第十話 隣の芝は青いのか黒いのか? ~お隣さんから来たエリート研修生(実は密偵?)大騒動の巻~
未曾有の疫病禍という、藩の存亡を揺るがすほどの国難を、栗田謙信の奇想天外かつ的確な(と本人は信じている)対策と、藩士領民一丸となった奮闘によって、奇跡的とも言える早さで乗り越えた相馬中村藩。その後の藩内には、これまでにないほどの安堵感と、そして何よりも、共に大きな困難を克服したことによる強い一体感が満ち溢れていた。
目安方筆頭・栗田謙信の名声は、もはや「藩の守り神」「歩くご利益」「一家に一台欲しい便利グッズ(?)」とまで領民たちから称えられ、その評価は絶対的なものとなりつつあった。保守派の重鎮たちでさえ、表立っては謙信の功績を認めざるを得ず、その型破りな言動にも、以前よりは幾分寛容な(あるいは諦めの)態度を示すようになっていた。
「ふふふ…権左衛門殿! 新兵衛君! 小平太君! これぞまさに『雨降って地固まる』、いえ、『パンデミック乗り越えて藩の結束MAX』でございますな! この勢いと高まった士気を駆って、いよいよ我が藩の百年、いや千年の計、『人財育成こそ国家繁栄の礎!エデュケーショナル・ルネッサンス大作戦』に着手する時が来たのでございますぞ!」
目安方執務室(通称:イノベーション・ハブ兼メンタルヘルス・クリニック兼人財育成戦略司令部兼権左衛門専用永久胃痛製造工場)で、謙信は、またしても壁一面に貼り出した「相馬中村藩・未来人財育成グランドデザイン(超長期ビジョン)」と題された巨大な絵図(そこには、藩校でタブレット端末もどきを操る子供たちや、海外に留学する若き藩士、ノーベル賞を受賞する相馬藩出身の学者といった、およそ江戸時代とは思えぬ光景が、極彩色で生き生きと描かれていた)を指さしながら、いつものように目を、いや、魂を燃え上がらせていた。
「…栗田。お前のその…その底なしのエネルギーと、次から次へと湧き出てくる奇想天外なアイデアには、もはや感服を通り越して、ある種の恐怖すら覚える今日この頃だ。だがな、教育改革とは、それこそ藩の根幹に関わる一大事。そう簡単に進められるものでは…」
権左衛門が、いつものように苦虫を噛み潰したような顔で、しかしどこか諦観の漂う声で言いかけた、まさにその時であった。
「申し上げます! 目安方筆頭様にご来客にござります!」
目安方の若い衆の一人が、慌ただしく執務室に駆け込んできた。
「おや? お客様とは珍しい。どなたかな? まさか、また江戸の『相馬屋』で何かトラブルでも…?」
謙信が首を傾げると、若い衆は緊張した面持ちで答えた。
「は、はっ。それが…お隣、奥州白河藩よりの使者と名乗るお方が、藩主様へのご挨拶の後、ぜひとも目安方筆頭様にご面会したいと…その…何やら『藩政改革の極意をご教授願いたい』とのことで…」
「なにぃ! 白河藩から!? しかも、この拙者に教えを乞いたい、と!?」
謙信は、目を丸くして驚いた。白河藩と言えば、相馬中村藩よりは石高も上で、比較的裕福、そして現藩主はなかなかの新しいもの好きで、様々な改革にも積極的だと噂に聞く藩である。そんな藩が、何故この小さな相馬中村藩の、しかも元足軽の目安方筆頭に?
(ふむ…これは…もしや、我が藩の輝かしい改革の噂が、ついに他藩にまで轟き渡り、この栗田謙信の名声も、日の本中に知れ渡る時が来たというのか…!? いやいや、いかんいかん、ここで有頂天になっては! これもお客様! 誠心誠意、おもてなしの心で対応せねば!)
