虜との邂逅
「……後始末が大変だな、こりゃ」
ハザマは周囲を見渡して、誰にともなくそう呟く。
燃え落ちた、大量の蜘蛛の巣にまみれたやはり大量の、大小の蜘蛛の死骸。
生き残った蜘蛛もかなりいたが、今ではすっかり統制がなくなって、人間などの動くものが近寄れば素早く逃げ出す図体が大きいだけの臆病な虫と化している。
エルシム、リンザ、トエス、イリーナの洞窟衆組が、ハザマの居る場所、すなわち、大蜘蛛の方へと近寄って来るところだった。
ブシャラヒムとガズリムの二人は、現状を把握しきれていないようで、先ほどからしきりに周囲を見渡している。
ゼスチャラは地面に尻をついて荒い息をついているばかりで、アジャスは、蜘蛛の残骸から脚だけ残ったものを拾い上げ、手にとってなにやら検分していた。
そして、白いサーベルタイガーは……。
「おい、爺さん」
ハザマは、語りかける。
「気が済んだか?」
基本的にハザマは、仇討ちなどという過去に囚われすぎた、後ろむきの行為を好ましくは思っていないのだが、それでもこうして本懐を遂げた以上、賞賛の言葉もかけたくなるというものだ。
しかし、白いサーベルタイガーはハザマの問いかけに答えることなく、首を左右に振ってから突如走り出し、どこかかへと走り去ってしまった。
「……おい。
まあ、いいか」
一瞬、あとを追おうかとも思ったのだが、それよりも今のハザマには重要な関心事があった。
傍らに横たわる、大蜘蛛の巨体。
さんざんバジルによって喰荒らされ、水妖によって体内の血肉を撹拌されているのだが、それでも流石は無脊椎動物の生命力というべきか、ひくひくと脚を蠢かして、いまだに生命までは失っていないことを伝えていた。
とはいえ、瀕死には違いないのだが……。
ハザマは大蜘蛛に近づき、サーベルタイガーによって噛み砕かれた脚の根元に足をかけ、やはりサーベルタイガーによって噛み砕かれた外殻の部分を覗き込もうとする。
「……うおっ」
外骨格に手を着き、小さく声に出して、慌てて手を離した。
「冷てぇ」
内部が、すっかり凍りついていた。
「なんだ、あのおっさん」
ハザマは、呟いた。
「なんだかんだいって、やるべきことはやってくれているじゃねーか……」
ハザマは、大蜘蛛の外殻を何カ所か手にした剣でノックをしてみて、どこまで凍りついているのか、その範囲を探ってみた。
サーベルタイガーが開けた穴から、おおよそ三メートル前後くらいの部分が、他の箇所よりも硬い感触と音がする。
この、すっかり凍りついた部分も、大蜘蛛にダメージを与え、討伐を成功させた一因になったはずなのだ。
「……なんだかんだいって魔法使いの攻撃力ってのは、侮れないもんなんだな」
この世界の魔法について、エルシムからは、「この世の理をねじ曲げる」ものだと説明されていた。
ハザマはその説明を、かなり大ざっぱに「物理法則を都合良く改竄する能力」だと解釈している。
細かいことをいいだせば、実際にもそれ以外にも制約とかがいろいろあるのだろうが。
一番の問題点は、一見万能に思えるその魔法使いも現実には生身の人間であり、ちょいとした外傷であっさりと使い物にならなくなってしまう、脆弱性であろう。
魔法使いに限らず、すべての人間の弱点ではあるのだが……。
「ハザマさん」
そんなことを考えていると、こちらに来たリンザたちに声をかけられた。
「それ、もう大丈夫ですか?」
それ、とは、大蜘蛛のことだ。
「かろうじて生きてはいるけど、もはや死に体だな。
あとはバジルに喰われるのを待つだけの生き餌だ。
もはや脅威にはならないだろう」
今でもときおり、思い出したように脚が動くのだが、これは意図を欠いた痙攣的な動きのようだ。
そもそも、脚や体を動かすための神経も筋肉も、水妖たちがすっかりズタズタに切り裂いているため、今ではすっかり役立たずになっている。
これだけの巨体を生かして、肉弾戦に持ち込んでいればこちらにしてみれば脅威だったのだが……と、思いかけて、ハザマはすぐにその考えを否定した。
他者を魅了し操る、というこの大蜘蛛の能力を考慮にいれれば、大勢の下僕たちで取り囲んで始末する方法が、一番確実でリスクが少ない。
今回、ハザマたちの陣営が大蜘蛛を撃破することに成功したのは、いくつかの偶然と、なによりも大蜘蛛の能力に抗うことを可能にしたバジルの能力のおかげだろう。
つまり、よほど特殊な相手でなければ、この大蜘蛛はほとんど無敵といってもいい存在だったのだ。
「おい」
今度は、ブシャラヒムが話しかけてきた。
「それは……まだ生きているのか?」
ハザマは慌てて心話を使い、洞窟衆組に『はなしを合わせろ』と、短く伝える。
「まだ、しぶとく」
ハザマは、わざと弱々しい声を出した。
