軍師の憂鬱
ハザマが謀略の準備を整えはじめた頃、ハザマの標的となっているルシアナの子らの一員である軍師のバツキヤは、次から次へと届く報告に頭を抱えていた。
大魔女ルシアナが没し、「魅了」の影響から解き放たれた獣や異族たちが次々と離反して人の手を放れていっている、という。
これは、この戦地でも確認できた現象であるし、ある程度予測できた事態ではあったが、その現象が一斉に、それも、広大な山岳民連合の版図全土で起こるとなると、その影響を無視することはできなくなる。
現に物資の輸送などに甚大な影響が出ており、このままではなにもしなくても山岳民連合は深刻なダメージを受けることになるだろう。
版図全土がそんな有様であったから、当然、この戦地に届くはずの物資の到着も大きく遅れてしまっていた。
この戦地でも輸送用、あるいは戦用の獣や異族が多数脱走し、実質的な戦力を大きく削減してしまっている。
そこに来て、ボバタタス橋を敵軍が突破し、味方に甚大な被害を与えるという事態が発生した。
たまたまマニュルという一騎当千の異能者が居合わせたので、どうにか敵軍に反撃し、少なからぬ損害を出した上で追い返せたわけだが……彼女がいなければ、いったいどうなっていたことか。
そんなことが重なって、現在の山岳民連合の戦意は大きく損なわれ、盛りさがっていた。それどころか、「今回のいくさに勝機なし」と見切りをつけて、部族単位で離反していく者たちも決して少なくはない。
なんやかんやで、現在の山岳民連合軍は、最盛期の半分以下までその戦力を減らしていた。
本来ならこのまま全軍で退却してもいいような損害のはずだったが、現在の山岳民連合には、いくつか引くに引けない理由があった。
賠償金の支払いや領土の分割に応じられない……といった表面上の理由だけではなく、現在の兵権を握っている総司令官が持つ野心のため、引くに引けなくなっているのであった。
「……本当に、頭が痛い」
バツキヤは、口に出して呟く。
総司令であるザメラシュは、戯れ半分に自分のことを「王子」と呼ばせることがある。
もちろん、気安い身内のみ限定されたことなのだが、そんな行為に幾分かの本音と願望が透けて見えていた。
ザメラシュ・ホマレシュ。このまま順当にいけば、ホマレシュ族の次期頭領となるべき男。
しかし、ホマレシュ族の頭領は血縁により相続されるため、ザメラシュ本人の能力や人望が周囲に評価されての人事ではなかった。
むしろ、慣例によりやがてザメラシュが有力部族ホマレシュの頭領になることを苦々しく思っている者は、少なくはない。
能力的にその器ではない、という理由が一番大きかったわけだが、その理由は決定打ではなかった。数ある山岳民の諸部族の中には、無能な頭領などいくらでもいる。形だけのその地位を与えて、優秀な周囲の者が補佐をすれば、必要な業務を遂行するのには事足りるのである。
ザメラシュ・ホマレシュが多くの部族民から敬意を持って扱われない一番の理由。
それは、ザメラシュがこれまでの伝統から大きく逸脱した考えを持っていたからだ。
周辺諸国の動向に影響されてか、ザメラシュは、「山岳民連合ももっと強力な求心力を持つ、中央集権的な体制へと改めるべきだ」との思想を持ち、公言していた。
「有力部族から貴族を抜擢し、なんだったらその中から王を選んでもいい。
とにかく、もっと強力な身分制度を整えて諸外国の干渉から身を守らないと、旧態然とした山岳民連合はいずれ内部から分解する」
こうしたザメラシュの言動は、周辺からも軍事大国と一目を置かれている山岳民連合を蔑視した言動である、とか、各部族の勢力差がそのまま身分の差に移行するという考えへの反発など、いくつかの理由から人々に忌避された。
ザメラシュは戦功をたて名望を回復し、そうした現状を打破することを企図して、喜び勇んでこの地に来たわけだが……十分な戦力を揃え、決して負けない状況を用意したのにも関わらず、現実は、厳しかった。
いや、現在の山岳民連合の苦境をザメラシュ一人の責任だけに帰するのは錯誤というものなのだが、少なくとも最近の離脱者の多さは、ザメラシュの「人望のなさ」に原因があるとバツキヤは考えていた。
「さて、どうするか」
軍師のバツキヤは、呟く。
その脳裏に、何十、何百という未来図が描かれては打ち消されていく。
その中には、ザメラシュの身柄を拘束して王国側に寝返ると、という選択枝も存在したわけだが……その手段は、一番最後まで取っておくことにしよう。
