ルシアナの遺産
「それで……」
エルシムが、半眼になってハザマを睨んでいた。
「……どうしてそうなった?」
「おれが聞きたい」
間髪を入れず、ハザマは即答する。
「とにかく、こいつらが水妖の操作者であり、ついでにいえばルゥ・フェイの爺さんと同じ種族なんだそうだ」
その水妖の操作者たちは、三人ともべったりとハザマに張りついていた。
相変わらずサーベルタイガー姿のルゥ・フェイは、低く唸っている。
今の姿のままでは表情を読むこと自体が難しいが、人間の姿をしていたら、きっとかなり複雑な表情を浮かべているのに違いない。
「とにかく、だ。
こんな危険物、このまま放置していくわけにいかないし、保護ができるんならこちらで保護しておいた方がいいだろう?」
流石にその辺の判断力は、まともなままだった。
「まあ、なあ」
エルシムも、頷く。
「捕虜の一種と考えれば、当然の戦利品と主張することもできようし……。
ましてや、直接的な戦闘力を考えたら、そのまま余人に手渡すのもかえって危険すぎる」
「かなりギリギリの生体実験の生き残り、だったみたいだからな。
こっちに帰ってくるまで、いろいろと寄り道してみてまわったんだが……ありゃあ、このまま放置して朽ち果てるままにしておいた方がいいな」
「……生き残り?
では、生存者はこの娘らだけか?」
「ああ、生きているのは、な。
死んだ奴なら……標本になったのが、ごまんと残っていたが。
だけど、ありゃあ……胸糞悪くなるから、見ない方がいい」
これほど人里離れた場所である。
このまま放っておいても、遠からず野生動物が食い荒らして灰燼に帰すだろう。
「その娘らを匿うとなると……水妖の存在自体を秘匿しておいた方がいいであろうな」
「だなあ。
どっかの軍隊とか研究者にかに目をつけられると、また面倒な事になりそうだし……」
もともと、「生きた兵器」として開発された娘たちである。
初めての実戦でも、それなりの戦果をあげている。
当初の使用目的通りの用途で使いたがる者は、決して少なくないだろう。
この娘たちの争奪戦が勃発してもおかしくはないほどの価値はあるのだ。
「……このまま、爺さんの孫だか曾孫だかとして受け入れた方が、面倒がなさそうだよなあ」
「それで……肝心の、名前はなんというのだ?」
「……名前?
おい!
お前ら、名前、なんていうんだ?」
ハザマが、自分に張りついている娘たちに訊ねる。
「……これまでに確認してこなかったのかよ……」
エルシムが、小さく呟いた。
「二号!」
ハザマに背負われた娘が、元気よく答えた。
「……三号」
ハザマの背中からひょっこりと顔だけを出した娘は、そういった。
「四号」
ハザマの太股にすがりついている娘が、いった。
「……だそうだ。
一号はいないのか?」
「凍って、砕けた」
「ああ……あれかあ」
「それは名前ではない」
即座に、エルシムは断言する。
「番号だ。
名前は……ないのらなば、新たにつけなければならんな」
「トンヌラとか?」
「却下」
「ゲレゲレは?」
「もっと、却下だ。
まったく、お前様……ネーミングセンスは最低だな!」
とりあえず、まだまだやるべき雑事は残っているし、その娘たちの命名はまたあとで、ということになった。
「……なにをやっているのかと思えば……メシを作っているのか?」
「ええ。
激しい戦いのあとですし、食材は有り余っていますから」
リンザとトエスが、火を囲んでいた。
小蜘蛛の死体を寄せ、その上に薪を積んで火を熾している。
「よりにもよって、蜘蛛の甲羅焼きかよ」
その薪、どこから調達したんだ? と、ハザマは疑問に思った。
「いや、毛蟹は蜘蛛の仲間だっていうしな。
案外、うまいのかも知れん」
そういって、ハザマはひとり頷く。
実のところハザマは、サバイバル生活を経験したせいで、食に対するタブーはほぼなくなってしまっている。
むろん、普通にまずいものよりもうまいものを好むことは、確かなのだが。
食材が放つ匂いにさらされて、ハザマにまとわりついている娘たちが居心地悪そうに身震いしていた。
「……先に、こいつらに食べさせてやってくれ。
今まで、生きたままの魚とか、ろくなもんを食わせて貰っていなかったらしい」
川魚は、寄生虫とかやばそうなんだかな、と、ハザマは思う。
こちらの世界に虫下しとかあるんなら、あとでエルシムなりムムリムなりに頼んで処方して貰うことにしよう。
「これからは、ちゃんと火を通したものを食えよ」
そんなことをいいながらハザマが即すると、ようやく娘たちがハザマから離れる。
名残惜しそうだったが、うまそうな匂いの誘惑には勝てなかったらしい。
ハザマは、リンザたちに、
「まあ、こいつらの面倒も見てやってくれ」
といい置いて、別の場所へとむかった。
「……なにをやってるんだ? お前」
「おお!
