波乱含みの帰還
日の出前後に、野営地の心話通信圏内に入った。
いや、実際には夜中には通信が可能な場所にまで出ていたのかも知れないが、ハザマは就寝していたので具体的な時刻ははっきりとはしない。
いずれにせよ、エルシムたちが散布した通信タグの影響圏まで到達したということは、目的地である野営地にまでいくらもないということである。
まだまだ朝早いからなあ、とか思いつつ、ハザマはタマルに呼びかけてみた。
今回の戦利品についてなど、相談したい案件がいくつかあったからである。
『……おーい、タマル。
起きてるかな?』
『あ。
その声は……ハザマさんですか?』
『そうだけど。
こっちは、無事に当初の目標を達成し、脱落者もなくなぜが人数が増えて、戦利品もぼちぼち……ってところなんだけど……。
そっちの具合は?』
『それがですねえ、ハザマさん』
タマルは、意気込んでしゃべりだした。
『昨日、最前線のボバタタス橋で、大規模な軍事衝突がありまして……』
『いつものやってるこっちゃないか』
『規模が、ぜんぜん違います。
味方の被害だけでも、下手をすると十万に届くくらいの行方不明者が出るほどで……』
『……なんだ、そりゃあ』
ハザマは、絶句した。
魔法はあるものの、機関銃などの近代兵器があるわけではないこの世界では、一日あたりの戦死者がそれほど出るというのは、かなり異常なことだった。
『相手が巨大ロボットでも出してきたのか?』
『その、ろぼっと……というのが、なにかはわかりませんが……巨大であったことは、確かですね』
『巨大な、なにが出てきたんだ?』
『鳥、だそうです。
背の高さでいえば、人のおおよそ四倍から五倍。
それくらい大きな鳥が、こう、どどどどどーっと、橋の上にいる王国軍兵士たちを、一気に蹴散らしてまわったそうです』
『……なんだ、そりゃ?』
タマルに説明された内容がうまく想像できず、ハザマは本気で困惑した。
『やたらデカい鳥が……蹴散らした?
飛んできた、とかではなく?』
『鳥は鳥でも、その鳥は飛ぶのではなく走るんだそうです。
とはいえ、大きさが大きさですから、本気で走りめたら、そばに居る人たちはひとたまりもないでしょうけど……。
その大きな鳥とは別に、鳥に似た、空を飛ぶなにかも、何体か目撃されているようですが……』
『いっていいか、タマル』
ハザマは、タマルに伝える。
『今回ばかりは、お前の説明がよく理解できん』
「……デカい蜘蛛の次は、デカい鳥ねえ」
ハザマが、小さく呟く。
「次から次へと、よくもまあ……」
「……どうかしましたか?」
耳のすぐうしろで、イリーナの声がした。
イリーナは昨日から、「男性恐怖症を克服するため」と称して、時間があり次第、こうしてハザマにべっとりと密着して過ごしている。
少人数で行動している現在、すぐにどうこうするつもりもなかったが、帰って少し落ち着いたら、もっと親密な関係を結ぶ約束もしていた。
『むこうの様子をタマルに教えて貰ったんだが、さっぱりわからなかった』
あえて心話で、ハザマはイリーナに告げる。
心話による通信網については、まだ洞窟衆以外の者には秘密にしておきたかった。
『そうですか。
ですが、戦場のことですから、混乱して子細がわからないことは多いと思います』
イリーナが、ハザマの背中に抱きついてくる。
ハザマもイリーナも硬いレザーアーマーを着込んでいるので、肉の感触まではわからなかったが、それでも体温は伝わってくる。
「男は、もう怖くなくなったのか?」
声に出して、訊いてみた。
「ハザマさんだけですよ、こんなことをできるのは」
イリーナは、ハザマの肩に顎を乗せてそういった。
吐息が、ハザマの頬をくすぐる。
「おお。
砦と……それに、橋も、ずいぶんと立派なことになって……」
日が少し高くなった時刻に、ハザマたちが乗る大蜘蛛の殻は野営地に到着した。
ちなみに小蜘蛛たちは、少し手前に一度着岸して、そこの森に降ろしている。誤解を恐れた、というのが一番の理由だったが、ハザマが必要になるまでしばらくその場で野生生活を送って貰うつもりだった。
ハザマは大蜘蛛の殻を橋のかなり手前で着岸させ、そこに待ちかまえていた洞窟衆の者たちに戦利品を運ばせる。
大蜘蛛の殻の上から地上までは、かなりの高さになっていたが、ハザマをはじめとする洞窟衆の面々やルゥ・フェイの爺さん、ドゥ、トロワ、キャトルの三人などはそのまま一足で飛び降りた。
ブシャラヒム・アルマヌニアやガズリム、アジャス、ルアは、上から綱を垂らしてそれに捕まりながら降りる。
「われらは、ここで別れようと思う」
地面に降り立つなり、ブシャラヒムはハザマにむかってそう告げ、ガズリムもその言葉に頷いてた。
「はい。
今回は、どうもお疲れさまでございました」
ハザマも、素直に頭をさげた。
『……いいんですか?
