虎口での戦闘
「……ふんっ!」
気合いを入れて、ブシャラヒムが両刃の剣をふるう。
全長二メートルほどのサンショウウオに似たなにかが、脳髄を断ち割られて絶命した。
「散発的に、野生動物に遭遇するな」
なにかの毛皮で剣を拭いながら、誰にともなくブシャラヒムが呟く。
「その野生動物とやらが、どうもルシアナってやつの配下なようでして」
ハザマが、説明しだした。
「少なくとも、水妖の操作者はそういっています。
ルシアナってのは、普段から他人をあまり近寄らせないやつらしい。
そのかわり、そこいらにいる動物を手懐けて身辺を守らせているとか……」
「それで、蠱術のルシアナか」
抜き身の剣を構えたまま、ガズリムはいった。
「陣頭に立とうとせず、こそこそ逃げ隠れする一方なのは気にくわんな。
ところで、ブシャラヒム卿。
その毛皮は……」
「気づいたか。
これは、モグラの毛皮だ。
どうした加減か、古来より剣についた血糊を拭うのには、これが最上とされている」
「……ははぁ。
そうしたはなしを耳にしたことはありますが、実際にモグラの毛皮を持ち歩いている人にははじめてお目にかかりました」
当然のことながら、ただそれだけのためにモグラなどいう極めて捕まえにくい動物を狩る人間が、そんなに大勢居るとも思えない。
ガズリムは、半ば以上、呆れているようだった。
「大貴族の家などに生まれつくと、なにかと贈られる物が多くてな。
下手に持て余すよりは実地に使ってやる方が、いくらかはマシというものだろう」
「……貧乏貴族のさらに妾腹の出である小官には、どうにも理解できかねますな」
そういってガズリムは、軽く肩をすくめる。
鍾乳洞に入ってから、数時間が経過していた。
その間、一行はこうしてたまに野生動物に襲われること以外、大きな刺激がない時間を過ごしている。
エルシムやゼスチャラの魔法使い組が出るまでもなく、大抵の敵は前衛のブシャラヒムやガズリムだけで片づけられた。
たまに、アジャスやイリーナが手を貸すくらいか。
とにかく、この時点までは前途に大きな妨害はなされていない。
「しかし、まだ着かんのか。
その、ルシアナとやらの居場所には」
「水妖の速度で移動すれば、あっという間ということなんですがね」
面白くなさそうな顔をして、ハザマが答えた。
「舟が使えない以上、二本の足でてくてく歩いていく以外に方法がありませんやね」
歩いていれば、いずれ目的地に着くだろう、というわけである。
「その、水妖の使い手が裏切っているという可能性は?」
今度はガズリムが、ハザマに対して問いかけてきた。
「今さらですな」
ハザマは、苦笑いを浮かべる。
「そういう質問をするのなら、出発する前にしてくれるべきでした。
……ええ。
水妖の操作者たちがこちらをハメているか、いないか……。
これを判断する根拠を、おれは持っていません。
だけど、せっかくここまで来たんだから、もう最後までいってみるしかないでしょう。
罠なら罠で、収穫はあると思います」
「……少なくとも、この近辺にそのルシアナとやらがいないということは確定するわけか」
ガズリムは、ハザマの言葉をそのように理解した。
「それと……おれたちを本気でハメるつもりなら、もっと用意周到に大群を手配して出迎えてくれるでしょうし……。
そうなったらそうなったで、片っ端から倒していくだけなんですけどね」
なにしろこちらには、バジルの能力に加えて強力な攻撃力を持つ魔法使いが二人もいるのだ。
大抵のことなら、対応できるはずだった。
「……本当に、そうだといいのだがな」
ガズリムが、小さな声で呟く。
基本的にハザマは、ここまで舟を運び案内してきた水妖の操作者たちもあまり信用していなかった。
いや、より正確にいうのであれば……。
これまでのやりとりから、水妖の操作者たち自身には、こちらを裏切るとかハメとかいうほどの知恵はないだろうと思っており、今後仮になにかあるとすれば、その水妖の操作者たちをうまく誘導した者の意図であろうと予測していた。
また、ここまでハザマたちに協力してきても、水妖なりその操作者たちが放置されている事実も、その予測を裏づけている。
結果として、ハザマたちの一行を待ち受ける状況はあまり変わりばえしないのであるが……もともとハザマはルシアナとの直接対決を望んでここまで出向いてきているわけであり、敵の思惑がどうであれ、あまり関係はないのであった。
