鍾乳洞の中へ
それから、渓流を丸一日以上歩き続けた。
他に道らしい道もなく、水妖たちの案内に従えば川の中を歩くのが一番手っ取り早いのだから仕方がない。
ときおり、一行を襲うと飛びかかってくる野生動物がいないこともなかったが、それらはすべてバジルによって動きを封じられることになった。
ちょうど休憩したい頃合いにくれば、そのままバジルやハザマたちの食事として給されることもあった。
「そういや、おれの世界にも川を遡って気が触れた独裁者を殺しにいく映画があったな」
「えいが?
なんだ、それは」
「あー……芝居、みたいなものか」
「芝居、か。
お前様がいたのは、大層な都会であったのか」
「都会……まあ、ドン・デラよりは大きなところだったが、おれが観たのはBDだしな」
「びぃでぃ?」
「自室に居ながらにして、小さな画面に芝居を映し出せるんだ」
「ほう。
そのような魔法であるのか」
「そんで、激しい戦争をやっている最中、狂った独裁者を殺すために主人公たちは川を遡っていくんだが、そこで登場してくるやつらがすべてどこかしら気が違っていて……」
以下、大音量でワグナーを鳴らしながらベトコンの村を武装ヘリで襲撃したり、その合間にサーフィンをしたりするはなしが延々と続く。
もちろん、「ワグナー」、「武装ヘリ」、「ベトコン」、「サーフィン」などのこちらの世界にはないものについては、ハザマによるちょー適当な解説が随時入る。
ブシャラヒムは、
「お前の故国では、そんなに退廃的な芝居が流行っているのか」
と、呆れていた。
どうやら、彼には理解できない世界であったらしい。
「でも、なんとなくわかるような気がしますね。
確かにいくさは、どんなものでも狂気に染めていきますから」
社交辞令も交えてか、そうコメントしたのがガズリム。
「そうか? おれは、結構面白いと思うが」
意外な理解を示してきたのは、ガグラダ族のアジャス。
「その、さーふぃんとかいうのはどこが楽しいのかわからんが、大音量で音楽を奏でながら空から敵を薙払う様子は、勇壮だと思うぜ」
リンザ、トエス、イリーナ、ルゥ・フェイは特にコメントをしなかった。
魔法使いのゼスチャラは、息があがっていてコメントをする余裕がなかった。
要するに、一行はそんな無駄口を叩くしかないほどに単調な行程を歩んでいたのだった。
「……まだ着かないのか?」
休憩に入るたびに、ハザマは足元で水を跳ねあげている水妖たちに問いかけていた。
水妖の操作者たちは、あれ以来ずっと軟禁……というよりは、放置されているらしい。
特に監視されている様子もないそうだった。
もう少し、と、その水妖の操作者たちはハザマに告げる。
昨日から、ずっと「もう少し」という答えしか返ってこない。
水妖の操作者たちの語彙が徹底的に不足していることもあって、細かいニュアンスがこちらに伝わってこないのだ。
「やはり、騙されているのではないですか?」
ガズリムが、疑問を口にした。
「いや、近づいていることは、バジルも感じているし……」
ハザマも、そう答えるしかない。
確かに、手応え……「これまでに遭遇したことがないほどの強者」に近寄っている気配は、しているのだ。
「時間がかかるのはいいのだが、こうも水の中ばかりを歩いていかねばならんのは、難儀だことだな」
長靴を脱ぎながら、ブシャラヒムがそんなことをいった。
「見てみろ。
足の皮が、すっかり水を吸っておる。
ずっとこんな行程を続けていくと、士気にも関わってくるぞ」
「……ですね」
ハザマとしても、この言葉には頷くしかない。
「ここからは、もう少し休憩を多めに挟みながらいきますか」
目的地に到達すること自体が目的なのではなく、その目的地で蠱術のルシアナとかいう輩を打倒するのが目的なのだ。
それ以前にやる気が大きく削がれて、肝心の本番のときに実力を発揮できなかったら、それこそ目もあてられない。
