戦塵の事情
とはいえ、このままいつまでも座視しているわけにはいかない。
山岳民の兵士たちは動揺しつつも、徐々に体制を再編しはじめた。
乱れた陣形を整え、弓矢や連弩などの遠距離用の武器を構え、魔法を使える者は前に出て連続で攻撃魔法を王国軍の部隊にむけて放つ。
弓矢などではびくともしなかった王国軍も、強大な威力を持つ攻撃魔法の猛攻にさらされては、ひとたまりもなかった。
なまじ密集しているから数十人、いや、数百人単位の将兵があっという間に襤褸切れのように無惨に切り裂かれ、焼かれて吹き飛ばされる。
しかし、そうした仲間の亡骸を乗り越えて、それまで倒した兵士の十倍以上の人数がこちらに押し寄せてくるのだった。
実のところ、この時点までの山岳民側の被害は、ヴァンクレスとスセリセスが行った大規模魔法攻撃とその直後の王国軍騎馬隊によるものがほとんどであり、現在相手にしている王国軍装歩兵隊による直接的な被害というものは実際にはかなり少なかったりするのだが……倒しても倒しても隊列を乱さずこちらにむかってくる歩兵隊の姿はどこか悪夢めいていて、山岳民将兵の精神を圧迫し、疲弊させていった。
「……うちの若様も、困ったものです」
軍師のバツキヤはそういってため息をついた。
「橋を越えられたとはいっても、わが軍はまだまだ健在です。
兵数や戦力を比較しても、まだまだ王国軍などにおくれをとるほど損害をこうむっているわけではないというのに……すっかり動揺して逃げ支度なんかしはじめて……。
実際、こうしている今も、うちの軍隊は必死になって体制を立て直している最中のはずなんですけどね。
だいたい、危険なときほど動じない剛胆さを周囲に見せつけておかないと、他の人たちだってついてきやしませんよ……」
「もっともだとは思いますが……」
マニュルは、そう指摘した。
「……そういうことでしたら……その若様には安全なところまで下がって貰って、非常時ということでバツキヤさんはその若様から一時的に指揮権をお預かりしてみてはどうでしょうか?」
「マニュルさんも、そうお思いになりますか?」
「やはり、邪魔な……じゃなかった、やんごとなきお身分の方には安全なところまでおさがりいただくのが上策であるかと。
それに、いちいち若様にお伺いをたてるよりは、バツキヤさんが直接軍を動かした方が、いい結果になると思いますし……」
「そうですね。
やはり、若様の安全が第一ですものね」
バツキヤは立ちあがる。
「それでは早速、わたしは若様のところにいって、そのように進言して兵権をお預かりしてきます」
「あの、バツキヤさん」
「なんでしょうか? マニュルさん」
「しばらく、こちらにお世話になろうと思っているのですが……その宿代代わりといってはなんですが、この場で少々加勢させていただいても構いませんでしょうか?」
「願ってもないことです。
ただ……マニュルさん。
他の兵士たちの取り分も、少しは残しておいてくださいね」
「……放て!」
号令の元、多数の物体が王国軍にむかって投擲された。
それは黒色火薬の包みに持ち手と火縄をつけただけの、原始的な投擲爆弾であった。魔法使いは、軍の規模と比較すれば絶対的な人数が少なく、その分の火力不足を補うために開発された代物だった。成分や製造法などの情報を他国へ漏らさないようにしているが、多くの鉱山を抱える山岳民連合では古くからな火薬の製造が行われていたのだった。平時は鉱山で岩盤を破砕するために使用されているのだが、戦時にはこうして兵器として転用されている。
多数の火がついた縄をともなった投擲爆弾が宙を舞い、王国軍部隊の直上へと落ちていく。
「投げ返せ!
