戦場の犬たち
「無傷で健康な若い男が、たったの銀二枚だけだとぉ!」
その頃、傭兵や下級貴族たちの間に不満が広まっていた。
大量の捕虜を一気に獲得したため、奴隷商人たちが一斉に奴隷の買い取り値を下げはじめたためだった。
「……そういわれましても……」
そのように憤る相手に対し、奴隷商人たちは卑屈に笑いながらも、歩み寄りの姿勢は一切みせなかった。
「わたくしどもも、商売でやっておりますもので。
このように品があぶれている状態ですと、どうしても買値は下がってしまいます。
なんでしたら、他の商人の方へ持って行ってくださっても結構でございます」
そうしたやり取りのあと、傭兵なり下級貴族なりが別の奴隷商人に交渉にいくと、買値としてさらに安い値が提示されるのが常であった。
それどころか、時間がたてばたつほど、奴隷の値が下がっていく。
「奴隷商人どもめ!
全員で示し合わせでもしておるのか!」
そのように悪態をつく者も多かったが、実のところ、その奴隷商人たちも談合して値を下げているわけではなかった。
あまりにもこの場が「奴隷を買う立場」にとって有利な状況になってしまっているため、周囲の様子を見守りつつ、徐々に買値を下げて反応をうかがっているだけだった。
奴隷商人も、「安く買って、高く売る」という鉄則は、他の商人たちと変わらない。安く買える機会が目前にあれば、その状況を見過ごすわけがないのだった。
こうして奴隷の買い取り値は、一時は普段の相場の十分の一くらいまで下落した。
買う側は喜び、売る側はこの状況を呪った。
奴隷商人たちのこの後の反応は、その規模により大きく二分された。
資本力や信用できる部下を持った奴隷商人は、さっそく買い入れた奴隷を売りにいくよう部下に命じ、自分は戦地に留まりさらに奴隷を買い取ろうとする。
元手や人手に乏しい奴隷商人は、旅支度を整えて自ら奴隷を売るために旅立うとする。
そして、そのどちらの奴隷商人も、それぞれの理由でハザマ商会を頼ることになった。
「……馬車に奴隷を乗せたいと?
もちろん、まだまだ空きはございます。
ご用件は、積み荷の運搬だけでいいですか?
移動の際の食料は?
軍標準の携帯糧食でしたら格安で人数分、揃えることが可能ですが……」
「申し訳ございませんが、馬車や馬だけの貸し出しについては、管理上の理由でお断りさせていただいております。
どうしてもおっしゃる場合は、事前に然るべき補償金をお預かりさせていただくことに……」
「食料のお買い上げですか? ありがとうございます。
軍標準の携帯糧食でよろしいのですね?
明日の朝までに、五百食分。
こちら、分割でもよろしいでしょうか?
現在、製造が間に合わない状態でして、粥ならば、器さえそちらでご用意いただければすぐにでも提供できるのですが……」
タマルが指導してきた即席商人たちはお仕着せの愛想笑いを顔面に張りつけて客を捌くのに手一杯となった。
交渉をする者、契約書を整える者、帳簿をつける者……など、狭い専門分野に特化した知識を即席で詰め込んできた者たちだ。
不慣れながらも、次から次へと押し寄せる客を捌いていくうちに、実務に対する不安は徐々に吹き飛んでいった。
奴隷商人側にしてみれば、思いがけず大量に確保することができた奴隷を運ぶためには、自前の輸送力では完全に不足していた。
ハザマ商会にしてみれば、戦場からの帰り道は完全に空荷となる。つまり、なにかしらの荷を戦場で調達して運搬した方が、無駄がないのであった。
ここで奴隷を確保し、奴隷商人に売った側の事情に目を向けてみよう。
この時点で、ハザマにより硬直化した山岳民を確保してまわった人間は、実はあまり多くなかった。
