超似合う首飾り
「キャアアアア!」
と悲鳴を上げたのはケイトで、マーガレット夫人ははっと息を飲んだ。
ヘンデル伯爵は顔を歪め悲しそうな表情をした。
フェルナンデスは目を見開き、パクパクと口が開いた。
「おやおや、エリオット様、執事の仕事を増やさないでくださいよ」
そう言ってワルドは人差し指を立てたが、その指の先は細く尖った銀色の針だった。
ワルドはフェルナンデスの側に行き、その頭を掴んだ。
その勢いで頭ががくんと仰け反り、喉の傷口がぱっくりと開いた。
フェルナンデスの顔色は真っ青で呼吸をする度にヒューヒューと音が漏れた。
「大公閣下の地位はまだ必要ですからね」
ワルドは指先をフェルナンデスの喉へそっと近づけ二つの指先でぱっくりと割れた傷をつまんだ。光った銀の針が皮膚通し、肉を摘まみ、合わさった時点でくるくると皮膚に巻き付く。そしてパキンと針が折れる。また伸びて尖った針で位置をずらしながらパキンパキンと傷口を止めていく。フェルナンデスの顔は血の気が引いて白くなっている。
「フェルナンデス閣下を誰かに食わせて配下に加えてもよいのですが、ソフィア様の楽しみの為に下らない企みを計画する馬鹿な輩も必要ですからね」
ワルドはそう言いながらパキンパキンと喉の傷を縫い合わせていく。
ショック死してもいいほどの痛みと出血だが、下卑た人間でも往年、隣国との戦争や魔族との戦いに身を置いていた男は気を失う事も弱音を吐くこともなかった。
じっとソフィアを睨んでいる。
「さすがは叔父様。我慢強いのね。その首飾り、超~似合ってます」
ソフィアはふふふと笑った。
「あの……」
その時、細々として声を出したのはマーガレット夫人だった。
「お話しの途中で申し訳……ありません。わ、私、退出しとうございます」
皆が一斉に夫人を見た。
「このような重大な国家に関する機密を耳に入れる立場ではございませんし……どうかお願いします」
普段から、領内の統治の仕事や国家の任務などはすべてが家長である男がするもので妻は家政の切り盛りするのが常だった。それ以外は刺繍や読書、茶会などで時間を過ごす。
マーガレット夫人は哀れなソフィアやミランダ、気に入らないメイドなどを躾けるなど、自分の敷地内では暴力的だったが、国家機密など耳に入れて何かに巻き込まれたくはなかった。彼女は怯えたようにフェルナンデスに懇願した。
「大公閣下、どうぞ席を外す事をお許し下さい。さ、先程、聞きました。ケイトはオルボン侯爵家に輿入れが決まっております。貴族の淑女の嗜みとしては国家に関する情報などは耳に入れないほうがよろしいのです。どうぞお願いいたします。私とケイトだけでも……」
とマーガレット夫人が言った瞬間に、テーブルの下のソフィアの足が思いきり持ち上がり、テーブル面を下から蹴り上げた。
「ひいい」
と言ったのはマルクで、ケイトは驚きのあまり身体が仰け反っている。
学院帰りに連行されたソフィアの足元は皮のブーツだったが、重いテーブルを蹴り上げるまでには至らなかった。だが大きな音を立て、それに彼女達は酷く驚いた。
「どうしました? ソフィア様」
ローガンの声にソフィアは、
「いや、ばーさんがずいぶんと自分勝手な事言うからさぁ。何なの? あんた、嫌な事は聞きたくねえ、難しい話も関係ねえ。自分と娘だけ逃げたいって。ははっ。せめてマルクも連れて行ってやれよ。言っとくけど、ケイトにくっついてオルボンに逃げようなんて許さねえからな。頭ん中がまともになったなら、てめえはずっとここで芋虫の世話係だ。ってか、誰に願い出てんだよ。大公閣下、瀕死じゃん。瀕死の閣下を気遣うでもなく、自分だけ逃げたいとか、正気か」
とマーガレット夫人を睨みながら言った。
「あ、も、申し訳……」
マーガレット夫人はすっかり怯えてしまっていた。
ソフィアに痛めつけられた記憶はトラウマというレベルよりももっと夫人の心を痛めつけていた。ソフィアが紅茶のカップをテーブルに置いても、スコーンをもぐもぐと食べていても恐ろしかった。
「そもそも頭下げる相手が違うんじゃねえの? あたしはさぁ、デブニートとケイトも、」
と言ってちらっと兄姉を見た。
マルクとケイトは縮み上がって、小さくなった。
「百歩……一万歩くらい譲ったら、お前ら夫婦の犠牲だと思うんだ? あんた、あたしにもそうだったけど、自分のガキどもにも厳しいしつけしてたもんな。鞭でしばかれて、飯抜きで、寒い雪の日に薄着で外に立たされて、泣きながらお母様ごめんなさいって五人ともよく謝ってた。そんでその腹いせにガキどもがあたしを虐めにくんだよな。この家のガキどもがあんなに歪んだのも全部お前らのせいだ」
怒りの為か少しずつソフィアの身体から漏れだす魔力の量が増してきている。
ゆらっと陽炎のように怒りのオーラが可視化している。
爆発すれば屋敷ごと吹き飛ぶのは間違いないだろう。
「前にも言ったけど、復讐って奴は殺しちゃダメなんだよね。死なんて一瞬で終わる。そんな安らぎを憎い相手に与えるなんて慈悲もいいとこだって思っててさ。でも、最近、分かった。人間って忘れるんだよね。デブもケイトもどうせもう忘れてる。痛い目にあって、泣いて喚いてたのももう忘れてるんだろ? ビクビクしながら静かに過ごしてたらそれでいいと思ってんだろ? マルクを伯爵家の跡継ぎにしてやって、ケイトを侯爵夫人にしてやって、もういい気になってやがるんだろ?」
「そ、そんな事はないわ、ソフィア」
とケイトが震える声で言った。
「私は反省しました。あなたを虐めたのは本当に悪かった。あなたの言うように私達子供はお母様の言いなりになるしかなかった。お母様は子供達のベッドの枕元で本を読んで聞かせるように、あなたとミランダの悪口を言ってました。どれだけあなた方が悪で自分が可哀想な犠牲者か、毎晩毎晩、私達は憎悪の物語を聞かされて育ったのです」
「ふーん」
ソフィアはバカにしたようにふっと笑った。
「ソフィア様、ヘンデル伯爵家の跡継ぎもオルボン侯爵家に嫁ぐのも、見た目さえ整っていれば中身は兄様と姉様でなくともいいのですよ」
とローガンが半笑いで言った。
「そうだよ、ソフィア様が気に入らないなら入れ替えちゃえば? ついでにフェルナンデス叔父上もね」
とエリオットが言った。
ソフィアは顔を向けてローガンとエリオットを見たが、
「いくら中身が変わったって、このばーさんの見た目でソフィア様なんて言われるのぞっとする。お前らだってニヤニヤ顔でソフィアを虐めたの忘れてねえからな。でもまあ、いい。ばーさん、席を外す事を許してやるよ」
とマーガレット夫人に言った。




