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おない年の兄妹  作者: 沙悠那
Pineapple Iced Tea
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Aloha au ia 'oe  愛してる


 心地いい風に優しく頬を撫でられて、夢見の浅い眠りから溶けていく。

 立ち並ぶホテルの群れの隙間から白みかけた空が覗いている。随分と早くに美弥ちゃんは目が覚めてしまったみたいだ。少し開けた窓の枠に手をかけてただ静かに屋外を眺めている後ろ姿が目覚めたばかりのあたしには印象的に映る。結婚式をあと数時間後に控えた美弥ちゃんの今の心境はどんな感じなのかな。ふとそんなことを考えてみる。いくつになろうが何度めであろうが結婚式というものは女性にとっては特別な意味を持つもの。美弥ちゃんだって例外じゃないはず。きっとその瞬間は神聖な気持ちで満たされていくんだ。

「美弥ちゃん」

「あら、起こしちゃった、ごめんね」

「ううん。リビング側のほうがたぶんもっときれいだと思うよ。あっちにいこうよ」

「瑠花はもう少し眠っててもいいのよ」

「美弥ちゃん、おいしい紅茶入れてほしいな。男連中が起きてくるまでふたりで過ごそうよ」

「そうね」

「親子水入らずで」

 もともとはあたしの家族は美弥ちゃんだけだった。小さい頃からずっとそうだった。どうしてあたしにはお父さんがいないのって泣いて美弥ちゃんを困らせたこともあった。今思えば美弥ちゃんならいくらでも再婚のチャンスはあったはずなのに、そうしなかったのはあたしのことを第一に考えてのことだったのかもしれない。子供の頃は大人の男の人に人見知りする子だったから。父親を知らないあたしは身体が大きくて声も低い大人の男性が怖かった。優しく笑いかけてくれても馴染めなかった。

 今はこうして家族が増えて幸せになれた美弥ちゃんに内心ほっとしている。お父さんは大きな愛で包み、安定と安心を美弥ちゃんに贈ってくれた人。まだ親の保護下にあるあたしには残念ながらできないことだから、お父さんには心からありがとうって言いたい。ふたりが出会ってくれたおかげであたしの運命だって大きく変化したんだ。この大切な巡り合わせにも感謝している。何よりあたしを好きになってくれた祥大に。

「昨日の夕焼けもきれいだったけど、今日の朝焼けもまた少し違ったきれいさがあるわね」

「ほんとだね。朝焼けのほうが少し青みが強い感じがするね」

 話している間にもみるみるうちに日は昇り始め、その色合いをどんどん明るく変化させていった。

「ねえ聞いてもいい? 美弥ちゃんとお父さんの馴れ初めを知りたいんだ」

「知りたいって言われても娘に話すのは正直恥ずかしいわよ」

「そこをなんとか。だって、すごく興味あるんだもん」

「そう? 笑ったりちゃかしたりしない?」

「しないしない」

 ひと呼吸おいてから、美弥ちゃんは穏やかに語り始めてくれた。

「なにげない日常だったわ。朝の通勤電車というのはたいていは同じ顔ぶれで、透さんもその内のひとりだったわ。いつもふた駅先から乗ってくるあの人をお母さんね、優しそうで素敵な人だなって思ってみていたの」

 美弥ちゃんの頬がさっきの朝焼け色と同じ色に染まった。今目の前にいる美弥ちゃんは母親の顔ではなくひとりの女性としての表情に変わっていた。

「その日はダイヤに遅れがあっていつも以上に電車は混んでいて身動きできないくらいだったの。気づくとわたしと透さんは隣同士で立っていて、電車がカーブに差し掛かり揺れるたびに遠慮がちに支えてくれる。彼のさりげない優しさにどきどきしたわ。このひとときが少しでも長く続きますようにって祈ったりして。だけどあっけなくわたしの降りる駅に到着してしまい、小さく会釈だけして混雑した車両から雪崩れるようにして駅に降りたの。もう一度彼の姿を見たくなって振り返ったら、すぐ傍に透さんの顔があってそれはもうびっくりしたわ。どうして彼が駅にいるのか、振り返って見ようとした自分に気づかれたんじゃないかとか、あせりと恥ずかさで言葉が何も思い浮かばなくって黙ってしまったの」

