える小平太)…いや、間違えた、この、心身を鍛え、精神を統一するための『カピバラ組木パズル・武士道精神修養編』でも…ご覧になるか…?(完全に目が据わっており、そして何故か口元が微妙に痙攣している)」


「も、も、申し訳ございません!ただの冷やかしでございました!どうか、どうかお許しください!もう二度と参りませぬ故!」(本気で泣きながら、店の外へと逃げ出そうとする新兵衛)


「ストーップ!ストーップ!ストーップ!小平太君!それはいけません!それはいけませんぞ!お客様は神様です!神様に、いきなり真剣勝負を挑んでどうするのですか!それも、カピバラで!もっと、こう…春の陽だまりのように優しく、流れる小川のせせらぎのように柔らかく、そして全てを包み込むような、慈母のごとき、あるいはマザーテレサのごとき、無限の愛をもって、お客様に接しなければ…!」

 栗田謙信は、本気で頭を抱え、そして天を仰ぎ、深い、深いため息をついた。


 次はお駒ちゃん。

「はいはーい!そこのお兄さん!いらっしゃい!今日は良い天気だねえ!何か面白いものでもお探しだい?おっと、そんなに難しい顔しちゃってさ、何か悩み事でもあるのかい?よーし、江戸一番のお節介焼き、このお駒ちゃんが、あんたの悩み、綺麗さっぱり、ちょちょいのちょいと解決してやるよ!ついでに、この『相馬屋』自慢の、とびっきり美味い地酒でも一杯どうだい?ま、代金はもちろん、あんた持ちだけどね!がはは!」


「…お駒殿…その…あまりにも馴れ馴れしすぎるというか、お客様との『ソーシャルディスタンス(社会的距離)』が、物理的にも精神的にも近すぎるのではございませんか…それに、いつの間にか、商品の話から、お客様の人生相談、そして最終的には飲みのお誘いにまで、華麗にすり替わっておりませんか…?それは、もはや接客ではなく、ただのナンパでは…」


 栗田謙信の、愛と涙と、そして時折、腹筋が崩壊するほどの爆笑の渦に包まれる「KAIZEN接客ロールプレイング研修・地獄の千本ノック編」は、それこそ日が暮れるまで、いや、日が暮れて、江戸の町に一番星が瞬き始めてもなお、執拗に、そして熱狂的に、そして何よりも延々と続けられた。


 田中新兵衛は、何度も何度も、様々な設定のお客様役をやらされるうちに、本当に何か困っている人のような、あるいは、人生に絶望しきった人のような、そんな悲壮感漂う、そして何故か妙にリアルな演技が、すっかり板につき、目安方の芝居小屋の役者としてもスカウトされそうな勢いであった。


 結城小平太は、栗田謙信の、あまりにも熱血すぎる指導と、そしてお駒ちゃんの、容赦ない、そして的確すぎるツッコミのせいで、完全に自信とプライドを粉々に打ち砕かれ、店の隅で、まるで捨てられた子犬のように体育座りをして、「…拙者には…やはり、剣の道しかないのかもしれませぬ…この先、日の本がどうなろうとも、拙者はただ、ひたすらに剣の道を…」と、本気で落ち込み始める。


 そしてお駒ちゃんは、いつの間にか栗田謙信の、あまりにも長すぎる指導を完全に無視し、完全に自分のペースで、江戸っ子ならではの「人情ふれあい・下町おもてなし接客術(ただし、時々、お客様の懐の物を、ちゃっかりと、しかし見事な手際でいただくこともあるという、危険な噂もちらほら)」を、もはや再起不能寸前の新兵衛と小平太に、楽しそうに、そして生き生きと伝授し始めていた。


 その夜、新兵衛、小平太、お駒ちゃんの三人は、身も心も、それこそ雑巾のように絞り尽くされ、疲れ果て、しかしどこか、ほんの少しだけではあるが、清々しいような、そして何か、本当に何か、とても大切なものを、ようやく掴みかけたような、そんな不思議な、そして忘れられない感覚に包まれながら、江戸の安宿の、固い布団の上で、まるで気絶するかのように、泥のように深い眠りについたという。そして、その夢の中では、何故か、無数の、それも様々な職業や身分の、しかし一様に満面の笑顔を浮かべたカピバラたちが、江戸の町を練り歩き、そしてサンバや阿波踊りを、それはそれは楽しそうに、そして熱狂的に踊り狂っていたとか、いなかったとか…。

