森の狩人
持ち帰って調査すれば、王国の技術者でも複製は可能であろうのだろう。
が、十分な数を製造して全軍に配備するまでには、果たして何年を要するだろうか……と、ムヒライヒは考える。
認めたくはないのだが、王国と山岳民とでは、それくらいの技術格差が平然と存在するのであった。
一見して国力が拮抗して見えるのは、王国が肥沃な国土を背景に多くの民を養うことができるため、このようないくさの際に、より多くの将兵を集めることができるからに過ぎない。
技術の格差以外にも、山岳民は多種の獣を能く使役する。
人口が少ない割に、山岳民連合が軍事大国として近隣諸国に恐れられている由縁である。
ムヒライヒたちは、その軍事大国とまともに戦って、最低限でも退けなければならない立場にあった。
「……グゲララの豆食らいどもが根こそぎやられただぁ?」
そう声をあげたのは、ガグラダ族のアジャスだ。
「ああ。
なんでも、橋頭堡を築かれた上、二千人近くが捕虜になったらしい」
伝令師のクツイルが、説明を続ける。
「それで、ガグラダ族への指令なのだが……」
「どちらだ?
グゲララ族の奪還と、橋頭堡の破壊」
「後者だ。
ガグラダ族には陽動をして貰う。
平地民の部隊がかなり奥地まで入り込んでいるようだが、そちらは放置しておいても構わない。
川沿いに陣を張っている平地民を脅かして貰いたい」
伝令師のクツイルは、むっつりとした中年男だった。
「陽動……ってことは、本隊が別に出るってことか?」
「デムダラ族の水妖使いが出て、平地民の橋を破壊する。
陽動に引き続いて、川のこちら側に取り残された平地民を鏖殺してもらいたい。
やつらは……いささか、目障りだからな」
「よしきたぁ!」
ガグラダ族のアジャスは両手を天に掲げて大きな声を出した。
「好きだぜ、そういうわかりやすいやり方!
戦果をあげるのはおれたちガグダラ族、やつらにとどめを刺すのもおれたちガグラダ族!
こっちの岸まで渡っている平地民が何人いるのか知らねーが、全部殺しちまっていいんだな?」
「今の時点で捕虜にとっても邪魔になるだけだしな」
伝令師のクツイルは、肩を竦める。
「見かけた敵をすべて始末する。
これくらい単純な方が、ガグラダ族もやりやすいだろう?」
「……今、なんといいまして?」
メキャムリム・ブラズニアは、低い声で伝令に確認した。
ブラズニア公家の本陣内での出来事だった。
「わたくしの耳には、アムラヌニア公の次男坊から食料支援の増援を要請された、と聞こえたのですが?」
「はっ!」
アムラヌニア公家の伝令は、メキャムリムの威嚇的な眼光に怯むことなく、淡々と復唱する。
「架橋作戦成功のため、目下、敵地での進軍と防御陣地の造成を急がせているところであります!
どちらも人員を交代させながら二十四時間体制で取り組む必要があり、糧食の消費量は大幅に増えるものと予想されます!
かかる経費についてはアムラヌニア公家が負担しておりますが、特に糧食だけは公家の備蓄分、生産分ではとても追いつかず……」
「……それで、こちらに泣きついてきた、と……」
メキャムリムは、不機嫌な様子を隠そうとさえしていなかった。
「ただでさえ、食料が足りていないこの時期に……。
いいわ。
明朝までになんとかしてみせる。
それくらいなら、アムラヌニア公家だけでもなんとかできるでしょう?」
「はっ!
ムヒライヒ様にはそのように申し伝えます!」
アムラヌニア公家の伝令はそういうと、踵を返してブラズニア公家の本陣から退出した。
その背中が完全に見えなくなってから、メキャムリムは悄然と肩を落とし、盛大にため息をついた。
「……なんだって、兵隊さんたちはあんなに大食らいなのよぉ……。
ただでさえ、作戦行動時の平均食事回数は五回。
それに夜戦なんかが加わると、食料の消費量はさらに増える。
陣地造成の人夫たちだって、急かされるわ運動量は多いわで、結局、兵隊さんたちと同じくらい食うしぃ……」
「お姫ぃ様。
洞窟衆の方々のところへ……」
侍女のリレイアが、確認してくる。
「ええ。
洞窟衆のところに伝令を出して。
用件は、いわずともわかるわね?