「この頭部を、体から切り離せば流石に絶命すると思うのですが」
「それがわかっているのなら、さっさとやればいいではないか」
ブシャラヒムの声には、かなり不機嫌な色が滲んでいる。
彼らは、ほとんど活躍らしい活躍をしないまま、それどころか敵である大蜘蛛に操られ、味方に襲いかかる寸前だったのだ。
貴族としての矜持も、かなり傷つけられたことだろう。
「生憎と、先ほどの戦闘で手がすっかり痺れていまして、自分の手を使うことができません」
ハザマは、さらに芝居を続ける。
「できれば、皆様方でこの大蜘蛛にとどめを刺していただければ」
ブシャラヒムはかなり鼻白んだ顔をして、ガズリムと顔を見合わせた。
手柄を譲ろうとするハザマの意図を理解した上で、貴族としての体面を取り繕うためにはその茶番に乗るしかない……という白けきった心情が、挙動の端から滲み出ている。
「……お主がそういうのなら、助力してやらないこともない」
思いっきり不機嫌そうな声を出して、ブシャラヒムは、
「そこの娘!
おれの剣を返せ!」
と、イリーナに声をかけた。
ブシャラヒムとガズリム、二人がかりで何度も大蜘蛛の首に剣を突き刺し、斬りつけ……かなり長い時間を費やして、ようやく大蜘蛛の断首に成功する。
なにより、大蜘蛛の外殻は硬すぎ、比較的脆弱な関節部を狙っても一刀両断にすることは不可能だったのだ。
「……お前様、なあ」
二人の貴族がそんな作業に勤しんでいる間に、エルシムはハザマの体を点検し、その手首をがっしりと握りながら半眼になってハザマの顔を睨みつけた。
「拳の骨が、何本か折れておるな。
いったい、なにをした?」
「ええっと……」
ハザマは、これまでの経緯を慌てて思い出す。
「……あ。
あれかな?
……サーベルタイガーの頭を、思いっきりど突いたような気が……」
「今のお前様の力で硬いものを殴れば、そりゃ、手の方が保たないわな」
今のハザマは、バジルによって人外の力を得ている。
しかし、いかに身体能力が強化されようとも、体自体の強度までがあがっているわけではない。
道具を使うなりなんなりしているのならともかく、直接殴れば、そのダメージは自分の体にも及ぶ。
いわれてみれば……実に簡単な事実であった。
「というか……痛くはないのか、これ?」
「痛いというか、痺れて感覚がなくなっているような」
「……麻痺、か。
興奮状態にあるとき、一時的に痛みを感じなくなるのはよくあることなのだが……お前様の場合、以前に筋肉痛を逃れるために行った方法を、無意識に再現しているのかも知れぬな」
重宝なことだ、と、エルシムは感想を述べた。
なんのことはない。
「脆弱な、生身の体が第一の弱点」とは、魔法使いだけではなく、ハザマ自身にも当てはまるのであった。
「それはそれとして。
治療は必要であるし、それに今後のことを考えて、これについても対策を立てておかねばな。
お前様はどうも、普段は我が身の保身を第一に考えているようなことをいっておきながら、いざとなると誰よりも真っ先に危険な場所に飛び込む傾向がある。
そのあたりをもう少し自覚して貰わないと……」
なんだか小言が延々と続きそうな予感がしてきた、そのとき。
ハザマー。
こっち来てー。
変なじじいがー。
ハザマの脳裏に、そんな声が聞こえてきた。
「あ。
水妖……の、操作者たちが、なんか呼んでる」
呼ばれたのをいいことに、ハザマは、その場から離れた。
「おれ、ちょっこら行ってきますわ」
「お供します」
イリーナが、そのあとを追う。
「まだまだ危険が残っていないとも限りませんから」
「あ。
逃げた」
小走りに去っていく二人の背中に、トエスがそんな声をかける。
燃え残った蜘蛛の糸をたっぷりと剣に絡ませてから火をつけて、即席の松明とした。
これで、蜘蛛の糸はよく燃える。しばらくは、照明に不自由しないだろう。
「バジルから離れるときは、せめて護衛をつけてください」
イリーナはハザマの背中に、延々とそんな言葉をかけ続ける。
「今となってはあなたは、洞窟衆の頭領なのですから」
ハザマは心中で「別に、なりたくてなったわけではないし」と反発しかけるのだが、実際に口に出すことはなかった。
この、どこか生真面目な性格の娘にそんなことをいってしまったら、懇々とさらに長い説教を食らってしまうような予感がしたからだ。
ハザマの「つもり」としては……もともと、場当たり的に人が集まって成立した洞窟衆という集団は、特定の目的や求心力を持たない烏合の衆だと思っている。また、「それでよい」とも。
もともと、犬頭人の被害者たちを社会復帰させるまでの受け皿としてでっち上げたようなものだったから、本来の機能を果たせばそこで役目を終えたとして解散、でもいいのではないのか?
