激闘のボバタタス
ここで一時、ハザマたちの動向から目を転じて最大の激戦区であるボバタタス橋の様子を伺うことにしよう。
ボバタタス橋とは、幅約五十メートル長さ約四キロメートルほどの、タバス川に架かった橋である。
緑の街道の延長上にある……というよりは、その一部分、であった。
緑の街道とは、以前にハザマが感心した通り、万年単位の昔に現在では再現不能な超技術で造られたオーパーツであり、ボバタタス橋もその先にあるビンミェラ山脈を貫く大隧道も、同じ技術で造られているものと推測されていた。
街道を形成する材質は、一見して通常の石材のようではあるが、その実、不自然なほどに頑丈で、一度として割れたり欠けたりといった前例を見聞した者がいない。
なにより、山脈ひとつを貫いてひたすら直線状にひた走るトンネルを完成できる者は、今の地上には皆無だった。
あまりにも破格な古代遺産、緑の街道は、その製法こそまるで伝わっていないものの、大昔から現在に至るまで周辺の民に親しまれ、実用されている。
なにしろ、山脈ひとつを貫いてさらにその前後に、どこまでも続いていく街道だ。
重要な商路であったし、これも当たり前のはなしになるが、戦略的な価値も絶大なものといえた。
過去に何度か山岳民と王国の間に交わされた紛争も、主としてこの橋の通行権を巡って争われている。
タバス川は両者の国境でもあり、そこにかかるボバタタス橋も、平時は国境の一部として、つまり、両国のどちらにも属さない緩衝地の一部として扱われていた。
しかし、両者の緊張関係が強まると、途端にそこを通す、通さないの争いがはじまる。
ボバタタス橋の左右はかなり長い距離に渡って深い渓谷となっており、橋を経由しないで岸を渡るとなると、大きく迂回する必要があった。
また、橋を抜ければ緑の街道は王国首都まで直通しており、そこを通過されるという事は、短時間のうちに首都を直撃される可能性が出てくることを意味する。
王国の安全保障にとって、極めて重要な地点であるといえた。
そして、今も……ボバタタス橋を巡り、一進一退、血みどろの戦いが繰り広げられていた。
戦いはすでに三十日以上もの長きに渡っている。
その痕跡は、当然橋の上に累々と留められていた。
打ち捨てられた、武器や防具、旗印。
半壊され、あるいは完全に破壊された防柵や土塁。
人馬の死体。
それらは、別に意図的にその場に放置されているわけではない。
昼夜を問わず、両陣営からの矢や魔法が止まらずに行き来するので、のんびり回収をするわけにもいかず、結果的に放置されて今に至っている。
特に、橋の中央部近く、二百メートルほどの地帯の残留物は酷かった。
量的にも、惨状としても、酷い。
近寄るだけで、血や贓物の腐った匂いが鼻につくほどであった。
戦場本来の姿だといってしまえば、それまでなのだが。
しかしそこは、別に死だけが支配する場所ではなかった。
それどころか、ここしばらくは蠢く生者の姿が絶えたことはない。
得物を振りかざして雄叫びをあげ、互いに殺し合おうとする兵士たちも、その多くはすぐに死者の仲間入りをするとはいえ、いまだ生者のうちには入るだろう。
今もまた、両軍の兵士たちが自分の生命を掛け金にした賭博を行っている最中であった。
「耐えろ!
ガマスクが詠唱を終えるまで、保たせてみせろ!」
「ええい! くそっ!
誰かやつらの矢を黙らせろ!」
「腕がぁ! おれの腕がぁ!」
「ムイフイが吹っ飛ばされたっ!
まだ地雷が残ってんぞっ!」
「愚図愚図すんなよ、おらぁ!
今突っ込めば敵軍を崩せるぞぉ!」
怒号と悲鳴に混ざって、そんな声が切れ切れに聞こえてくる。
三十日以上の期間、途切れることなく日々、何百、何千という死者を生産しているボバタタス橋とは、つまりはそんな場所であった。
「また行きやすかい? 兄貴」
「おう。
お偉いさんの仰せだ」
王国側の橋のたもとで、騎馬の主従がそんな会話をする。
「せいぜい派手に暴れてこようや」
異様な一団であった。
突破力のある騎兵は、わずかにその二騎しかいない。
あとは、傷だらけになった盾を持った、十名ほどの兵士がいるだけだった。
正規の兵士ではないらしく、みな一様に薄汚れ、いったいどこから調達してきたのか、衣服も装備もバラバラであった。
剛胆なのか、それとも自棄になっているのか。
これから激戦区に飛び込もうというのに、怯えた様子をみせる者は皆無であり、それどころか、一体なにを考えているのか、酷薄な笑みを浮かべている者さえいる。
「いくぜ、野郎ども!」
ひときわ立派な体格の、黒い馬に乗った大男が、叫ぶ。
「人間、いつかは死ぬもんだぁっ!」
「ドン・デラの決死隊、出るぞぉっ!