謙信は、一瞬にして脳内でそんな思考を巡らせ、そしてニヤリと、しかしあくまで謙虚な(つもりの)笑みを浮かべた。
「よし、分かった! すぐにお通しするように! そして、最高級の煎茶と、饗庭料理頭特製の『おもてなし饅頭(試作品)』を用意するように伝えてくれ! 最高の『ファースト・インプレッション』で、白河藩の使者殿をお迎えするのですぞ!」
こうして、相馬中村藩目安方に、新たな、そして何やら波乱の予感を秘めた訪問者が、その足を踏み入れることになったのであった。
数刻後、目安方執務室に通されたのは、年の頃二十代半ば、涼やかな目元に知性を湛え、背筋の伸びた凛とした佇まいの、いかにも文武両道に秀でていそうな、好感の持てる若武者であった。
「奥州白河藩藩士、立花左近と申します。この度は、相馬中村藩目安方筆頭・栗田謙信様にご挨拶申し上げる機会を賜り、恐悦至極に存じます」
立花左近と名乗った若武者は、よどみない口調でそう述べると、畳に手をつき、深々と、そして完璧な角度で頭を下げた。その立ち居振る舞いには、一点の隙もなく、いかにもエリート藩士といった雰囲気が漂っている。
「これはこれは、立花様。ようこそ、我が相馬中村藩目安方へお越しくださいました。拙者が、目安方筆頭を拝命しております、栗田謙信にございます。どうぞ、お見知りおきを。ささ、どうぞそちらの座布団へ。何分、このような狭苦しい執務室で恐縮ではございますが…」
謙信も、いつになく丁寧な(しかしどこか胡散臭い)言葉遣いで応対し、左近を上座へと促す。
「栗田様。実は、我が白河藩主も、近隣諸藩の優れた藩政改革には常々深い関心を寄せておられまして。特に、ここ数ヶ月の相馬中村藩様の目覚ましいご発展ぶり、そしてその中心におられるという栗田様の斬新なご手腕につきましては、様々な噂を耳にしております。つきましては、誠に恐縮ながら、この立花左近に、数週間ほど、貴藩目安方にて『研修』という形で、その改革の秘訣やノウハウを学ばせて頂くお許しを、賜れぬものかと愚考し、本日参上つかまつった次第でございます」
左近は、あくまで謙虚な態度を崩さず、しかしその涼やかな瞳の奥には、何かを探るような、鋭い光が宿っているのを、謙信は見逃さなかった。
(ふむ…研修生、とな? 表向きは藩政改革の視察、しかしその真の目的は、我が藩の改革の成果と、そしてこの栗田謙信の実力を探るための、いわば『産業スパイ』、あるいは『企業内偵』といったところか…? 面白い! 実に面白いですぞ! これは、我が藩の『企業秘密』を、やすやすと盗ませるわけにはいきませぬな! しかし、逆に考えれば、これは我が藩の先進性を、他藩に知らしめる絶好のチャンスでもある!)
