暁の迎撃戦
「……おれ、このいくさが終わったら、ブラズニア公家の長女と結婚するんだ……」
「縁起でもないことをいわないでください、ブシェラムヒ卿!」
「なんで、おれが祝言を挙げる予定をはなすと縁起が悪いことになるんだよ!」
「戦闘前と戦闘中に結婚とか出産の予定を他人にはなすと、死神が来るっていいますよ!
わかりますか?
死亡フラグってやつですっ!」
「……なんだ、そりゃあ?」
「験担ぎだと思ってくださいっ!
幸せな将来について語ると、その幸せな将来が絶対に来ることはなくなるんです!
ジンクスですよ、ジンクス!」
「そ……そういうもんか。
……下々の兵士の風習は、よくわからんな……」
ブシェラムヒ・アルマヌニアの部隊がこの場に到着してから、丸一日以上の時間が経過している。
そしてこの部隊は、ここに到着してからこっち、山岳民の兵士たちとの継続的な戦闘状態にあった。
何度かブシェラムヒの兄であるムヒライヒ・アルマヌニアから、「帰投せよ」との伝令を受けているのだが、敵に背を向ければすぐにでも襲いかかってくるのだから、動きようがない。
「……食料は?」
「とっくの昔にすっからかんですよ!」
「何人やられた?」
「死んだのと戦力にならないのと合わせて、三十ってとこですかね。
残りのやつらも、不眠不休でいつまで動けるもんか……。
補給も交代要員が来ないって、ってのが、一番の問題点です。
矢も、もうじき尽きます。
こうなったらいっそのこと、全員で突撃しますか?」
「縁起でもないことをいうなっ!」
ブシェラムヒは、副官を怒鳴りつける。
「やつらは、おれたちとは違って、矢も交代要員もたっぷりといるんだ。
今のまま突入しても、剣山のように体中に矢が突き刺さるだけだぞ!」
それが、こちらとあちらの大きな違いであった。
やつら、山岳民どもには……こちらにはない、余裕がある。
無理をせずとも、継続的にこちらを攻撃し続けさえすれば、いずれこちらは疲弊して戦闘不能になるはずだ。
だから、今も遠巻きにして遠距離での攻撃のみに専念している。
やつらからしてみれば、リスクの大きい決戦を急がねばならない理由はないのだった。
「とはいいますけど……どうするんですか?
ブシェラムヒ卿!
このままでは、どっちにしたって結局はジリ貧になっていくばかりなんですけど……」
「……うむむ……」
ブシェラムヒは、唸る。
唸ることしか、できない。
そのとき、頭上から人影が降りたった。
「……え?」
「あ?」
唐突に現れた人影に、部隊の者たちの視線が集まる。
「待たせたな。
援軍だ」
人影……そのエルフは、いった。
「ブシェラムヒの部隊……で、いいんだな?
洞窟衆のファンタルという者だ。
これより撤収作戦を開始する。
まずは、負傷者の収容と移送だ」
ファンタルと名乗ったエルフがそういうと、森の中から無数の犬頭人がわらわらと湧いてきた。
「騒ぐな! 慌てるな!
我らは敵ではない!
自力では動けない負傷者は、これから担架に乗せて搬送する!
その際、森の中を移動することになるが、無用に騒がないように!
われら洞窟衆にとって、森の中は、自分の家の庭のようなものだ!
別働隊もこちらに向かって来ている!
そちらが到着次第、敵軍に強烈な一撃を加え、相手が体制を立て直す前に遁走するぞ!」
ドルバル・バスコス。
五代前からアルマヌニア公家に仕える、直参家門の出である。
従軍もこのいくさで数えて三度目となり、まずは手堅い手腕と経験を持つ士官であった、といえよう。
同世代のムヒライヒ・アルマヌニアからの信任も厚く、今回もタバス側沿岸部防衛戦の指揮を任されることとなった。
本来ならば、そのムヒライヒ自身がこの場で指揮を執っているはずなのだが、そのムヒライヒは総司令部に呼び出されている。
短かくても、数時間。長引けば、半日……いや、場合によっては、丸一日、留守にすることもあり得る。
……こんな重要なときに、呼び出すなんて……総司令部なにを……。
と、ドルバルは、歯噛みする。
いっても詮無きこと、ではあるのだが……もう少し、現場の状況というのを理解してはもらえないものだろうか?
