水上の錯綜
「……それで、おめおめと逃げ帰ってきたと?」
病床にあるクツイルにむかい、刺々しい言葉を吐いた者がいた。
「貴様、それでも栄えあるルシアナの子の一員か?」
「そういってやるな、サマエヌ。
このクツイルも、これで命からがら尻尾を巻いて逃げてきたんだし」
「そうそう。
クツイルが無事に逃げてこなければ、ルシアナ逝去の真相もいつまでも闇の中だったわけだし……」
一見してクツイルを庇うような内容だったが、実際には言葉の中に嘲笑を含んでいる。
伝令師クツイルの寝台の周囲には、年齢もまちまちな数名の男女が集まっていた。
誰もが山岳民連合の中でそれなりの働きをし、相応の地位にある者たちばかりだ。
彼らの共通点はというと、ただひとつ……大魔女ルシアナの人体実験によって、異常な能力を獲得し、それによって現在の地位を獲得している、ということだけだった。
本来なら、こうして一堂に介する機会などあり得ないはずなのだが……。
「……おれたちの産みの親が、こうもあっさりと殺されてしまってはなあ……」
ある男が、呟く。
「あのお袋様は、どうやっても死なないものだとばかり……少なくとも、おれたちなどよりもずっと長生きするものだとばかり、思っていたが……」
「弔い合戦でも起こすつもりかい、バクビェル。
そんな義理もないと思うけど……」
「義理のことは置いておいても、だ」
バクビェルと呼ばれた男は、そう応えた。
「そのハザマというのが、少し気になることは確かだ。
実際に顕現した能力に違いはあれど、どうやらルシアナの在り様と似通った形態であるようだし……。
見張りをつけて様子を伺おうにも、一番そういう仕事にむいている伝令師がこの様ではなあ」
「あたしが、いくよ」
ひとりの少女が、片手をあげる。
「ちょうど、そちらの戦場にも用事があることだし……」
「あの戦場か」
「当初の予想以上に、山岳民側が押されているようだが」
「あそこには確か、バカ王子の子守でバツキヤがいっているはずだが……」
「マニュル、か。
そうか、お前がいってくれるか」
バクビェルは、満面の笑みを浮かべた。
「よし。
それじゃあ、試してみるか」
大蜘蛛の死骸の縁に立ったハザマが、そう宣言をする。
その肩には、ようやく大蜘蛛の屍肉を喰い尽くしたのか、再び姿を現したバジルが乗っかって日向ぼっこをしていた。
「さて、どこまでいけるか……よっ!」
ハザマが合図をすると、白い腹を見せ、川の表面に、大量の魚が浮かびあがる。
川岸から川岸まで、川の全幅を覆う範囲で「硬直化」の能力が発動したことが確認できたわけだが、この地点の川幅はハザマの目測でおおよそ六十メートルくらい。
以前、計測したときの能力が効果を及ぼす範囲は、半径三十五メートル前後であったから、以前より能力が増しているのかどうかまでは確認することができなかった。
「おおー」
と歓声をあげながら、ドゥ、トロワ、キャトルの三人は水を操作して硬直している魚を大蜘蛛の上まで運びあげた。
リンザ、トエス、イリーナの三人が、その魚をせっせと串に刺し、焚き火のそばに固定する。
「いいか。
今度から食べ物は、火を通してから食うように。
ごくまれに生のままでも食べられるものもあるが、たいていの食べ物はそのままでは体に毒だ」
寄生虫や感染症、食中毒などを予防するためにも、この手の躾は最初から厳し目で臨んでおいた方がいい、と、ハザマは判断している。
「焼いた魚も、焦げ目が香ばしくておいしいから」
水妖使いの三人は、これまでかなり特殊な、閉ざされた環境に生まれ育ってきている。
実質、日常レベルの基礎知識から教え直しになるだろうな、と、そのように予想していた。
きちんといって聞かせれば素直にこちらのいうことに耳を傾けてくれるのが、まだしも幸いというものだが……。
細かい部分は面倒そうだから、こいつらの教育については、帰ってからカレニライナとクリフの姉弟にでも丸投げしよう……と、ハザマは考えている。
あの二人とは(精神)年齢も近いし、ちょうどいいといえばちょうどいい。
「……はぁ、はぁ」
「どうした? マニュル。
ずいぶんと早いご帰還じゃないか」
「あの男……ただ者じゃない……。
川岸に伏兵を置いてたんだけど、いざ一斉攻撃を開始、っていうときに……見計らったように、軒並み、硬直化されて……」
「ぐ……偶然ではないのか?」
「そんな偶然があるものか!」
マニュルが、叫ぶ。
「硬直化が解けたあとも……せっかくここまで育ててきたやつらがすっかり怯えてしまって……もう使い物にならなくなっているしっ!」
「……なに?