謙信の脳内CPUは、瞬時にフル回転を始めた。そして、彼は、満面の、そしていかにも人の良さそうな(しかし腹の底では何を考えているか分からない)笑顔を浮かべ、左近の手を両手でガシッと握りしめた。
「立花様! そのような向上心と向学心、実に、実に素晴らしいではございませんか! 我が藩の、拙者の拙い経験や知識が、白河藩様のお役に立てるのであれば、これに勝る喜びはございません! もちろんでございますとも! 喜んで、この栗田謙信、立花様の『研修』を、誠心誠意、全力でサポートさせていただきます! 我が目安方の『企業秘密』、いえ、『藩政改革の奥義』の全てを、余すところなく、立花様にお伝えいたしましょう! さあ、まずは、この『おもてなし饅頭』でも召し上がりながら、ゆるりとお話を…」
こうして、奥州白河藩からのエリート研修生(という名の、ほぼスパイ確定の)立花左近と、相馬中村藩の型破り目安方筆頭・栗田謙信との、奇妙な、そして波乱に満ちた「おもてなしOJT研修」が、幕を開けることになった。
岩田権左衛門は、その光景を、またしても胃を押さえながら、「…おい栗田、お前、本気で何を考えているんだ…? 虎の子を、いや、虎の巻を、敵にやすやすと渡すようなものじゃないか…? それとも、何か魂胆でも…?」と、不安げに囁いたが、謙信は「権左衛門殿、ご心配なく! これも『オープンイノベーション戦略』の一環! 知識は独占するのではなく、共有し、共に発展することにこそ価値があるのです! …まあ、本当に重要な『企業秘密の核心部分』は、そう簡単にはお見せしませんがね…ふふふ」と、意味深な笑みを浮かべるだけであった。
立花左近の、目安方での「研修」生活は、初日から驚きと困惑の連続であった。
まず、目安方執務室。そこは、およそ武家屋敷の一室とは思えぬ、カオスな空間であった。壁という壁には、意味不明の横文字や、奇妙な標語が書かれた貼り紙が所狭しと貼られ、床には用途不明の巻物や絵図の類が山と積まれ、部屋の隅には、何故か運動会で使われた大玉や綱引きの綱が放置され、そして部屋全体には、謙信がブレンドしたという、甘ったるいがどこか薬草臭い、不思議な香が常に漂っている。
「立花殿、こちらが貴殿の『ワークスペース(執務机)』でございます! 少々手狭ではございますが、ご容容赦を! 隣は、我が目安方の誇る『シンクタンク(権左衛門殿の昼寝場所とも言う)』でございますので、何か分からないことがあれば、遠慮なくご質問ください!」
謙信に案内された左近の席は、部屋の隅に無理やり押し込まれたような、小さな文机一つであった。そして、その隣では、岩田権左衛門が、大きなイビキをかきながら、山積みの書類に顔を埋めて昼寝の真っ最中であった。
(…これが、あの噂に名高い相馬中村藩目安方の実態なのか…? あまりにも…あまりにも…)
左近は、言葉を失い、ただただ呆然と立ち尽くすしかなかった。彼が想像していた、規律正しく、効率的に藩政改革を推進する、先鋭的な組織の姿とは、あまりにもかけ離れていたからである。
そして、謙信の仕事の進め方もまた、左近の理解を遥かに超えていた。
「さて、立花殿! 本日の研修課題は、まず『目安箱に寄せられた投書内容の分類と優先順位付け、及び対応策の一次検討』でございます! こちらが、過去一月分の投書でございます! どうぞ、よしなにお願いいたします!」
謙信は、そう言うと、まるで小山のような、おびただしい量の投書の束を、左近の机の上にドンと置いた。投書の内容は、「隣の家の鶏がうるさくて眠れない」「息子が嫁をもらってくれない」「最近、空から奇妙な光を見た」といった、およそ藩政とは何の関係もないような、個人的な悩みや、意味不明な訴えが大半であった。
(…これを…これを全て分類し、優先順位をつけ、対応策を考えろと…? 正気か、この男は…)
左近は、額に青筋を浮かべながらも、与えられた任務を黙々とこなそうとした。しかし、謙信は、そんな左近の横で、何をするかと思えば、突然、大声で歌い始めたり(「♪お客様は神様です~今日も一日スマイルで~♪」という、自作の目安方テーマソングらしい)、あるいは、大きな和紙に、何やら奇妙な四コマ漫画(主に謙信自身がヒーローとして活躍し、権左衛門がいつもひどい目に遭う内容)を描き始めたりと、およそ仕事をしているとは思えぬ奇行を繰り返す。
「栗田殿…失礼ながら、それは…一体何をしておられるのですか…?」左近は、耐え切れずに尋ねた。
