沿岸部の攻防
「いいか?
もうすぐ援軍がやってくる。
援軍が来たら、敵側からは見えない場所に待機させておけ。
こちらの準備が整ったら、森の中からいっせいに、敵の部隊にむけて矢を射かける。
そら。
そういう間に、ひづめの音が聞こえてきた。
援軍を、まずは脇に誘導しろ」
「……お……おう」
ブシェラムヒは、すっかりファンタルのペースに乗せられていた。
「援軍が着いたら、元からいた連中はすぐに退避してくれ。
弓と騎兵とで敵軍に打撃を与えたあと、ここもすぐに放棄して撤退にかかる予定だが、元からいた連中までそれにつき合う必要はない。
むしろ……こういってはなんだが、疲弊しきった連中にいつまでも残っていられても、足手纏いになるだけだ。
援軍と入れ替わりに、すみやかに撤退していってくれ」
「……了解した。
われらは、これより全力で撤退をする」
「援軍の歩兵と入れ替わってからな。
まあ、あとのことは任せておけ」
先頭の騎兵が、横合いから降り注ぐ矢を受けて、次々と倒れていく。
もともと、山岳民が乗る馬は、平地民の馬よりも一回り、体が小さい。
それゆえ、騎兵も軽装で、戦法的にも鑓による直接攻撃よりも騎射の方に重きを置いていた。
当然、平地民の重装騎兵などと比べると、極端に打たれ弱くなっている。
矢を受けた山岳民の騎兵は、面白いように倒れ、落馬していった。
それでも、地に伏した仲間を避け、次々と騎兵がこちらに向かってくる。
……敵の数に比べて、弓兵の人数が少なすぎるんだ……。
ドルバル・バスコスは、内心で歯噛みする。
もう、三十名以上は騎兵を鞍の上から落としたはずであったが、敵軍が突進する勢いは、以前とまるで変わらなかった。
「……攻撃の手を緩めるな!
あとがないぞ!」
ドルバルは、叫ぶ。
ドルバルの号令を待つまでもなく、矢やバリスタは次々と敵軍にむかって撃ち込まれ続けた。
連弩によって撃ち込まれた矢が、あるいは、バリスタによって打ち出された杭のような太矢が、敵軍を削る。
ばたばたと敵の騎兵が馬の上から落ちていく。
敵味方双方、高価な軍馬を損なうことに抵抗があるため、基本的には鞍の上を狙うのだが、たまにねらいが逸れて馬に矢が当たることあった。
バリスタの太矢が馬の首をかすめ、敵騎兵の腹部に直撃。その体ごと背後に押しだし、背後から迫っていた別の騎兵をそのまま落馬させる……などという一幕も、決して珍しいものではなかった。
敵騎兵が到着する頃には、騎手を欠いた馬が前方に集中していた。
馬返しの防柵に行く手を阻まれ、立ち往生した馬の上を、矢が飛んでいく。
もう随分と敵の騎兵を落とし、その大半は味方の馬蹄にかかったのであろうが……それでも、まだまだ健在な騎兵がこちらに向かってくる。
やはり……二百騎という数は、伊達ではないのであった。
敵兵からの矢も、こちらに届くようになっていた。
騎射の際に山岳民が使う矢は、馬上での取り回しのよさを優先しているため、射程も短く貫通力もなかった。
そのため、地面に立てかけた木の板程度の簡素な盾でも十分に防ぐことができる。
騎手を失った馬の群を間に挟んでの矢の応酬がしばらく続く。
この射撃戦については、明らかに山岳民側よりも王国軍側の方が優勢であるということができた。
王国軍側はすでに敵騎兵の半分近くを倒しているのにも関わらず、まだ目立った被害が見られなかった。
……問題は……。
これだけ倒しても、敵軍全体を俯瞰すると、あまり戦力を失っているように見えないことだった。
「誰も乗っていない馬が邪魔です!
どうにかして取り除けませんか!」
「試してみればよかろう!
