相克の時間
「やめろやめろやめろぉー……」
大蜘蛛の背に乗った女が、叫んでいる。
「……なーんちゃって。
こちらがまるで備えていないわけなんて、ないじゃない」
いい終えるか終えないかという瞬間に、地面から三本の水流が鎌首をもたげた。
白いサーベルタイガーが大蜘蛛に取りついた時点で、大蜘蛛を体内から攻撃するための魔法を唱えていたゼスチャラは、急遽、攻撃目標を変更して早口に呪文の詠唱を完了させる。
「……おいおい!
気をつけろよ、爺さん」
ゼスチャラは荒い息をつきながら、ぼやいた。
「あーあ。
もう魔力がそんなに残っていないのに、無駄弾撃っちまった……」
水流が白いサーベルタイガーに届く寸前、三本もろとも瞬時に凍りついて動かなくなった。
「でかした、ゼスチャラ!」
エルシムが、叫ぶ。
「あとは任せて、おぬしは大蜘蛛攻撃に専念せよ!」
エルシムはそういうと、意識を集中させる。
もともとエルフは、精霊に干渉し自然の中にある力を操ることには長けている。
しかし、水妖たちは水の操作に特化している分、影響力も強く、おまけに三人も同時に相手にしなければならないのだ。
水に通じる魔力を関知して、その周辺にある水から、魔力による干渉を無効化する……といった作業も、三人分を同時に相手にするとなると、これでなかなか神経を使う仕事となる。
しばらく、エルシムはその仕事に意識を集中させることになりそうだった。
魔法使い二人が奮戦している間にも、白いサーベルタイガーは長大な牙を大蜘蛛に突き立てて、甲殻を食い破り続けた。
それなりの大穴を開けているはずだが、大蜘蛛の巨体が大きすぎて、傍目にはあまり大きく感じられない。
「鬱陶しい!
おやめ!」
大蜘蛛の背に乗った女が、叫び、
「離れて……そうね。
その男を喰い殺して!」
そう、命じた。
白いサーベルタイガーは弾かれたように大蜘蛛から離れ、ハザマの方にむき直る。
「……お?」
ハザマが、目を丸くした。
くふくふくふ、と、女が笑う。
「なにを驚いているのかしら?
この子は元々、ルシアナの下僕だったというのに。
少し手綱を緩めてあげたら、すっかり増長して……」
「……ふーん」
ハザマは、目を細めた。
「だったら、今は、爺さんの手綱はしっかり握っているわけか。
だけど……だとしたら、どうしてこの爺さん、ついさっきまで自由に動けていたんだ?」
「ふん」
女は、ハザマの疑問を鼻で笑った。
「気力を振り絞って、こちらの呪縛を振り切ったんでしょうね。どんだけしつこんだか。
でも……もう油断はしないわ。
この子のだけではなく、あんたの影響を受けていない三人も……全力で、動かす!」
女の言葉が終わらないうちに、それまで彫像のように制止していたブシャラヒム、ガズリム、アジャスの三名がぎこちなく動き出す。
「ほら。
本気をだせばこんなもの。
あなたのトカゲなんかより、ルシアナの方が数段、位階も経験も多いのだから……」
「バジルの硬直化を力尽くで跳ね返した、ってか……」
ハザマは、思案顔になる。
「呑気ねえ!
あなたは、この子。
他の小娘たちは、大勢の蜘蛛とこの三人を相手にしなくてはならないというのに!」
「……はぁ?」
ハザマは、芝居がかった挙動で大げさに肩をすくめて見せる。
「なに、あんた、この程度でおれたちが窮地に陥ったとか絶望すると思ってんの?」
「あんたの絶望も希望も、こちらには関係ないけどね。
あんたがたがなにを感じどう思おうが……迷わず、殺して蜘蛛の餌にするだけだし!」
「そいつは、残念」
ハザマは、平静な声で答えた。
「今、バジルの餌になっているのは、あんたの大蜘蛛の方なんだけどな」
「……なにぃ?!」
初めて、女の顔に動揺の色が見えた。
「トドメを指す前に長々としゃべくるのは、三下のやることだ。
今この瞬間にも、バジルはあんたの大蜘蛛の中を食い荒らしてる」
律儀なことに、ハザマは、解説をはじめた。
「こっちでは、位階っていうんだっけ?
