ヴァンクレスの回想
「どこから寄贈されたのかわからんが、今度は川魚の一夜干しと蜘蛛肉の薫製だそうだ」
「一夜干しの方はともかく……蜘蛛の肉というのは、食えるのか?」
「知らねーよ」
「食ってみればわかる」
「もらいものにケチをつけるわけにもいかないだろう」
昨日の大攻勢の混乱が収まらず、今日の戦場働きは休みということになった。
もちろん、正規兵で防備は固めているわけだが、十万前後の将兵を失うという今回のいくさでも最大規模の損害を出した直後なだけに、司令部も軍の再編にてんやわんやなのだろう。
そのおかげで、ドン・デラの決死隊の面々も、朝から酒浸りになって騒いでいる。
最終的な結果としては残念なことになったが、単騎で敵陣奥深くに踏み込んで大打撃を与えたヴァンクレスたちの働きは多くの者に目撃されていた。
そのおかげで貴族や傭兵団など、王国軍の関係者などから武勇を讃える貢ぎ物が相次ぎ、決死隊の詰め所はいつになく高揚した気分に包まれている。
「なに、負けかかっているからこそ、景気づけが必要なのさ。
さもなけりゃ、辛気くさくなる一方だ」
当のヴァンクレスは、不機嫌にそういって硬い干し肉を食いちぎり、酒で喉に押し流す。
「一度は橋を占拠したっていうのに、あっというまに奪回されちまったんだぞ。
それも、あんだけの損害を出して。
なんか景気がいいことをでっち上げてでも衆目の目を不吉な方向から逸らしたくなるものさ」
「いくさが続くかぎり、おれたちゃ捨て駒だからな」
「勝敗やお偉いさんたちの思惑なんざ、どうでもいいや」
ヴァンクレスのシニカルなものいいも、決死隊の面々の捨て鉢な明るさに影響を与えることはなかった。
「このいくさが終わるまで生き残れれば、恩赦。
そうでなければ、名誉の戦死」
ヴァンクレスを含む決死隊の未来は、つまるところ、この二通りしかない。
このような境遇であれば、将来のことでくよくよと思い悩むだけ無駄というものだった。
「それよりも、あんたらも災難だったなあ。
一族郎党、戦場送りなんて……」
「貴族は貴族で、いろいろとあるもんだな。
まあ、今日のところは一杯やんなよ」
決死隊の面々は、新たに配属された人たち、スセリセスの一族に酒杯を勧める。
すでに酒が入っているため、気が大きくなっているだけなのかも知れないが。
「どうせお互い、明日からはいつ死んでも不思議ではない境遇だ。
生きているうちはせいぜい陽気にやっていこうぜ」
「……は、はあ……」
スセリセスの一族は、恐縮しながらも酌を受けている。
「あんたがた、わざわざ沿海州から来たってか?」
「沿海州ってぇと……バズラゴス公の領地か」
「随分と遠いな」
「あそこは、交易でだいぶん、潤っているってこったが……」
「豊かになった分、欲深くもなるんだろうさ。
特に貴族なんて連中は、他人の上前をはねることばかり考えていやがる」
「つまるところは、足の引っ張り合いよ。
負けたやつが身ぐるみ剥がされて放り出される。
やってることは、賭場とたいして変わらんわな」
「違いねえ!」
決死隊の面々が、どっと笑う。
「……あのう……」
一人、部屋の隅にいたスセリセスが、そこに立てかけてあるタワーシールドを指さしながらいった。
「この大盾、ひどく重そうなんですけれども……皆さん、いつもこれを持ち歩いているんですか?」
「ああ、それなあ」
決死隊の一人が、酒で火照った額を平手でぴしゃりと叩いた。
「そりゃあ、最初のうちは誰も持てる者がいなかったさ。あんまりにも重たすぎてな。
だが、何日か経つうちに、戦場を歩き回るためにはこれくらい頑丈な盾がなけりゃあ、命がいくつあっても足りないってことに気づいてな。
それからは、みな、必死になって持ち歩くようになったもんさ」
「つまり……最初のうちは誰も持てなかったけど、そのうち、持てるようになった……ということなんですね?」
「いわれてみりゃあ……そうなるのかな」
「……やはり」
スセリセスは、自分以外の者の耳には入らないような小声で呟く。
「……恐らくは、ヴァンクレスさんの影響を知らず知らずに受けて……。
