リンザの結論
「男爵」
リンザはハザマの目を見据えてから、口を開いた。
「いろいろとおっしゃっていましたが、それらはすべて普通の、尋常な人間が気にかけるべき事柄であるように思えます。
男爵はすでに、このわたしと出会った時点から常軌を逸した、尋常ならざる存在でした。
今さら通常の、常人の規範を気にかけてなんになりましょう?」
馬鹿馬鹿しい。
と、リンザは思う。
周辺諸国に対してあれだけの変化や影響を与えておいて、この人は、まだ自分が普通の人間であるというふりをしようとしている。
ハザマがリンザたちの前に現れてから、まだ一年と少々。
ただそれだけの短期間であっても、これだけ甚大な変化を齎す者が普通の人間であるわけがない。
仮に後年、何世代も後の人間が記録となったハザマの事績を読んだとしたら、きっとその実在を疑い、あるいは複数の人間の働きがまとめて記録されていると思うのかも知れなかった。
今の時点でも、ハザマはそれだけのことをしている。
そんな、破格の存在でしかないハザマが、今さらどうして自分が与える影響の善し悪しについて思い悩む必要があるのか。
今になってそんな心配をするのは、かなり時期を外しているというか、リンザにしてみれば盛大に手遅れであるとしか思えない。
ハザマ自身がどう思いなにを考えていようが、洞窟衆の活動が今さらなかったことになるわけがなく、それどころかここまで勢いがついた以上は、逆にどうにかして止めることもかえって難しいはずだった。
こんな状況で、どうして自分のような小娘の意向を気にかけるのか。
ここまで来て善良ぶりたがるハザマの気持ちが、リンザには理解出来なかった。
いや、より正確にいうのなら、相応に想像は出来るのだが、それをたやすく首肯したくはなかった。
「あなたはすでに、この大陸を蹂躙しかけております」
リンザは、ハザマの顔に視線を据えながら、冷静な口調で指摘をした。
「あなたの出現以前と今とでは、それにこれからのことを考えれば、この時点であなたは周囲の文物や人間に対して消しがたい足跡を残しています。
この大陸には、すでにあなたの思想や感性、物の考え方などが抜きがたく染みこんでいるのです。
その影響はこれからも大きくなることこそあれ、なくなったり小さくなることはないでしょう。
これだけ大きな仕事をしているお方が、なんでわたしのような卑小な人間の機嫌を損ねることを心配するのですか。
あえていわせて貰えれば、そうした様子は客観的に見て、とても滑稽です」
リンザとて、実は理解している。
出来るだけ無害な存在になろうと努めるのが、ハザマなりの良心であるということは。
だがそのハザマ自身の思惑と、現在のハザマの地位、その影響力とを比べると、なんというかやはり不自然であり滑稽でもあるのだった。
ここまでのことをしておいて、なんで今さら一個人への不当な干渉をしていないのかと、そんなことに悩むのだろうか?
「男爵。
あなたは……」
リンザは、続ける。
「……どのように言葉を取り繕っても、文化的な侵略者です。
あなたが存在することによって、ただそれだけで、この大陸には、それまでに存在しなかった概念や思想がじわりと広がっていきます。
それ自体が害悪であるのかどうか、それはわたしには判断が出来ません。
しかし、あなたの出現を前後にして、さまざまな物が決定的に性質を変えて、もはや後戻りが出来ないところにまで来てしまっているのです。
これだけのことをしでかしたお方が、自分とその周囲だけ平穏に、穏当に済ませようというのは、いささか虫がよすぎるのではないでしょうか?」
このハザマという男は、基本的に、善人というよりは凡庸な人間なのだ、と、リンザは思う。
少なくとも、野心や大望を胸に秘めてなにかを成すような人種ではない。
そうするのに覚悟が足りていないというか、おそらくは自分の身内さえ壮健でありさえすれば、それ以外のことにはあまり感心を持たない。
この今に至っても、自分が洞窟衆の首領であることに一種の息苦しさを感じている、いつまでもそうした立場になれることがない、本来であれば権力からは遠い人間なのだ。
そうした人種がたまたま手にした権力を、出来るだけ悪用しないようにと自制している。
現在のハザマは、そういう状態だった。
手にした地位や権力を、私利私欲のために乱用しない。
その手の心がけ自体は、個人として見れば賞賛されるべきなのかも知れない。
が、それも、行きすぎればかえって嫌味になる。
少なくともリンザは、自分がハザマを遠慮させるような人間であるとは、思っていなかった。