急いで、投げ返せ!」
焦ったような怒号が行き交い、いくつかの投擲爆弾が山岳民側に投げ返された。
扱いに慣れていない王国軍兵士によって投げされたもののいくつか飛距離が足りず歩兵隊のただ中で爆発して被害を与え、残りのいくつかは山岳民軍のそばに落ちてそこで爆発、いくらかの被害を与える。
残りの大部分は投げ返すのが間に合わず、王国軍歩兵部隊に甚大な被害を与えた。
この爆弾と地雷とは、山岳軍の敵国に共通して恐れられた大量殺戮兵器であった。
「放て! 放て!」
成果を確認する間もなく、次々と投擲爆弾が王国軍にむかって飛んでいく。
王国軍がいかに不気味な存在であろうとも、損害を与えられることは事実なのだ。
で、あるのなら、着実に打撃を与えて多少なりとも相手の数を減らしていくのが上策というものだろう。
ヴァンクレスは厩舎に入ると愛馬を降り、スセリセスが馬から降りるのにも手を貸し、馬を馬丁たちに預けた。
そのまま厩舎を出て、自分たちにあてがわれた野営地へとむかう。
そのあとを追っていたスセリセスは、ヴァンクレスの革鎧に、所々小さな穴が穿たれていることに気づいた。
厩舎からは野営地までは歩いてもいくらもかからず、二人はすぐにその中に入る。
中に入ると何人もの奴隷たちが集まってきてヴァンクレスにとりつき、体のそこここに突き刺さった矢をすべて折ってから、ヴァンクレスの鎧を脱がした。
分厚い鞣し革に板金を張りつけたヴァンクレスのプレートアーマーはいかにも重そうな代物で、上着だけでも奴隷が二人がかりでようやく抱えている有様だった。
ああ、そうか……と、ここに至って、スセリセスはヴァンクレスの鎧に空いた小さな穴の正体にようやく気づく。
あれは、矢が刺さったとこにできた穴で、奴隷たちがさきほど矢を折っていたのは、そうしなければ鎧が脱げないからだ、と。
そのヴァンクレスは上半身裸のまま奴隷の手から酒瓶をもぎ取り、そのままラッパ飲みしているところだった。
「……いいんですか?
お酒なんか飲んで」
「飲まずにやっていられるもんか」
ヴァンクレスは、いかにもつまらなそうな顔をして、呟く。
「今日はもう、十分に働いたしな。
普段にもまして、たっぷりと殺した」
そういってヴァンクレスは、どっかりとベンチに腰を降ろす。
ペンチを持った奴隷たちが集まってきて、ヴァンクレスの体に刺さったままの鏃を引き抜きはじめた。
痛そうな光景を目の当たりにして、スセリセスが軽く顔をしかめる。
「それよりもお前……大丈夫なのか?
お前、人を殺したのは、これがはじめてだろう?
新兵は、まずそこで躓くもんだが……」
「あ……ああ……」
スセリセスは、呻く。
「そういえば……そうでしたね。
大勢……殺したのでした。
今日は、いろいろありすぎて……なんか、実感が湧きませんでした。
それに……」
「……それに?」
ヴァンクレスは、また一口、酒を喉に注ぎ込む。
「途中から……なにか熱いかたまりが、ヴァンクレスさんから流れ込んできたような感触がして……」
「……なんだ、そりゃ?」
「わかりません」
スセリセスは、軽く首を振った。
「あるいは、気のせいなのかも知れませんが……。
ぼくが敵中で攻撃魔法を放ったとき……そんな気分になったんです。
熱い、どろっとしたなにかがぼくの中に入ってきて……活力を与えてくれたような……うまくいえませんが……」
「ときおり、流血沙汰に淫する気質のやつがいることはいるんだが……お前の場合は、どうもそれとは違うみたいだな……」
ヴァンクレスは、スセリセスの顔をまじまじと見つめて、いう。
「淫する……ですか?」
「血に酔う、といったらわかるか?
