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拙者、お客様は神様だと申したはず! ~令和のバイトリーダー、うっかり江戸で天下泰平(主に接客面で)を目指す~  作者: ストパー野郎
第一部 ~バイトリーダー、城下を騒がす! おもてなし改革と七転八倒の毎日~
18/30

幕間7:『白河より来たる、改革の風を求めて ~エリート藩士、隣藩の奇妙な噂に賭ける~』

 


 白河の閉塞感


 陸奥国白河藩藩士、立花左近の眉間には、近頃、深い縦皺が刻まれることが多くなっていた。齢二十代半ばにして、その知性と冷静沈着な仕事ぶりから藩内でも一目置かれる存在である左近だったが、彼の心は晴れぬ霧に覆われたかのように重かった。


 白河藩は、奥州の要衝に位置し、表向きこそ藩政は安定し、武家の伝統と格式を重んじる落ち着いた藩風を誇っている。しかし、その水面下では、長年変わらぬ旧弊が澱のように堆積し、新たな変化を拒む空気が、まるで分厚い石壁のように藩全体を覆っていたのだ。


 筆頭家老・阿部修理亮(あべしゅりのすけ) を頂点とする保守派の重臣たちは、まさにその石壁の番人であった。彼らは、先代、先々代からの慣習を絶対のものとし、いかなる新しい提案にも「前例がない」「伝統を軽んじる愚行」「藩の秩序を乱す」と、にべもなく反対の声を上げた。その声は、若手藩士たちの、たとえそれが藩の未来を真剣に憂うが故の発露であったとしても、些細な改革への熱意すらも、容赦なく、そして効果的に圧し潰してしまうのであった。


 左近自身も、その厚い壁に何度も跳ね返されてきた一人だった。例えば、城下の薬草園。かつては良質な薬草を栽培し、安価で領民に提供することで、藩の医療と民の健康を陰ながら支えてきたその場所も、ここ数十年は管理が行き届かず、見る影もなく荒れ果てていた。


 左近は、薬草の知識を持つ数少ない藩士の一人として、この薬草園を再整備し、薬効の高い新たな薬草の栽培や、薬草を使った民間療法の研究、さらには領民が薬草に親しむための小さな催しなどを企画し、藩主に進言したことがあった。それは、ささやかな、しかし藩の医療と民の健康増進に繋がる、意義ある提案のはずだった。


 しかし、阿部筆頭家老は「左近殿、薬草園ごとき、些末なこと。それよりも、武士の本分たる武芸の奨励や、城郭の維持管理こそが肝要であろう。そのような百姓町人の真似事のようなことに、貴重な藩の予算と人手を割くなど、言語道断である」と、冷ややかに、そして有無を言わさぬ口調で一蹴した。他の家老たちも、阿部の威光を恐れてか、あるいは真にそう思っているのか、誰一人として左近に賛同する者はいなかった。


(このままでは、白河藩は、まるで澱んだ沼の水のように、ゆっくりと、しかし確実に腐っていくのではないか…? 何か、何かこの淀みきった空気を打ち破り、新しい風を吹き込む手立てはないものか…)


 左近は、自室に戻り、窓から見える白河の静かで、しかしどこか活気のない城下の町並みを眺めながら、胸の内に抱えた焦燥感と、どうにもならぬ無力感に、夜ごと深いため息をつくのであった。その手には、いつしか藩の将来を憂うあまり、無意識に握りしめられた拳が、白く、そして固く震えていた。


 相馬の奇妙な噂


 そんな鬱屈とした日々を送っていた左近の耳に、ある日、隣藩である相馬中村藩に関する、奇妙な、そしてにわかには信じがたい噂が、まるで春先の柔らかな風のように、そっと吹き込んできた。それは、江戸や奥州街道を往来する商人や旅人たちが、白河の宿場町や茶屋で、半ば呆れ、半ば感心したように、そしてどこか楽しげに語る噂話であった。


「おい、聞いたか?お隣の相馬藩だがよ、最近、何やらとんでもねえことになってるらしいぜ。目安方めやすがたとかいう、聞いたこともねえ新しい役職ができて、そこの筆頭様が、まあ、何とも型破りな、お侍様らしからぬお人でな。元はただの足軽だったって話だが、今の藩主様に見出されて、あれよあれよという間に、藩の改革を一手に任されてるって寸法よ」


「ああ、聞いた聞いた!その目安方の筆頭様、栗田謙信とか言ったか?何でも『お客様は神様です!』とかいう、およそ武士の口から出るはずもねえ奇妙な口癖で、城門の脇に『目安箱』なるものを置き、百姓町人の下らねえ訴えや願い事を、一つ一つ丁寧に聞いて回っちゃ、それを本当に藩政に活かしてるって話じゃねえか!馬鹿げてるが、何だか面白いよな!」


「それだけじゃねえぜ!この間なんざ、藩士たちを全員集めて、『大運動会』とかいう、聞いたこともねえ大騒ぎを催したそうだ!侍たちが、紅白に分かれて、玉を投げ合ったり、縄を引き合ったり、しまいには泥んこになって走り回ったとか!最初は皆『武士の沽券に関わる!』『ふざけるのも大概にしろ!』と大反対だったらしいが、終わってみれば、藩士たちの顔つきがまるで変わり、藩の空気が一気に明るくなったって噂だぜ!」