と、ハザマは思う。
それはいわば、発展的な解散ともいうべきであり、なんら恥じるべきことではないと思うのだが……ゴタゴタと色んなことに首を突っ込んでいる間に、いつの間にやら洞窟衆が抱える人員も多種多様になり、人数的にも当初には考えられないほどの大集団になってしまっていた。
ただ、一口に洞窟衆とはいっても、ハザマ商会に属する者や開拓村に居るような者たちと戦場まで出向いている者たちの間では、意識の違いがありそうであるし……このまま放置しておいても、実際的には別組織として分裂していくのではないか、と、ハザマは予測しているのだが。
とにかく、ハザマ自身は、自分の身の上をさほど……イリーナほどには重視していない。
自分が死んでも、ふっつりと別の場所に去っていってしまったとしても、なにかと逞しい残された洞窟衆の連中は、自力で自分の道を切り開いていくはずだ。
「聞いていますか?
あなたはもう少し自分の立場というものを考慮して……」
イリーナの小言は、まだまだ続いている。
「……暗いな」
ハザマが、ぽつりと呟いた。
「そうですね」
イリーナが、応える。
「新しい松明を作っておきますか?」
「そうした方がよさそうだな」
イリーナは自分の荷物の中から布切れを出して、木の棒に巻きつけはじめた。
その棒は、もとはといえば、トエスが使っていた槍の柄であったものだ。
なにかの役には立つかも知れないと、イリーナは折れた槍の柄を拾ってきていた。
「まだ、なんですか?」
新しい松明を作りながら、イリーナが訊ねてくる。
「もう少し、だな」
ハザマは答えた。
「ここからなら、もういくらもないみたいだけど……」
それでなくても水妖たちの語彙は貧弱だ。
特に距離とか時間とか、抽象的な概念を扱うのが苦手らしい。
「ま、歩いていけばいつかは着くさ」
「……なにやってんだ、爺さん」
ハザマたちがその場所に着いたとき、白いサーベルタイガーが痩せ細った三人の娘にむかって低く唸り声をあげているところだった。
『ハザマ、か?』
サーベルタイガーは、ハザマの方に顔もむけずに、心話で応じる。
『聞いてくれ、ハザマよ。
この者たちは……なんと、わが同族だったのだ!』
「……おい。
ちょっと待て……」
慌てて、ハザマは頭の中で関連した情報を整理する。
人体実験で生まれた生体魔法兵器、水妖。
一族総出で捕縛された、爺さんの同族さんたち。
爺さんの能力……を考えると、おそらく、他のやつらよりは生命力が強い。
多少、乱暴な扱いをされたとしても、生き残る可能性が高いだろう。
「……一応、辻褄は合うな」
『そうであろう!』
白いサーベルタイガーが吼え、三人の娘たちが身を竦ませた。
「この子らを怖がらせるなよ、爺さん。
……なんで、人間の体になってはなしかけないんだ?」
『初対面のこの子らに、老いさらばえた裸身を晒せというのか!』
「……あー。
そういうことね……」
ウェアなんとかとかライカンスロープとかいうやつらも、実際に居るとなると、案外面倒くさいもんだな、と、ハザマは思った。
「よう、嬢ちゃんたち。
おれがわかるか?
ハザマだ」
ハザマは、白いサーベルタイガーの横をすり抜けて娘たちに近寄り、声をかけてみた。
「……ハザマ?」
「ハザマ」
「ハザマ!」
三人の娘たちは口々にそんなことをいいながら、ハザマにむかって身を投げ出し……それを受け止めそこねたハザマが無様に押し倒されると、すんすん鼻を鳴らして匂いを嗅いだり頬を舐めたりしはじめた。