ハザマは、水妖ならびにその操作者たちについて、その「水を操る能力」こそ評価していたものの、それ以外の判断能力などについては最低であると断じていた。
つまり、総合的に考えて、
「実戦レベルにおいては、危なっかしくてとてもではないがなにかをしてくれと頼む気にはなれない」
とすでに結論しており、だからハザマは、水妖たちにこれまでにも道案内以上の仕事は期待していなかった。
しかし、そうしたハザマたち一行と水妖たちとのやや距離がある関係も、そう長くは続かなかった。
気づけば、ハザマたちは大勢の獣たちに囲まれていたからだ。
地を這うものがいた。空を飛ぶものがいた。四つ足のものがいた。二本足で立つものがいた。
体表が毛皮で覆われたものがいた。鱗で覆われたものもいた。
とにかく、何百という数の、大きさも形も様々な獣たちに、ハザマたちは取り囲まれていた。
もともと、光源に乏しい鍾乳洞の中を歩いてきたうえ、水妖たちの案内を当てにして歩く方角を決定してきている。
やつらの方がこちらの位置を把握して先回りしていたのか、それとも、やつらが待ちかまえている場所までわざわざ案内されてきたのか、にわかには判断がつかなかった。
いずれにせよ……この場でやるべきことはひとつなのだが。
「魔法を使える人たちは、頼みますよ!」
ハザマが、短く叫ぶ。
いわれるまでもなく、エルシムとゼスチャラは呪文を詠唱しはじめている。
「へへ。
こりゃ……矢の数が、全然足りやしねえや」
そううそぶいたのは、ガグラダ族のアジャスだった。
「だったら、手足か武器で直接殴るしかないな」
吐くような口調で、イリーナが言葉を発する。
「どのみち、近場のはハザマさんが動きを止めると思いますけど」
誰かが合図をするまでもなく……エルシムとゼスチャラを除く全員が、それぞれの武器を手にして周囲の獣たちに躍りかかった。
バジルの能力によって、近場の敵はすべて動きを止めている……ということは、これまでの道中で経験している。
従って、反撃を受ける恐れもなしに、渾身の力を込めて、武器を振るう。
この場では、敵の攻撃を警戒するよりも……。
「……武器の劣化のが、やばいくらいだな」
剣を振るいながら、ハザマが小さく呟いた。
刃物で生体を斬れば、べっとりと血糊が付着する。
当然のことながら、切れ味は鈍る。
相手の数が少なければ、別に警戒をする必要もないのだが……。
「……多すぎるぞ、これは……」
エルシムが魔法で出した光源に照らされて、その光が届く距離に、ぎっしりと獣が集まってきていた。
とにかく、視界に確認できる範囲内には、なんらかの動物がいる状態だ。
わずか十名で、このすべてを始末するとなると……たとえ無抵抗であったとしても、かなり骨が折れる仕事になりそうだった。
ハザマが心中でそんな弱音を吐いたとき……不意に、異変が起こった。
浅く足元にあった水が鎌首をもたげ、瞬時に縄状に伸びたかと思うと……ぶん、と風音をたてて一閃した。
縄状の水が通過したあとに、体のそこここを無造作に断ち切られた獣の群が、どうっと倒れる。
血の匂いが、鼻腔に入る。
バジルの能力の効果範囲外にいた獣たちが、恐慌を来して吠えはじめる。
たった今、絶命した獣たちの体液まで吸い上げて、綱状になった水が、さらに動く。
ひゅん、ひゅん、ひゅん……と、うねるたびに、鮮血があがる。
「……いくらなんでも、一方的すぎるんじゃねーのか、これは……」
ガグラダ族のアジャスが、鼻白んだ表情になった。
「なあ、ハザマさんよう。
こいつは……あんたが命じてやらせているのか?」
「いいや」
ハザマは、憮然として答えた。
「水妖たちが、勝手に動いている」
「はは。
上等だ。
ってことは……やつらにしてみれば、おれたちを始末するのも造作もないってこったな」
ハザマたちがそんなやり取りをしている間にも、水妖たちは周囲の水を操って周囲の獣たちを一掃していた。
文字通り、一掃、だった。
悲鳴をあげて逃げまどうものまでも含めて、すべて……全滅させるまで、さほど時間を要しなかった。
「おい、水妖たち。
こいつは……なんの真似だ」
すべてが終わり、しんと静まりかえった中、ハザマは水妖とそのむこうに存在するはずの操作者たちに語りかける。
だって。
これをやりたかったんでしょ?
