ルシアナの子ら
その日、十万を越える部隊が、陸続と王国軍の野営地に到着しはじめた。
しかし、それらの集団を「部隊」と一括りに扱ってしまっていいものだろうか。
むろん、王国内で普通に見られる、騎士と従者、それに歩兵として徴用されてきた農民からなる通常の部隊も数多く含まれては居たのだが……それとはまったく異なる服装をした者たちも、決して少なくはなかった。
斧や槍、矛、棍棒など、彼らの装備や得物のはおおよそ統一性がなく、通常の王国民に混ざるとより一層、その特異性が人目にたった。
一見して王国の民というよりは山岳民に近いように見える彼らは、歴としたベレンティア公の領民であり、王国民である。
もともと、ベレンティア公の領地は国境に存在する。王国の他の領地と比較すると山地が多く、農耕にむいた土地が少なかった。そこで生活をするにあたり、その住人たちも自然とその土地に見合った風俗を採用するようになる。
国境を跨いでいるため所属する国が変わろうとも、民の気質や俗習などが隣国のものと似通ってしまうのは、避けようがない道理といえた。
「あれが、ベレンティア公の軍か……」
「異国風であるとはいえ、自前の領民だけで一度に十万を越える兵を動かすとは……」
「長年、この国境を守護してきた大貴族だけのことはある」
その場に居合わせた将兵たちは、口々にそんなことをいいあった。
この世界においては、万単位の兵を動かすだけでも驚嘆される。
それだけの人口を食料生産性はもとより、そこまで兵や必要物資を輸送する能力、人望なども必要になってくるからだ。
特に最後の、人望という要素を欠いていては、ここまでの大軍を動員することはできない。
どのような地位にあろうとも、ただ一人の人間の命令に従ってこれだけの人数が集結する、という事実自体が、異常といえば異常なことであった。
「……なんか外が騒がしいようだなあ」
周囲の喧騒をよそに、ハザマは自分たちの天幕の中で退屈な時間を過ごしていた。
「よそはよそ、うちはうち。
外の様子なんかどうでもいいですから、もう少し身を入れて報告を聞いてください」
「はいはい」
タマルに窘められて、ハザマは気の抜けた答えを返す。
「では、続けます。
以前と変わらず紙と着火器の売れ行きが好調です。ただし、後者の着火器については、もともと特殊な材料を使っているわけでも製造するのが特別難しいわけでもありませんから、そろそろ真似をした類似品も出回りはじめています。今後はあまりおいしい商品ではなくなっていくでしょう」
「なあ、タマル」
「なんですか?」
「武器とか防具ってこのへんで調達できるもんなの?」
「ここは戦場ですよ。
その手の商人や職人には事欠かないと思いますが」
「ああ、そうか。
需要があれば当然出張ってくるよな、その手のやつらも」
「なんですか、いきなり」
「いや、おれとかリンザとかイリーナとか、今回のルシアナ戦でかなりレベルアップしたからさ。
専用の武器とか誂えておいた方がいいかな、と」
「専用の、ですか?