「おお、立花殿! これは『クリエイティブ・ブレインストーミング』の一環でございます! 煮詰まった頭をリフレッシュさせ、新たな『イノベーションの種』を生み出すためには、時にはこのような『アソビゴコロ』も必要不可欠なのでございますぞ! この四コマ漫画も、実は目安方の活動を領民に分かりやすく伝えるための、画期的な『広報ツール』として…」
謙信は、得意満面で説明を始めたが、左近は、もはや聞いているだけで頭痛がしてきた。
権左衛門は、そんな二人の様子を、執務室の隅で、まるで他人事のように、しかし胃を押さえながら眺めていた。
(…また始まったか、栗田のいつもの発作が。立花殿、心中お察し申し上げる。貴殿も、数日もすれば、このカオスな環境と、栗田の奇行に慣れる…いや、諦めるしかなくなるであろう…わしのように…)
権左衛門は、そっと懐から胃薬を取り出し、水なしで飲み下した。
そんな左近の「おもてなしOJT研修」は、その後も、驚愕と困惑、そして時折の爆笑(主に謙信の奇行に対する)の連続であった。
謙信の指示で、目安箱に寄せられた「畑を荒らすカラスを何とかしてほしい」という投書に対し、左近は、真面目に「カカシの増設と見回りの強化」という対策案を提出した。
しかし、謙信は、「立花殿、それでは平凡すぎます! もっと『アッと驚く独創的なソリューション』を!」とダメ出し。そして謙信が提案したのは、「カラス語を習得し、カラスと直接交渉する! あるいは、カラスが好む別の餌場を用意し、平和的に畑から移動していただく!」という、もはや正気の沙汰とは思えぬものであった。左近は、本気でこの男の頭の構造を疑った。
またある時は、謙信が企画中の「藩校大改革案~目指せ、文武両道スーパーエリート育成プログラム~」の企画書作成を手伝わされることになった。謙信の構想は、「午前中は読み書き算盤に加え、論語、兵法、そして何故か『英会話(もちろん講師はいない)』と『プログラミング(という名の、算盤を使った複雑な計算術)』。午後は剣術、弓術、馬術に加え、何故か『ダンス(創作舞踊)』と『プレゼンテーション実習(巻物を使った効果的な発表方法)』。
そして放課後は、希望者に対し『起業家精神育成ゼミ(藩内ベンチャー立ち上げ支援)』を開講する」という、あまりにも壮大で、現実離れしたものであった。左近は、その企画書に、延々と「実現不可能」「予算超過必至」「効果不明」と朱筆を入れ続けたが、謙信は「立花殿、素晴らしい!その的確なご指摘、まさに『クリティカル・シンキング』の賜物! 我が藩の未来を担う逸材ですな!」と、何故か褒め称える始末であった。
さらに、謙信の指示で、目安方の若手、田中新兵衛や結城小平太、そして江戸から何故か応援に駆けつけ(「だって、江戸のお店、今ちょっと暇なんだもん! それに、この間の疫病騒ぎの時、みんな頑張ってたから、今度はあたしが恩返しする番だよ!」とお駒ちゃんはあっけらかんと言っていたが、本当は江戸での謙信の奇行の噂を聞きつけ、面白半分で様子を見に来ただけかもしれない)、そのまま目安方の臨時手伝いとして居座ってしまったお駒ちゃんと共に、城下の領民たちへの聞き取り調査や、小さなイベント(例えば、「新商品・間伐材で作ったエコ下駄試着体験会」や「目安方活動報告・辻説法ミニ集会」など)の準備や運営を手伝わされることになった。
最初は、そのあまりの泥臭さと、謙信の行き当たりばったりな指示に、エリート意識の高い左近は戸惑い、反発し、時には露骨に不快な顔をすることもあった。
しかし、そんな活動を通じて、彼は、これまでの自分の藩では決して見ることのなかった光景を目の当たりにする。
目安箱に投書された「裏のドブ板が壊れて危ない」という老婆の訴えに対し、謙信が、自ら大工道具を手に、新兵衛や小平太と共に汗だくになってドブ板を修理し、老婆から涙ながらに感謝されている姿。
昼餉の改善で、本当に美味しそうにご飯を頬張り、「これで午後の仕事も頑張れる!」と笑顔で語り合う足軽たちの姿。
月間MVPに選ばれ、藩主から直々に表彰され、家族と共に喜びを分かち合う、名もなき職人の誇らしげな顔。
そして何よりも、謙信の、時には無茶苦茶で、時には滑稽で、しかし常に領民の幸せを第一に考え、全力で問題解決に取り組む、そのひたむきな情熱と行動力。
それらは、立花左近の、これまでの価値観や常識を、少しずつ、しかし確実に揺さぶり始めていた。
(この男…栗田謙信は、確かに型破りで、常識外れで、そして恐ろしく効率が悪い。だが…彼がやろうとしていることは、決して間違ってはいないのかもしれない。いや、むしろ、これこそが、本当に藩を、そして民を豊かにするための、あるべき姿なのではないか…?)