当のヴァンクレスさんも、そのことに気づいた様子はないし……。
これは、いったい……」
ほぼ同時刻、王国軍総司令部でのことである。
「……昨日一日で十万前後の兵を失ったわけですが……」
「損失の多寡よりも、今後動かせる兵数の方を重視すべきであるな。
ブラズニア公」
ベレンティア公が、他の二人の大貴族の顔を見渡した。
「聞くところによると、他の八大貴族も義勇兵を出してきたとか……」
「他の大貴族が、というよりは、その領地内から手柄を求めた方々が、という方がより正確ではございますが……確かに、そのような動きはあります。
しかし、肝心の兵数の方が……」
「芳しくはないのか?」
「認めたくはありませんが、今の時点で、義勇兵すべてを合わせてもせいぜい三万といったところでして。
昨日の損失を埋めるまでには、とうてい……」
「さらに、十二万だな」
「……はい?」
「今日中に、十二万の増員が到着する」
「失礼ながら……いったい、どこから?」
「わが所領からに決まっておろう。
穀物の刈り取りとその成果物を安全な場所まで搬送し終え、ちょうど手が空いたところだ。
各地に散っていたわが騎士団がこの地に集結しつつある。
今日中に十三万、明日は八万……それ以降も、少しづつ、な」
ベレンティア公は、真顔でブラズニア公の目を見返した。
「おそらく数日中に山岳民側との昼餐会が行われ、場合によってはその場で休戦協定の話題がでるやも知れんが……。
その際に、わが王国軍の様子があまりにもみすぼらしくても困るであろう」
「……増員は来ねーのか!」
もう一方の山岳民連合の司令部では、総司令官の肩書きを持つ若者が大声を出していた。
「心当たりの諸部族に書状は出しておりますが……」
うやうやしく平伏しながら、軍師のバツキヤは奏上した。
「……芳しい返信をくれたものは、いまだ皆無であります。
それどころか、今度のいくさに勝ち目がないと見限って脱退する部族が少なからず出はじめております」
「なんでだよっ!
昨日だってあんなに大勢の敵兵をぶっ殺したじゃねーかっ!」
「昨日のは、あくまで僥倖であると思うべきかと。
事実、こちらにいるマニュルさんが加勢してくださらなかったら、どこまで敵の侵攻を許したものか、予測ができません。
王子だって……」
軍師のバツキヤは、はじめて面をあげて王子の顔をまともに見据える。
「……昨日はわが軍の壊滅を予想して、一度は逃げ支度に走ったではありませんか」
こんな台詞を、薄笑いを浮かべながら平坦な口調で放つのである。
「に……逃げ支度をしたわけではないぞ、うん」
一瞬、気圧されけた王子だが、すぐに気を取り直して反駁した。
「あれはだな……うちの軍が総崩れになる前に、陣頭指揮でも執ってやろうかと支度をしていたまでだ」
「そうでございましたか」
バツキヤは、くすくすと小声で笑い声をたてた。
「それは失礼いたしました。
ですが……わが部族民連合の慣例として、各部族の去就については各々の部族に判断させることになっております。いくら王子であってもその慣例を崩してこの場に留まるよう強制することはできません。
その意味を、本当におわかりになっておられますか?」
「わ……わかってるって、それくらい。
つまり、あれだ。
このいくさが望み薄だと見限られれば、今後も容赦なく部族単位で脱落者が出てくるってんだろう?」
「そうです」
バツキヤは、頷く。
「わが軍の兵たちは……敵兵を恐れはじめております。
昨日の、死を恐れぬ大軍もわが軍に動揺をもたらしましたが……少し前からわが軍に少なからぬ損害を強いている男がおります」
「男……たったひとりなのか、そいつは?」
「正確には、一騎と呼ぶべきでしょうね。
黒くて大きな馬に乗った、悪魔のような男だそうです。
毎日何度もわが軍の奥深くまで食い込んで、敵兵がつけいる道を作っては去っていく。
昨日の大侵攻も、そいつが最初のきっかけを作ったとか噂しております」
「悪魔のような……男だと?」
「はい。
その騎兵はどんな頑強な囲いもものともせず突破し、哄笑を放ちながら目につく限りわが軍の兵士を惨殺して風のように去っていくとか。