 


 店舗の「ハード面(すなわち、店構えや商品の陳列、清潔さといった物理的な要素)」と、「ソフト面(すなわち、スタッフの接客態度や、おもてなしの心といった精神的な要素)」の、怒涛のKAIZENと並行して、栗田謙信が、何よりも、そして誰よりも重要視したのは、江戸の市場、すなわち、そこに生きる「お客様の、心の奥底に秘められた、真のニーズ」を、徹底的に、そして情熱的に調査し、そして共感をもって把握することであった。


「皆の者!よろしいか!我々が、この江戸の、厳しい競争社会の中で、お客様に選ばれ、そして愛され続けるために売るべきは、決して、ただの『物』ではございません!お客様が、心の底から『これが欲しかったんだ!』『これがあれば、私の人生は、もっと豊かに、もっとハッピーになるに違いない!』と、そう感じていただけるような、唯一無二の『価値』と、そして何よりも『感動』を、我々は提供しなければならないのでございます!そのためには、まず、この、日の本最大の消費都市、大江戸の町が、そしてそこに生き、働き、そして日々の暮らしを営む全ての人々が、今、現在、何を求め、何に悩み、何に困り、そして何に心をときめかせ、夢を見ているのかを、正確に、そして深く、そして何よりも『愛』をもって理解する必要があるのです!さあ、参りましょう!この江戸の市場という名の、無限の可能性と、そしてKAIZENのヒントに満ち溢れた、宝の山へと、いざ、出陣でございますぞ!」


 栗田謙信は、いつになく真剣な、そしてその瞳の奥には、まるで優秀なマーケティングコンサルタントのような、鋭い知性の光を宿らせながら(あくまで本人の自己評価だが)、田中新兵衛、結城小平太、そして江戸の地理と庶民の暮らしには誰よりも詳しいお駒ちゃんを、まるで精鋭の探検隊の隊長のように引き連れ、意気揚々と、そして足取りも軽やかに、江戸の町へと繰り出した。


 彼らがまず向かったのは、江戸の台所、日本橋の魚河岸。早朝から、威勢の良い掛け声と、新鮮な魚介の匂い、そして人々の熱気が渦巻く、まさに江戸のエネルギーが凝縮されたような場所である。


次に、神田多町の青物市場。そこには、瑞々しい野菜や果物が山と積まれ、江戸の庶民の食卓を支える、豊かな恵みが溢れていた。


 そして、江戸随一の観光名所、浅草観音の仲見世通り。ここでは、様々な土産物屋や食べ物屋が軒を連ね、全国各地からの参拝客や、物見遊山の江戸っ子たちで、ごった返している。さらに、両国の広小路に軒を連ねる、様々な見世物小屋や、大道芸人、そして怪しげな薬や食べ物を売る屋台の数々。


 彼らは、文字通り、江戸のありとあらゆる場所に足を運び、そこに集う人々の、何気ない会話や、表情、そして行動に、鋭く、そして注意深く耳を澄ませ、売られている品物を一つ一つ手に取り、その品質や価格、そして人気の秘密を探り、そして時には、決して怪しまれたり、警戒されたりしない程度に、しかし巧みに、店の主人や、買い物客に、さりげなく話しかけては、貴重な生きた情報を、まるでスポンジが水を吸い込むように、次から次へと収集していった。


(なるほど…江戸の庶民は、やはり、いつの時代も『安くて、美味くて、そしてボリューム満点なもの』には、抗いがたいほど目がないようですな…そして、そこにほんの少しの『贅沢感』や『江戸でしか味わえない特別感』、そして『SNS映えするような見た目のインパクト(もちろんこの時代にSNSなど存在しないが、謙信の脳内では既に鮮明なイメージとして存在している)』といった付加価値が加われば、もう鬼に金棒、カピバラにジェットエンジンですぞ…ふむふむ、この、威勢の良い屋台で売られている『江戸前握り寿司』というのは、まさに『ファストフード』と『エンターテイメント』、そして『職人技という名のライブパフォーマンス』を、見事に融合させた、画期的な、そして極めて洗練されたビジネスモデルですぞ…我が相馬藩の、あの新鮮で、そしてまだ江戸ではあまり知られていない、隠れた海の幸を使えば、あるいは、これを超えるような、新しい江戸名物を生み出せるのでは…?例えば、『相馬直送!踊る海鮮・びっくり手こね寿司・KAIZENスペシャル!』とか…)