でも、これから特注するとなると、時間もお金もかなりかかると思いますが……」
「時間はともかく、金もなのか?」
「当然ですよ。
その手の業者は、今頃てんてこ舞いの大忙しです。
いくら手があっても足りないってのに、そこに割り込んで特注をしようっていうわけですから……」
「……なるほど。
時期が時期だもんなあ。
どのみちこれから注文したんでは、今回の件には間に合わないか」
ここまでやりとりをして、タマルはハザマの態度に不審をおぼえた。
もともとハザマは、武器の性能などに特別のこだわりを持つ気質ではなかったはずだ。
「既製品では駄目なんですか?」
「いいのがあれば、それでもいいんだろうけど……。
いいや、それでなんとか間に合わせるしかないわけか」
「……いったい、なにを企んでいるんですか?」
「おれが企むというよりは、なあ。
さっき司令部で、今度から敵の異能者が出てきたら、洞窟衆に任せるって宣告されてきたんだ」
「敵の異能者、って……」
タマルが、絶句する。
「それって大魔女、ルシアナの子ら……っていうことですよね?」
「聞くところによると、昨日、十万単位の損害を出したのも、そのいつらの一人が原因らしいな。
ルシアナ絡みってだけでも、こっちにはそれなりの因縁があるっていうのに……」
「それはまた……面倒なことに……」
「そんなに面倒な連中なのか?」
「面倒というか……山岳民連合を軍事強国にしている一因に数えられる連中ですよ。
多少の誇張はあるにせよ、一人一人が一軍に匹敵するとかいわれています」
「……ルシアナの人体実験の成果、だもんな……。
水妖使いの性能を考えれば、まんざら誇張でないような気もしてきた」
「それで、そんな異常な人たちを相手にして、勝算はあるんですか?」
「勝算もなにも、相手の人数とか能力もまるでわかっていないんだ。
そんなこと、判断がつくわけもないだろう。
おとなしくおれの近くに現れてくれれば、バジルの能力で無力化できるだろうけど……」
「そううまくは、動いてくれませんよねえ」
「まあ、まずは、こっちの戦力増強と、それに敵さんについての情報収集を平行してやっていくしかないよなあ。
そうでないと、対策のたてようもない」
「戦力増強はともかく……情報収集の方は……」
「もうはじめている。
ルシアナのことなら一番詳しいやつの尋問をはじめているはずだけど……」
ほぼ同時刻、洞窟衆の野営地内、別の場所でのことである。
「さて、ルアさん」
そういってトエスは、邪気のない笑みを浮かべた。
「手足を縛られた上で丸一日タバス川の中に半身を沈められるのと、犬頭人の群れになぶり者にされると、どちらを選びますか?」
「どどどどど、どちらも嫌ですぅ。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
「それでは、ルシアナの子らといわれる人たちについて、特に、今この近辺に居そうな人たちについて詳しく教えていただきましょうか?」
「ひぃっ!
教えます教えます!
なんでも喋りますから、虐めないでください虐めないでください虐めないでください!」
「……それじゃあ、ゴグスに頼んだ報告書はもうこっちにむかっているのか?」
「明日か明後日には到着するはずですけど。
ただ、あんまり早く提出しすぎても上の方に怪しまれますので、実際に提出するのはそれなりに日を置くつもりです」
「それが賢明だわな。通信網のことは、まだ秘密にしておきたい。
……そういや、こっちの通信事情ってのはどうなんての?
たとえば、遠い場所に情報を伝達する際に必要な時間とか、具体的な方法とか……」
「一番よく使われるのは、狼煙ですね」
「ほう。
案外、原始的なんだな」
「原始的というか、これが一番遠くからでも視認しやすいので……。
ただし、通信の内容がだだ漏れという欠点がありますので、秘匿性が強い情報はこれで送ることができません。
その他に、伝書鳩とか、平原部の多いうちの国なんかでは腕木通信なんかが盛んですけど、これらも情報が漏洩することを警戒して暗号化した上で運用されています。
どの方法でもここから王都くらいまでなら一日もかからずに情報を伝えられますの」
「……暗号と組み合わせて、か。
それじゃあ、外部に漏らしたくはない情報を秘密裏に伝えるためには、人間が直接か封書を持ち運ぶのが一番なのか……」
「山岳民は、それ専門の役職まであるそうですね。
