朝のHR
「お、おはようございます」
と小声で初等部の教室へ入ってきたのはレイラだった。
平民で貧しい田舎者というのは知れ渡っていて、入学当初からかなり差別的な扱いを受けていた。それも最有力聖女候補、という学院からつけられた役割のせいだった。
光の魔力がすこぶる高く魔力鑑定でも高値を叩き出し、本人から醸し出される雰囲気も柔らかく心に染みいるような暖かさだった。
光の聖女というだけで国が総力を挙げて、バックアップし、皇族とも縁続きになれる存在、女神にも等しい扱いを受けるのが普通だが、その候補が貴族ではない平民の娘レイラだっただけで、状況は変わった。
魔法学院はレイラを歓迎したが生徒達はそうではなく、貴族の子弟達で出来上がっている学院内部は酷くプライドを傷つけられた。貴族階級の地位の高さ、そしてその傲慢さが例え国内トップの魔力を誇る聖魔法使いといえど、レイラの存在を許さなかった。
夢と希望に溢れて臨んだ学院生活の中でレイラは聖女への憧れを無くし、そして徐々にその魔力を隠すようになる。
使わない物は朽ちていく。
レイラの魔力は徐々に威力を無くし、故意か必然か、ほんの微かな回復魔法しか使えないようになってしまった。
その事がレイラへの虐めに拍車をかけた。
嘲笑、陰口、暴力。それは同級生だけでなく、上級生からも執拗な嫌がらせを受けた。
そして、いじめられ仲間だったソフィアを一人残してレイラは学園から去ってしまった。
初等科のクラスメイト達は、シンとなってレイラを凝視した。
ノリのきいた新しい制服を着用し、レイラは教室の中へ入ってきょろきょろと辺りを見渡した。
「え、やめたんじゃなかったの?」
「何で来てるの?」
というヒソヒソ声があちらこちらで囁かれ、レイラはばつが悪そうに俯いた。
「あらぁ、あの方、学院を辞められたとお聞きしましたのに」
とひときわ甲高い声で言ったのは、エレナ・ハウエル公爵令嬢だった。
「ねえ、ローラ、貴方、そう言ってたわよね?」
ローラは声をかけられてビクっとなった。
「え、そ、そうでしたかしら。そういえばレイラさん、あなた……」
「とにかく! 平民はさっさと退学して欲しいですわ!」
ローラが言いかけるのをエレナが遮った。
縦ロールのくるくるしたブロンドを、大きな大きなリボン、最先端のモードを取り入れた高級ドレス、耳元や胸元に宝石のアクセサリーをじゃらじゃらつけた娘だった。
公爵家の次女、エレナ・ハウエル。姉はレイラと聖女候補を争う高等科の生徒で、姉の為にレイラを目の敵にしている。ケイトやナタリーに言いつけられたローラがクラスメイト達とレイラを虐めているのにも当然、エレナは参加していた。もちろん姉を聖女に押し上げる為だ。レイラさえ辞退すれば次点は姉のレミリアに決まったも同然だった。
「あなた、お返事は? まともに受け答えも出来ないの? これだから庶民は駄目なのよ」
「や、やめません。またこちらでお世話になります。聖女選抜試験も近いですから」
とレイラが言い、まっすぐな瞳でエレナを見た。
今までは虐められてはうつむき、じっと涙を堪えていたレイラだったのだが、きりっとエレナを見返した。
「生意気ね! あなたみたいな田舎の娘が聖女候補だなんて、他国への外聞も悪いし、みっともないの。あなた辞退なさったらどうなの?」
公爵令嬢であるエレナの迫力はレイラだけでなく他の生徒への圧も強い。初等科では強い発言を持つが、滅多に学院へは出て来なかった。八歳ですでに婚約者がいるので、魔法の勉強も興味がない。たまに出てきてはかき回す役目だった。
「辞退はしません。力があるならば、この国の為にその力を使いたいと思います」