お前の兵隊たちが……だと」
バクビェルは、はじめて厳しい表情になった。
「それほどの男なのか。
それでは……こちらも、心してかからねばならないな。
どれ、今度は、おれも同道しよう」
ルゥ・フェイの爺さんとガズリムは、あの女を挟んで三人でなにやらはなし込んでいる。
ルシアナ絡みのいわくというか因縁があるそうだが、正直なところ、ハザマはそちらの事情にあまり感心を持てなかった。当事者同士で解決できるのならばそれが一番であるし、それでも収拾がつかないのであればあの女を痛めつけることなどでなんとか納得して貰うしかない。
ハザマにしてみれば、ルシアナの部品であったあの女の知識や経験をそれなりに惜しむ気持ちも多少はあったが、どうしてもあの二人が納得できないようであれば、最悪の場合は殺させることも覚悟していた。
もうかなり長くはなしているところをみると、そこまでの心配はいらないようだが。
ガズリムはともかく、爺さんにしてみれば恨み骨髄な相手なのだろうが、こうして会話が成立しているということは、なにかしらの妥協が成立する余地がある、という事でもある。
ガグラダ族のアジャスとブシャラヒム・アルマヌニアは、エルシムとゼスチャラから手当を受けたあと、その場に寝そべって休憩していた。
どこか所在なげな風情でもあったが、なにやら考え事をしているようにも見える。
ときおり、この二人はなにか短い言葉をやりとりしているので、完全に眠っているわけでもなさそうだった。
「……どれくらいで帰れるものかな?」
川魚の身をナイフで開きながら、ハザマが呟く。
「このままなにもなければ、明日の朝には着くと思うけど……ハザマ。
それ、なにやってんの?」
ドゥが、ハザマの手元を覗きこみながら、問いかけてくる。
「多すぎて食べきれないだろうから、開いて干物にしようかと思ってな」
「……干物?」
「天日で乾かして、日持ちがする保存食に加工する。
そういっても、わからんか。
お前ら、まともな料理も食ったことがなかったんだもな……」
ハザマは、天を仰いだ。
「……料理って、なに?」
案の定、ドゥが訊ねてくる。
「食べ物を、食べやすく加工することだ。
具体的にいうと、切ったり、火を通したり、味をつけたり……」
「生きたまま食べてはいけないの?」
「前にも説明したけど、そのままでは衛生的な問題がある。
あと、味。この問題も、大きい。
血抜きをしない肉よりも血抜きをした肉のがだんぜん生臭くないし、火を通していない肉よりも火を通した肉の方がうまいし食べやすい。
このへんは、まあ、これから試して貰えば否が応でも納得ができると思う」
「……ふぅーん……」
まだ完全に納得できないような顔をして、それでもドゥは引き下がってくれる。
「……あひぃっ! うひぃっ!」
聞きようによっては艶めかしい声があたりに響いていた。
別に色っぽい事情があるわけではなく、かつてルシアナの一部分であった女がドゥ、トロワ、キャトルの三人から、順番に責められて苦悶の声をあげているのだった。
もう何度も失禁しているし、気絶をするたびにゼスチャラに回復魔法をかけられ、その苦痛に飛び起きて意識を回復する、ということを繰り返している。傷を治療されることも、ここでは責め苦の一部を担っていた。
ルゥ・フェイとガズリムの「おはなし」が終わり、例の女……どうやら、「ルア」と名乗ることにしたらしいが……は、今、延々と尻を叩かれている最中であった。
ドゥ、トロワ、キャトルの三人は、最初のうちこそ目新しい遊びかなにかと思って喜び勇んでルアの尻を叩いていたものだが、すぐに飽きて、途中からはいやいや、惰性で叩いているような風情であった。
「なあなあ、ハザマさんよう」
ゼスチャラが、卑下た笑みを浮かべてハザマに提案してきた。
「女の捕虜っていったら、もっとこう、よりふさわしい処遇というもんがあんだろう?