リンザ、トエス、イリーナ、エルシムの洞窟衆組には、不安がなかった。
ブシャラヒムとガズリムのふたりも、普段からそれなりの訓練を受けているだけあって、重い武装を身につけたまま背嚢を背負って移動していても、特に疲れた様子を見せない。
萎びた老人であるルゥ・フェイのことも不安ではあったのだが、実際にいっしょに移動してみると、他の面子と同じくらいの荷物を背負って軽やかな足取りを崩さない。
体力面で一番不安があったのは、やはり軍属魔法使いのゼスチャラであった。
この男はまだ三十になるやならずやという年頃なのだが、普段からの不摂生さが一目で丸わかりになるような体型であり、すぐに息を荒くして、なにかというと休憩を要求する。
一応、荷物については、負担が全員均等になるように重量を調整しておいたのだが、結局、途中からこの男に荷を背負わせているとかえって他の者の足を引っ張ることになると判断せざるを得なかった。
ゼスチャラには申し訳程度の軽い荷だけを背負わせ、残りは他の面子に分散して背負って貰うことにした。
無論、
「実戦がはじまったら、存分に活躍してくれよ」
と念を押しておくことも、忘れない。
この男が魔法使いでなかったらここまで優遇することはなく、そもそもこの場に連れ出すことさえなかったわけである。魔法を使えない者と比較したら、魔法使いの火力は桁違いなのである。全体の攻撃力を底上げするためにも、多少の無理をしてでも連れて行く価値があるのだった。
「……鍾乳洞、ってやつかな?」
その場所についたのは、その休憩からさらに半日ほど経ってからのことだった。
「中に入る前に、一度ここで夜を明かして、英気を養いますか」
ハザマがそういったのは、「この中に、居る」、という確信があったからであった。
「おそらく……この中に入ったら、それなりに戦闘が続くと思う」
「お前様の能力があってもか?」
エルシムが、そう訊ねてきた。
「おれの、じゃなくて、バジルのな」
訂正してから、ハザマはいい添えた。
「蠱術っていうやつが、どうにも気になるんだ。
バジルの能力が通用しない相手がでてきても、不思議じゃないような……」
「ま、今のうちにゆっくりと休んでおくのには賛成だな」
エルシムは、そう応じてくれた。
全員で川岸にあがり、適当な場所を見繕って下生えを刈り取って場所を空け、火を熾す。
「着火器というのか?
それは、ずいぶんと便利なものだな」
ハザマの手元を覗きこんで、ガズリムが声をかけてきた。
「そうっすか?
洞窟衆の野営地で販売していますので、帰ったらよろしくお願いします」
「ああ。
無事に帰ることができたら、是非買わせていただこう」
ワニ肉の薫製も充分に残っていたし、食事はそれなりに充実したものになった。
食事が終わると、それぞれ火の近くに体を横たえる場所を作ることになる。
その夜の見張りは、ハザマが志願することにした。
明日以降が本番であるとの意識が強かったし、その前に他の連中を少しでも多く休ませておきたかったのだ。
ハザマを除く全員が体を横たえてからしばらく経ったとき、背後で軽い物音がした。
「……となり、いいですか?」
イリーナだった。
「いいけど……寝ないのか?」
「あまり、眠くならなくて」
「充分に疲れていると思うけどな、体は」
「そうですね、体は。
それでも、以前よりはずっと体が軽くなっているのですが……」
このイリーナも、バジルの影響を受けているひとりであった。
「それで……あれから、少しは男に慣れたか?」
「多少は。
まだ怖いし、近くにいると緊張しますが……以前ほどではありません。
それに、今ではたいていの男よりも強くなりましたし……わたし、大勢の人を殺しました。
それでも生き続けるわたしって、なんなんでしょう?」
「そうか」
ハザマとしては、とりあえずそういっておくしかない。
「まあ……よかった。
と、いうべきかな?