早速、頼っちゃうわけだけどぉ……いいよね?
どうせ、王家やアムラヌニア公家の貸しを仲介しているだけ、みたいなもんだしぃ……。
あ。
それから、アムラヌニア公家とベレンティア公家にも伝令を出して。
だぶついて行き場のない捕虜を、こちらの預かりにします、って。
おそらく、文句はこないと思うけど……」
「……と、いうわけで……」
ハザマは、グゲララ族の部族長、バジャスに告げる。
「……急ぎの仕事が入りました。
パン焼き竈の製造と、軍用糧食の生産になります。
うちら、洞窟衆の方でもそれなりに手をつけてはいるんですが、増産要請が相次ぎ生産が全く間に合わない状態で、一刻の猶予もありません」
「それを、グゲララ族の民にやらせよというのか?」
バジャスは、憮然とした顔をしている。
「食べるものを作り、確保するのは、すべての生物にとって重要な問題でしょう」
ハザマは、平静な顔をして答える。
「それとも、まとめて奴隷になった方がマシでしたか?」
「……足元を見おって……。
ああ、やろう。やってやろう。
このバジャス率いるグゲララ族が、誰よりも多く、早く、大量のパンを焼いてやろう!」
「で、これが軍用糧食のレシピですね。
ここに書いてある通りに作れば、味はともかく栄養価はそれなりのものができるそうです。
それなりに日保ちもするそうですから、余ることなんか考えずに材料がある限り全部パンにしちゃってください」
「……待て!」
「なにか?」
「必要な数を提示せよ。多少、余裕を持った数でも構わん」
「そりゃあ、構いませんが……いったいどうするんですか?」
「パンばかりでは飽きがこよう。
余った小麦で、麺を作る」
「麺? 麺、ですか。
そうか。
グゲララ族は麺を食べる文化があったのか……」
ハザマは、妙なところに感心した。
王国内で、麺かそれに類する食物に遭遇したことがなかったので、てっきりこの世界にはそうした食物がないものだと思っていた。
「……いいでしょう。
その麺も、並行して作ってみてください。
ただし、最初は試食用として、少数のみでお願いします。
試食した上で評判がよいようなら、売り出し用として本格的に検討させていただきます」
アジャス率いるガグラダ族は、グゲララ族などの農耕民とは違い、一生のほとんどを森の中を移動して過ごす狩猟民であった。
普段から野生動物を相手にして生活していることもあり、動体視力や基本的な身体能力も総じて高い。弓は速射を得意とし、命中率は山岳民の中でも突出して高かった。
加えて、森の中での過ごし方を幼少時から叩き込まれ、森の中での移動速度も驚くほどに早い。馬も通わぬような難所も、自らの脚力のみでごく短時間で渡りきる。
森の狩人……と、他の山岳民からは呼ばれていた。
種族的にはヒト族であったが、多分に野性を残している。
ガグラダ族とは、そんな部族であった。
そのガグラダ族が、夜だというのに、森の中を移動している。
目的地は、バタス川岸。
ムヒライヒ・アムラヌニアが指揮を執り、防御陣地の造営を行っている場所であった。
「イミル、ズランギ。
準備はできているな?」
小声で、アジャスが囁く。
「いつでも」
「承知」
イミルとズランギの小声が、アジャスの耳に届いた。
聞こえるか聞こえないかという、極めて小さな声だった。
この二人は、ガグラダ族の中でも屈指の魔法を使う。
ガグラダ族の魔法は、自然の中のある精霊の力を流用するタイプの魔法だった。
詠唱や儀式に多少、時間がかかるものの、成功すればその威力は甚大であり、人の体内にある乏しい魔力を振り絞ったお上品な魔法とは、比較にならない成果をあげることができる。
伝令師のクツイルは、今回のガグダラ族の仕事は陽動だ、といった。
ならば、せいぜい派手にやろう。そのためには、この二人の魔法使いにやらせるのが一番だ……というのが、アジャスの思惑であった。
平地民どもを皆殺しにするだけなら、この二人の魔法に頼るまでもないのだが……当面は、この二人を、平地民の軍にほど近く、安心して施術を行える場所まで移送することが、アジャスをはじめとするガグラダ族の仕事となる。