戦闘はまだまだ継続しており、より野心に溢れた連中はそちらに流れていたからだ。
よって、早々に奴隷を確保して戦場から離れた連中は、以下のいずれかの条件に当てはまることになる。
まず、戦争を、短期的な利益を得るための手段と割り切っている者。
これは、武勲をあげることや立身出世よりも、より少ないリスクでより多くの収益を得ようと普段から考えている者たちであり、ある意味では徹底した現実主義者であるともいえた。
具体的には、非戦闘要員としてこの場に居合わせた人夫や商人などがこの分類に該当する。
このような者たちは、苦労せずに多くの奴隷を得る機会に居合わせたことに感謝し、自分たちの幸運を喜びながらさっさと獲物を取って戦場から離れた。
次に、武勲をあげることや立身出世をしたい意志は余りあるほどあったが、経験も資金も決定的に不足していた者。
野心はあれど伝手も金もない若者たちが、これにあたる。こうした者たちは、多くは身一つで戦場に集まり、名をあげる機会を窺っていたわけだが、たいがいは経済的にも困窮していたため自分の武装はおろか普段の食料にも事欠いていた。
こうした連中もまた、労せず奴隷を獲得する機会を得て歓喜した。
これで、しばらくの食費と新しい、今手持ちのものよりも幾分マシな武器を揃えることができる。そうすれば、将来的には戦場働きで名をあげる機会に恵まれる可能性も多くなる……と、彼らは考えた。
いわば、自分たちの未来へ対する軍資金とするために売買するための奴隷を必要とした者たちである。
最後に、領主様に無理に連れられてきた、小者たち。
彼らは、別に自分の意志で戦場に来たわけではない。剣や槍などまともに振るったことさえないのだが、あくまで下働きとしてこの戦地に連れてこられた。来なければ、ならなかった。
そして、こんな危険な場所に連れられてきた以上、せめて、その危険に見合うだけの利益を引き出してから故郷に帰らなくては割に合わないではないか……と、そのように思考する者たちだった。
自分の意志で来たのか、上の意向に逆らえずに戦地に来たのかという違いはあれど、その内面は最初に分類された者たちに似る。
危険を避け利に聡い彼らは、ある意味では大多数の庶民の意志を代弁するような存在でもあり、少し立場が異なっていれば今度は容易に自分たちが奴隷となることも十分にあり得る存在でもあった。
こうした者たちも、積極的に奴隷狩りに荷担することになる。
細かく検分すれば、他の事情で奴隷を必要とした者もいるのであろうが、奴隷狩りをするものを大別すれば、だいたいそんな分類となる。
共通するのは、この時点で奴隷狩りにうつつを抜かせる連中とは、つまるところ実戦力としてはあてにされていない、ということであった。
この時点で実際に戦っている者たちは、奴隷などに構わず、また構う余裕もなく……「敵」と、対峙していた。
「……やつら。
こんなところまで来ていたのか……」
ブシェラムヒ・アムラヌニアは、断ち切られた旗竿の断面を合わせて、呟く。
いかにも憮然とした表情であり、声であった。
「道ではなく、森の中をつっきって移動したとしても……まさか、あれほどの短時間で……」
ハザマたちがグゲララ族のバジャスらを捕らえた陣の中、であった。
「……ブシェラムヒ様!」
「おう!
わかったわかった!」
配下に声をかけられ、ブシェラムヒは我にかえった。
詮索するのも物思いにふけるのも、もう少しあとにしよう。
なにしろ今は、山岳民と交戦している最中なのだから。
「盾兵を前へ!
タワーシールドを横列に展開し、他の者は援護にまわれ!
