10.公爵、新たな美を知る
「尊い??」
公爵は眉をわずかに持ち上げて、聞き慣れない呪文でも聞いたような表情で私を見つめてきた。
長いまつ毛が震え、深い紫の瞳には“理解不能”と“興味”が半分ずつ混ざっている。
「それは人はみな尊ぶべき……とは、また違う話なのか」
「ええ」
私が静かに肯定すると、公爵は長い指先で顎をなぞりながら、優雅に首を傾げた。
わからなくても興味はあるらしい様子に、わたしは思いつくままに話始める。
「尊いとは、存在や言動、行動が素晴らしいあまりに表現ができないほど心を動かされる時に使います。己の言葉が追いつかないほどに感動した時に、私たちは尊いと表現するのです」
「感動のあまりに……」
公爵の瞳が揺れた。
「尊さのあまり、特定の人物を見守り、応援したいと思ってしまう。私たちの世界では、そのような相手のことを“推し”と呼びます。」
「推し……??」
公爵はゆっくりと言葉を繰り返した。
新しい美の概念を舌先で確かめるような……そんな声音から興味は失っていないことがよくわかる。
よかった!!上手くいっているみたい!!
「そして私は、己の幸せよりも立場よりも……推しに幸せになってほしいと、そのような生き方をしてきたのです」
私は胸に手を当てた。
「わかりますか公爵様。私が今伝えたいことが!!」
力説したせいで口から血がゴフッと吹き出たけど無視をした。
オタク歴の長いわたしの意地。ここで見せずにどこで見せると言うんだ!!
「私が美しいと思うもの、それは」
「それは……」
公爵の声が、わずかに震えた。
「それは!! 見た目でも、身分でもなく、心で惹かれ合う美しさ!! 愛し合う二人から溢れる幸せ!! それこそが尊いと、感動を覚えるのです!!」
口からボトボトと血を流しながら話し切った私の目の前で、公爵はしばし沈黙した。
そしてゆっくりと両手を組み、深いため息をつきながら口を開く。
「…………それが、王太子殿下と婚約しない理由になるのか」
「申し訳ありません。私には王太子が母親に見えてまして!!」
「それはダメだな」
きっぱりと即答した公爵は、額に手を当てながら「美しくない……なにも美しくない」と低く呟いた。
効いている……!!
そう確信した私は、最後のひと押しをするために口を開いた。
「王太子殿下と婚姻を結ぶことは私の美学に反します。そして、王太子は私の推し。彼には尊さに満ちた婚姻を結んでほしいのです!!」
そこまで言い切った私は、じっと公爵を見つめた。
額に汗、口元に血、でも後悔はない。
推しのためなら、多少の吐血などどうということはない。
推しと言う意味では、正確には王太子とミアちゃんの二人と言うのが正しいのだけど……ややこしくなりそうだから省いてしまった。
この際、そこはひとまずは置いておいていいだろう。
そして、勢いで押してしまえと言う狙い通りに、公爵には上手く伝わったようだった。
「私の人生……私の家は先祖代々、美を追い求め続けてきた。だが……この歳になって、新たな美に出会うことになるとは……」
公爵の顔は完全に悟りを開いていた。
まるで悟りを開いた僧侶——いや、“新規沼落ちしたオタク”の顔になっていて、思わずギョッとしてしまう。
「なるほど。君に対してどのように接するべきか悩んでいたのだが……」
そう言って胸に手を当てる公爵。
「君はまさしく、私の推しと……そう言うわけだな??」
「……ん??」
「娘とは別人だと理解していても、話すたびに感動を覚えるその美しさ。血の滴りすら倒錯的な魅力が溢れるそれは……まさしく尊いと」
いや待って、公爵様。
そっち方向に走らなくていいんだけど。
「えぇ…と??」
「そして、君を見守り応援することが私の喜びとなる……。確かにその感情は、美しい。実に美しい」
完全に覚醒してしまっている。
でも、まあ……。
「わ、わかっていただけて……なにより……です」
思っていた着地地点とは違うけども。
「ええっと。ですので、婚約破棄の件はご了承していただけるということで」
「ああ。そう言うことならば、私の使命は君が心のままに生きる姿を応援すること」
麗しい顔で公爵は微笑んだ。
「それが推しを見守ると言うことなのだろう?? 任せなさい。必要ならばどんな支援もしよう」
そこまで言い切った公爵に、私は固まってしまった。
とんでもない人に推し活を布教してしまった気がする。
それでも、婚約破棄の了承を得られたのだからよしとしよう。結果オーライだ。うん。多分。
「……ありがとうございます」
最後に頭を下げて感謝を伝えた後、わたしは浄化魔法を発動した。
ミアちゃんよりも速度は遅いけど、ゆっくりと綺麗になっていく。
不慣れながらも浄化を進める私の様子を見て、公爵がポツリと呟いた。
「推しが尊い」
「用語を使いこなすの早くないですか」
やっぱり布教したのは……ちょっと間違いだったかもしれない。
そう思いながら、私は頭を抱えたのだった。
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