手伝っただけ。
水妖の操作者たちから、若干、困惑を含んだ思考がハザマに届けられた。
水妖の操作者たちは……相手が獣であるとはいえ、大量の虐殺をした直後であるのにも関わらず、そのことに動揺した様子は見られなかった。
まるで……本当に些細な手助けをしただけ。
というニュアンスが、その思考には込められている。
いや。
確かに、水妖とその操作者たちにしてみれば……これくらいのことは、些事にすぎないのだろう。
朝飯前どころではない。
やつらにとってはこの殺戮も、足元に転がってきたボールを軽く投げ返した、程度の気安さでしかないのだ。
ハザマたちにやらせておいてもいいのだが、自分たちならもっと簡単にやれる。
だから、ちょっと手を貸しただけ。
水妖の潜在能力と比較すれば……せいぜい、その程度のことでしかないのだ。
……少し、考え違いをしていたかな……と、ハザマは思う。
水妖にバジルの能力が通用したから、所詮はその程度のものだと見くびっていた、というべきか。
水がある場所でしか使用できない、という制限があるとはいえ、これほどの強力な能力を持つ水妖を製造し、操っていた者と直接対決する……という自分の目論見は、果たして、正しかったのだろうか……。
……今さらいっても、はじまらんか。
そんなことを考えはじめたハザマは、すぐにその不吉な想念を振り払うことにした。
とりあえず……水妖たちは、バジルの能力で無力化することができるのだ。
どんなに強力であろうとも、ハザマたちの敵にはなれない。
あとのことは……。
「実地にいって確かめてみないことには、なんともいえんか」
口の中で小さく、そう呟く。
死体の山を後にして、ハザマたちはさらに進む。
蠱術のルシアナとやらが本格的に動き出す前に、本人の元にたどり着きたかった。
「もう……だいぶ、近づいているな」
確認するように、ハザマが呟く。
近い。
すぐ。
もう着く。
ハザマの脳裏に感じていたバジルの直感と同じ結論だった。
敵の大元……おそらくは「蠱術のルシアナ」のものと思える巨大な存在感が、すぐそこにまで迫っていた。
あの巨大な猪首人や馬に乗ったヴァンクレスと間近に対峙したとき以上の、あれらのときの何倍もの圧迫感を、ハザマは感じている。
これほどの存在感を発するものが、「蠱術のルシアナ」以外にあるとも思えなかった。
不意に視界が開け……そこに、女がひとり、立っていた。
「ようこそ、冥府の入り口へ」
女が、口を開く。
「そろいも揃って……遠路はるばる、わざわざ、わが贄になりにくるとは……」
くふ。
くふ。くふ。くふ。
くふふふふふふふふふふふふ。
と、女が、笑いはじめた。
「あんたが……蠱術のルシアナか?」
ハザマが、確認をする。