「お父さんどうして電車降りたんだろう。まさか、お母さんに告白するために?」

 あれ? どこかで聞いたことのあるシチュエーションだよね、これって。

「違うわよ。そんな大胆なことができるような人じゃないもの。あのね、お母さんのバッグの金具が透さんのスーツの上着のボタンと絡み合っていたせいで降りざるを得なかったのよ。笑っちゃうでしょ。でもね、そのことがきっかけで次の日から会釈しあうようになれて、少しずつゆっくりとだけどふたりの距離が縮まっていったの」

「美弥ちゃんたち青春してたんだ」

「こらぁ、ちゃかさないって約束でしょ」

「ごめーん。あっ、青春の人だ」

 目を擦りながらまだ眠そうな顔をしたお父さんが近づいてきた。噂をすればってやつ?!

「なに? 青春がどうしたって?」

「なんでもないの。瑠花とね少し昔話をしていただけよ」

「ああっ、それ俺も飲みたいなあ」

「今入れるわ。先に顔洗ってきたら? 瑠花、そろそろ祥ちゃんも起こしてあげて」

「はーい」


 長いんだよね、祥大の睫毛って。だからすぐにいたずらをしたくなっちゃうんだ。

 眠っている祥大の睫毛をそっと人差指の先でなぞってみる。わずかにぴくっと痙攣を起こすところが面白いんだ。あれ? まだ起きないかあ。とっくに朝だっていうのに祥大の眠りはよっぽど深いんだね。幸せそうな寝顔。その寝顔に顔をもっと近づけて更に睫毛をなぞろうとしたその時、がばっと薄手の羽毛布団の脇から手が現れて身体は一瞬にして固定されてしまった。

「び、びっくりしたぁぁ」

「おまえまた悪戯しただろ。俺の睫毛いじくってただろ」

「そんなことしてないよ。起こしにきてあげただけだもん」

 しらを切ってはみたけれど、なんだ意外に眠りは浅かったんじゃない。

「あっと、ここはハワイだったな? 一瞬家と勘違いした」

「ぷっ、祥大寝ぼけてる~」

「うるせー。今どの口が言ったんだ? 黙れよ」

 黙れって。塞いじゃったらもうしゃべることなんかできないでしょ。

 洗面室の扉が開く音がして、お父さんが寝室に舞い戻ってこないかとその気配にどきどきとしながら祥大とキスをする。身体中が熱を帯びてくる。

 Aloha au ia‘oe

 昨日覚えたばかりのハワイの言葉が頭に響く。




 両親を祝福するように澄み切ったラピスラズリの上空。見渡す限りの海はセルリアンブルーの浅瀬からプルシャンブルーへとグラデーションしていき、水平線には南国特有の白く発達した積乱雲が立ち昇っている。

 昨日下見に訪れた時とはまた違う姿をみせるオーシャンビューの小さな教会。今日は愛を誓うための場所として、ハイビスカスやプルメリアなど南国の花々で美しく化粧されていて静粛で神聖な場所に心が洗われていく。

 あたしと祥大は先に教会の中へと入り、マホガニーの木製の座席の最前列に着席し、ふたりが入場してくるのを心待ちにする。

「どうしよう。笑顔でいたいのにもう涙がでそうになってきた」

「手貸してみ。つないでてやるよ」

「え?」

「涙がこらえられなくなりそうになったら強く握ればいい。俺の手に意識を集中すれば少しは気が逸らせられるだろ」

「そういうものかなあ?」

「そう思えばいいんだよ。涙で視界を歪ませたくないんだろ?」

「うん」

 祥大なりに考えてくれたことには感謝するね。けど、あたしは祥大と繋がっていると余計にだめだと思うよ。自分のこととリンクして想像してしまいそうだもの。いつか祥大とこんな風に教会で愛を誓う日が来ることを空想したら余計に感動してしまいそう。