「それだけじゃねえ、江戸の日本橋の、それも裏通りに『相馬屋』とかいう、これまた奇妙きてれつな店を出してな。店主自らが、毎日店の前で、派手な格好で歌ったり踊ったり、大声で客引きをしてるって話だ。売ってるもんも、何だかカピバラとかいう、聞いたこともねえ珍獣の木彫りだの、相馬焼の変な絵付けの皿だの、まあ、ろくなもんじゃねえらしいが、何故か江戸の物好きな連中の間じゃ、ちいとばかし話題になってるらしいぜ。全く、相馬の殿様も、酔狂なことをお許しになるもんだわい」


 左近は、最初こそ、それらの噂を「またぞろ、どこぞのうつけ者の戯言であろう。田舎小藩の、取るに足らぬ、そして誇張された噂話に過ぎん」と、一笑に付し、まともに取り合おうともしなかった。目安方?大運動会?お客様は神様?江戸の店で珍獣の木彫り?あまりにも荒唐無稽で、武士の、そして藩政の常道からかけ離れすぎている。


 しかし、その噂は、日を追うごとに、様々な人々の口から、より具体的で、そして奇妙なほどに生き生きとした形で、左近の耳に届き続けた。ある旅の僧は、「相馬では、先日、疫病が流行りかけたが、その目安方の栗田殿が、何やら異国の知恵を用いたとかで、あっという間に終息させてしまった。領民たちは、彼を守り神のように崇めておったわ」と語り、またある行商人は、「相馬の城下では、最近、貧しい者でも腹一杯食えるようにと、藩の厨房で出す昼餉が、滅法美味くなり、しかも量も増えたとか。おかげで、藩士たちの顔色も良くなり、町にも活気が戻ってきたそうだ」と、目を丸くして話してくれた。


(相馬中村藩…確か、石高も我が白河よりはるかに小さく、これといった目ぼしい産業もない、常に財政難に喘いでいるはずの貧乏小藩。そこで、本当に、そのような…常識では到底考えられぬ改革が、次から次へと行われ、そして実際に成果を上げ、領民たちの支持を得ているというのか…?にわかには信じがたい…しかし、もし、万が一、それが真実だとしたら…?)


 左近の心の中に、これまで感じたことのない、強い好奇心と、そしてほんの僅かな、しかし無視できないほどの期待が、まるで小さな種のように蒔かれた瞬間であった。


 特に彼の心を捉えたのは、「目安方」という、身分に関わらず領民の声に耳を傾け、それを藩政に活かすという、その革新的な仕組みと、その中心にいるという栗田謙信という、元足軽でありながら藩主の信頼を得て改革を断行しているという、型破りな人物の存在であった。



 決意と進言


 そんな折、白河藩領内で、長年の懸案であった、ある村と隣村との間の水利権を巡る深刻な紛争が再燃し、両村の代表が、連日のように城に押しかけ、互いの正当性を主張し、家老たちを悩ませるという事件が起こった。


 左近も、その調停役の一人として駆り出されたが、双方の言い分は平行線を辿るばかりで、解決の糸口は全く見えず、藩の権威も揺らぎかねない状況であった。


 保守派の家老たちは、相変わらず「力で押さえつけるしかない」「厳罰に処して見せしめにすべし」といった強硬論を唱えるばかりで、領民の心に寄り添おうという姿勢は微塵も見られない。


(これだ…これこそが、今の白河藩の、深刻な病巣なのだ。上は下を見下し、下は上を信頼せず、互いに心が通い合わぬ。これでは、いかなる問題も解決するはずがない…相馬の栗田殿ならば、この難局を、一体どのように…いや、あるいは、もっと根本的な解決策を、あの常識外れの発想で示してくれるやもしれん…)


 左近は、その夜、灯りの下で、これまでに聞き及んだ相馬藩の様々な噂を、一つ一つ丹念に反芻した。目安箱。大運動会。江戸の「相馬屋」。そして、疫病対策。そのどれもが、白河の常識では考えられない、まさに破天荒なものばかりだ。しかし、その根底には、常に「領民のため」「藩の活性化のため」という、揺るぎない目的と、そして何よりも、栗田謙信という男の、底知れぬ情熱と行動力があるように思えた。


(この目で確かめるしかない…あの相馬藩で、今、本当に何が起こっているのか。そして、栗田謙信とは、一体いかなる人物なのか…もし、万が一、そこに我が白河藩の、この息詰まるような閉塞感を打ち破るための、ほんの僅かなヒントでも隠されているというのなら…)


 意を決した左近は、数日後、藩主・松平忠昭公に単独での謁見を願い出た。その顔には、これまでにないほどの真剣さと、そしてどこか吹っ切れたような、覚悟の色が浮かんでいた。