誰かを殺傷することに、快楽をおぼえる……」
「あ……ああ。
そういう人がいることは、耳にしたことがあります」
「おれは、ここに来る前は盗賊をやっていた。
そのときにも何人かいたし、この戦場でもそれらしきやつを見かけたことがある。
だがな、そういうやつらっていうのは、殺傷そのものが目的になっちまって、冷静に周りを見渡すことを疎かにすることが多いから、どのみち長生きはしねえ。
それでお前は、こうして冷静にはなしができるんだから、そういう種類の人間でもなさそうだしな……」
変なやつだ、と、ヴァンクレスは呟く。
「そんで、小僧。
お前、なんて名だったけか?」
「スセリセスです。
出る前に、一度名乗ったはずですが……」
「いちいちおぼえやしねーよ。
ここでは、最初に戦場に出て、そこではいおさらばよってやつが多いんだ」
ヴァンクレスは、不意に真顔になってそういうのだった。
「だが、小僧。
お前とのつきあいは、どうやら長くなりそうだからな。
おれの突破力とお前の打撃力、この組み合わせは、どうやら相性がよいようだ。
おれたちの意志を無視してでも、上の方は組ませようとするだろうよ」
王国軍総司令部。
「ボバタタス橋方面の状況は?」
「いつになく、善戦しております」
「ブラズニア公」
重々しいディグスデオドル・ベレンティア公の声が、あたりに響く。
「情報は、正確に頼む」
「は。
ボバタタス橋はおおむねわが軍が占拠することに成功いたしました。
しかし、特に橋のむこうに着いたわが軍の損害が激しく……」
「判明している限りの、わが軍の損害は?」
「……わがブラズニア軍、戦死かあるいは行方不明者、約二万五千。
ベレンティア軍、同じく戦死かあるいは行方不明者、約三万五千。
その他、傭兵などの損害はいまだ集計が終わらず。しかし、推測ではおそらく二万から三万以上いはいっているのではないかと……」
「それだけの死者を出して、ようやく橋が一つ、か……」
ベレンティア公は、呟く。
「さて、もう少しうまいやりようが、なかったものか……。
たとえば、むこう岸に砦を構えたとかいうムヒライヒ・アルマヌニア卿と連動すれば、もう少し敵軍の注意を分散できたのではなかったか……」
「おっしゃることはよく理解できますが……そもそも、本日のわが軍の猛攻は、本来予定されていたものではありませんでした。
奇跡的に成功したわが軍の奇襲に便乗する形で行われたものなので……。
こういってはなんですが、事前に今日の強襲を予測できた者は、誰もいなかったでありましょう」
「まさに、いくさは生き物だな」
ベレンティア公は、頷く。
「それで、名は、なんといったか?
今日の大攻勢のきっかけとなった奇襲を行ったのは?
確か、決死隊の騎兵と魔法兵が組んで行ったと聞き及んでいるが……」
「……おお。
やってるやってる」
その戦場を目前にして、マニュルは笑みを浮かべる。
爆音と剣戟の音。悲鳴と怒号。断末魔の叫び。
どれも、マニュルにはおなじみの、耳に快い音楽だった。
「おい! 貴様!」
ある山岳兵が、マニュルに声をかけてきた。
「ガキがなにをしていやがる!
ここはもう危険だ!
さっさと安全な場所まで待避を……」
「ガキっていうなぁっ!」
マニュルは、その兵士に顔をむけて叫んだ。
「チュシャ! ロック鳥を出して!」
次の瞬間、なにもなかった空間に突如巨大な影が出現する。
……影?
いいや、確かにそれは、実体を持った「何者か」であった。
マニュルと名乗った少女が片手をあげて合図すると、その「何者か」は首を地面すれすれにまで下げ、マニュルはその首に跨がる。
「あたしは、マニュル。
聞いたことがない?
獣繰りの、マニュル」
「……ルシアナの子ら……」
呻くように、兵士はその言葉を口にした。
「そう、正解。
そのマニュルは、軍師のバツキヤの命により、これより王国軍の討伐にむかいます。
巻き添えを食らいたくなければ……うちの軍の人たちは、はやめに待避させておいた方がいいよ!」
そのように続けるマニュルの声は、途中からかなり高い場所から聞こえてくるようになった。
マニュルが「ロック鳥」と呼んだ生物が首を高く伸ばし、マニュルの体を大きく持ち上げたからだ。
ロック鳥。
全高八メートル以上にもなる巨大な体躯を持つ、鳥であった。
しかし、駝鳥に似た姿をしていることからもわかるように、ロック鳥は飛ぶことができなかった。
代わりに、その強靱な足腰によって力強く大地を駆ける。
「行こう! ロック鳥!」
見上げるばかりのロック鳥の巨体に跨がったマニュルは、晴れ晴れとした表情でそう宣言する。
「軽く……王国軍とやらを蹴散らしてやろう!」