灯りもともさず、音もなく、ガグダラ族は森の中を進む。
人目にたつのを防ぐため、山道からは遠ざかった場所をあえて進んでいるのが、もう、かなり平地民の軍隊に近づいているはずだ。
その証拠に、バタス川のせせらぎの音が遠くから耳に入ってきている。
それどころか、人の声や作業音も、聞こえてきた。
平地民の軍隊は、どうやら、夜を徹してなにかの作業を行っている最中であるらしい。
ご苦労なことだ、と、アジャスは思う。
どの道、全員、おれたちに殺されるのに……と。
アジャスの認識によれば、森の中に隠れている限り、平地民の軍隊などものの数ではない……ということになる。
なにしろやつらは、森の中に入れば赤子の手をひねるよりもたやすく刈り取ることができる。
森の外にいた場合でも、森の中にいるおれたちを攻撃する術がない。
少しでも危うくなれば即座に移動し、また訪れるであろう、絶好の機会まで辛抱強く森の中で待ち続ける。
相手から所在を知られないまま、一人一人着実に射殺していく……というのが、アジャスたちガグダラ族の「いくさ」だった。
森の中に居る限り、彼らガグダラ族は、自らの無敵さを信じて疑わなかった。
「……うぉっ!」
不意に、誰かが小さく叫ぶ。
「誰だ? どうした?」
アジャスが、小さく叫んだ。
もう敵陣に、かなり近い。
こちらが攻撃をする前に、大声を出して敵に見つかるわけにはいかないのであった。
「ネパフが」
「どうした?」
「居なくなった。急に」
「……なんだ、そりゃあ?」
小声で、仲間たちと囁きあう。
「わからん。
不意に、姿が見えなくなった」
「……よくわからんが、もう少し近寄らなければならん。
気をつけて……」
アジャスがそこまでいったとき、
「……うわぁぁぁ……っ!」
今度は、長く尾を引く悲鳴が、響きわたった。
「どうした!」
声を潜めることも忘れて、アジャスが叫ぶ。
「ビクウだ!
ビクウが、罠にかかって、真上に……」
ガグダラ族の誰かの、狼狽した声が聞こえる。
「……罠、だと?」
「放てっ!」
アジャスが懐疑に満ちた声をあげるのと、どこからか女の叫び声が聞こえるのは、ほとんど同時だった。
アジャスは反射的に身を投げて回避したが、かなりの人数がその声と同時に飛来した矢に、体のどこかしらを貫かれた。
「放てっ! 放てっ! 放てっ!
まだ声がするぞ!
声がする方向に、矢が尽きるまで放ち続けよっ!」
女の声が、そう命じている。
「火矢も放て! 明るくしろ! やつらを逃すな!」
「……罠に、矢……だと?」
地面に伏せながら、アジャスが呻く。
その声は、当然のことながら、苦渋に満ちていた。
森の狩人であるガグラダ族が、森の中で狩られているとは……これでは、悪い冗談ではないか。
地に伏せたままの姿勢で、アジャスは弓を構え、火矢の明かりめがけて矢を放つ。
「イミル! ズランギ!
無事か!」
「おう!」
「なんとか!」
意外に近くで、二人の声が聞こえた。
「潜伏しろ!
おれも含め、他のやつらはここでやつらを足止めする!
お前たち二人は、なにがなんでも当初の目的は果たせ!」
なりふりを構っている場合ではない。
三分の一か、半分か。
さきほどの初撃で、ガグラダ族はすでにかなりの損害を被っていたのだ。
さまぁねえな……と、アジャスは思う。
森の中でまともに動ける平地民がいる……という事態をまるで想定していなかったのが、アジャスの失策であった。
ここまで大きな損害を被れば、たとえガグラダ族の何人かが生還したとしても、山岳民の中でのガグラダ族の地位や発言力は大きく下落する。
せめて、あの二人が成功すれば……と、アジャスは、そう思った。
あの二人が敵軍に大打撃を与えることに成功すれば、ガグラダ族の未来も多少は明るいものになるだろう。
このときのアジャスは、このあと自分が生還することを、まるで想定していなかった。