今の状況であの馬に手を出したら、いい的になると思うがな!」
どこからか聞こえてきた声に、ドルバルが叫び返す。
乗り手を失った馬たちは、この場の雰囲気に興奮して、さきほどから防柵の向こう側でひっきりなしに嘶いていた。
森の中からの射撃は、相変わらず途絶えない。
射手の数は、決して多くはないのだが……的確に、騎手を狙撃し、数を減らそうとしていた。
左右合わせて、せいぜい五十名ほどといったところか。
敵軍の総数と比較すれば小勢ではあったが、その粘り強さが、今はありがたかった。
まずは、騎兵の突破力を封じる。
戦術としては、正攻法といえた。
特に、このように迂回路がない状況においては、しっかりと敵の出鼻を挫いておかないと、ごく短期間で蹂躙されて終わってしまう。
戦力的な劣性が覆ったわけではなかったが……それでも、初手を誤ることがなかったということが、ドルバルを幾分か安堵させた。
「……おいおい。
二百もいた騎兵が、もうガタガタじゃないか。
あっという間に半分もやられちまったぞ」
山岳民軍の後背で、遠眼鏡を覗いていた男がそう呟く。
「それにしても、森の中に伏兵とはね。
昨夜のガグラダ族も、一人も帰ってこないかったってこったし……。
平地民のやつらに、強力な援軍でもついたのかな?」
「強力……なのでしょうかね?」
遠眼鏡の男に、反駁する女がいた。
「確かに、森の中に兵を置いたことには驚きましたが……伏兵にしては、いささか非力なような気がします」
「ああ。
それは、おれも気になった」
遠眼鏡をたたみながら、男も、その女の言葉を首肯する。
「こちらの兵数を読み間違えたってわけでもなさそうだし……なんかの罠か?」
「少勢とみて森の中に入らないよう、指示を徹底させてください」
「そうだな。
今回の部隊には、ガグラダ族のような森を得意とする部族が入っていないし。
しかし……参ったな。
伝令師殿のはなしだけ聞いていたら、これだけの兵力を揃えてれば楽勝だと思ったんだが……。
まさか、騎兵の出鼻をこうもあっさりと挫かれるとは思いもしなかった……」
「騎兵を下げ、力押しに切り替えることを進言します」
「……そうするか。
どうやら、このまま続けてもいたずらに兵を損なうだけのようだし……。
おい!
騎兵を下げろ!
かわりに、羊頭人どもを前に出せ!」
騎手を失った馬が邪魔であることには変わりなく……仕方なしに、王国軍は馬の扱いに長けた者を連れてきて、柵の隙間から一頭ずつこちら側に誘導することにした。
敵味方の矢が行き交う中、興奮する馬を誘導するのは至難の技であるといえた。
が、それでも探せば名乗り出てくる者がいるもので、何人かの馬丁が手分けをして馬を防柵のこちら側に誘導し、落ち着かせていった。
一頭の馬が柵の隙間を抜けると、より安全な場所を求めて、続々と別の馬たちもそのあとに続く。
柵を抜けてから暴れ出す馬も少なくはなかったが、馬丁たちが寄り集まって、一頭一頭順番に、必死に落ち着かせていった。
異変が起きたのは、乗り手を失った馬を半分ほど、戦場から逃した頃のことだった。
馬丁たちは、その異形を見あげて言葉を失う。
兵たちに、動揺が走る。
「撃て!
バリスタを、連弩を、弓を!」
みずからの絶望を覆い隠すように、ドルバルは大声で叫ぶ。
しかし、飛道具はすべて、分厚い青銅製の盾ではじかれた。
青銅製の盾と棍棒で武装した羊頭人が五体も、ゆっくりとした歩調でこちらに向かってきた。
かわりに、生き残った騎兵たちは羊頭人の左右を縫うようにして引き上げていく。
以前、ハザマたちが洞窟内で相手にした猪頭人よりは小さかったが……それでも、羊頭人たちの身長は三メートルを超えている。
毛足の長い体毛のせいで、矢もまともに通らない。
バリスタが直撃すれば、あるいはダメージを与えることもできるのかも知れないが……羊頭人たちは、分厚い青銅製の盾を構えていた。
ドルバルだけではなく……その場にいた王国軍兵士たちの胸中に、ひっそりと絶望が忍び込んでくる。
あの巨体が、金属製の棍棒を振るったら……急拵えの防柵なぞ、あっというまに破壊されてしまうだろう。
もちろん、人体に直撃したら、骨や内臓もろとも粉砕されるに決まっている。
「……ほれ。
出番だぞ。
本職の魔法使い」
「お……おう」
いささか間の抜けた応答が、絶望したドルバルの耳に入る。
「では……凍れ! 心臓!」
続いて掠れた声が、ドルバルの耳に入ってきた。
羊頭人たちが、突如苦悶の声をあげて盾や棍棒を放り出し、自分の胸を掻きむしりはじめた。
「即死するわけではないから、しばらくは近寄らない方がいいですよー……」
呑気な声が、そう告げる。
振り返り、ドルバルはその声の主に声をかけた。
「……貴殿は?」
「軍属魔法使いの、ゼスチャラ」
酒焼けした顔に汚れ放題の魔法使いのローブを着た、三十前後の男だった。
「これで一応、軍務は果たしたということで……」
軍属の魔法使い……ということは、正規の魔法兵ではなく、市井の魔法使いが半ば無理矢理に従軍を強要された口、なのであろう。
その男の全身に漂う「やる気のなさ」も、それで説明がつく。
しかし、この場では……。
「大いに、助けになった。
これからも機会があれば、頼む」
この男の働きで、出るはずだった被害を大きく抑制できたことは、確かなのだ。
礼のひとつもいうし、この局地戦から無事に生還できたら、恩賞の手配もしておこう……ドルバルは、そのように決意する。
「……おいおい!
