ひとつの勝敗
「ほれ! お前はこっちだ!」
エルシムは、軍属魔法使いであるゼスチャラの襟首を掴んで引き回す。
「ここまで乱戦になったら、魔法使いの出る幕ではない。
われらは、森の中を抜けてさらに先に進むぞ!」
「森の中だって!
冗談じゃない!」
ゼスチャラは、エルシムに引きずられながらも情けない声をあげた。
「昨夜から一睡もせずに回復魔法を使い続けたってのに、この上まだこき使おうって魂胆かよっ!
それも、よりにもよって森の中だとぉ!」
「いいから!
つべこべいわずに黙って従わんか!」
エルシムも、叫び返した。
「森の中は、わが同胞たちが守っておる!
戦場を抜けるよりはよほど安全だ!」
「……貴公は?」
ドルバルは、そのエルフの女性に対して問いかける。
「洞窟衆のファンタル。
そちらの、アルマヌニア公の三男の救出に手間取って出遅れた」
ファンタル。
どこかで、聞きいたおぼえのあるような……と、ドルバルが思うよりも早く、
「われらは、これより敵軍に突入するつもりだが……それで構わぬな」
ファンタルが、そう確認してきた。
いうまでもなく、ドルバルがこの場の、王国軍の前線司令官を勤めているからであった。
「ご助力、感謝する」
ドルバルは、短く答える。
この場では、手助けをして貰えるのならば、相手が誰であろうと歓迎したいところであった。
「……よし!
他の者たちは、一度森に入って横合いから敵軍に食らいつけ!
わたしは……正面から、討ってでる!」
そういうとファンタルは、両手に一振りずつ抜き身の剣を握ってすたすたと乱戦の最中にある戦場へとむかった。
一見して、あまりにも無造作な挙動だ。
しかし、一歩あるくたびにファンタルの両腕がひらめき、的確に敵兵だけを傷つけていく。
手首が落ち、頸が断たれ、喉が貫かれる。
敵兵と組み合っていた王国軍兵士が不意に解放され、しばらくなんで敵が息絶えたのかわからず、怪訝な顔つきになる。
ファンタルは、周囲でどのような変化が起きようとも平然と歩速を変えず、淡々と左右の敵兵を討ち払いながら先へと進む。
ファンタルの存在に気づいた山岳民兵士が四方から慌てて襲いかかってくるが、ファンタルは涼しい顔を崩さないまま眉ひとつ動かさずに順番に斬り伏せていく。
「エルフに続け!」
「エルフの女剣士に続け!」
依然として、数の上では王国軍の方が圧倒的に劣勢ではあったのだが……そうであればなおさらのこと、ファンタルの周囲の王国軍兵士たちはにわかに活気づいていった。
ファンタルが敵軍の中に穿った穴をこじ開けるように、王国軍兵士が動きはじめる。
そんなときに……左右の、森が動いた。
うなり声もあげずに、大量の犬頭人たちが山道にあふれる敵兵に対し、襲いかかった。
ドワーフの手による鋭利な剣を携えた犬頭人は、反応速度も瞬発力も体力も、通常の人間とは比較にならない能力を発揮する。
敵軍と見るや片端から襲いかかり、深手を負わせては次の標的を探して離れていく。
今はより多くの敵の戦意を喪失させることが先決であり、とどめを刺す必要があるのならば、手が空いている者が行えばよい……とでもいいたげな行動だった。
なにより、動きが速い。
斬撃の手も、移動する様も、目で追えないほどに、動きが速い。
そんな犬頭人たちが何十頭も、左右から一度に襲いかかってきたのだから、山岳民の兵士たちはいくらもしないうちに総崩れとなった。
とはいえ……それはあくまで、山岳民兵士たちの先鋒だけのはなしである。
なにしろ、山岳民兵士たちは、この場の王国軍側に比較して四倍以上の人数を確保している。
現在の王国軍兵士たちの倍以上、まだまだ無傷の兵士たちがうしろに控えているのである。
先行している者たちが多少潰されたとしても、大勢に影響はないのであった。
「……というわけで、これから敵軍を潰す。
ここまで奥にはいれば、目に入る者らはすべて敵軍だ。
遠慮なく、知っている限りの攻撃魔法をぶっ放せ」
「とはいってもよう、チビのエルフさん。
いくら森の中っていっても、いっぺんに敵を殺しすぎたら、やつらも報復をしにこっちにむかってくるんじゃないのか?」
「そんなもの、返り討ちにすればいいだけのはなしであろう。
森の中を音を立てずに近寄ってくれる者は少ない。
ましてや、この周辺は洞窟衆が昨夜のうちに大量の罠を仕掛けてくる。
罠の場所を知らぬ者が突入してきても、自滅するのがオチよ」
「返り討ち、って……。
せめて、誰か護衛をつけてくれよ、おい!