わが軍の勇士たちも、もう何十人もそやつに挑みましたが、すべて返り討ちになりました。
その男の笑い声を聞くと、心胆から力が抜けていく気分になるそうでございます。
味方の兵たちは、あれは悪魔の申し子であるに違いないと噂して、たいそう不気味に思っているようです」
ヴァンクレスは宴に参加せずに、愛馬の体にブラシをかけていた。
そしてスセリセスの姿に気づくと、
「なんだ、お前か」
と、つまらなそうな口振りで呟く。
「馬の手入れですか?」
「そうだ」
スセリセスが訊ねると、ヴァンクレスは短く答える。
「馬というのは……とても手がかかる動物なんだ。
おれの手が回らないところは馬丁に任せるしかないが……時間があるかぎり、こいつの世話をするようにしている」
「ずいぶんと大事になさっているのですね」
「大事に……というより、選ばれちまったからなあ」
「選ばれる、ですか?」
「こいつと出会ったのは……おれが今のお前よりもまだ小さかった頃、兄貴と一緒に物乞いをやってどうにか食いつないでいたときのことだ。
ある村から追い出されて、仕方がなしに兄弟二人でとぼとぼと街道を歩いて……腹が減ったのと歩き疲れたのとで、街道の横に寝っ転がっていたときのことだ」
なにしろ、べらぼうに腹が減っていて、動こうにも動けなくなっていた。
もう一歩も動けないくらいに、疲れ果てていた。
眠くて眠くて、とても寒かったが、結局、兄弟二人で肩を寄せ合って目を閉じ、じっとしていた。
しばらくして、兄貴に叩き起こされた。
なにかいる。近づいてくる、っていわれてな。
おれは起き上がり、目を凝らすと……確かに、暗い中にぼうっとした大きな影がこちらに近づいてくるのがわかった。
夜中だったが、なぜかそいつだけは見分けがついたんだ。
そいつは足音をたてながらおれたちの方に近づいてきて……しまいには鼻面をくっつけるようにして、おれと兄貴の顔を見比べはじめた。
なんどか首を左右に振ってから、ふんと鼻息をついて、そいつはいきなり体のむきを変えた。
それから、「ついて来い」とでもいいたげな動きで首を振り、おれたち兄弟が立ちあがり、歩き出すまで待っていた。
おれたちはよろよろと立ち上がり、その馬についていった。
なぜそうしたのかわからない。
おれはともかく、兄貴はそのころから用心深くてずるがしこくて……相手が人であろうがそれ以外のものであろうが、簡単に信じる質じゃあなかったはずだが……そのときは、素直にその馬のあとをついていった。
とにかくおれたちは、その馬を見失うまいと必死になってついていった。どうにも腹ぺこで足がしょっちゅうもつれたもんだが、とにかく気力を振り絞って歩き続けた。
その馬は結局、夜明け近くまでえんえんと歩き続け、最後には街道からそれて何年も前に打ち捨てられたような荒れ果てた村の中にはいっていった。
幸いなことに、そこにはまだ使える井戸があった。
おれと兄貴は井戸で水をくんでとりあえず空っぽの腹を満たした。
それから馬の姿を探し……ある小屋の前に立っているのを見つけた。
おれたち兄弟は、馬を追ってその小屋の前へ歩いていく。
小屋の中には……干からびた死体があった。この村の、最後の住人だったのだろう。
しかし重要なのはその死体ではなく、死体のそばにあった鞄だ。
その鞄の中には、表面にカビが生えていたが中身はまだまだ食えるパンと芽が生えかけたイモなんかが割と大量に入っていた。少なくとも、ガキ二人が当面の餓えをしのぐのは十分な量があった。
おれたち兄弟は競うようにしてそいつを貪った。なにしろ、ひさかたぶりのまともな食料だ。多少の毒でも構わずに、なんでもいいから腹に入れたい気分だった。
しばらくして、なんとか人心地がついてころ……おれたちは、あの馬が、おれたちの顔をじっとみていることに気づいた。
「……それで、どうなったんですか?」
「どうにもならない。
それからこいつは、ずっとおれといっしょだ。
命を救われたってこともあるが……それ以上に、こう、しっくりと来るんだよ、こいつとは」