羊頭人まで倒されちまったよ! おい!」
再び遠眼鏡を構えた男が、大声で喚きはじめた。
「ありゃ、魔法か?
魔法兵なんて、全部最前線の方に回しているものとばかり思ってたし……。
しかも……ああ!
無傷の馬をあんなに、何十頭も平地民に取られて……」
「あの……若様。
もう少し、お声を控えてくださいませんと……味方の士気に関わって参ります」
傍らにいた女は、遠眼鏡の男に声をかけた。
「そうはいうがなあ、ハイオン!
このままじゃあおれたち、踏んだり蹴ったりでいいところがまるでないだろう?」
「まだまだ、挽回は可能です」
男に「ハイオン」と呼ばれた女は、冷静に切り返した。
「なんといいましても、敵軍兵士の数はわが軍より圧倒的に少ないと聞いております。
こうなれば、このまま数に任せて押し切ってしまうのも手かと……」
「……そうか?
そうだな。
騎兵や異族で押して駄目なら、人海戦術でいってみるか」
「数の暴力こそ、古来より多くの戦場で勝利を確かなものにした常道にございます」
ハイオンは、静かな口調で遠眼鏡の男にそう答えた。
「……よーしっ!
全軍、突撃だ!
矢が降ろうが鑓が降ろうが、足を止めるな!
倒れるときは前のめりだ!」
閧の声をあげ、山岳民の軍がこちらに向かってきた。
策もなにもない、力押しの総突撃である。
実はこのような手段を、兵力に劣る王国軍は一番警戒し、一番恐れていた。
有効な対処法が存在しないからだ。
「弓だ!
連弩を、バリスタを!
手を休めれるな!」
ドルバルが、叫ぶ。
「騎兵だ!
騎兵を出せ!
相手は歩兵だ!
歩兵が相手なら、騎兵であれば有利に戦える!」
王国軍の兵たちも、決して手を抜いているわけではないのだが……。
左右の森の中から降り注ぐ矢も、正面から射かけられる矢も無視するように、山岳民の兵士たちは前進を止めない。
もちろん、手足や首を矢で射抜かれ、胴体をバリスタの太矢で貫かれた山岳民兵士も少なからず居るわけであるが、死傷して倒れた仲間を踏み越えて、さらに先へ進む。
王国軍の騎兵が突撃すれば、その馬蹄に砕かれてあっという間に数十人の山岳民兵士が倒れるが、いくらもしないうちにその穴も埋まる。
そして、王国軍の騎兵も多数の山岳民兵士に取り囲まれ、身動きを封じられて一騎、また一騎と数を減らしていくのであった。
決して、王国軍の兵士が非力なわけではない。
事実、弓兵にせよ騎兵にせよ、王国軍は敵軍に対して、継続して甚大な被害を与えていた。
しかし……山岳民の兵数は、その甚大な被害をものともしないくらいに膨大であった。
騎兵に続いて、防柵のむこう側にいた王国軍兵士たちも、鑓や剣を手にしておびただしい敵軍へと向かっていく。
そこここで起こる剣戟の音。
いつしか、この合戦は、遠距離から弓矢を射かけあうフェーズから白兵戦へと、その様相を変えていた。
そしてそれは、圧倒的に数に劣る王国軍側がもっとも避けたかった流れでもあった。
……負けたかな、これは……。
ドルバルは、そのような諦観を持った。
そのとき……。
「遅参した」
凜とした女の声が、ドルバルの耳に入った。