あ、男に慣れてきたことについてだぞ、これは。
殺すの殺されるのとかいうことは、はっきりいっておれにもよくわからん。
だけど、むざむざ殺されてやるよりは、誰かを殺してでも生き続ける方が……あー。
ずっと、自然だと思う」
「おそらくは、よかった……んだと、思います。
それに、これでよかったのか悪かったのか、わたしにもよくわかりません」
ハザマのすぐとなりで、イリーナは神妙に頷く。
「ハザマさん」
「ん?」
「この件が終わったら、また試して貰えますか?」
「試す、って……あ。
ひょっとして……」
以前、ハザマは、このイリーナから「抱いてくれ」と頼まれたことがあった。
「今度は……前よりは、ましになっていると思いますので」
「あー……おれは、別に構わないけど……。
無理はしない方がいいぞ」
イリーナは、犬頭人たちに襲われたときにトラウマで強度の男性恐怖症になっている。
以前のときも、それが原因でハザマに断られた経緯があった。
「まだ無理かも知れませんけど……もう一度、試してみたいです」
イリーナは、頬を上気させて断言した。
「それに……ハザマさん以外の男と、そういうことをすることを想像すると、いまだにぞっとしますし……」
「つまり……おれなら、多少はましってわけ?」
「ぶちまけてしまえば、そういうことです。
一方的に利用するようで、心苦しいのですが……」
「心苦しいとか、そういうことを気にする必要もないんだけどな」
ハザマは、苦笑いを浮かべた。
「おれだって、やりたいかやりたくないかっていったら、やりたい方だし」
ハザマだって若くて健康な男性であったし、ここしばらくはなにかと忙しなくて女を抱く余裕もなかった。
「それでは……この件が終わって、帰ってから……実験に、おつきあいください」
いい終えると、イリーナは素早く立ちあがってたき火から遠ざかっていった。
「お、おう」
ハザマは、その背中に声をかける。
さて、イリーナのこれは……単純な好意か、それともそれ以外の感情か。
あるいは……殺人による罪の意識を、なんとか誤魔化そうとしているだけなのか。
一夜明け、ハザマたちはいよいよ鍾乳洞の中に入っていくことになった。
エルシムの魔法で灯りを点して貰い、全員でそれでも薄暗い中に入っていく。
足元は、あいかわらず水を湛えている。
今の水深はせいぜいくるぶしにかかるくらいであるが、その程度の水量でも足をとらわれることには変わりはないし、始終、湿った空気の中にいなければならないこと自体が不快でもある。
水音をたてながら、一行は暗闇の中を進む。
しばらく歩くと、羽音とともになにか黒い固まりがこちらにむかってくる。
なにか?
と目を凝らすと、魔法の灯りに照らしだされたのは、おびただしいコウモリだった。
ハザマら、珍しい乱入者に驚いて騒ぎだしたのだろう。
「……落としておくか」
ハザマがバジルの能力を解放すると、コウモリの大群が一斉に下方へと落ちはじめる。
これらのコウモリがハザマたちの障害になるとも思えなかったが、無駄に視界を遮って邪魔くさいことこの上ない。
ハザマは落ちたコウモリをひとつ拾い上げ、バジルに与えた。
先頭を歩くのは、帷子や兜で武装し盾を構えたブシャラヒムとガズリム、そのあとに、レザー製品で身を固めたハザマやリンザ、トエスが続く。
ガグラダ族のアジャスとイリーナは、いつでも弓をつがえることができるように身構えながら、ハザマたちのうしろに着いてきていた。
最後に、エルシムとゼスチャラ、ルゥ・フェイが続く。
エルシムとゼスチャラは、大物に遭遇したときに呪文を詠唱する必要があるため、前列に守られる配置となった。
老人であるルゥ・フェイには、最初から誰も戦力としての期待をしていない。
「暗いな」
ぽつりと、ブシャラヒムが呟いた。
エルシムの魔法によって灯りは点されているのだが、そんな頼りのない照明ではあまり遠くまでは見通すことができない。
しばらく、水音を含んだ十人分の足音が鍾乳洞に響いていた。