ムヒライヒは、
「敵の襲撃よりこの沿岸部が無防備になった今こそ、大規模な襲撃を警戒しなければならない」
と危惧していた。
そして、その危惧は……ドルバルも、かなりのところ「当たる」だろう……と、そう、予測している。
そうでなければ、今、国軍側に体制を立て直す時間を与えるのならば、昨夜半の攻撃がまるっきり無意味になってしまうからだ。
少しでも実戦経験がある者ならば、誰にでも飲み込める機微のはずだった。
それなのに……総司令部は、この大事な時期に現場の司令官を前線から引き離そうとしている。
……われらに犬死にせよ、とでもいうつもりなのか……。
と、ドルバルなどは、そんなことさえ思ってしまう。
敵の大規模襲撃の予兆は、こうしている間にも次々とドルバルの元に届いている。
まず、ボバタタス橋方面へ送っていた部隊から、伝令が帰ってこなくなっていた。
ボバタタス橋へは、渡川作戦成功後から、定期的に部隊を送っている。
疲弊を防ぐため数班に分け、実際に戦火を交えるのはごく短時間で、交替で戦うように指示していた。
この方面には敵の精鋭が集まっているはずであったので、アルマヌニア公が動かせる将兵の中でもかなり上質な将兵を選りすぐって送り込んでいたはずなのだが……。
定期的に連絡をしてくる手筈が、もうかなり長い時間、無視されている。
それに……森の中に居座っている、洞窟衆とかいう異族混じり、女混じりの胡散臭い連中からも、
「何度か森の中を侵入して来る気配がした」
という伝令が届いていた。
洞窟衆とかいう輩のいうことには、
「森の中に自分たちの気配を感じ、引き返した」
だ、そうだ。
山岳民の中には、物好きなことに森の中を住処とする部族もいる。
そうした部族が、奇襲を狙って森の中を移動してくることも予想できたが……本来ならば平地民が入り込まないはずの場所に思いがけず大人数が潜んでいたことに気づき、慌てて引き返す……ということも、十分に考えられた。
敵軍だって、当然のことながら、自軍に損害を出すことは好まない。
森の中から、反撃をほとんど考慮せずに、楽に行われるはずだった奇襲が……いざ、現地についてみたら、思いがけず、少なからず伏兵が待ちかまえていた。
ということになれば……損得を秤にかけて、引き返すこともあるだろう。
ドルバルとしてはあまり認めたくはないのだが……あの洞窟衆とかいう胡散臭い連中は、この防衛戦に置いては、十分な役割を果たしている。
と、そう、認めないわけにはいかなかった。
敵が進軍してくる方向を限定できるだけでも、防衛をする側としては、実に「ありがたい」のだ。
つまり……。
ドルバルたち、この場にいる防衛軍は……。
「ボバタタス橋方面のみを、注意していればいい……」
口に出して、そう結論する。
ボバタタス橋へと続く道幅の狭い山道は、人馬と兵器とで埋め尽くされていた。
土塁や馬返しの防柵などは、時間がなかったので十分には設置できなかった。
一度、設置しかけたものが、ほとんど昨夜の陥没に巻き込まれて使用不能となったためだ。
防柵に関しては、まだしも山道に引き上げ、修繕して設置し直せたが、土塁を積み直すには、人手も時間も足りなかった。
そのかわり、バリスタや連弩を陥没した地点の直前に配置し、その前に防柵と人垣を配置した。
五十の騎兵を先頭に、歩兵三百が続く。
現状でアルマヌニア公家が動員できる、最大限の戦力を集結した。
現在、別働隊が救出に向かっているブシェラムヒ・アルマヌニアの部隊が間に合うことがあれば、多少、戦力は増大することになるのだろうが……こちらに関しては、正直なところ、ドルバルはあまり期待していない。
戦力は戦力なのであろうが、ブシェラムヒの部隊は小貴族や傭兵を中心に編成されており、アルマヌニア公家麾下のいくさに慣れた将兵たちほどには戦い慣れていないのだ。
それに、丸一日以上、敵軍と交戦した直後でもあり、疲弊も激しいだろう。
戦力としては、あてにできない……と、判断するのが、指揮官としては常識的な判断であった。
「エルフの女……だと?」
ブシェラムヒ・アルマヌニアは、呻いた。
「ブシェラムヒ卿。
この女、はぐれエルフの……」
副官が、ブシェラムヒの耳元に、小声で囁く。
「……武人としての見識は、確かかと」
「……ここは、おとなしくいうことを聞くべきか」
ブシェラムヒは、頷いた。
この男、直情的な性格ではあるが、とりわけて愚鈍なわけでもない。
そうでなくても、味方は疲弊しきっているのだ。
救援が来るというのなら、それは、朗報として受け止めるべきだろう。
「それで……ファンタルとかいったか?