左近の心の中に、そんな、これまで考えもしなかったような疑問と、そしてほんの少しの共感が芽生え始めていた。
田中新兵衛や結城小平太、お駒ちゃんら、目安方のメンバーたちとの交流も、左近に影響を与えた。彼らは、身分も性格もバラバラだったが、皆、謙信のことを心から信頼し(あるいは、面白がり)、そして藩が良い方向に変わっていくことを喜び、生き生きと働いていた。
「左近様は、白河藩でもご立派なお役目をされておられるのでしょうな。羨ましい限りでございます」新兵衛が、休憩中にそう尋ねてきた。
「…いや。私の藩では、改革は遅々として進まず、古い慣習としがらみに縛られ、皆、どこか諦めたような顔をしている。それに比べれば、この相馬藩は…まるで生きているようだ」左近は、思わず本音を漏らした。
「それは、きっと栗田組長のおかげでやす! 組長は、時々、いや、いつも無茶苦茶なことばっかり言いやがるし、こっちの身にもなってくれねえことばっかりでやすが…でも、組長の言う通りにやってると、何だか、本当に世の中が良くなるような気がしてくるんでやすよね。不思議な人でやすよ、本当に」新兵衛は、遠い目をして謙信のいる方角を見つめた。
「確かに、栗田殿のやり方は、我ら武士の常識からはかけ離れている。だが、その太刀筋は…いや、物事の本質を見抜く目は、確かだ。某も、栗田殿の元で、剣術だけではない、何か大切なものを学んでいる気がする」小平太も、真剣な表情で頷いた。
「まっ、あたしに言わせりゃ、目安方の旦那は、ただの面白いおっさんだけどね! でも、見てて飽きないし、何だかんだ言って、みんな旦那のこと好きなんでしょ? あたしも、江戸の店より、こっちの方が百倍楽しいよ!」お駒ちゃんは、ケラケラと屈託なく笑った。
彼らの、飾り気のない、しかし心のこもった言葉は、左近の心に、静かに、しかし深く染み込んでいった。
そんなある日、相馬藩を揺るがす、ささやかな、しかし無視できない事件が発生した。
江戸のアンテナショップ「相馬屋」から、大量の返品物資が、国元へと送り返されてきたのだ。その中身は、謙信が肝いりで企画した「モダン&キュート江戸ガールズコレクション」の相馬焼(しかし、江戸の若い女性たちの好みとは微妙にズレており、全く売れなかったらしい)、カピバラやアルパカといった謎の動物の組木パズル(「こんな気味の悪い動物、子供が泣くだろう!」と不評だったらしい)、そして、例の「目安方スペシャルブレンド・謎の上善如水(アルコール度数不明)」と名付けられた地酒(「味が個性的すぎる」「これを飲んだら三日三晩悪夢にうなされた」と、一部の好事家以外からは総スカンを食らったらしい)など、謙信の独創性が裏目に出た商品ばかりであった。
「うぐぐ…こ、これは…江戸のマーケットリサーチ不足と、拙者の『時代の半歩先を行き過ぎた感性』が招いた、痛恨の戦略的ミス…! し、しかし、失敗は成功の母! この経験を糧に、さらなる商品開発を…!」
謙信は、顔面蒼白になりながらも、必死で強がっていたが、その肩は明らかに落ち込んでいる。
返品された商品の山は、目安方執務室の半分を埋め尽くし、途方に暮れる謙信と若い衆たち。しかも、これらの商品をどう処分するのか、その費用はどこから出すのか、渋沢勘定奉行に何と報告するのか、問題は山積みであった。