自分のような小娘くらい、好きに手折ればいいのに。
と、リンザは思う。
無論、ハザマがこれまでリンザに異性としての欲望を抱いたことがない、ということは、リンザ自身もなんとなく感じてはいいた。
男性の視線を見れば、自分が欲望の対象として見られているのかどうかは、なんとなく察することができる。
リンザだけではなく、ハザマは、洞窟衆内部に女性に対して、性的な欲望の目を向けることが少ないように思う。
なんとなく、
「身内意識が芽生えた人には、そういう気にはならない人なんだな」
と、リンザはハザマに対して、これまではそう解釈をしていた。
そっちの方面で無駄に盛んになっているよりは、これまでのように無駄に手を出さないでくれる方がいいのだが、仮にハザマが何人かの情人を作ったとしても、誰も文句をつけることはなかっただろう。
ハザマほどの地位の人間であれば、それくらいのことはするのが、むしろこの世界では標準的な態度でもあった。
しかし、そうしてこなかった理由が、ハザマが口にしたような理由であったのならば、話は変わってくる。
「男爵」
リンザは静かな声でいった。
「大陸も、洞窟衆も、このわたしも。
男爵が存在をするおかげで、本来あった姿から大きく歪められています。
そのことは、自覚しておいでですね?」
「お、おう」
なんとかく気圧された風で、ハザマは生返事をした。
「では、ぐだぐだいわずにさっさと責任を取ってください!」
リンザは、声を大きくする。
「ここまで変えてしまった物すべてを、わたしを含めたすべてに対して!
ここまでつき合わせておいて、今になって自分だけいい子になって逃げ出そうなんて、そんなことは絶対に許しません!」
「だがお前」
ハザマは、弱々しく抗弁をした。
「さっきも説明したように、バジルの能力が……」
「バジルのことは、この際どうでもいいんです!」
リンザはハザマの言葉を途中で遮る。
「男爵!
あなた自身が、どうしたいかです!
バジルの能力のことは、説明をされて理解もしました。
だが、それがどうだというのですか?
これまで、あなたがわたしにしたことと比べれば、ごくごく些細なことに過ぎないではないですか!
あなたはわたしの、なにもかもを変えてしまったのですよ!
森東地区の件、あのような重要な、大勢の人の浮沈に関わるような決断をさせておいて、あなただけが誰に害を与えない、そんな存在でいようとするのですか!
あなたはいつも影響を与える側で、わたしたちは与えられる側!
いつまでもそのままでは、不公平ではないですか!」
「そういわれてもなあ」
ハザマは軽く顔をしかめた。
「だったら、お前はおれにどうしろってんだよ?」
「だから、責任を取ってください」
リンザはいった。
「一人だけ善人になろうとせず、泥を被るべきところはしっかり被って。
わたしのことも洞窟衆も、最後まで面倒を見てください。
バジルのことがあろうがなかろうが、あなたはすでにわたしを、決定的に変えてしまっているんです。
今さら変な遠慮はしないでください」
逃げるな。
バジルのことを口実にして、自分の前から逃げるなと、リンザはハザマにいいたかった。
ハザマはリンザのことを異性として見ていないのかも知れない。
が、すでに、リンザの方はハザマと、そこいらの男女とは比較にならないほどの紐帯で結ばれてしまっている。
この関係を、最終的にどうするつもりなのか。
ハザマにはそのことについて、じっくりと正面から見据えて結論を出して貰いたかった。
「……思ったよりも怖い女だね、お前」
少しの間、呆けた顔をした後、ハザマは表情を引き締めてそういった。
「そうしたのは、あなたです」
リンザは即答する。
「こういうのは、重たいですか?」
「重いのは、別にいい」
ハザマは平然とそういい放つ。
「責任うんぬんでいえば、すでに大き過ぎる荷物を背負っているからな。
慣れているっていうか、そこにお前一人くらい増えてもたいして変わりがない。
それで、だ。
おれは、お前が途中で降りることも出来ると、そう断りをいれた。
それを聞いた上でお前は、今になって手を離すなと答えた。
そう解釈をしていいんだな?」
「そういいました」
答えてから、リンザは今になって自分の頬が熱を帯びはじめたことを自覚する。
前後の脈絡からするとこれは、自分の方から求婚をしたようなものなのではないのか。
今になって、そのことに思い当たったのだ。
「お前の方がそういう考えなら」
ハザマは、大きく頷きながらそういう。
「そういう方針で進めることにしよう」