なんなら、おれが一肌脱いでも……」
「あの女……ルアがそうされてもいいっていったらな」
ハザマの返答は、あくまで素っ気ない。
「そういうのは、個人的には趣味じゃないしな」
ハザマの背後にいたイリーナが睨んでいたのが原因ではないだろうが、ゼスチャラはそれ以降、この件について言及することはなかった。
「……あのルシアナが、まさかこのような姿になっているとは……」
川岸にある木立の中で、バクビェルはその姿を確認した。
「だからいったでしょ。
あいつら、もう水妖使いを取り込んでいるだ。
尋常な相手ではないよ」
切迫した声で応えたのは、マニュルという少女であった。
「いや、そちらのことではなく……尻を、叩かれている」
遠眼鏡から目を離して、バクビェルが呟いた。
「……尻?
今、尻といいましたか?」
「いや、なんでもない。
そのことは忘れてくれ。
しかし……速いな。
もう見えなくなってしまった」
「……水妖使いが、操作しているから……」
いいにくそうに、マニュルが答えた。
彼らの視界にハザマたちが乗った大蜘蛛の姿が捕らえられていたのは、わずかに数十秒でしかない。
「……マニュル。
もう一度、先回りして貰えるか。
いや、いっそ、王国軍の野営地で待ち受けるという手も……」
「バクビェル。
そこには王国軍とか他の洞窟衆も大勢いるから」
「ああ、そうか。
そこに着く前に、決着をつけるのが望ましいのか……」
「どうする?
あたしの兵隊は今、使い物にならないし……バクビェルの能力も、戦闘向きではないし……」
「……しばらくは、様子見に徹することにしよう。われらはやつのことを、ほとんどなにも知らないわけだからな。
そうだ、マニュル。
おぬし、しばらくあの男の周囲にはりついて、それとなく身辺を探ってみてくれ。
おぬしであれば、なにかと融通が利く身であるし……」
「もともとそのつもりだったけど……バクビェルは?」
「おれは……どうやら、この場では役立たずのようだ。
元の場所に戻して貰えると、助かる」
「……わかった」
「いいか。
その弓はかなりの強弓で、部族の中でもこのおれにしか……」
いいかけて、アジャスは口を開いたまま、硬直した。
「引けましたけど?」
リンザの言葉通り、アジャスの強弓は、リンザの両腕によってこれ以上はないくらいに引かれていた。
「……こんな小娘が……おれの弓を……」
目を丸くしながら、ぶつくさと呟きはじめるアジャス。
「いや、少し前のリンザなら、こうも簡単に引くことはできなかったと思うが……」
エルシムは、そう説明した。
「念のため、トエスとイリーナも試してみよ」
トエスとイリーナの二人も、アジャスの弓を軽々と引いた。
「やはり、みな、位階があがっているようだな」
「残してきた洞窟衆は、どうなんだろう?」
「帰って確かめてみないことにはなんともいえぬが……おそらくは、お前様となんらかの縁を結んでいる者ほど、強い影響を受けていることであろう」
「今までのように?」
「今までのように、だ。
そのバジルは、自分より位階が高い相手を喰らうことで、自身の位階をあげる。
この法則は、どうやら確実に証明されたようだな」
そのバジルは……大蜘蛛を平らげたあと、焼き魚まで何匹か食べ終えて、日向ぼっこをしながら昼寝をしていた。