「殿、恐れながら、重ねて申し上げます。昨今、隣国・相馬中村藩にて、目安方筆頭・栗田謙信なる者の主導による、型破りながらも注目すべき藩政改革が進められ、領民の支持を得て、藩内に新たな活力が生まれているとの噂、殿もご承知かと存じます。つきましては、誠に僭越ながら、この立花左近に、相馬中村藩への『研修派遣』を、今一度、お許しいただきたく、伏してお願い申し上げます。彼の地で、その改革の実際を、この目で、この肌で感じ、もし真に我が白河藩に取り入れるべきものがあるのであれば、それを持ち帰り、我が藩の、そして何よりも領民たちの未来のために、役立てたいと、そう強く願っておりまする!」

 左近は、畳に両手をつき、深々と、そしてこれまでにないほど力強く、頭を下げた。その声には、揺るぎない決意が込められていた。


 藩主の決断、そして旅立ちへ


 忠昭公は、左近の、その熱意のこもった言葉と、その瞳に宿る強い光を、じっと見つめていた。そして、しばらくの沈黙の後、鷹揚に、しかしその声には確かな威厳を込めて言った。


「左近、お主のその熱意、そして藩を思う心、しかと受け止めた。確かに、相馬の栗田とやらの噂は、にわかには信じがたいものも多い。しかし、それだけに、お主のような確かな目を持つ者に、その真偽を確かめさせる価値はあるやもしれんな。それに、わしも、あの相馬の若造が、一体どんな手品を使って、あの貧乏藩を立て直そうとしておるのか、正直なところ、少しばかり興味がなくもない」


 忠昭公は、新しいもの好きの気質に加え、この真面目で有能な若き家臣、立花左近の持つ潜在的な能力と、その改革への熱意を、高く評価していたのかもしれない。


「よし、許す。左近、お主に、相馬中村藩への研修を命じる。かの地で、多くを学び、そしてその知見を、必ずや我が白河の未来に活かすのだ。ただし、忘れるでないぞ。お主は白河藩の武士であるという誇りを。そして、決して相馬の奇抜なやり方に、いたずらに浮かれることなく、冷静に、そして批判的な目をもって、その本質を見極めてくるのだ。良いな」

「ははーっ!ありがたき幸せに存じます!必ずや、殿のご期待に応えてご覧にいれます!」左近の顔に、ぱっと明るい光が差した。


 この決定に対し、もちろん、筆頭家老・阿部修理亮をはじめとする保守派の家老たちからは、「殿!ご再考を!たかが相馬ごときに、何を学ぶことがあると仰せられるのですか!あれは、うつけ者の戯言に過ぎませぬ!」「左近殿も、そのような怪しげな噂に惑わされ、正気を失われたか!白河藩の誇りを汚すような行為、断じて許すわけにはまいりませぬぞ!」といった、怒号に近い反対の声が、評定の間に嵐のように吹き荒れた。


 しかし、忠昭公は、鷹揚に手を振り、それを制した。

「まあ、そういきり立つな、阿部。他藩の事情を知るもまた一興。それに、左近は我が白河藩きっての才覚の持ち主じゃ。彼が相馬から何を持ち帰るか、それを見極めるのも、また為政者の務めであろう。案ずるな、左近には、くれぐれも慎重に、そして白河藩の武士としての誇りを忘れぬよう、固く申し付けておくゆえ。それに…もし、本当に相馬が、何か我らの知らぬ秘策で栄え始めているというのなら、それを知らぬままでは、いずれ我が白河が時代に取り残されるやもしれぬぞ。それこそ、武家の恥ではあるまいか」

 忠昭公の、その最後の一言は、保守派の家老たちの口を、重く封じ込めるのに十分な響きを持っていた。


 数日後、立花左近は、藩主・忠昭公からの内々の密命――「相馬藩の改革、その真偽と実効性、そして何よりも、栗田謙信という男の器量、その全てを、お主の目で見極めて参れ」――を胸に秘め、大きな期待と、そしてそれと同じくらいの、いや、それ以上の不安と緊張感を抱きながら、生まれ故郷である白河の城門を後にした。


 彼の目指すは、隣国・相馬中村藩。そこで彼を待ち受けているであろう、常識外れの目安方筆頭・栗田謙信と、その型破りな「KAIZEN」の数々。それは、彼の武士としての、そして一人の人間としての価値観を、根底から、そして良くも悪くも、激しく揺るがすことになるであろう、運命的な出会いの始まりであった。


 懐には、旅の供として、彼が幼い頃から愛読し、その精神的支柱ともなってきた、一冊の古い兵法書が、大切に仕舞われていた。しかし、彼がこれから相馬で学ぶことになる「兵法」は、その書物に書かれた、どんな難解な戦略戦術よりも、はるかに奇想天外で、そして予測不能なものであろうことを、この時の立花左近は、まだ知る由もなかった。彼のKAIZENを巡る、長く、そして波乱に満ちた物語は、まさにこの一歩から、静かに、しかし確実に始まろうとしていたのである。


(幕間7:『白河より来たる、改革の風を求めて ~エリート藩士、隣藩の奇妙な噂に賭ける~』 一旦、幕)



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