決死の戦い
ケイトは絶望に近い気持ちだった。
マイアとメアリに丹念とも言えないが風呂に入れられ、透けてほぼ全裸とも言える肌着を着せられた。部屋の扉は硬く閉ざされていて、どうやっても開かなかった。
扉の前で手足を縮めて座り込んだままで、身体が痺れて動かなかった。
逃げ出さないように麻痺的な魔法をかけられているようだ。
ナイト・デ・オルボンはソファにどっかりと座り、テーブルに運ばれた料理を片っ端から手づかみで食いあさっていた。
酒は瓶のまま飲み、肉も魚も手で掴み食らいつく。骨だろうが、構わず噛み砕き。皿の上に残る物は何もない。更に汚れた手の平をべろんべろんと分厚い舌で舐める。
「気持ち悪い、まるで魔物じゃないの……こんなのが侯爵家嫡男だなんて……でも」
ケイトは拳をぎゅっと握った。体内の魔力の循環を良くして集める。
「私だって魔術師、この男がいくら強力だとしても、腕力で魔法を打ち壊す事は出来やしまい! 私の属性は水魔法。窒息するまで水撃の術であの男が呼吸できないようにしてやる」
ケイトは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
それから手の平を男の方へ差し向け、「水激第一階梯、ウォーターボール」と囁いた。
男に何の警戒もさせないように、ひっそりと作られた水球はふわふわと舞い上がり、天井近くまで上がった。そこからゆっくりと天井を這い、そろそろと男に近づく。
「窒息、それだけでいい。所詮人間だし、男から魔力は感じない。生まれた時からその醜さで学院へも行かず、ずっと閉じ込められてきたと聞くわ。ただの大きな赤ん坊なだけ。息の通る道さえ塞いでしまえば……私の勝ち」
するすると頭上から水球が降りてきて鼻と口の辺りに近づいた瞬間、気配を感じたのかナイト・デ・オルボンは素早く身を躱し、さらにその水球を叩き落とした。
だがケイトの用意した水球はそれだけではなく、次々と降ってくる。
ナイト・デ・オルボンはそれにぎょっとした様子で手を振り回し水球を弾いていった。
だがケイトの方も必死だった。絶え間なく詠唱し、次々に水球を作り出す。
そのうちにナイト・デ・オルボンがぱっと振り返り、ケイトを見た。
「!」
ケイトの麻痺は治まらず、身体がうまく動かない。
手や足を少し動かすくらいで捕まれば抵抗できないと分かる。
ケイトの必死の思いが雨のように部屋中に水球を降らせたが、それに苛ついたナイト・デ・オルボンが「ぎゃああ!」と叫んだ。
食事を中断し怒ったようにもぞもぞと立ち上がろうとするが、巨大な肉塊の身体がうまく動かない。それでもゆっくりとケイトの方へ近づいてきて、真上からケイトを見下ろす。
ローガンが転移魔法でナイト・デ・オルボンを屋敷に連れてきた時から彼は素肌にガウンを羽織っていただけだった。それも前が合わず開いたままで、ぼってりした腹とでっぷり肉のついた両足、靴下も靴も身につけておらず裸足。家でもこの格好で放置され、餌のように食料だけを与えられて生きているのだろうと思えば同情の余地もあるが、ケイトにはただ恐ろしい未知の怪物に見えた。
「助けて……こないでぇ」
涙声で嘆願するが言葉も通じない。
部屋中に悪臭が漂い、ケイトは嘔吐いた。
「嫌……嫌……」
ケイトは床に蹲り、ぎゅうっと自分の両肩を抱き締めた。
「いっそ……」
水球で自分の命を絶ってしまえばいいのだ。
と思いつくまでにそう時間もかからず、水球を平らにし一辺をするどい刃のように研ぎすませば、喉を掻き切れそうだ、と思った。
そう思った瞬間、ナイト・デ・オルボンがケイトに近寄り、彼女の頭を掴んで持ち上げた。
ケイトは目も口も鼻もぎゅっと閉じた。
ナイト・デ・オルボンはケイトの頬をべろべろと舐めた。
ゲエッと鳴るケイトの喉。瞬間、ケイトの内臓が逆流を起こし、彼女の意に関係無く胃から食道から全ての物が口へ向かって嘔吐された。
「おえっ、おえっ、ゲエエエエ」
と床に蹲り吐き続けるケイト。
胃の痙攣は止まらず、嘔吐を続けるケイトの頭に向けて放たれるナイト・デ・オルボンの小便。
すっかりそれを出し切ってしまうと、ナイト・デ・オルボンは「フゴー」と言ってケイトに背を向けた。またテーブルの方へずしんずしんと歩いて行き、残っている食事に手を伸ばした。
「こ、殺してやる……」
これほどに怒りを感じた事はなかった。
自ら吐いた汚物、そして小便まみれの身体を起こして、ケイトは最後の力を振りしぼって魔力を練った。体内に流れる魔力を総動員し、それで目の前の化け物を殺せるなら命が尽きても構わないと思った。
「水撃第三階梯、ウォーターボム……あの化け物を貫け!」
ケイトの差し出した指先から放たれた激しい水流爆弾はまっすぐにもしゃもしゃと汚らしく食べているナイト・デ・オルボンに向かった。それは全てを破裂させるほどの熱量で、激しい爆発音がした。部屋が揺れ、衝撃での窓ガラスが破壊され外へ飛び散った。
テーブルもソファも大破し、絨毯は真っ黒に焼け焦げた。
ナイト・デ・オルボンの胸には大きな穴が開き、それでもオルボンの腕は食べ物を掴み口へ運んでいく動作を見せた。
ナイト・デ・オルボンの胸に穴が開いたのを見たケイトはにやっと笑ってから意識を失った。




