変心のエルフ
「あとは……」
「苗床となった女たちの始末だな」
ハザマの独白を、はぐれエルフのファンタルが引き取る。
このエルフの女は、ハザマたちの動きを手伝うわけでもないのに、先ほどから同道していた。
「どうするつもりだ?」
「どうするもなにも、本人が生きたいというのなら、極力助ける。
そうでない場合は、バジルの餌」
一見して飄々としているようでも、ハザマの生死観は冷徹な部分がある。酷薄である、とさえいえた。
「極力、か」
「とてもじゃないけど、責任はとれないんだけどな。
できることとできないことがあるのは、しかたねーし」
憮然とした顔をして、ハザマが答えた。
「ま、ある程度自立できるような体制を整えたら、あとは放置の方向で……」
「最後まで面倒を見るつもりはないのか?」
「最後まで、って、どこまで?
おれ自身の身の振り方だって決まってねーし。
……それ以前に、こっちの世界の状況を確認しておかねーと、どうにも動きようがない……。
ま、女たちとあんたら兵隊さんたちには、もう少し落ち着いてからいろいろしっかりしゃべって貰いましょう……」
「ふむ。
かなり遠い国より飛ばされてきた、とかいっていたな。
それはさぞや、心細かろう」
「心細いとかそういうこと以前に、なにがなんだかわからないっつぅーか、右も左も不案内っつーか……。
ま、そのあたりはおいおい、補完していきましょう。
……すぐに埋め合わせができるほど単純な問題でもないし……」
混濁した意識の中、大勢の足音が聞こえた。
犬頭人の、軽い足音ではない。明らかに靴を履いている、大勢の足音が。
「……いや!」
セイムは重い体を無理に折り曲げて、膨れた腹部を隠そうとする。
「殺さないで……。
……この子を……」
人間が来た……ということは、救援を意味しない。
異族の子はもちろんのこと、その子を孕んだ女見つかれば、それも一緒くたに処分される。
それが、通常の反応なのだ。
「……殺さねーよ……」
その人影はいった。
「そっちが、おれの敵に回らない限りはな」
「……おぅ……」
凄惨な光景を目の当たりにしたとき、流石のハザマも一声うめいて絶句したものだ。
「共食い……とはいえねーか、この場合……」
「首尾よく床苗となることに成功した女たちの末路が、これだ」
ファンタルは、ことさらに硬い声を出す。
「母体は、もとから最低限の食事しか与えられない。たいていは、出産時の衝撃に耐えきれずに事切れ、そのまま生まれてきた子の栄養となる」
「……あー。
半分、いや、それ以上に獣だから、生まれたときから生肉食えるのか……。
はは。
生命力だけは、強そうだ……」
ハザマは乾いた口調でそういい、次に、
「……バジル!」
と、大声で呼びかけた。
薄暗い中で蠢いて食事をしていた小さな影の、動きが止まる。
「……はい。
兵隊さんたち、犬頭ども。
生まれたてのやつらを全部……そうさな、あの猪頭の死体のところにでも持っていってくれ。
あの巨体なら、しばらく餌に困ることはないだろうし」
「あまり意味がないぞ。
死体は死体、死者は死者、だ」
「とはいっても、この物騒な赤ん坊どもに、これ以上人肉の味をおぼえさせるのもなんだしなあ」
ハザマは、軽く首を振る。
「……あー。
おなかが大きい人たちも、ちゃんと保護して。
これから生まれた赤ん坊は、母体と隔離してすぐに餌を与えるように」
さて、この異邦人は、甘いのか、そうでないのか……ファンタルは、興味深げにハザマの様子をうかがっている。
「そのあとはどうする?」
「そのあと……って?」
「あの、赤子たちだ。
他の犬頭人たちとは違い、お前に隷属するわけではないぞ。
今は無力かも知れないが、長じて有害な存在になるかも知れん」
「そんときは、そんときだ。
ま……敵対したら、殺すけどな」
将来の不安の芽を、今のうちに摘んでおくという発想はないらしかった。
ますます、わからないやつだ。
「……それで……妊婦と生まれてきた鬼子たちを助けられるだけ助けてきた。
今後も、可能な限り、助けると?」
帰ってきたハザマを、エルシムが睨みつけた。
「お、おう」
若干、気圧されながらも、エルシムの問いかけをハザマは首肯する。
「お前様よ。参考までに聞いておきたいものだな。
どうしてそう、後先を考えずにホイホイと物事を決してしまえるのかと!
短慮というより他にない!」
「……短慮?
ああ、考えなしってことか。
うん。
確かになんにも考えてはいないけど……でも、目の前に死にかかっている人がいたら助けるでしょう。
普通」
「だから、それが短慮だというのだ。
今、助けたいから助けた。
だが……その先はどうする?
お前様には、助けた人数分の食い扶持を稼ぐあてでもあるのか?
一気に人数が増えただけではない。
この中の大部分が衰弱して暫く動けない有様だ。もっと安全な場所に移動することもできん。それどころか、そうした者たちを介抱し続けるのにも相応の人手を裂かねばならん。まともに動けて労働力として期待できるのは、全体のせいぜい三割から四割といったところであろう。
こんな状態では、下手をすれば全員で共倒れではないか!」
「ああー……」
ハザマは周囲を見渡して、うめく。
「……いわれてみれば……ごもっともで……」
「おほん!」
ここでガルバスが、わざとらしい咳払いをした。
「ひとつ、よろしいか?