(ほう…この、色鮮やかな『浮世絵』というのは、実に素晴らしい『情報伝達メディア』であり、かつ、庶民が手軽に楽しめる『大衆芸術作品』でもありますな…その時々の流行や、人々の関心事が、生き生きと、そしてユーモラスに描かれている…これは、まさに江戸時代の『週刊誌』であり、『インスタグラム』ではございませんか!我が相馬中村藩の、美しい自然の風景や、あるいは、この栗田謙信をはじめとする、目安方の面々の、涙と笑いのKAIZEN奮闘記(もちろん拙者が、より格好良く、そしてドラマチックに描かれるように、絵師には厳しく指示を出すが)を、こんな風に、面白おかしく、そして感動的に描いて、江戸の土産物として、あるいは藩のPR広報誌として、大々的に売り出せば、きっと、江戸中の話題をかっさらい、大ヒット、いや、メガヒット、ギガヒット間違いなしのでは…?タイトルは、そうだな…『週刊・KAIZEN侍!~目安方、江戸を斬る!(もちろん悪い意味ではなく、新しい風を吹き込むという意味で!)』あたりが、キャッチーでよろしいかな…)


(おやおや…あそこの、ひときわ大きな人だかりができている店先には、何やら長蛇の、それこそ大蛇のごとき列が…一体何を売っているのでございましょうか…?あの、甘く、そして香ばしい香りは…?なになに…『今江戸で一番と、もっぱらの噂!一度食べたら忘れられない、究極のふわっふわ、とろっとろ、魅惑のカステラ風あんこ入り饅頭・その名も“江戸っ子メロメロ夢心地スイーツ”』とな!?こ、これは…この行列の長さ、そしてお客様たちの、あの恍惚とした表情…間違いありませんぞ!これは、まさに『キラーコンテンツ』!絶対に、絶対にリサーチしないわけにはまいりませんぞ!権左衛門殿!今すぐ、あの行列の最後尾に並び、最低でも一人三個は購入し、その味、食感、香り、そして何よりも『お客様が何故そこまで熱狂するのか』という、その秘密を、徹底的に分析、レポートしてくだされ!もちろん、経費は、後で渋沢様に…いや、何とかいたします故!)


 栗田謙信は、その、生まれ持ったものなのか、あるいは令和のコンビニバイトで後天的に鍛え上げられたものなのか、常人離れした旺盛すぎる好奇心と、そして元コンビニ優秀店員として培われた、鋭い観察眼と分析力で、江戸の巨大な市場という名の、宝の山に隠された「売れるための法則」と「お客様の心の琴線に触れる秘訣」を、まるで熟練の探偵か、あるいは何か新しいオモチャを見つけた子供のように、次から次へと発見し、そしてそれを、懐から取り出した、いつもの手帳(という名の、もはや何が書いてあるのか本人にも判読不能な、ただの汚れた反故紙の束)に、例の、天才か狂気か紙一重のポンチ絵と、そして殴り書きのような、しかし何故か力強い文字で、びっしりと、そして熱狂的に記録していく。


 田中新兵衛は、そんな謙信の、常軌を逸した、しかし何故か目が離せない、そして時々、本当に時々ではあるが、的を射たことを言う(ように思える)姿を、尊敬と、そしてほんの少しの呆れと、そして大部分の困惑をもって見守りながらも、この、生まれ故郷の相馬とは比較にならないほど、巨大で、雑多で、そして底知れないエネルギーに満ち溢れた、江戸の町の、その圧倒的な物量と、人々の剥き出しの欲望と、そしてその奥に潜む人情の機微に、改めて目を見張り、そして心を揺さぶられていた。そして、この、刺激的で、しかしどこか恐ろしい江戸の賑わいを、いつかきっと、故郷で待つお春ちゃんにも、見せてあげたい、そして共にこの感動を分かち合いたいと、そっと、そして熱く心に誓うのだった。