ハザマか!」
大蜘蛛の背に乗っていたゼスチャラが、顔をあげた。
「聞いてくれ!
こいつの背中に、特殊な塗料で書かれていた模様が珍しくてな。
こいつは……見たことも聞いたこともないような、斬新な呪紋だ」
「呪紋?」
「わからないか?
書いた呪文といえばわかりやすいか。
魔法陣とか、様式はいろいろあるんだが」
「ああ、なんとなく、わかる。
呪文を詠唱するのではなくて、書くことで発動できるようにしたものだな?」
「そう、そいつだ。
ここに書かれているのは、一言でいえば魔除けの呪紋ということになるな。
各種攻撃魔法を強制的に無効化するもんで、同様の呪紋については、古今東西いろいろと考案されいるわけだが、ここまで徹底して機能を追求したものは珍しい。
なあ、ハザマよ。
おれの取り分として、こいつの権利をおれに貰えないだろうか?」
「そいつ……金になるのか?」
「やりようによっちゃあ、莫大な金になる。
割と画期的なことをやっているし、こいつを欲しがるやつがどこにでもいるし……」
「そうか」
ハザマは、あっさり頷く。
「それじゃあ……好きにしろ。
あ、他のやつらから物言いがつかなければ、だからな。
今回の面子だと、その手のものに興味を示すものはいない気がするから、たぶん大丈夫だろう」
「そうこなくっちゃあ!」
ゼスチャラは、拳を天に振りあげた。
「苦労した甲斐があったぜ!」
「そいつはいいんだが、ゼスチャラさんよ。
魔力が回復しているんなら、あんたが凍らせた分、解凍してくれないか?
カチカチに凍っているよりは、バジルが食べやすい形にしておきたいんだけど……」
「おう。
ハザマさん、よう」
今度は、アジャスが声をかけてくる。
「この蜘蛛の死体、殻だけでも持ち帰れるだけ持ち帰っておいた方がいいぜ」
「なんかに使えるのか?」
「加工すれば、装備品のいい材料になる。
硬いし、金属よりも軽いし、なにより刃や矢を通さない。
腕のいい職人の手に掛かれば、上質の防具に化ける」
「なるほどなあ。
……と、いうくらいだ。
あんたにはその職人にあてがあるんだろうな?」
「何人か、あることはあるが……山岳民だぞ」
アジャスは、怪訝な顔つきになる。
「別に構わんだろう」
ハザマは、即答した。
「前にも、戦争と商売は別だと聞いているしな。
うまく繋ぎを取ってくれたら、仲介料くらいは出すぞ」
「おれは……今、そっちの捕虜ということになっているんだが……」
「まあ、なあ」
ハザマは、苦笑いを浮かべる。
「でも、あんた。
前に、身代金を用意できるような知り合いはいない、っていってたろ。
だったら、自分で稼いでみたらどうだ?」
「……今回の働きは、考慮されないのかよ」
「こういってはなんだが……今回は、あまり役には立っていなかったからなあ。
貢献度的なことを考えると……評価をしづらい、っていうか……」
「ああ、もう!
わかったよ!
帰ったら、腕のいい職人と渡りをつければいいんだろう!」
「……いない! いない!