その時、立花左近が、静かに口を開いた。
「栗田殿。もしよろしければ、この返品された品々、我が白河藩で引き取らせてはいただけぬだろうか」
「え…? 立花殿、それは…一体どういう…?」謙信は、驚いて顔を上げた。
「我が白河藩にも、江戸とはまた異なる、独自の文化と好みを持つ領民たちがおります。あるいは、これらの品々も、場所を変えれば、新たな価値を見出されるやもしれませぬ。もちろん、無償でとは申しませぬ。相応の対価は、後日、我が藩の特産品との物々交換という形で…」
左近の提案は、まさに地獄に仏、旱天の慈雨であった。謙信は、涙ながらに左近の手にすがりつき、「立花殿! あなたは神か!仏か!いや、まさに『ビジネスアライアンスの天使』ですぞ!」と、感謝の言葉を繰り返した。
この一件は、左近にとっても、大きな転機となった。彼は、当初の目的であった「相馬藩の改革の弱点や問題点を探り出し、自藩の優位性を確認する」というスパイまがいの任務を、もはや完全に忘れ去り、目の前で起こる相馬藩のドタバタ改革劇に、いつしか一人の当事者として、深く関わり、そして心を動かされている自分に気づいていたのだ。
彼は、謙信の指示で、返品された商品の梱包作業や、白河藩への輸送手配などを手伝う中で、謙信や目安方のメンバーたちと、さらに深く心を通わせることになった。そして、彼らと共に汗を流し、問題を解決していく中で、書物の上での知識や、頭の中での理屈だけでは決して得られない、何か生きた、そして温かいものを、確かに感じ取っていた。
数週間にわたる、嵐のような、しかしどこか充実した「研修」期間を終え、立花左近が、自藩である奥州白河藩へと帰る日がやってきた。
出発の朝、目安方執務室には、謙信、権左衛門が集まり、左近のためにささやかな送別の宴(といっても、朝餉の残りの握り飯と、饗庭料理頭が特別に作ってくれた出汁巻き卵だけだが)が開かれていた。
「立花殿、この数週間、本当にお世話になりました。貴殿のような優秀な方に、我が目安方の『秘伝のタレ(企業秘密)』を、惜しげもなくお見せできたこと、この栗田謙信、生涯の誇りとするところでございます。どうか、白河藩にお戻りになられても、この相馬中村藩での熱き日々を忘れず、貴藩の、そして日の本の輝かしい未来のために、その卓越したお力を存分に発揮されますよう、心よりお祈り申し上げております!」
謙信は、いつになく真面目な顔で、しかしその目にはうっすらと涙を浮かべ(もちろん半分は演技だが、半分は本気だった)、左近の手を両手で力強く握りしめた。
権左衛門も、ぶっきらぼうながら、どこか寂しげな声で言った。「立花殿。短い間であったが、貴殿のような真面目で筋の通った若者がいてくれて、わしも何かと助かった。まあ…栗田の奇行に振り回されるという点では、同病相憐れむ、といったところだったがな。達者でな」
立花左近は、そんな彼らの温かい言葉に、胸が熱くなるのを感じていた。彼は、深々と頭を下げると、噛み締めるように、そして一言一言言葉を選ぶように言った。