いろいろ、口止めしなくて』
イリーナが、心話で訊ねてくる。
『いいの。
おれの国は、人の口に戸は立てられないっていいまわしがあってだな……口止めとか、要するに無駄だろ』
ハザマも、心話で答えた。
ルシアナのこととか、連れ帰った水妖使いたちやルアのことなど、秘匿しておきたいことは山ほどあるはずであったが……ハザマは、特に口止めをするつもりはないらしい。
秘密にしてもいずれ漏れるものと割り切っているのか、それとも、その手の工作を面倒くさがっているのか……おそらく、後者なんだろうな、と、イリーナは当たりをつける。
ブシャラヒムとガズリムと入れ替わるようにして、タマルが姿を現した。
「お前が直々に来るのかよ」
ハザマが、問いただす。
今となっては、それなりに使える手駒も育ってきているはずなのだが。
「今回は、予想外に値打ちものの戦利品があったと聞きまして」
タマルは、今にも揉み手をせんばかりの体勢だった。
「ああ。
まず、みての通り、蜘蛛類の殻がたくさん。
アジャスがいうことには、うまく加工すれば防具のいい材料になるそうだ。
それから、魔女の形見の衣装箱がいくつか。
中身は、衣服や装身具。それに、魔法関係の巻物」
「最後のは、わたしにも値踏みができません」
「まあ、そちら関係の扱いはエルシムさんあたりに任せよう。
それから……タマル。
この子らの服を、適当に見繕って揃えてやってくれ」
そういって、ハザマはドゥ、トロワ、キャトルの三人の姿を示す。
「……薄物を纏った、大、中、小の少女たち……。
ハザマさん、まさかあなた……そういう趣味……」
「ではないからな。
魔女に捕らえられていた子たちだ。
服……というよりも、布を体に巻いているだけなのは、この子たち、そのときの機嫌により、ときおり、尻尾や耳が生えたり変身するからだそうだ。
体の大きさが変わるたびに服をだいなしにしていたら勿体ないってことで、破れないようにこういう服装をしているそうなんだけど……なんだ、タマル。
その目は?」
「……ハザマさん。
わたしを、からかってません?」
「いつだって真面目だぞ、おれは」
「……そうでしたっけ?
それで、ハザマさん。
残った、こちらの方は?」
「……うーん。
どう説明したものか……。
いろいろ経緯はあったんだが……今では、すっかりいじけた女になっちまったなあ……。
少々入り組んでいるんで、詳しい説明はあとにするけど……おい、ルア!
こっちに来て挨拶くらいしてくれ!」
「……い……虐めます?
また、虐めるんですよね?」
「虐めないから、さっさとこっちに来てくれって……。
まあ、みた通り、今ではすっかりポンコツになったただの女だ。
魔法関係その他の知識はそれなりに持っているようなんで、しばらくは洞窟衆で面倒をみることにした」
「……ほれ、ちゃんとガグラダ族のアジャスが来たであろう」
「おお、ほんに……」
「……げっ!