きりっと言い返すレイラに、エレナは言葉に詰まる。
公爵令嬢に生まれ、言いたいことを言うだけ、命令するだけ、の人生だったので、反撃された経験がなかった。だがプライドを傷つけられる事には人一番敏感な人種でもある。
「まあ! なんて生意気な! 平民のくせに!」
エレナが右手を振り上げ、レイラの頬を打とうとした時、ぎゅっとその手をつかんだのはソフィアだった。
「公爵令嬢が人前でみっともねえですよ」
エレナはソフィアの腕をふりほどいた。
「触らないでよ! 汚らわしい!」
「朝っぱらからぎゃあぎゃあ騒いでうるさい」
とソフィアが言うと、
「私に向かってよくもそんな口をきけるわね。私は四大公爵家令嬢なのよ! たかが伯爵家、しかも家でも学院でも奴隷扱いされているあなたは私に対等に物を言える立場じゃないのよ!」
「へーへーそうですか。レイラ、元気だった?」
「ええ、ソフィア様、先日はありがとう……ございました」
「いいって」
自分を無視するソフィアとレイラの会話に怒り心頭なエレナは自分の持ってた羽扇でソフィアの顔をぴしゃりと叩いた。
「ああ?」
と睨むソフィアにヒッと小さく叫んだのはローラだった。
ソフィアの白い頬に赤い血の筋が入った。
羽扇の金具がこすれて傷を作ったようだ。
ソフィアはローラを軽く睨んで、
「ローラ、さっき何かレイラに言いかけてなかった?」
と言った。
「あ、え、ええ、レイラさん、あの休み明けですから一度、学院長室へ来なさいと先生が……」
ソフィアはレイラを見た。
「だってさ、行ってくれば?」
「え、ええ、でも」
「大丈夫よ。いってらっしゃい」
ぱたぱたと駆けて行くレイラを見送ったソフィアは、エレナの胸ぐらを掴んで、
「てめえ、痛ぇじゃねえか」
と言った。
「な、なにをなさいますの! 手を離しなさい! 私にそんな事をして伯爵家がどうなってもいいの!」
「別に。クソばっかりの伯爵家、無くなってしまったらむしろザマァだ」
とソフィアが笑った。
「野蛮で下賤な女!」
ソフィアの手がひょいと伸び、がっっとエレナの顔を掴んだ。
「な、何を!」
「二度とレイラに関わるな、いいな? 次、レイラを虐めたらこの縦ロール燃やしちまうからな?? 本気だから。ローラ!? あなたからも何とか言ってちょうだいな?」
ソフィアが振り返って、ローラを見た。
ローラはまたヒッと言い、飛び上がった。
ローラの身体は目に突き刺さった羽ペンの感触を今でも覚えていた。
脳をかき回されるような痛み、あんな目に遭うのは二度とごめんだったが、公爵家令嬢のエレナを怒らせるのもまずかった。しがない男爵家の娘の自分は、次に虐めの標的になるのが怖かった。
「あ、あの……もう授業が始まりますよ」
そう言うのが精一杯で、ローラは自分の席についた。
ソフィアは掴んでいたエレナの顔から手を離して席に着いたローラの前に立った。
「な、何か……」
ビクビクとなるローラにソフィアが、
「あの女、なんであんなに偉そうなの?」
と聞いた。
「エレナ様はハウエル公爵家のお嬢様で、ハウエル公爵家と言えば四大公爵家の一つ。令嬢は王族に嫁し、王族の姫が公爵家へ降嫁するのもよくある話ですわ。ですから絶大な権力をお持ちですの。エレナ様のお姉様のレミリア様は聖女候補でもありますし、聖女でありながら皇太子妃になられ、ゆくゆくは王妃様になられる方なのです」
「へえ、そうなんだ。凄いね」
とソフィアが軽く言ったので、ローラはほっと息をついた。
「ですから……あの、あまりエレナ様には……」
ソフィアははっはっはと明るく笑って、
「大丈夫。私、回復魔法も得意ですから。ローラ、あなたも身を以て体験してるでしょう?」
と言った。