ルシアナが、どこにも……」
「誰、これ」
「大蜘蛛の上でやかましく囀っていた女だ」
ルシアナの代弁者……と名乗っていた女に、ブシャラヒムとガズリムが剣を突きつけていた。
「ああ、あれか。
化粧が流れてひどいことになっているんで、顔がわからなかった」
ハザマが、頷く。
「で、どうすんの? この人。
やっぱ、捕虜?」
「にするのが、上策であろうなあ」
ブシャラヒムは、重々しく頷いた。
「蠱術のルシアナといえば、長らく世間を騒がせていた大魔女だ。
詳しい内情を知りたがる者は、王国内にも多い」
「そんなに有名なのか?」
「三百年だか四百年も前から知られている、古く、強力な魔女だ。
毒の扱いに長け、獣を能く使い、特に山岳民の間では畏怖されている。
山岳民の軍に多くの異人や強獣が混ざっているのは、この魔女のおかげであるともいわれているな」
「……ふーん」
ハザマは、関心がなさそうに鼻を鳴らした。
「意外に、大物だったんだなあ。
ま、今となっては、過去形だけど」
そのルシアナ……の、本体は、今では絶命し、バジルに貪り喰われるばかりの肉塊と化している。
こうなってしまっては、何百年生きた魔女の正体も、形無しだった。
「なあ、あんた。
ルシアナの、外の人」
ハザマは、屈み込んで地面に伏せている女に語りかけた。
「こうなっちまっては、おとなしくこっちのいうことを聞いておいた方が、身のためだと思うぞ。
なんといっても、あんたの身を守るやつはこの場にはいないんだから」
ハザマがそういったとき……。
どこからともなく、矢が、まっしぐらに女にむかって飛来する。
それを姿を視界の隅に捉えたハザマは、反射的にその影を叩き落とす。
叩き落としてから、「それ」が矢であることに気づいた。
「……誰だ!」
ハザマたちあがって、矢が飛来してきた方角に、吼えた。
「その女に、余計なことをしゃべって欲しくはない者ですよ」
その声がした方向に、素早く矢を射った者がいた。
「そいつは、伝令師!
山岳民連合の中枢部に近しい者だ!」
ガグラダ族の、アジャスだった。
「やつを帰すな!」
「これはこれは」
先ほどとはまったく別の場所から、声が響いてきた。
「捕虜になったとは聞いていましたが……寝返ったのですか?」
「寝返ったつもりはねーが……あんたのことは前から気にくわなかったんだよ! クツイル!
おれたちが捕虜になったんだって、あんたがおれたちを捨て駒に使ったからじゃねーか!」
「逆恨みは困りますな、ガグラダ族のアジャス。
わたしは、伝令師。
司令部の決定を伝達するだけの存在です」
「だったら……おれの仲間を大勢殺すような決定をしたやつらに逆らって、なにが悪い!」
アジャスの声には、悲痛な響きがあった。
「ふむ。
あまり頭はよくないと思っていましたが、その分直感に優れていて、最短で物事の本質を掴みますか。
なるほど。
実に、あなたらしい」
また、声の位置が移動した。
「おい、アジャス!」
ハザマが、疑問を口にした。
「やつは……どこにいるんだ?」
「やつは、伝令師!
転移魔法の使い手だ!」
アジャスが、叫んだ。
「いつ、どこに現れても不思議じゃない!」
「よりにもよって……テレポーターか」
ハザマが、小さく呟く。
「厄介な」
「さて、皆さん」
伝令師のクツイルの声が、わんわんと響いた。
「今回、わたしが欲しているのは、そこにいるたった一人の女。
かつて、ルシアナと名乗っていた女の身柄だけです。
それさえ手渡していただければ、皆さんの身の安全は保障しましょう」
「……と、あいつは、いっているけど?」
ハザマは身を屈めて、かつてルシアナの代弁者であった女に、再び話しかける。
「あんた自身は、どうしたい?
あいつについていくか、それとも、おれたちと一緒に来るか?」
「いや!
あいつに連れていかれると……殺されちゃう!」
「ってことは……おれたち側に着く、ってことだな?」
「いい! それでいいから!
なんでもいいから……助けて!」
「承った!」
ハザマが、叫ぶ。
「二号、三号、四号!
やつの……伝令師の体内にある水を、ひっかき回せ!」