おれは魔法使いであって、腕っ節の方はからきしなんだ!」
「ええい!
くどい!
いいから黙っていうとおりにせよというのに!
おぬしがやらんのなら、わたしが先にぶっ放すぞ!」
そういって、エルシムは呪文を詠唱しはじめる。
かなり長い呪文で、その長さに相応しい威力を持つ攻撃魔法だった。
「……ちょっ!
離してくれ!
チビのエルフさん!」
手首を握って離さないエルシムから逃れようとして、ゼスチャラがなんか喚いていた。
が、呪文の詠唱に没頭しているエルシムの耳には入っていない。仮に入っていたとしても言語として認識されていない。
当然、ゼスチャラの手首を離す気配もみえない。
そうこうするうちに、エルシムが呪文の詠唱を完結させた。
「……“みこみこびぃぃぃぃぃむっ!“」
眩いばかりの長い長い光条が唐突に出現し、一閃して敵軍を薙はらった。
その光条はよほど高温度であったのだろう。
何十名という敵兵の胴体を一律に分断した。
みれば、断面が炭化して湯気をあげている。
あまりにも凄惨な光景にゼスチャラは蒼白な顔をして、その場に腰を降ろした。
いや、腰が抜けた。
「……あ。あ。あ……」
口を半開きにして、そんな腑抜けた声を漏らしている。
「なにをしておるのか!」
そんな様子のゼスチャラに、エルシムが叱責をする。
「生き残りたかったら、攻撃魔法の呪文を唱えよ!」
このゼスチャラを無理に引きずって来たのは他ならぬエルシムなのであるが、その不条理さを一時忘れさせるほどの苛烈な気合いであった。
「お……おう!
そんなにいうんなら、やってやらあっ!」
半ばやけくそで、ゼスチャラが叫ぶ。
そして、長い呪文を詠唱しはじめた。
「……エルシムの助勢か?」
目前の惨状をみて、ファンタルは軽く眉根をしかめた。
「攻撃魔法の使い手というのは、どうにも無粋なものよ……」
どうみても自分の獲物を横取りされたことが気にくわない様子だった。
そんなことを呟いている間にもファンタルの両腕はまるで別の生き物であるかのように動き、閃いている。
ファンタルの背後では、局所的に人数比に偏りが生じたため、生き残っていた山岳民兵士たちが大勢の王国軍兵士たちによって取り囲まれ、なぶり殺しになっているところだった。
傷を負い、戦意を喪失して地面に転がって呻いている者も、敵味方を問わず多かったが、こちらの方が今のところ害がないから誰の相手にもされずに放置されている。
どれも、ファンタルがよく知る、いつもの戦場の風景でしかなかった。
そのとき、大勢の山岳民兵士たちが胴体を分断され、そのまま棒立ちになっているさらにむこうで……どん、という腹に響く音がして、盛大に火花が舞った。
火だ。
敵兵たちが生きたまま焼かれ、悲鳴をあげながらのたうち回っている。
「……ほほう。
これは、これは……」
ファンタルは、薄笑いを浮かべた。
「一段とまた、無粋な魔法よな……」
おそらくこの魔法を放った者は、攻撃魔法や軍用の魔法に明るくない者であろう。
なによりも魔力の無駄が、多すぎる。
しかし、これはこれで……。
「敵の戦意を挫くのには、都合がよいか……」
これだけの打撃を与えても、敵軍はまだ半数以上が健在のはずだった。
このまま潰し合いを続行し続ければ、おそらく王国軍の方に不利になっていく確率の方が高い。
派手に暴れるだけ暴れて、それで敵軍が引きあげてくれるのならば、結果としては上々というものであろう。
「だか……それもこれも、相手があってのことだからなあ……」
他人事のように、ファンタルは呟く。
「おい! おい! おい!」
遠眼鏡を覗いていた男が、叫び声をあげる。
「誰だよ!
数で押せばなんとかなるっていったのはっ!」
「事実、最初の方はわが軍が押していましたが」
「最初がよくても最後に負けていたら駄目なの!