「栗田殿、岩田殿。この度は、ひとかたならぬお世話になり、誠に、誠にありがとうございました。当初は、正直、貴藩の改革のやり方に対し、戸惑い、そして内心、見下していた部分もございました。しかし…皆様と共に過ごす中で、栗田殿の、その…常軌を逸しておられる部分も多々ございますが、その底にある、藩を、そして民を思う、誰よりも熱く、そして純粋な情熱に触れ、そして、その情熱が、確実にこの藩を、人々を動かし、変えつつある様を目の当たりにし、私の考えは大きく変わりました。貴殿のやり方は、確かに型破りであり、そして細部は荒削りやもしれませぬ。しかし…その目指すところ、そしてその根底にある精神は、決して間違ってはいないと、今はそう確信しております。この相馬中村藩で学ばせていただいた多くのことを、必ずや我が白河藩に持ち帰り、藩政に活かして参る所存です。本当に…ありがとうございました」
左近の目にも、うっすらと涙が光っていた。
そして、彼は、最後に謙信に向き直り、悪戯っぽく微笑んで言った。「栗田殿。例の返品された品々、我が藩では意外な人気を博し、特にあの『カピバラの組木パズル』は、子供たちの間で奪い合いになっておりますぞ。それと…あの『謎の上善如水』も、一部の好事家の間では『一度飲んだら忘れられぬ、天国か地獄か究極の酒』として、密かなブームになりつつあるとか…」
その言葉に、謙信は顔を輝かせ、「やはり! やはり拙者のセンスは間違っていなかったのですな! 世界は、我が藩のイノベーションを求めている!」と、またも調子に乗り始めたが、権左衛門から「お前は少し黙っていろ!」と、頭に強烈な拳骨を食らっていた。
奥州白河藩に戻った立花左近は、早速、藩主及び重臣たちに対し、相馬中村藩での視察研修の結果を詳細に報告した。
「…相馬中村藩、誠に、誠に恐るべき藩にございます。特に、目安方筆頭・栗田謙信なる男、常識では到底測ることのできぬ、まさに規格外、異次元の人物。その推し進める改革は、一見すれば破天荒にして、その細部は荒削り、時に滑稽ですらございます。しかし、その手法は、確実に藩の空気を一変させ、領民の心を鷲掴みにしておりました。そして何よりも、彼自身が、誰よりも藩を愛し、民を愛し、そして未来を信じている。その純粋な情熱こそが、あの小さな藩に、大きな活力を与えている源泉であると、この左近、確信いたしました。我が白河藩も、彼らから学ぶべき点は、多々ありと愚考いたします。特に、あの…『お客様は神様です』という、栗田殿の口癖は、あるいは、これからの時代の為政者にとって、最も重要な心得なのかもしれませぬ…」
左近の、熱のこもった、そしてどこか相馬藩の奇妙な魅力に取り憑かれたかのような報告は、白河藩の上層部に、大きな衝撃と、そして少なからぬ困惑を与えた。しかし、それは同時に、これまで停滞していた白河藩の改革に、新たな一石を投じるきっかけともなったのである。
こうして、相馬中村藩と奥州白河藩の間には、栗田謙信と立花左近という、二人の若き改革者(と、それに巻き込まれた人々)を通じて、奇妙な、しかし確かな友情と、そして互いに学び合うという、新しい形の交流が芽生え始めていた。
そのことは、やがて、東北の小さな藩同士の連携という、誰も予想だにしなかった、大きなうねりを生み出すことになるのかもしれない。
そして、その中心には、いつも、あの型破りで、常識外れで、しかし誰よりも人間味に溢れた、目安方筆頭・栗田謙信の、太陽のような笑顔があるのであった。
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