 結城小平太は、最初こそ「このような、騒々しく、そして武士の品位を汚すかのような、品のない場所に、我が身を置くのは、いかがなものか…」と、眉をひそめ、腕を組み、周囲を警戒するように睨みつけていたが、やがて、道端で売られていた、見事なまでに精緻な細工が施された美しい刀の鍔つばや、あるいは、辻で、それこそ神業のごとき技を次々と繰り出し、観衆から万雷の拍手と喝采を浴びていた、年老いた、しかしその目は少しも曇っていない曲芸師の、息を呑むような名人芸などに目を奪われ、剣術という、自分がこれまで唯一絶対と信じてきた「道」以外にも、人の心を打ち、そして深く感動させる、様々な「道」が、この世には存在するということを、ぼんやりとではあるが、しかし確実に感じ始めていた。それは、彼にとって、小さな、しかし重要な、心の変化の始まりであったのかもしれない。


 そして、お駒ちゃんは、まさに水を得た魚のように、あるいは、江戸の町という広大な海を、自由自在に泳ぎ回る、小粋で、そして抜け目のない小魚のように、生き生きと、そして楽しそうに飛び回り、彼女が長年培ってきた、江戸の裏も表も知り尽くした情報網と、そして誰とでも瞬時に打ち解けてしまう、天性のコミュニケーション能力を最大限に駆使して、栗田謙信ですら気づかないような、江戸の庶民の、より深く、そしてより生々しい「本音」や「隠されたニーズ」、そして「言いたくても言えない不満や欲望」を、まるで宝探しでもするかのように、次から次へと掘り起こしては、得意満面の顔で、謙信に報告していた。


「ねえねえ、目安方の旦那!さっきさ、向こうの髪結い床で、面白い噂を小耳に挟んだんだけどね、最近、江戸の、ちょっと粋な旦那衆や、あるいは夜のお勤めのお姉さんたちの間で、陸奥の国の方の、何やら肌がツルツルすべすべになって、しかも、むちゃくちゃ良い香りがするっていう、ちょいと珍しい薬草が、内緒で流行り始めてるらしいんだよ!なんでも、それを煎じて飲んだり、お風呂に入れたりすると、次の日には、お肌が見違えるように綺麗になって、しかも体中から、それはそれは良い匂いが漂ってくるって話さ!うちの相馬藩でも、そんな、とっておきの薬草とか、あるいはそれを使った何か、あったりしないのかねえ?もしあれば、それを江戸の、そういう事情に詳しいお姉さんたちに、こっそり、そしてちょっぴりお高く売れば、あっという間に大儲け、なんてことも、あるかもしれないよ?へっへっへ」


「素晴らしい!素晴らしいじゃあございませんか、お駒殿!それこそが、まさに、お客様の、まだ言葉にならない潜在的なニーズを掘り起こし、そしてそれを具体的な商品やサービスへと結びつける、『お客様起点の、戦略的ブルーオーシャン・マーケティング』でございますぞ!早速、国元の、我が藩が誇る薬草園の風外和尚様と、そして美と健康の追求にかけては右に出る者はいない(と勝手に思っている)、饗庭与一料理頭に、緊急連絡を取り、共同で『江戸っ子ビューティーアップ&アンチエイジング・スペシャル薬膳ハーブティー・夢心地ブレンド(仮称、もちろんパッケージはカピバラデザイン!)』の開発を、最優先事項として依頼しましょう!これは…これは、売れますぞ!間違いなく、売れます!そして、その暁には、お駒殿には、特別ボーナスとして、現物支給で、そのハーブティー一年分を…いや、やはりここは現金で、奮発して十両…いや、やはり一両くらいで…ごにょごにょ…」


 こうして、栗田謙信と、その愉快な(そして常に胃痛に悩まされる)「相馬屋」の仲間たちは、江戸の巨大な市場という名の、どこまでも広く、そしてどこまでも奥深い、しかし同時に、危険な罠と誘惑にも満ち溢れた、魅惑の海を、時には迷い、時には嵐に翻弄され、時には座礁しかけ、そして時には、仲間割れの危機に瀕しながらも、しかし確実に、何か新しい、そしてとてつもなく大きな「宝の島」へと続く、かすかな、しかし確かな「地図」を、その手に掴みかけていたのであった。その地図が、果たして「相馬屋」を、そして遠く離れた相馬中村藩を、本当に、夢にまで見た黄金郷へと導いてくれるのか、それとも、ただの、何の価値もない紙くずと化してしまうのか、それは、まだ誰にも、そしておそらくは、栗田謙信自身にも、全く分かっていない。しかし、彼らの、そして彼女たちの目には、確かに、未来への、そしてまだ見ぬ「お客様の最高の笑顔」への、熱く、そして決して揺らぐことのない、力強い希望の光が、燦然と、そして美しく灯っていたのであった。



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