それよりも、優先しなければいけないのは……。
「昼餐会までに、少しでも有利な状況を整えておかないと……」
続々と脱落していく兵力。低下する一方の士気。
今、バツキヤが対処しなければならないのは、こうした問題への対処だった。
昼餐会とは、一時停戦をして、両軍の首脳が直に会談することを指す。
この土地を舞台にした戦場で不定期に何度も開催されてきた、伝統ある行事だった。
そのまま講話や停戦の話題になることもあるし、交渉が決裂して再び戦火を交えることもある。
いずれにせよ、実際の内情はどうあれ、敵軍に対して「まだまだ戦える」ということを印象づける必要があった。
「昔は、こちらが一方的に膨大な食料や賠償金を取ることが多かったはずですけど……」
バツキヤは、以前に頭の中に叩き込んだ、過去の記録を参照する。
「……やはり、最近になるに従って、勝率が落ちていますね」
一般的には、山岳民連合は「軍事大国」として周辺諸国には恐れられているわけだが……その連合の在り方も、そろそろ時代遅れになりつつあるのではないのか?
巷でははなはだ評判が悪いが、ザメラシュの思想は、案外、的外れではないのか?
少なくとも、軍制については、戦力の部族単位での運用、などという煩雑なことをせず、全軍にもっと単純な命令系統を徹底させるべきなのではないのか?
たとえば、現在の苦境も、戦中に身勝手な離脱を違法とするだけでも、かなり様子が違ってくるはずであり……。
ともすれば、果てしなく逸脱しそうになる思考を、バツキヤは慌てて止め、目前の問題にむき直ろうとする。
「明日には、彼らも到着するそうですし……表面的な戦力は、なんとか取り繕えるはずなのですけど……」
「……敵襲だー!」
「空だ!
空から……」
そんなバツキヤの耳に、兵たちの悲鳴が入ってきた。
「……何事ですか?」
バツキヤは立ちあがり、大声で自体の説明を乞うたが、答える者はいなかった。
周囲にいた誰もが、今、何が起こっているのか、把握をしていなかったのだ。
悲鳴の中にある、
「空から」
という言葉に反応して、バツキヤは自分の目で確認しようと外に出る。
確かに、空から敵の攻撃だとしか判断のしようがないモノが降ってきていた。
具体的にいえば、それらは、無数の小石であり、火がついて真っ赤になった炭であり、油が入った革袋であった。
そうした物体が味方の陣地にむけ、次々と空から降ってくるのだ。
山岳民の兵士たちは、みな、動揺して右往左往をしている。
若干、冷静な者もいて、消火活動をしようとしたり、周囲の者に冷静に振る舞うよう、声をかけたりしているのだが……あまり効果はないようだった。
いずれにせよ、あてもなく逃げまどう彼らの上に、敵軍の攻撃が降り注ぐ。
着弾にはそれなりの間隔があいているのだが、いつ、どこに降ってくるのかわからないという恐怖があった。
小石の雨に当たれば、体中に穴を開けて即死だし、そうでなくても容赦のない火攻めが待っている。
この状況で冷静になれといっても、それは無理というものであろう。
「……森から、ということは……」
そんな中で、バツキヤは、冷静に敵の攻撃が飛来してくる方向を見定めている。
「……岸のこちら側にとりついたとかいう、アルマヌニア公の軍勢ですか?」
川に橋をかけられたときも、小勢力と見定めた上で十分な戦力を整え、ザメラシュ・ホマレシュ自ら指揮を執って討伐にむかったことがあったが、思いがけず強固な抵抗にあい、引き返したきたことがあった。
それからも、何度も討伐のための軍を差し向けているのだが、ことごとく失敗をしている。
ボバタタス橋での攻防を最重要視していたため、そちらに割く兵員を少なくしていたのが、どうやらその判断は間違っていたようだ。
「……次から次へと……」
バツキヤは、呟く。
王国軍も、馬鹿にしたものではないな、と、バツキヤはそう思う。
アルマヌニア公の軍は、王国軍の中でも一番練度が低く、特に川を渡ってきた連中の大半は、正規軍でもない寄せ集めと聞いていたのだが……。
「カタパルト……ですか。
小回りの利かない攻城兵器を、こんな場所で使うなんて……」
これほど遠距離からの攻撃ともなれば、兵の勇敢さや練度はほとんど影響しない。
そのかわり、得られる戦果は大きい。
アルマヌニア公軍の中には、それなりの知恵者がいるらしかった。
「……バツキヤ!