 オルガンが音色を奏で始めると教会の扉が少しずつ開きだした。

 振り返るとそこには純白姿の美弥ちゃんとタキシードのお父さんが手を取り立っていて、日の光を背に浴びながらふたりの陰はまっすぐにバージンロードへと伸びている。

 一歩ずつ教会の中へと近づいてくるふたり。ああ、もうだめだ。うるうるしてきたよ。

 祥大に言われた通りに繋いだ手に力を込めていく。祥大の手に集中して、お願い。

 自分の意識に必死に訴えかけていると、祥大がもう片方の手で繋いだあたしの手を完全に包み込んでくれたんだ。溢れそうになった涙が寸前のところで堪えることができた。

 笑顔であたしの顔をみてくれているベール越しの美弥ちゃんの顔が見え、その顔をみたらあたしもちゃんと笑顔を美弥ちゃんに届けることができた。下瞼に溜まった涙が一筋すうーっと頬を伝う。

「祥大の言うとおりだった。涙がまんできたよ」

「よかったな」

 一筋流れた涙の跡を指で軽く拭ってくれた。

「ありがとう」

 あーあ、優しくするから一瞬で溢れだした涙が祥大の指の上に流れ落ちちゃった。

「おまえせっかく……」

 言いかけた言葉を止めた。

 オルガンの音色が途絶え、祭壇の前に立つ両親と牧師さまが一礼を交わし、結婚式が始まった。

 牧師さまが英語で話される言葉を横に立つ通訳の女性が訳している。

 こじんまりとした素朴な教会で慎ましやかに進行していく結婚式。あたしが想像していた通りの理想的な式。牧師さまの後ろは大きなFIX窓、その先には水面をきらきらと輝かせた贅沢なばかりの青い海が広がっている。

 こんな最高のロケーションの中、お互いの愛を誓い合う両親たち。おととし結婚した時からはめているマリッジリングは真新しいもののようにぴかぴかに磨きあげられ、ご機嫌な様子でこの瞬間を心待ちにしていたのだろう。それぞれの薬指へと滑らかに収まっていく。向かい合った両親はあたしたちの見守る中、少しはにかむような顔をしたのち瞳をみつめ合い誓いのキスを交わしていった。額縁にみたてた大窓の前でふたりとも絵になっているよ。

 あたしは何度もハンカチで涙を抑えながら式を見守った。右手は祥大に握りしめられたままだ。

 たびたびあたしの顔を覗き込んでは『なきむし』って祥大の唇がその言葉をなぞり、しょうがないなって顔で微笑する。

 どこまでも青い海をバックに絵になる両親の永遠の誓い。その瞬間をあたしは忘れないようにと自分の瞳に焼き付けた。それから隣に座る祥大の顔をみつめて同じように瞳の奥に焼付けておいた。シャッターを切らなくても映像は記憶の中に保存できるんだ。

 繋いだ右手は静かに解かれ、代わりに肩を抱きよせてくれた。祥大の身体にぴったりと頭を寄せると髪に飾ったプルメリアの微かな甘い香りが鼻先へと届けられた。

 幸せなこの空間に存在できる喜びを噛みしめ教会の天井を仰ぐ。ここにきてよかった。

 ハワイに宿るマナを感じたようで抑えきれない感情に涙袋の上は聖水のような潤いで満たされ、やがて頬をつたい零れ落ちていった。

「泣き虫だな瑠花は」

 今度は声にして祥大は言う。そういう祥大だっていつもより目が潤んでみえるよ。気のせいじゃない確かに潤んでいるよ。

 クールを装いながらもちゃんと心を響かせてくれていることが判る。

 同じものをみて同じように感動してほしいって言ったでしょ。これはまさにその瞬間だよ。

 あたしたちにとって大事な思い出となるシーンなんだから、ずっと一緒にいるための大切な心の宝物にしようね。




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