あんたの大蜘蛛とバジルとでは、その差が大きいから……一口喰らうごとに、凄い力がこっちにまで流れ込んでくる。
はは。
ほとんどの虫とか無脊椎動物には、痛覚がないんだってな。
あんたたちがおれたちを全滅させるか、それともバジルが大蜘蛛の力をその肉ごと食い散らかす方が先か。
ここからは、時間の勝負だ」
「……貴様!」
怒りを露わにして、女が叫んだ。
「ここまで長々とはなしていたのは……」
「……ばーか。
時間稼ぎに決まってんだろ。
でなけりゃ、殺し合いをしている最中に、こんなおしゃべりにつき合うわけねーじゃん!」
「そのふざけた男を喰い殺せ、剣牙虎!」
白いサーベルタイガーが、ハザマにむかって躍りかかる。
「……おっと」
その鼻面にむかい、ハザマは立て続けに何発か、拳を打ちつけた。
それで特に弱った様子も見えなかったが、白いサーベルタイガーは軽く頭を振って、ハザマから距離を取る。
「反射的に手を使っちまったが……こりゃ、手加減しないとおれの拳の方がぶっ壊れそうだなあ」
ハザマはニ、三度、軽く手を振ってから、帯剣を抜いて両手で持った。
「体重何百キロってサーベルタイガーが相手じゃあ、この剣だって心許ないが……素手よりはマシか」
まさか、こんな猛獣とサシで勝負することになるとはなあ、と、ハザマは内心でぼやいた。
「どうします?」
「どうするって?」
「攻撃しちゃっていいんでしょうか、この人たち。
一応、味方ということになっていますし……」
「それよりも、このうち二人は貴族様でしょうが!」
「そこは、それ……緊急避難ということで」
「そうですね。
一方的にやられるのも、なんだか癪にさわりますし……」
一方、リンザ、トエス、イリーナの方も、こちらはこちらでなかなか騒がしいことになっていた。
いや、これでも小蜘蛛たちは以前にも増して群がってくるわ、二人の魔法使いのことは相変わらず守らなければならないわ、さらに加えて、ルシアナの術にはまったブシャラヒム、ガズリム、アジャスまで据わった目つきでこちらにむかってくるわで、それなりに窮地にあるはずなのだが……今の彼女らからはあまり悲壮な印象は受けない。
「やっぱり先に、この人たちを黙らせちゃいましょう」
「そうですね。
邪魔ですし」
「わたしたちが無力化したあと、蜘蛛にでも噛まれたとしてもそれは不可抗力ということで」
「実際、自分たちと魔法使いの人たちを守るだけで手一杯なわけですし」
「あ。
でも、貴族様が相手だから、なるべく傷つけないようにしないと、あとでどんないちゃもんをつけられるか……」
「では、刃物は使わないことにしましょう」
「素手で……というと、あれですか?」
「実戦で試すには、いい機会でしょう」
早口に打ち合わせを済ませ、三人の娘たちは散った。
ブシャラヒム、ガズリム、アジャスの三人は、雄叫びをあげながら、洞窟衆の娘たちにむかっていく。
「……中ニ的なデザインの動物だよなあ、これ……」
目前のサーベルタイガーを見ながら、ハザマは、そんなことを呟く。
ハザマの世界においては、とうの昔に絶滅したはずの動物だった。
獰猛そうな外見の割に四肢のバランスが悪く、特に後肢の力が弱かった。発達した二本の犬歯も、実は横の力に弱くて折れやすいものだったという。
そのことから、ハンターというよりスカベンジャー(死体あさり)か、長い牙を利用して地中の虫やネズミを補食していたのではないのか、という学説が存在する。
しかし、ハザマがそんなトリビアを知っているはずもなく、体重にして何百キロもありそうなサーベルタイガーを見つめている。
ハンターだろうがスカベンジャーだろうが、目の前の獣がハザマにとって脅威であることには変わらなかった。
念のため、バジルに呼びかけてみたのだが……今のバジルは、ようやくありついたご馳走を貪ることに夢中で、こちらにまで干渉してくれる余裕はないらしい。
長期的に考えれば、このままバジルの力が増し、逆にルシアナの力が衰えていけば、今の事態も収拾するわけであるが……。