バツキヤはどこだ!」
若様……ザメラシュ「王子」が呼んでいた。
「あれを……なんとかしろっ!」
「……バカ王子……」
バツキヤは、誰にも聞き取れないような小声で呟いてから、大きな声で応じた。
「若様!
ここは、兵全員を一時、避難させてください!」
「避難だと?」
サメラシュの声が響く。どこにいるのか、姿は見えなかった。
「いったい、どこへ?」
「どこか、遠くまで!
この攻撃は、投石機によるものと思われます。
漠然とした距離を目安に攻撃しているだけで、精密に射撃をできるものではありません。
なにより、弾数も限られているはずです。
射程外に逃げれば、すぐに攻撃も止むはずです」
「そ、そうか!
わかった!」
公然と逃げてもいい、といわれ、ザメラシュの声に喜びの色が混ざる。
「しばらく、逃げていればいいのだな!」
「若様!
お逃げになる前に、全員に逃げよとご命令ください!」
「わ、わかった!
逃げよ、逃げよっ!
みんな逃げよ!
ここで逃げても恥ではない!
まずは生きながらえることが大事!
みな、ひとまず逃げよ!」
ザメラシュの張りあげた大声が、段々と遠ざかっていく。
「……さて。
わたしは、どうしましょうか?」
阿鼻叫喚の巷と化した本陣を眺めながら、バツキヤは呟く。
「軍師としての職務をまっとうするのなら、兵士を集めて反撃するための準備をはじめるところですが……流石に、この状況ではいかんともしがたく……」
そのとき、異音がして、なにもない空間が歪んだ。
「なにしてるの、バツキヤ!」
そこから現れた少女が、バツキヤの手首を掴む。
「早く逃げないと!」
「あら、マニュルさん。
頼んでおいたことは……」
「そういうのはあと!
お願い、チュシャ!」
バツキヤとマニュルの姿が、かき消える。
バツキヤとマニュルは、どことも知れない草地にいた。
地面が傾斜していることと、周囲の風景から、どこかの山中であることがわかる。
いずれにせよ、戦場からは遠く隔たった場所だろう。
「それで、どうしてああなったの?」
マニュルが、苛ついた声で確認してきた。
「敵軍の、奇襲ですね。
おそらくは、アヌラヌニア公の軍隊。
攻城兵器である、投石機を使用したものと思われます」
落ち着き払った声で、バツキヤは答える。
「……あのねえ、バツキヤ」
深々と息を吐いたあと、マニュルはバツキヤにいい聞かせる。
「生まれはどうあれ、あたしらもしっかり生きているんだから!
自分の身とか命は、もっと大切にしないと!」
「……大切にしていませんでしたか? わたし?」
きょとんとした顔つきで、バツキヤは首を傾げる。
「……これだから……」
マニュルは、もう一度ため息をついた。
「それで、どうする? 軍師殿。
バツキヤのことだから、どこから攻撃してくるのか、だいたいは予想がついているんでしょ?
命令してくれれば、あたしがちょっといってその敵を壊滅させてくるけど……」
「……いえいえ。
申し出自体はありがたく思いますけど、ここはひとつ、敵軍に花を持たせておくことにしましょう」
「なんで? 理由は?」
「そうですねえ……」
バツキヤは、視線を上にむけ、何事か考え込む顔つきになる。
「うちの若様にお灸を据えるため、とういうのはどうですか?」
「……今さらだなあ。
でも、いいの?
あの若様がどうなろうと知ったこっちゃないけど、このいくさに負けたりしたら、まず間違いなく、バツキヤも責任を取らされることになるけど?」
「ええ。
ですから、わたし、このたびのいくさが終わったら、王国へ逃亡することにしました」
「……ええええっー!」
マニュルの絶叫が、周囲に響く。




