弱点
フェルナンデスはまだ疑っていた。
ソフィアを闇魔法で躾けてもいいが、万が一ソフィアがもう一つの魔法、フェルナンデスに対抗する光魔法を持っていたらまずい事になる。
「それには理由がある。ソフィア、お前が兄上を引退させマルクを当主に据えるなどと勝手な事をしたからだ! しかし、お前には王家の呪いを解くと言う大事な仕事がある。お前が今、ここで私に謝罪をしたら、水に流してやろう。さあ、跪け! そして謝罪しろ!」
と言った。
ローガン、エリオット、ワルドがガタっと音を立てて席を立った。
人の理外に生きている魔族だが、人間を理解する高い知能を持っている。
前回の魔王討伐から人間界に長く棲み着き、人間の行動を観察した。
人間には善も悪もどちらも存在し、人間同士の諍いを引き起こしたり、助けあったり。
だが目の前のこの男は悪などという物でもない。
魔族にさえ通じる言葉の意味が通じず、否、通じないふりをして更にそれを己の都合の良いように曲げてソフィアに跪けと言ったのだ。
「バカなのかな?」
とエリオットが言った。
「マルク兄様、父上を連れて退出しなさい。ここから先は見ない方がいいですよ」
とローガンが言い、マルクは速攻立ち上がった。生まれてこの方、力仕事など一度もした事が無いマルクだが、四肢欠損したヘンデル伯爵を抱え猛スピードで部屋から逃げ去った。
部屋の四隅にはフェルナンデスの警護の騎士がいた。
部屋を出た廊下にも、玄関にも、庭にも多数の騎士が控えていた。
「警護の騎士どもは私にお任せください」
とワルドが言った瞬間には部屋中に瘴気が充満し、四人の騎士は膝をついていた。
そしてソフィアに丁寧に一礼すると騎士達と一緒にワルドの姿が消えた。
「ソフィア様、どうします? 我々でも十分ですが。あなたはご自分で戦いたいのですよね?」
とローガンが言った。
「ローガン兄様、もちのろんだわ」
「では、我々は手を出しませんが、あなたの魔力が屋敷、いや、国の半分も吹っ飛ばしては困りますので、我々で結界を張らせていただきますよ。今、この瞬間から、結界内には我らしかおりませんので、どうぞご随意に」
ローガンとエリオットはそれぞれ部屋の隅に向かった。。
二人の身体中から濃い魔力が立ち上り、結界を構成している。
しかし彼らはワイングラスを片手に面白い見世物が始まるかのような態度でリラックスしていた。エリオットに至っては椅子を呼び寄せて座っている。
「フェルナンデス叔父様、闇魔法が使えるんですってね? 私、それを楽しみにしておりましたのよ? ぜひ、お手合わせ願いたいわ。手加減なし、ギブアップなし、どちらかが死ぬまでどうかしら?」
「ソフィア! ローガンにエリオットも! その態度は何だ! 謝れば許してやろうと思ったがもう容赦せんぞ!」
「だから、容赦なんてしなくてもいいから、かかってこいつってんだろ!」
とソフィアが尖った声で怒鳴った。
フェルナンデスは唇を噛んで立ち上がり詠唱した。
徐々にフェルナンデスの足下に黒く濃い瘴気が溜まりだす。
皮膚に触れるだけで酷く不快、目や喉の奥に侵入されれば焼け付き、声を出すも不可能となり、視界を失う。そして何より、体内から失われていく気力と正気。理性は奪われ、感情の中で最も邪悪な部分が増幅される。
さらにフェルナンデスが呼び出した闇の魔物たちがちょろちょろと床や天井を這い回る。
茶色で丸く、ツルツルした見た目、長い触覚が揺れている。
小柄で八本の足がカサカサと動いて素早く這う。
たまに背中の茶色い羽を広げてブーンと飛び、壁に張り付く。
牙が鋭く、集団で行動。主人と認めたフェルナンデス以外は見境いなく襲う
小さく集団で襲ってくるため、ゴブリンでも手を焼く魔物。
火、氷、雷、どんな魔法も効かず、助かる術は光魔法にて邪悪な瘴気を消し去るのみだ。
フェルナンデスの呼びかけに闇の魔物は続々と姿を現した。
ソフィア達がいる広間の床も壁も天井をも覆い尽くす勢いで増え続けている。
テカテカと光りうねり、カサカサという音が今や大合唱のように部屋中に響いている。
重なり合い、踏みつけ合い、小さな魔蠧一匹一匹が厚さを増していく。
不意にブン!ブーン!と飛び交い、乱れ、人間をあざ笑う様に急降下したり、突然目の前に現れたりする。
「ソフィア! お前にこの闇魔法、魔蠧が破れるか!」
フェルナンデスは自慢げにそう言い放った。
ソフィアは自分の足下を見た。
フェルナンデスの合図にて一斉に飛びかかってやろうとキィーキィーと軋むような声を漏らしてソフィアを見ている。
「マジかよ」
とソフィアが言った声が震えている。
何千と這い回り、飛び回る昆虫型の闇魔蠧。
チロチロとブーツに這い上がってくる闇魔蠧をソフィアは身体をふるって払い落とそうとするが、動きがぎこちない。
ただ腕を振り回し、足で地団駄を踏んでいるだけのようだった。
「?」
ローガンは首を傾げた。
ソフィアの魔力ならばフェルナンデスの出力する闇魔法など問題でないはずだった。
もちろん全属性持ちのソフィアは聖魔法二に属する光魔法を使える。
フェルナンデスの程度の低い闇魔法など、すぐに消しされるはずだった。
だがソフィアは魔力を発せず、ただ闇魔蠧に翻弄されているだけだった。
自分の周囲に結界を張る余裕もなさそうだ。
ジャリジャリと魔蠧を踏み潰しながら、ローガンがソフィアの側まで行くと、ソフィアがローガンを見た。
涙目で「ローガン」と言った。
「どうしました、何か問題でも?」
ローガンが気を利かせてソフィアの周囲に物理結界を張ってやると、それに阻まれた魔蠧が結界に弾かれソフィアまでは辿り着かなくなった。
が、何千という魔蠧が結界を囲い積み重なる。
右を見ても左を見ても上を見ても触覚を揺らしながら蠢く茶色い魔蠧。
それらはソフィアを囲んだ。
一匹食いつけばたちまち集団でソフィを食い荒らすだろう。
「くそったれ!」
ソフィアは結界の中でしゃがみ込み、両腕で頭を覆った。




