カフェ・テリア
最近の貴族のもっぱらの噂の主はナイト・デ・オルボンだった。
一度消滅して再生したのではないかと疑われているほどの変貌。
肉塊だった身体は締まった身体になり、白い肌にブロンド、誰も彼もを見下ろす高身長に、優雅な品のある動作。
ほとんど人前に出ず引きこもっていたが、数年前に魔法学院を卒業していた。
成績は下の下で魔力も乏しく無口で大人しい男だったので友人もおらず、いじられるキャラだった。嫌々ながら学院をなんとか卒業し、その反動で卒業後は屋敷内に引きこもり、数年たっていた。口さがない使用人達が好き勝手を言い、ナイト・デ・オルボンは太り巨大化し、不潔で、食うしかしない獣のようだと社交界には噂が流れた。
ところがオルボン侯爵家が代替わりしたと国王へ報告があり、先代は病んで領地へ引きこもり、継いだナイト・デ・オルボンは素晴らしく有能であると評判だった。
連れている家来達も実に優美で統率がとれており、側を通ると薔薇のような香がするという。宮廷の官女はもちろん、貴族の娘たちもその姿を見ようと分けもうろうろする始末だ。
だがそのナイト・デ・オルボンの横を鼻高々で寄り添って歩くのは、ヘンデル伯爵令嬢、直にオルボン侯爵夫人となるケイトだった。
魔法の成績も優秀で生徒総会長のケイトは教師達にも生徒達にも受けが良かった。
影ではソフィアを虐めていたが表立っていたのはナタリーで、ケイトはたまに皆の前に出てきてはソフィアを労るような声をかけ、皆が美しく優しい総会長様と崇めていた。
自分が得意の水魔法でナイト・デ・オルボンを殺した事はケイトの脳内からはきれい消えていたし、何ならあの汚くて太った獣のようだった奴はナイト・デ・オルボンではなく別の人間で、ソフィアが嫌がらせに連れてきた人間型の魔獣だったに違いないとさえ思っていた。
「ナイト様、今日は学院を案内して欲しいだなんてどうなさったの? あなたもご卒業なさった場所、特に変わった物もありませんわ」
とケイトが言った。
そういうケイトはすれ違う生徒達から羨望の目を一身に集めていた。
卒業後、ケイトがオルボン侯爵夫人となる噂はすでに広まり、オルボン家の財力からかなり豪勢な結婚式になるだろう、と噂が飛び交っていた。
ヘンデル伯爵家への羨望も相まって、今更ながらケイトに擦り寄ってくる下級貴族の娘達もいた。
「あんまり覚えてないのだよ。あの頃の私は魔力も低く勉学にも熱心でなかった。だから友人もおらず、教師にも嫌われていたしね。カフェテリアでもくもくと何か食べるか本を読むかだったな」
「ではカフェへ行ってお茶でもいただきます?」
「いいね」
そして二人は腕を組み、学院内のカフェへ足を運んだ。
生徒なら誰が使っても良い事になってはいるが、高額な料金設定と階級意識が強いこの場所では上級貴族が幅をきかせていた。
昼時で、生徒や教師達でカフェ内はザワザワとしていた。
中でガーデンに続く窓際の二人用のテーブルが賑わっていた。
「貧乏人が揃ってカフェにいるわ」
「本当に汚らわしい」
「こちらまで貧乏臭くなりそう!」
ソフィアとレイラを囲んで、上級生達がひきつった顔で虐めをしていた。
最近では初等部ではエリオットがソフィアの側にいるし、高等部ではローガンが目を光らせていて彼女達を虐める者はあまりいなかった。
今、昼食中のソフィアとレイラをいじっているのは、中等部の生徒だった。
レイラは泣きそうな顔をしているが、ソフィアは平気そうにもしゃもしゃとランチを食べていた。
「あの、ソフィア様、もう行きましょうか」
とレイラが言った。
「え、なんで、まだ食べ終わってないし」
とソフィアは言い、周囲の生徒をじろっと睨んだ。
「何ですの、その態度。ここはお前みたいな下賤の者が来られる場所じゃないありませんのよ!」
「そうですわ! 目障りだわ!」
ソフィアはカランとフォークを置いた。
ゆっくりと立ち上がって、
「イーね!」