あー。
もったいねー。
見ろよ。
あっという間にうちの軍の半分以上が潰されちまって……」
「残存兵力だけでも、目前の敵軍を凌駕しておりますが?」
「この上無策のままさらにつっこんで、さらに被害を拡大しろってのか!」
遠眼鏡の男は、そういって構えていた遠眼鏡を専用の鞄に収納しはじめた。
「止めだ、止め!
魔法使いがいるなんて聞いてねーし!
そんな備えもしてねーし!
それも、ありゃ、二人以上いる気配だぞ!
これ以上悪足掻きしても無駄に被害を増やすだけだ!
帰るぞ!
撤収だ撤収!
ったく!
今なら楽に勝ち星を稼げるなんて唆したあの伝令師を、あとでとっちめてやらぁっ!」
山岳民側が退却を開始した。
敗走、というほど慌てた様子は見えず、あくまでも整然としたまま、隊列を崩さずに退いていった。
王国軍側も、追撃をする隙を見いだせなかった。
というよりは、追撃が可能なほどの余力が、そのときの王国軍にはなかった。
山岳民側が引きはじめたとき、王国軍兵士たちは生き残りの山岳民兵士をなぶるか、それとも戦闘の高揚から素の状態に引き戻され、その場で胃の内容物を吐き出す者が多かった。
その場にへたり込んで、いつまでも荒い息をついている者もいた。
わけもわからず泣き出す者もいた。
しかし、なおも戦おうとする意志を保持し続ける者は、ごく少数だった。
「……終わった……のか?」
ドルバルが、呆然と呟く。
その声に答えようとする者は、どこにもいない。
ドルバルは、首を巡らせて周囲の惨状を確認した。
戦場が、あった。
そうとしか、表現できない。
混乱と死体と、死体になりかけた負傷者と、半ば理性を失っている兵士たち。
つまりは……ひとことでいってしまえば、戦場だ。
指揮官として、勝敗とか敵味方の存在状況の確認とか、まだまだ判断を要求されることは多かったのだが……とりあえず、ひとつの戦闘が収束したことで気がゆるみ、ドルバルの頭脳は、思うように機能してくれない。
……まだまだ、これからだ。
後始末が、残っている……。
ドルバルはのろのろとそんなことを思い、内心で自分自身を叱責して、部下たちに指示を飛ばしはじめる。
結局、総司令部から借り受けた手勢を引き連れたムヒライヒ・アルマヌニア公がその戦場に到着したのは、すべてが終わってからのことであった。
つまりは、手遅れであったわけであるが……現場の将兵の働きにより、なんとか最悪の事態は免れていた。
圧倒的な劣勢であるのにも関わらず、王国軍の将兵たちは山岳民軍をなんとか退けていたのだ。
ムヒライヒが会見したとき、現場の指揮を執っていたドルバルは、ひどく憔悴した様子だった。
一軍を指揮するということがどういうことか、自分の経験からも理解しているムヒライヒは、
「報告はあとでいい。
今は、休め」
とのみ、ドルバルに伝えた。
ドルバルは気弱な微笑みを見せると、その言に従った。
「援軍は必要なかったようですな」
ムヒライヒが借り受けてきた隊の長が、ムヒライヒにそう声をかけてきた。
「アルマヌニア公の手勢は、実に勇敢だ」
この男の名は、確かガズリムといったか。
ムヒライヒよりも少し若い、精悍な男だった。
「勇敢さだけでいくさに勝てるようなら、苦労はしませんよ」
そんな言葉が、ムヒライヒの口から自然とこぼれる。
「はは。
それもそうだ。
なにが起こるのかわからないのが、いくさですからな」
ガズリムはそういって、屈託なく笑った。
同じ軍人として、共感の籠もった言葉であり笑顔だった。
「それで、ムヒライヒ卿。
わが隊は、これからどのように行動すればよろしいのか?」
続けて、少し真顔になったガズリムがムヒライヒに確認してくる。
今、ガズリムの隊の指揮権はムヒライヒにあるのだ。
「無理にとはいいませんが……できれば、しばらくこの場に留まって、周辺の警護を行っていただきたい」
ムヒライヒは、即答した。
「この場の片づけもありますし、それに、防衛陣地が完成するまでは、より多くの警護が欲しい。
また敵軍が攻めてきても跳ね返せるように……」
「……ですな」
ムヒライヒの言葉を聞き、ガズリムはまた笑みをこぼした。
「了解しました。
総司令部には、小官の方から適当に伝令を入れておくことにしましょう。
ムヒライヒ卿におかれましては、どうぞこのままご自分の本分に邁進していただきたい」