最後まで生き延びれば、それで恩赦だぁ!」
副官の男も、叫ぶ。
歩兵たちも、てんでバラバラに野卑な声をあげた。
黒い馬に乗った大男は、あとも見ずに馬を走らせた。
慌てる様子もなく、副官の馬と歩兵たちがだらだらと続く。
その大男は、背に「間」と書かれた旗を括りつけていた。
かつての盗賊ヴァンクレスと、わずか数日で当初の十分の一以下までその人数を減らした囚人たちの姿だった。
「……わははははは……」
哄笑を放ちながら、ヴァンクレスは馬を進める。
速かった。
死体や残骸がそこここに放置され、足場が悪い場所であったが、それを意に介する様子もなく、その馬は疾走する。
馬もヴァンクレスも大柄であったので、その姿は大変に目立った。
案の定、敵陣から高密度の矢を受けるが……それで怯んだ様子もなく、さらに速度をあげる。
兜の面頬と板金の胸部装甲に大量の矢が命中し、雨だれのような音を発するが、ヴァンクレスはそれも意に介さない。
「……わははははは……」
笑う。
ただ、笑う。
走る。
ただ、走る。
まるで敵の攻撃など存在しないかのように人馬は走り続け、すぐに敵陣の直前にまで到達した。
胸の高さまで土塁を積みあげた陣だった。
弓矢を構えた兵士たちがその内側にいたが、ヴァンクレスはそれを無視するように、馬を跳躍させる。
逃げまどう弓兵たちの背後に降りたち、ヴァンクレスは手にした大鎚を手に、馬首を返す。
ぶん、と、音をたてて、大鎚が弧を描いた。
「……わははははは……」
肩といわず頭といわず、その軌道上にあった物体がひしゃげて赤い液体が散る。
ぶん、と、音をたてて、大鎚が弧を描いた。
ヴァンクレスの馬は、大きな体に似合わず、小回りも利くらしい。
その場で小刻みにステップを繰り返し、小さく旋回してみせる。
何度かヴァンクレスの大鎚が唸りをあげ、周囲から兵士が一掃された。
「……わははははは……」
ヴァンクレスは土塁に沿って、馬を走らせる。
その場にいた兵士たちを、片端から大鎚で粉砕しながら。
すっかり恐慌に駆られて逃げまどいながらも、山岳民兵士たちはあっさりとヴァンクレスの持つ大鎚の餌食となった。
無論、山岳民側も、ヴァンクレスの蛮行を好んで座視していたわけではない。
騎兵であるヴァンクレスの機動力に即応するのは、物理的に難しかったが……すぐに、報復のための伏兵が動き出した。
林立したハルバート、メイスがヴァンクレスの元へと駆けつけた。
どれも長柄で……おそらく、柄の長さは三メートル以上、あるだろう。
しかし、林立した武器を手にした兵士たちの背は、驚くほど低かった。
もっとも背が高い者でも、せいぜい百三十センチほどの背丈でしかない。
彼らが人間であったなら、明らかに侏儒呼ばわりされていたことだろう。
しかし、彼らは侏儒などではない。
背丈こそ小さいが、胴回りも胸も、腕も腿も、みな、一様に、太い。
なにより、銀色に輝く、分厚い金属の具足をつけたまま軽々と動き回る力強さ。
「来たか! チビども!」
ヴァンクレスが、吼える。
「応よ! 赤鬼!」
ドワーフ隊の長が、答える。
あとは……言葉は、不要であった。
どちらも防御を考えず、ただひたすら、敵の姿にむかって自分の所持する武器を叩きつける。
策も作法もない、蛮人と蛮族の戦い方だった。
「……わははははは……」
ヴァンクレスは、笑う。
ドワーフたちの体が、重い具足ごと軽々と吹っ飛んでいく。
したたかに攻撃を受け、ヴァンクレスの手足や頭部から、血が流れはじめる。
「……わははははは……」
しかし、ヴァンクレスは痛みを感じない。
興奮していることもあったが……それ以上に、ヴァンクレスが乗る馬の能力、「狂化」が発動していた。
以前、ハザマと戦ったときには、バジルの能力に対抗する側面ばかりが強調されたものだが……「狂化」本来の能力とは、使用対象から理性を奪い、変わりに、一時的に身体能力その他の性能を底上げすることであった。