嘘か本当か知りませんが、とーっても遠いところまで一瞬で移動する能力がある人たちだけがなれる特別な役職だそうです」
「ああ、いたなあ。
なんとか撃退できたけど……」
ハザマは少し考えてみる。
そのような環境なら、確かに転移魔法が得意な者が伝令師とやらに抜擢されるのは、理に適っている。
だが、現在、洞窟衆が運用しているような通信網が公然と利用されるようになれば、伝令師の仕事そのものが無用となってしまうだろう。
「……そうか。
そういう戦い方もあるか……」
小さく、ハザマが呟く。
伝令師に限らず、ルシアナの子らと呼ばれる異能者集団は、その能力によって山岳民の中でそれなりの地位を築いている……らしい。
だとすれば……その地位が成立する土壌そのものを変質させてしまえば、やつらは居場所を無くして孤立する。そうなれば、やつらも洞窟衆を相手にするどころではなくなるだろう。
もちろん、その策を実行するためには、入念な下調べをはじめとして、相応の準備が必要となるわけだが……。
「長期戦になることも考えれば、十分に……」
検討に値する、と、ハザマは思う。
場合によってはこの戦争が終わってまで王国側から洞窟衆をあてにされるような事態にもなりかねない。
本音をいえば、非常に迷惑なのだった。
潜在的な敵勢力であるルシアナの子らを無力化するための策を今から講じておいても、損にはなるまい。
「……また、悪いことを思いつきましたね。
そんな顔をしています」
タマルは半眼になってハザマの顔をみながら、そういった。
「山岳民側の情報が欲しいなあ」
タマルには答えず、ハザマは呟く。
「今、捕虜にしている連中は……どうも、山岳民の中では外様っぽいしなあ」
以前に、詳しい内情は知らされていない、とかいっていた気がする。満更、嘘でもなさそうな雰囲気だった。
「どこからか、むこうの内情に詳しいやつを捕まえたいところだなあ……」
「それでは、その軍師のバツキヤというのが……」
トエスによるルアへの尋問は続いている。
「伝令師のクツイルを撃退した今、わたしが知る限り、今回のいくさに参加しているのはそのバツキヤだけのはずです。
ここでは軍師と名乗っていますが、この子は記憶力を強化した個体で、あのまま順当にいけばわたしの次のルシアナの器となる予定でした」
「ルシアナの器?」
「わたしがそうであったように、あの大蜘蛛と組む個体をそのように呼びます。いえ、呼んでいました。
従来は、利発な子ども集めて幼少時から必要な知識をおぼえさえ、その中で一番成績がよい者を選抜していたわけですが、記憶させる知識の量がそろそろ常人の限界値を越えそうだったので、記憶力に特化した個体を開発する必要があったのです」
「開発っていっても……それってようするに、生体実験を繰り返した結果なんでしょ?」
トエスは、軽く顔をしかめる。
「自然界にも能力や環境、純然なる偶然による淘汰圧はそれなりに存在しますので、過去にルシアナが行ってきた行為がとりわけ残酷であるとは思いません。
なにより、ルシアナは失敗例の被験者にも寛大に遇しました。粗略に扱ったりすることはなく、例外なく寿命が来るまで生かしておいたのです」
「……あんたの価値観は、この際どうでもいいから。
それで、伝令師と軍師以外の、ルシアナの子らの能力は?
知っている限り、すべて吐いてもらうよ」
「それは構わないのですが……数が多すぎるので、すべてを語るのにはとても時間がかかりますよ?」
「上等。
知っていることを、洗いざらい吐いてもらおうか」
「……ちょっともう!
あんたたち、いったいなにをやってのよ!」
カレニライナの大声が、あたりに響く。
「そこいら中、水浸しにして!
ちょっとクリフ!
その三人を捕まえて!」
「は、はい!」
大量の井戸水を噴出させ、はしゃいでいたドゥ、トロワ、キャトルの三人とクリフの追いかけっこがはじまった。
水妖使いの三人はこれも新しい遊びかなにかと勘違いしているらしく、嬌声をあげながらクリフから逃げまどう。
「そのお爺さんも自称この子たちの保護者なら、こんなときくらい手を貸しなさいよ!」
「……加齢臭……」
カレニライナの叱責も空しく、上空から降り注ぐ井戸水に濡れながら、ルゥ・フェイは背を丸めて人差し指で地面に丸を描き続けていた。
「ああ、もう!
あんたみたいなお爺さんがいじけても可愛くもなんともないんだからねっ!」
カレニライナの声が、空しく響く。
「誰でもいいからこの状況をなんとかしてぇっ!」