非戦闘員は防御陣地の構築を急げ!」
おそらくこの時点では、ブシェラムヒの部隊がもっとも山岳民の領地奥深くに踏み込んだ部隊となるのであろう。
実のところ、戦略的にはあまり意味のない進軍なのであったが、ここが山岳民と直接交戦する最前線のひとつであることに変わりはない。
すぐ後に、兄であるムヒライヒ・アムラヌニアから、
「その地を放棄して後退し、浮き橋周辺地域の防衛に加われ」
という命令を伝令から受け取ることになるのだが……この時点のブシェラムヒは、意気揚々と戦闘に身を投じていた。
架橋作戦の司令であるムヒライヒ・アムラヌニアは、作戦中作戦成功後を問わずに多忙なままであった。
工兵と人夫たちを動員しての、防御陣地の造営。
その造営に必要な、あるいは今後の軍事行動に必要な物資の搬入と分配の手配。
ボバタタス橋方面へも交代で部隊を派遣し、敵軍の動きを牽制し、敵の疲弊を誘わなければならない。
せっかく打ちこんだ敵地への楔である。有効に活用してこそ意味がある。
そう思い、ムヒライヒはアムラヌニア家の財貨を惜しみなく使用して人を集め、仕事の完遂を急いだ。
もちろん、伝令を走らせ、王国軍監察の立場にあるブラズニア家には物資、資金両面での支援を要請し、総司令の立場にあるベレンティア家へ作戦の成功と今後の方針について報せることも忘れない。
「前線司令官のムヒライヒ・アムラヌニア殿とお見受けする」
声をかけられたので顔をあげると、そこには年若い娘が妙に老成した顔つきで立っていた。
いや。
娘、ではないのか。
ムヒライヒは、その耳に気づいてすぐに自分の思いこみを訂正する。
エルフの年齢は、外見からは判断できないとされている。そのエルフも、王国では滅多に遭遇することのない人種なわけだが……。
「いかにも」
ムヒライヒは、落ち着いた口調で応じた。
「あなたは?」
「エルシム。
今は、洞窟衆に所属している」
小娘の外見をしたエルフは、そういった。
「薬品が、足りない。
材料を採取するために、うちの者をそこの森の中に入れてもよいだろうか?」
「森の中に、ですか?」
ムヒライヒは、首を傾げた。
「危なくは、ありませんか?」
多くの害虫や野生動物がひしめく森の中は、一種の人外魔境である……というのが、一般的な王国民の認識である。
「うちの者たちは、エルフの薫陶を受けて森の中の歩き方を学んでいる」
エルシムは、そのように答える。
「薬の材料を採取するついでに、動物を捕らえるための罠も設置する予定なのだが、一応、指揮官の許可を取っておこうと思ってな」
ムヒライヒは、時間にしてほんの一、二秒、考えてみた。
それから、
「いいでしょう」
と、頷く。
どう考えても、自軍が不利になるような要素はなさそうだ。
「ついでに……もし森の中を敵軍が近づいてくるようでしたら、こちらに報せてください」
山岳民と王国民とでは、その風俗にもかなりの異同が存在する。
山岳民の中のある部族は森の中を自由に移動する……というはなしも、ムヒライヒは聞いたことがあった。
「それは、司令としての命令か?」
エルシムとかいうエルフは、間髪入れずに確認してきた。
「そう解釈していただいても結構です」
「了解した。
これより洞窟衆は、王国軍司令部の意志を受けて周辺の森の中を警戒する」
防御陣地の造営に関しては、最初のうちこそなかなか人が集まらずに難儀したものだが、作戦成功から数時間も経つと大量の敵兵を捕縛する騒動も一段落つき、徐々に人手が足りてくるようになった。捕らえた敵兵の数が多すぎて一悶着あったようだが、ムヒライヒは例によって目前の仕事に忙殺されていたためそちらの問題にはあまり意識を向けていない。ただ、負傷したり健在だったりする敵兵が多数、浮き橋を渡って川のむこうに連れ去られていく様子は確認していた。
敵軍の捕虜に関して、ムヒライヒは、せいぜい、「あのうちの何割かが滞りなく奴隷契約を済ませてくれれば、こちらの造営ももう少し捗るのだが」……といった認識をもったくらいであり、つまりはほとんど関心を払わなかったといえる。
ムヒライヒは、敵軍がこの地を奪回し、浮き橋を破壊しにくる前に、迎撃の準備を整えねばならず、つまりそれは時間との戦いである。
ムヒライヒは周辺に土塁を積み上げさせ、路上に馬返しの防柵を巡らせ、敵軍から鹵獲した連弩を適切な位置に配置した。
これは、大掛かりな据え置き型の弩であり、一度に二本の矢を、連続して九回、計十八本分、射ることができるという仕掛けであった。その大きさゆえ、気軽に持ち運ぶことはできないし一度発射すると弦を引くのに多少の時間を必要とする、などの欠点こそあったが、大型ゆえの貫通力とトータルでみた時の連射性能を考慮すれば、陣地防衛においては十分な威力を発揮する。
少なくとも、王国内の技術水準では、このような複雑な機構を戦場で運用することを考えることはできなかった。ドワーフをはじめとした優秀な技術者を多く抱えた山岳民であればこそ、製造、運用が可能な武器であるといえよう。