と言った。
「すっげえ、新鮮」
と楽しそうに笑った
「何なの? 気でも違ったのではなくて?」
「メイドの娘が風情が!」
令嬢の一人が手を挙げてソフィアの頬を叩いた。
つけていた大きな石のついた指輪がソフィアの左目をかすった。
先程、皇太子に殴られた腫れもまだ引いておらず、さらにソフィアの目が腫れた。
目頭を切ったのか、血が滲んできた。
彼女らは上級貴族の娘達で我が儘放題に育ち、行く末はもっと上位の貴族に嫁ぎ贅沢に暮らすののが決まっている人生なのだろう。
美しく着飾り、最高級のドレスを纏い、下々の者を虐める。
「お前ら、さぞかし人生楽しいんだろうな。でも手足の一本でも失ってから同じ事を言えるか?」
「え?」
「まずは、眠れ、お前達以外のこの学園にいる者は全て!」
ソフィアがパキッと指を鳴らすと、カフェテリア内にいた人間がその場に倒れ込んだ。
レイラも眠気に誘われてテーブルに俯した。
「ええ!?」
三人の中等部令嬢はきょろきょろと辺りを見回した。
「右の兄弟がうるせえからよ。最近はこうやって標的以外は眠らせてんだ。そしたらゆっくり遊べるからな。てめえ、痛ぇじゃねえか!」
小さなソフィアはテーブルの上のポットを手に取り、それを令嬢達に向かって投げた。
まだ中身は熱く、なみなみと入っていた紅茶がドレスを染めた、
「熱い!」
令嬢の首元にかかった熱湯はその皮膚を赤く焼いた。
「痛い! 痛いわ! あなた、私達にこんな事していいと!」
「うるせえ、まあでもそうだな、指一本で許してやるよ」
ソフィアはつかつかと近寄ると、令嬢の左手腕を掴んだ。
「な、何を!」
そしていきなり、その左手の薬指を自らの口で噛んだ。
「ギャアア!」
強く噛み、破れた薬指の皮膚からは血が流れ出した。
ソフィアの口元は血で真っ赤になり、令嬢はばたばたと暴れた。
「けっ、人間の骨ってのは丈夫に出来てやがる」
ソフィアがペッと吐き出すように口を離すと、指の皮膚は破れ、肉はちぎれていた。
令嬢は痛みとショックで股間を濡らし見る見る床に小水が溜まる。
ソフィアはテーブルのフォークをさっと取ると、噛んだ傷に突き刺した。
ブスブスっと何度も何度も突き刺すソフィアの顔は嬉しそうに笑っていた。
令嬢は悲鳴を上げて、ばたばたと暴れる。それを見ている残りの二人は顔面蒼白で身体が硬直して止める事も彼女を助け出す事も出来ないでいた。
やがて薬指の骨が折れ、彼女の手から離れた。
「こんくらいで許してやるよ。お前、上級貴族なのが自慢なんだろ? 指、無くしても上級でいられるか試してみな。結婚の指輪、入らなくなったけどいいよね? って婚約者に言ってみろよ。お前の仇討ちにあたしに喧嘩ふっかけてくるような男なら、あんたらの結婚式に金貨一万枚、送ってやるよ」
とソフィアは言った。そして千切れた令嬢の指を大事そうにポケットに入れた。
パンパンパンと手を叩く音がして、ソフィアが顔をあげるとナイト・デ・オルボンとケイトがいた。もちろんケイトの顔は真っ青で、ナイト・デ・オルボンは楽しそうな顔をしていた。
「ソフィア様、素晴らしい!」
「は? なんでこんなとこにドラクールがいるの? 部外者が入っていいの」
「私は卒業生ですからね、入るのに何の苦労もありません」
「へえ、そーなんだ。みんな眠らせたはずなんだけど、ケイト姉様はどうして眠らなかったの?」
ソフィアに視線を向けられて、ケイトはビクッと身体を震わした。
「私の側にいたからでしょう」
「そっか、姉様ぁ、お願いがあるんだけど」
ソフィアは甘えるような声でそう言い、両手を合わせた。
「な、何でしょう」
「ローガン兄様が駆けつけてきたら、私を庇ってね」
「え……」
「あ、来た、後始末よろしくぅ」
ソフィアが窓から駆け出して中庭へ逃げて行くと同時に、ローガンがふわっと空間から現れた。その場をじろっと見渡して、
「ソフィア様は?」
と言った。