「それまで、自分の身は自分で守れ、ってか」
白いサーベルタイガーは低く唸りながら、剣を構えているハザマを警戒するような仕草で、一定の距離を保ってじりじりと弧を描くように移動していた。
ブシャラヒム、ガズリム、アジャスの三人は、当然ながら、洞窟衆の娘たちよりも大きな体を持っていた。
しかし、洞窟衆の女たちはバジルの影響により、身体能力がかなり底上げされている。
膂力もだが、走力や反応速度なども、とうに昔に常人の域から逸脱していた。
娘たちは三人の男たちの楽々と脇をすり抜けて、背後に回る。
そして、男たちが反応するよりも早く背中に密着し、腰の下あたりに両腕をまわしてしっかりと締めつけた。
「これ、下手をすると頸の骨を折ることもあるっていってたような気が……」
「そのときは、そのとき」
「不幸な事故、ということで」
三人の娘たちは、口々に無責任なことをいい放つ。
そして、大の男の体を軽々と持ち上げ、そのまま、背を逸らして地面に叩きつけた。
「そりゃあ!」とか「どりゃあ!」とか気合いをいれながら攻撃魔法を連発していたゼスチャラが、ついに倒れ込んだ。
荒い息をつき、全身が汗まみれになっている。
無理もないな、と、エルシムは思う。
むしろ、よくもここまで保ってくれた、という思いの方が強い。
限界ギリギリまで……いや、ゼスチャラ個人の限界を超えてまで、魔力を振り絞ってくれた結果だ。
あとは……と、エルシムは思う……残りの者たちの働きにかかっている。
そのエルシムは、先ほどから三体の水妖たちの働きを無効化することに余念がない。
正直、それ以外のことに注意を割く余裕がないくらいだ。
バジルが健在であれば、あるいは、バジルの力がルシアナの力を凌駕していれば、ここまで苦労はしなかったのだが……現実には、今のバジルとルシアナとでは、赤子と巨人ほどの力の差があった。
現在、そのバジルは自身よりも遙かに高い位階を保つルシアナの肉を喰らい、急速に位階をあげている最中であったが……。
さて、こちらが力尽きるのが先か、それとも大蜘蛛のルシアナが倒れるのが先か……。
とりあえず、洞窟衆の娘たちは、三人の男たちを失神させることに成功したらしい。
その娘たちは、今、わらわらと群がって来る小蜘蛛の対応に追われている。エルシムやゼスチャラが魔法を使って間引いていない分、それなりに大変な数の蜘蛛が押し寄せて来ていた。
それでも娘たちが戦意を喪失していないのは……こうしている今も、バジルが急成長中であり、ハザマと絆を結んでいる者たちに活力を供給している最中だからだろう。
肝心のハザマはといえば、現在、白いサーベルタイガーと決闘中であった。
「……よっ、と」
ハザマは、剣の切っ先をサーベルタイガーにむけて牽制しながら、なんとかやり過ごしている。
正面から猛獣と睨み合いを続けるのには、神経が削られるものだが……この動物は、巨体の割には突進力に欠けているいるように思う。
こちらにむかってくる度に、鼻先に剣を叩きつけてやると、怯んだように後退してしばらく様子見に入るのだ。
もちろん、ハザマにしてみれば、極端な興奮状態にあって手がつけられなかっりするよりは、御しやすい今の状態の方を歓迎したいわけだが。
おれとしても、別に爺さんを傷つけたいわけでもないしな、と、ハザマは思う。
時間が経てば経つほど、バジルは強力になり、逆に、ルシアナの力は衰える。
このまま時間を稼げぐことができるのであれば、ハザマにとっても、その方がありがたいのだった。
今この瞬間にも、バジルの力が刻々と増していることが、ハザマに体感できた。
バジルがあの猪首人を喰らったときの五倍、いや、十倍以上の手応えがある。
そのおかげで、ハザマの体にも活力が満ちており、今の窮状を窮状と感じることができないでいた。
緊迫した状況下にありながら、ハザマは、この場で歌い出したい衝動を押し殺すのに懸命だった。
それくらい……上機嫌だった。