おれたちは、どうすればいい?」
ブシェラムヒは、ファンタルに問いかける。
「負傷者は、このまま洞窟衆の者たちが担架で搬送する。
敵軍の迫撃を避けるため森の中を抜けるが、危険はないから騒がないように伝えて欲しい。
騒ぐと、かえって危険性が増す」
「……そう命じろ。
徹底させろ」
ブシェラムヒは、小声で副官に命じた。
副官は小さく頷いて、その場から離れる。
「あとの段取りは?」
「救援隊の騎兵が到着したら、道をあけて欲しい。
騎兵の突撃に合わせて、われら洞窟衆が森の中から援護射撃を行う。
ブシェラムヒの部隊は、騎兵に道を譲ったら、そのまま一直線に遁走してくれ」
「……敵軍が来ました!」
馬に乗った伝令兵が、ドルバルに向かって叫んだ。
「数は!」
やはり、ボバタタス橋方面へ派遣した部隊は全滅か……と思いながら、ドルバルは聞き返す。
「おおよそ……千以上!
異族との混成軍です!
先頭に、騎兵が二百以上!」
騎兵だけでも二百以上……。
ドルバルは、口の端を痙攣させる。
圧倒的な戦力差ではないか。
生憎とドルバルは、こんな場面で「これぞ武人の本懐!」などと開き直れるほど図太い性格を有してはいなかった。
立場というものがなかったら、うしろも見ずに逃げ出していたことだろう。
しかし、実際にはこう口にしていた。
「いいか!
よく聞け!
これより、この場を死守する!
ここで敵地への橋頭堡を失えば、これまでに犠牲になった同胞たちが流した血が、すべて無駄になる!
やつら山岳民にこの地を再奪取させるな!」
ドルバルの演説は華麗でも独創的でもなかったが、王国軍の士気を一時的にあげることには成功した。
ドルバルの怒声のあと、兵士たちは歓声をあげてこれに応える。
見え見えの演出ではあったが、特に今回のように、敵軍との兵力差がありすぎる場合には、こうして気分を高揚させることも必要となる。
「……先に騎兵を突入させますか?」
「やめとけ」
騎兵の数だけを比べてもおおよそ四倍差。
突撃してもあっけなく潰されるのがオチだろう……といいかけ、ドルバルは、実際には別のことを口にする。
「もう少し、敵を引きつけてからにしよう。
密集してくれれば、こちらの攻撃も当たりやすくなる」
圧倒的な大群を目の前にした味方が、敵軍がこちらの射程範囲内に入る前に暴発する可能性も大きいのだが……。
「全軍に、こちらが指示をするまで攻撃を控えるよう、徹底させよ!」
ドルバルは、そう念を押しておく。
敵も味方も、生身の人間だ。
頭に血が昇った状態で、どこまで冷静に、こちらの作戦通りに動いてくれることか……。
「……敵軍、視認!」
やがて、そんな見張りの叫びが耳に入る。
視界に入った……とはいっても、敵軍の姿はまだまだ小さい。
先頭の、騎兵の群がかろうじて見分けられるくらいだ。
「まだまだ、動くな!」
ドルバルは、叫ぶ。
数的な劣勢を少しでも補正しようと思うのなら、乱戦に持ち込むしかない。
この距離でこちらも動けば、最悪、敵軍の騎兵だけに蹂躙されてもおかしくはない戦力差なのだ。
救いがあるとすれば……道幅が狭いので、騎兵の機動性をうまく生かせない地形であるということだけか。
敵軍の姿が、すぐに大きくなっていく。
敵軍の騎兵は、まだ速度をあげていなかった。
「……バリスタ、用意!」
ドルバルが、号令をかける。
もうすぐ、騎兵がバリスタの射程に入る。
バリスタのような大振りな兵器が、生きて動いている相手にまともに命中するとも思えないのだが……牽制くらいにはなるだろう。
敵軍の騎兵が、さらに近づく。
「……弓兵、用意!」
もうすぐだ。
ぎりぎりまで、敵を引きつける。
敵軍から鹵獲した連弩は、もっと敵を引きつけてから使用するつもりだった。あれは、密集している敵に使う方が、効果がある武器なのだ。
敵軍の騎兵が鑓を構え、今にもこちらへ突撃しようと身構えたとき……唐突に、異変が起こった。
左右の森から、おびただしい矢が、敵軍に降り注いだのだ。
「バリスタ! 弓兵!
斉射だ!」
ドルバルが、叫ぶ。
「敵が浮き足立っている今のうちに、叩けるだけ叩いておけ!」