か……かーちゃんっ!」
「げっ! となはんじゃ、げっ! とは。
それが、久方ぶりに対面する伴侶にむける言葉かや?」
「……あー、ファンタルさん。
この方は?」
「ガグラダ族の、モトラス。
なんでも、このアジャスのかみさんだそうだ」
「なんで、この場に?」
「ガグラダ族の者に、身代金請求の便りを書かせて送り出したところ、このご仁がすっ飛んできた」
「……なるほど」
ハザマは、ガグラダ族のアジャスの耳を思いっきり引っぱっている女性を素早く観察してみた。
森の中を移動するガグラダ族の例に漏れず、軽装。体の線がはっきりとわかる衣服を身につけている。
スタイルも、顔も、まずまず整っている方だろう。
少々目線がきつい印象もあるが……どのみち、他人の女だしなあ。
などと失礼なことを思っているうちに、そのモトラスがこちらに目をむけ、近くに寄ってきた。
「洞窟衆の頭領、ハザマ殿とお見受けします。
このたびは、うちの宿六と若い者がお世話になり……」
「いやまあ、世話といっても、捕虜にしたわけで……別に、お礼をいわれる筋合いでは……」
「捕虜になるとは、いくさの場で、命を取らずに見逃してくれた、ということでもあります」
ガグラダ族のモトラスは、きっぱりとした口調でそう断言する。
……こっちの世界の理路では、そういうことになるのかな? と、ハザマは、ぼんやりとそんなことを思う。
「つきましては……われらガグラダ族が身代金に値する財貨がない以上、救命の恩を返すまでハザマ殿のために働くのが筋というもの」
『……なに?
こっちでは、そういうことになるわけ?』
心話を使用して、ハザマは近くにいたファンタルに問いかけてみた。
『このような考え方は、あまり一般的ではないな』
ファンタルは、即座に返答してくる。
『通常は、捕まったやつの要領が悪い。奴隷落ちもやむなし、と考えるものだが……。
だが、ものは考えようだ。
こうまでいってくれているのだから、気が済むまで使ってやってはどうか?
山岳民とはいえ、ガグラダ族もそれなりに見所がある連中ではあるぞ』
ファンタルのいう「見所がある」というのは、だいたい戦闘方面の能力についての評価であることが多かった。
『ファンタルさんがそういうのなら……厚意は素直に受けておきますか』
こうして、ガグラダ族が期間限定で洞窟衆の仲間となった。
さっそく、ハザマは知り合ったばかりのモトラスに蜘蛛の殻について相談してみる。
「これを加工して、ですか?」
「アジャスから、いい防具になるといわれたのですが」
「……軽くて、この硬さならば、確かに。
いい職人に手渡せば、いい防具になるでしょう」
モトラスは、そういって頷く。
「やはりアジャスが、この手ことに熟練した職人が山岳民の中に居るといっていましたが……」
「それもまた、然り」
また、モトラスが頷く。
「うちの宿六も、たまにはいい提案をしてくれる」
「では、その職人を紹介して貰えますね?
相場程度の仲介料は払いますので……」
「仲介よりも、こちらまで呼び寄せた方が早いでしょう」
「……ここは、戦場ですよ?
来る人が、いるもんですか?」
ハザマが、質問をぶつけてみた。
「なに、森の中は、実に静かなものだ。
流石は、エルフの戦神、ファンタル様の直轄地……」
モトラスは目と頬に、熱を帯びはじめた。
「ファンタル……様、って……」
ハザマは、若干引き気味になる。
「ガグラダ族は強き者を尊び、森の中を自在に駆けるエルフも敬愛しております。
エルフであり、古くから数々の逸話を残している戦士であらせられるファンタル様は、これはもう生き神様といっても過言ではないかと……」
熱を帯びた口調でそんなことをいいはじめたモトラスの背後で、ファンタルが若干顔色をなくしながら、露骨に視線を逸らしていた。
戦利品の処分については、だいたいのところ手配がついたので、ハザマは残った者たちを連れて洞窟衆の天幕まで移動することにした。
その途中で、
「タダ酒飲み放題の約束を忘れるなよ!」
といいながら、ゼスチャラが別れていく。
「いいの?
あいつ、あのまま放り出しちゃって」
ハザマは、小声でエルシムに確認する。
「なに、用ができたらいつでも呼び立てればよい」
エルシムは、澄ました顔で答える。
「昨日も、こちらではだいぶん騒がしいことになっていたようだから……こちらに帰ってきたと知れば、ムムリムあたりが速攻で呼び立ててこき使うであろう」
なるほどなあ、と、ハザマは思う。
これでこちらでは、ちゃんと魔法が使える者は、それだけで引っ張りだこなのだった。
「……そういや、ルアって魔法使えるの?」
自分の名前を耳にしただけで、ルアは、
「……ひっ!」
と小さな悲鳴をあげるようになっていた。
「魔法は使えないです。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
知識があるだけです。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
生まれてすいません。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
……少々、折檻をやりすぎたかな、と、ハザマは思った。