その「狂化」が発動している今、ヴァンクレスは痛みを意識することもないし、それ以上に、細かい判断能力を喪失した状態にある。
今のヴァンクレスとその乗馬は、体力が尽きるまで、敵味方に関わらず、周囲にいる動くモノすべてにむかって無差別に攻撃をしかける人馬一体の猛獣と化していた。
「なんて硬いやつだ!」
ここ数日、何度となくヴァンクレスの攻撃を受け、そのたびに吹き飛ばされているドワーフ隊の長が、呆れきった口調でそういった。
ヴァンクレスの攻撃をものともしないこのドワーフたちも、タフさという点では相当のものであったが……苛烈なドワーフの攻撃を何度受けてもものともせず、平然と動き回るヴァンクレスも、たいがいに非常識な存在といえる。
ヴァンクレスだけではなく……あの馬も、いけない。
ドワーフ隊は、もともと、対騎兵戦には滅法強い。
低い位置から長柄の武器で馬の足元を狙うのが、ドワーフ隊の常套手段だった。
その定評が、ヴァンクレスただ一人のために覆されようとしていた。
やつの馬は……並外れて勘が鋭く、狡知にも長けている。
こちらの攻撃を予測、あるいは先読みまでして、ことごとく回避する。
馬にしておくのが惜しいほど、いくさの機微というものを心得ていた。
敵でなかったら、心の底から賞賛を送れることができたろうが……生憎と、騎手のヴァンクレスともども、やつはドワーフ隊の敵だった。
その憎むべき人馬は……今日も、散々ドワーフ隊をぶちのめした末、別の獲物を求めて去っていった。
そのあともヴァンクレスは敵軍を蹴散らしながら前進を続ける。
歩兵も騎兵も、人間も人外の者も、区別せず遭遇する先から攻撃をしかけ、その大半を撃破し続けた。
動くものだけではなく、防柵など、目につく破壊可能な防備もまとめて破壊した。
ヴァンクレスの意識は「狂化」により半ば曇ってはいたが、完全に理性が失われたわけではない。
最低限の使命感を失念しない程度の理性は、かろうじて残されていた、というべきなのだろうか。
「狂化」の影響下にあるヴァンクレスにしてみれば、敵と味方を区別するよりも、「壊せるものすべてを戦いのついでに壊していく」ことを意識しておく方が、どちらかといえば容易だった。
とりあえず、目についたものを攻撃しておけばいい、つまり、「判断する必要がない」からだった。
ともあれ……ヴァンクレスは、王国軍にとっては極めて有能な先鋒……というより、鉄砲玉といえた。
そのヴァンクレスも、足も止めなければならないときが来る。
目前に、名も知らぬ巨獣がいた。
馬に乗ったヴァンクレスよりも、目線が高い。
遙かに、見あげるほどに、高い。
山岳民が得体の知れない獣を使役することは知っていたので、驚きはしなかったが……その巨大さにヴァンクレスは少し呆気にとられ……同時に、少し、攻めあぐねた。
小山のような体躯に毛足の長い毛皮、四本足で、長い湾曲した牙が、長大な、おそらくは、鼻? の両脇からにょっきりと延びている。
ヴァンクレスは、そのような動物について見たことも聞いたこともなく、当然その名を知らなかったが……肩の高さまでだけでも五メートル以上はあるその巨大な動物は、今日の人間によるならばマンモスと呼ばれるものだった。
いかな「狂化」の影響下にあるヴァンクレスとはいえ、これほど巨大な動物に遭遇したことははじめてのことでもあり……戸惑うのは、しかたがなかった。
それに、よくよくその巨獣の目を確かめてみると……「狂化」の影響下にあるヴァンクレスから見ても、とても静かな目をしていた。
さて、どうするか……と、ヴァンクレスが戸惑っているうちに……その巨獣は、ぷい、と頭をめぐらし……そのまま、山岳民の陣地がある方角に、ゆっくりとした歩調で去っていった。