この場の主導権を握っているのはハザマ殿とお見受けした上で、お願いがあるのだが……」
ガルバスは傭兵である。相応の利益を見込んで兵を動かしてきた。
逆にいえば、引き連れてきた人員の半数近くを損ないながら、手ぶらで帰ることはできない身の上であった。
「……犬頭人どもが集めていた財宝。
あのうちの何割かを、譲っていただきたい」
これはあくまで、「お願い」でしかない。
得体の知れないバジルの能力と、それに、今となっては犬頭人までも配下に加えているハザマに逆らうことは、現存している傭兵たちの戦力を考えれば、無謀を通りこして自殺行為に近い。
それよりは、ハザマの心証をよくして見返りを受けた方がいい。そう思って、これまでハザマの指示に従ってきたのだ。
「ああ、そうね。
そちらにも面子ってもんがあるだろうし……」
ハザマも、これまでのやり取りでガルバスたち傭兵側の立場というものは、それなりに理解している。
「しかし……どうっすかなぁー。
おれ、こっちの物価とか相場とか、まるでわかんねーし……」
「硬く考えることもあるまい」
エルシムが、助け船を出した。
「財宝のうち、宝石とかかさばらないものはすべてくれてやれ。
どのみち、このような森の真ん中に死蔵しても、さばきようがない代物だ。
傭兵の頭も、それでよいな?」
そこいらの村でも通用する硬貨類とは違って、宝石などの処分するためにはそれなりに伝手が必要となる。伝手がない状態で換金しようとしても、安く買いたたかれるのが落ちだ。
「そうしていただければ、幸いで」
ガルバスも、深くうなずく。
かさばらず、高価で……それに、黒旗傭兵団ともなれば、略奪品を処分するための出入りの商人もいる。
「では、こちらで処分するのに困る宝物類は極力そちらに回そう。
ハザマも、それで構わぬな?」
ハザマの頭越しに、どんどんはなしを進めるエルシム。
「はいはい。どうでも、ご自由に」
ハザマはといえば、この取り決めに強い関心をしめした様子もない。
「あ、でも、かわりに……死んだ兵隊さんたちが身につけてきた装備とか武器は、こっちで引き取りたいな」
衣服一つとっても、今、この場では貴重品なのだ。
現にエルシムは、裸体にハザマのリクルートスーツの上着を着付けただけの格好である。
「あと、余分な道具類などもなるべく置いていって貰おう」
さらにエルシムが、追い打ちをかける。
「欲をいえば食料品なども置いていって貰いたいくらいなのだが……そこまで欲深くはなるまい」
「……武器や弓矢ならかなり余分に持ってきています。
予備の分も置いておきましょう」
ガルバスは頭の中で素早く計算しながら、そう応じた。
「食料は置いていけませんが……鍋釜などの道具類も、できるだけこちらに残しておきます」
戦力比を考えれば、身ぐるみ剥がされて追放されてもおかしくはないのだ。にもかかわらず、こちらの取り分を計上してくれる以上、この場では下手にでておいた方が得策だ……と、ガルバスは算盤を弾いている。
みたところ、犬頭人たちが集めていたお宝は、予想外に量がある。あの中の宝石類を分けて貰えるというのなら、本体に復帰しても消耗した人員分の申し訳がたつ。
「……それと」
ハザマが、ガルバスの方へ顔を向けた。
「……まだ、なにか?」
ガルバスとしては、緊張を隠して応じるより他ない。
「いえ。
そっちの兵隊さんたちは、これから本隊がいるところに帰って合流するんだよね?」
「そうなりますが」
「本隊がいる場所からここまで、かなりかかるの?」
「移動の時間ですか?
ファンタルの案内があったので、往路は四日ほどですみましたが……」
深い森の中を進むのだ。エルフのファンタルが案内しなければ、二倍三倍の時間がかかる。下手をすれば方角を見失って森の中で朽ち果てる。
「本隊って、かなり規模が大きいのかな?」
「ええ、まあ」
ガルバスは曖昧にうなずいた。
具体的な人数を部外者に明かすわけにはいかないが。
「じゃあ、余分の食料もあるね。
それ、買い取ること、できないかな?
なに。運ぶのは、こちらがやるから。
幸い、犬頭人たちは人数的に余っているし……」
……ガルバスは、返答に詰まった。
取引はともかくとして……この得体の知れない集団に本隊の場所までを知られるのは、まずいような気がする……。
「おお! それはいいな!」
ハザマの提案に乗っかったのは、エルシムである。
「この分でいくと、食料は早晩、不足する。
買い入れる先があるのなら、はやめに確保しておいた方がよいのが道理よ!
犬頭人たちを何十名か連れていき、そいつらに荷を持たせて帰らせるだけでもよいのだ」
「その一行に、わたしも加わろう」
それまで黙っていたファンタルが、片手をあげていった。
「ファンタル! 裏切るのか!」
ガルバスが、叫んだ。
「裏切るもなにも、わたしとそちらは主従ではない。
あくまで客分として、腕を貸していただけの関係だ」
応じるファンタルの声は、静かなものだった。
「なに。
単なる戦働きよりも、こちらに合流した方がよほど刺激のある経験ができそうなのでな。
今このときより、鞍替えをさせてもらう。
ハザマ、巫女殿、安心して貰おう。
黒旗傭兵団の本隊へ往復の道案内、このはぐれエルフのファンタルが引き受けた!」




